緑の目
ヴァルハラ──人類英智の塊とも呼ばれる一角である研究所はとても広く巨大な建物であり。最新技術が重ねに重ねられた天界の中でもトップクラスの場所である。
科学者や発明家などを含めた数百人規模がその建物にいるものだが、常日頃から人の出入りは激しいものの、一度入っては出てこない者もいる。
レディ・レジーナはテスラの助手であるが、常日頃彼のそばにいる訳ではなかった。彼の言葉も行動も、いまや完璧に理解しているが彼女は科学者でも天才でもない。
生前は家庭と家族を守り。自分の人生の全てを捧げてきた。
愛する人たちを支えることが彼女の何よりであり。それは彼女が自分の神と思えるような天才、ニコラ・テスラに対しても同様の考え方であり。
ヴァルハラにはテスラには及ばずとも天才は数多存在するため、彼女がテスラを支える部分はもっぱら生活や、彼の熱を覚ますところにあるのだった。
テスラとレディの自宅は研究所から徒歩三十分の距離にある。
研究所のそばには科学者たちの住まうアパートのような建物もあり、大抵の人達はそこで生活をするが、レディの自宅で暮らすようになったテスラは歩く距離が増えてしまったことに対しても「思考を巡らせながらじっくりと歩く時間ができる。健康面も大事だし、実にいい!」といって受け入れてくれた。
レディはティータイムの時間に合わせてと研究所に行く時、妙に今日は着飾ったご婦人が多いのだと思いつつ、慣れた足取りで広い研究所に足を進めていた時、掲示板を見ては納得した。
そしていつもの癖でお茶会の用意をしてしまったがミスだったかもしれないと思うのは、電光掲示板にはいくつか並んだうちの一つに「ニコラ・テスラ講演会」と書かれていたからである。
テスラのレベルになれば共同研究室とは別に個人研究室を与えられる。
基本的には彼らは包み隠さず、来る者拒まずと研究室の扉を開けているのだが、エジソンのように来る人全員を受け入れつつも瞬時に選び対応を行うのとは違い。
テスラは受け入れはしたが、次第にそれが研究の話を目的にした訳ではなく。ニコラ・テスラという男だけに興味を持ってこられるせいで手が進まないことに悩んだ上、彼の研究室に来る人間が後を絶たず。結果的に人で溢れかえって廊下まで流れてきた時に他の者たちから公開研究や決まった時以外は危険もあるため許可のない一般人の立ち入りは禁止とされたのだった。
お陰様で研究所の入り口には管理ロボットがつくようにもなったわけだが、それを初めて見たレディはそれはもう子供のように驚いてはしゃいだが、開発したテスラは心底嬉しそうな顔をして「次はビームでも出せるようにしてみようかな?」と言い出した為、他の者たちが止めることとなったのは今はまだいいだろう。
そんなことで今日はテスラの講演会だったかと思い、時計を見ると既に講演会は終わり間際の時間であった。彼女が彼を慕いながら講演会というビッグイベントにさほど強く惹かれないのは、彼女自身が個人的な講義や講演を毎日してもらっているからだった。
実際、講演会というのは生きていた頃にはスポンサーを獲得するためなども含めて実に重要なことであり。ヴァルハラにおいても自分たちの研究予算を手にできるかという現実面はある。死後の世界でも資材は有限ではないのである。
どんなものなのかとレディ・レジーナはバスケットを片手に軽い足取りでブラウンカラーに花柄がアクセントにある。アンクルストラップのついたパンプスにて廊下に小さな音を奏でながら一番広い講義室へと向かった。
「まぁ……」
思わず声を漏らすのは仕方がなかった。
講演用の講義室はそれなりに広いはずだと言うのに廊下にまで人で溢れていた。
元々テスラの講義や講演会は人気のひとつであり。席については抽選であるが、抽選を外れた人でも気になる人を捨ておくはずのない彼らはその日だけはと受け入れているものの、そのあまりの人だかりには声を漏らす次第で、若者から老人まで老若男女ではあるが、それでもあきらかに女性が六割近くはいた。
レディはなんとか人混みに揉まれながら一番後の壁沿いに沿って入ると、講演会の一番後ろの隅には見慣れた癖毛の男性がいた。
ピンッと張った立襟、シュッと引き締まった蝶ネクタイ、鋭いがどこか誇らしそうな顔をしている鼻の高い男をみると、彼女は人混みの中をぐんぐんと進んで「エジソン様」と声を掛けた。
「やぁレディ、君も居たのか、人が多くて気付かなかったな」
「いえ、今日が講演会だと知らず今来たばかりでした」
「知らなかった?テスラは何も言わなかったのか」
「朝にブツブツと独り言を話してましたが時期までは……何せ毎日我が家で講義も講演もしてくださいますし」
振り向いた男は気さくに挨拶を変えたがレディの言葉に納得して苦笑いをした。
「相変わらずのことだがすごい人だ。これでも入場制限がかかった方なんだがな」
「それだけ皆様あの方の描く未来に惹かれているのですわ」
そういって彼女は人混みの隙間から「以上で今日の講演会は終了だ、みんなありがとう!質問があれば是非聴いてくれたまえ」と大きな声で締めの挨拶をしているテスラを誇らしげに見つめていたが、エジソンは少しだけ苦い顔をして「そうか?」と呟いた。
彼女の目にはどう見えてるのかと感じるのは、講演台の前で囲まれるテスラを眺めてのことである。そこにはもちろん純粋な好奇心や探究心などを持つ同じ志の者たちもいるが、気付けばテスラを取り囲んでいるのはご婦人方で、その中には当然研究者としての者もいるが、エジソンも生前見覚えのあるような、地位や名誉を求めるような眼差しを向けるものが多かった。
エジソンも大抵だと自負してるが、テスラも相当な社交界嫌いの気があった。彼らのような人間からして無駄な時間であるからだ。
天界においてのテスラの評価は時代を重ねると共にさらに強く確固たるものへと変わり、本人の性格や博愛的な部分、さらには女性から見れば魅力溢れるその男に触れてしまいたくなるのは性でもあるのかもしれないが。
「それにしてもまぁ……最近のご婦人は積極的だな」
人混みに紛れるようにテスラの背中や腕を触れる手が多く、エジソンは遠巻きに眺めながら二人がいる壁沿いの後ろ側はすっかりと人がはけていくのに合わせて「もうしばらく続きそうだから戻らないか?」とエジソンが声をかけると、レディも同意して講演会が開かれた広い部屋を後にして、いつも通りの第一共同研究室という名の彼らの聖域へと戻った。
仲間たちは大抵テスラの研究開発内容を知っているため、講演会は通り際に聞く程度であったが、もっぱら人の多さについての話題で持ち切りだった。
どこどこの令嬢がいた、どこどこの有名女優がいた、ギリシャ神界の女神がいた、講演内容よりも来ていたメンツの話になるのは、それほど豪華な顔ぶれであり。共同研究の講演会についてもテスラとエジソンを主体にさせて進める方が予算確保もいいのではないかと話をしている頃、キュリー夫人が早速、一人一人に紅茶を用意しているのレディを眺めては声を掛けた。
「今日もテスラはモテモテね」
「はい、流石の限りでございますわ」
近頃は忙しくしていたこともあり、今日の講演会は見る限り成功のようだったと安心する彼女にキュリー夫人はいじわるではなく純粋な問い掛けをした。
「ねぇレディ、あなたは彼が好きなんでしょ?」
「はい、お慕いしております」
「異性としてよね?嫉妬しないの?」
その言葉を聞いた彼女は少しだけ戸惑いを見せた。
なにせテスラもレディも互いに正面切ってまで好意を口にしないからだ。
傍から見ても二人は恋人以上夫婦並みのことをしていても尚、互いのことを「単一個体」などと呼び、二人で一つだと、恋人以上の関係を認めているようで否定し合うのだが、今となって周囲はもうその件は一旦気にしないことにした。
そしてキュリー夫人の言葉を聞いたレディにそれまでテスラの話題で持ち切りだった男衆も彼女に視線をやる時。ちょうど講演会から戻ってきたテスラも何事かと思えば、レディの頬が僅かに赤く染っていく。
そしていつものようなはっきりとした声で告げた。
「嫉妬だなんて致しませんわ。だってあの方は光なのですから」
反対にその光に導いてもらえる自分はどれほど幸運な事かと彼女が告げると、天才たちは思わず天を仰ぎ見てはこのご婦人には勝てるわけが無いと感じた。
テスラが人々を導く光であれば、彼女はテスラの足元を照らす光であり温もりなのだ。
偉大なる愛の言葉を聞いては全員が少し照れくさそうにそうかそうか。と笑っていたものの、早足でレディに近付く者がいた。
それは当然、レディ・レジーナのパートナーであり。導き手のニコラ・テスラであるが、彼はすっかり講演会の後に絡まれた名残りかのように髪が乱れて、シャツがよれて、ジャケットは脱いだまま現れたかと思うとちょうどテスラのカップに紅茶を注ぎ終えると同時に大きなクマに襲われるかのように抱き締められた。
「戻ったよレディ!!」
「あらおかえりなさいませテスラ様、講演会お疲れ様でした」
「凄くいい香りだ、今日のティータイムはオレンジがメインかな」
「ええ、自家ブレンドのオレンジティーでございますわ。ケーキはオレンジのパウンドケーキをハチミツたっぷりに」
テスラは人目も気にせずにレディを強く抱き締めては「最高の癒しだよ」と告げることにレディ以外の者たちは一斉に疲れからの甘えが爆発したのだなと思いつつ、講演会を終えたテスラに苦笑いをしつつも席について今日も昼下がりの休憩時間を堪能することとなった。
その日の夜の自宅にて。
互いに一通りの用事を終わらせてはいつものようにお互いの時間を過ごしていた。
テスラは新しい発明についてノートを片手に考えていた思考を一度ストップさせて、隣で熱心に本を読む彼女をみつめた。真剣な眼差しで文字を読む彼女に手を伸ばして、その髪を撫でてみてもレディはなにも気にしないため、テスラは「何を読んでいるんだい」と聞くとシェイクスピアのオセローだと告げた。
レディはジャンル時代や言語を問わずに本を読むことを好んだ。
文字が読めるとなると知らない言語も八ヶ国語を扱うテスラから教えて貰いながら読み耽り、今では文学サロンにまで足を運んでは貴重な話を聞いているのだというが、テスラは深くは彼女のプライベートを知る由はなかったものの、作品名を聞いては懐かしと感じた。
テスラもレディも基本的には明るい話や冒険譚などが好きだ。
だからこそ、オセローという作品が嫉妬や復讐に裏切りで出来た作品はもちろんシェイクスピアの中でも有名かつ人気の作品だが、彼女には合うのかと思いながらも、ふと彼はその中で昼頃のことを思い出した。
「シェイクスピアは嫉妬を描くのが上手い。特にいま君が読んでる作品なんて特に」
「"緑色の目をした怪物"でございますね。あぁでもテスラ様はその緑の目を向けられることがおありでは?」
「私が?そうだな、確かに私達の世界では欠かせないかもしれない」
嫉妬しない人はいない。
それは渇望しない人間がいないように。
才能やその人となりに羨望、ありとあらゆる人の感情は嫉妬に結びつくものだが、その中でも愛というものは特別なものだろう。
テスラは講演会を終えるやいなや、自分を取り囲んだ女性達に対して慣れたものだと思った。自分を求めるのは地位や名誉、表面のみのものであるが目の前の彼女は違う。
テスラを敬愛し、尊敬し、唯一の存在だと思い支える姿は健気であり。彼が髪を撫でることも、頬に触れることも、その形のいい唇を確かめることも受け入れる。
「レジーナ、君のその瞳には"緑"はないのか」
テスラが隣に座るレディ・レジーナに何の気なしに問いかけた。
他人からのからかいをなしに二人は互いを特別だと認識している。
他の女性に触れられ、持て囃され、微笑まれる自分を見て、彼女は何を思うのかと改めて聞いてしまうのはテスラが完璧では無い、普通の人間だからだ。
彼女の瞳は天界の光のように美しく透き通る色をしていた。
鉱石のような眩い自然の輝きを持つ瞳が、テスラの瞳を捉えて反射すると、見違えであるかもしれないがほんの少しの緑を宿したようだった。
そして膝の上に本を置いて、身体ごとテスラへと向けた彼女は頬に添えられた手に甘えるように目を細めて頬を寄せて微笑んだ。
「あなた様は光であります。人類の希望であり。我々のプロテウス」
「そこまで褒められると照れてしまうな」
「ええ、だからそこへ私の瞳は宿りませんわ」
「当然だ、君はそういうレディだからね」
ずっと自分の後ろをみて、足元を見つめ、支えてくれるような理想の存在であり、二人はまるでディオスクーロイのようであり、テスラたちの言葉でいえば単一個体だというのだ。
しかしレディは納得したというように手を離そうとするテスラの手に自分の手を重ねては伏し目がちに開いた瞳で彼を見つめて微笑んだ。
「でも、この部屋でここにいるあなた様は私にとっての唯一神、いいえ……ニコラ・テスラですわ」
だから、もしそれが奪われるとしたら少しだけ私は怪物になってしまうかも。と小さな唇に弧を描く時。テスラは全身に火がつけられたのかと感じるほどに熱くなる。
「つまり、その、レディ……君は、その……この"私"を独占したいと?」
そういえば彼女はそのままテスラの手を離してしまい、「私は人ですもの」といいながら本を手に取ってはもう寝る時間だからと寝室へと向かってしまうため、テスラはそれを見送ったあと、全身に湧き上がる熱を強く感じながらグッと噛み締めて、情けなくも感情の抑えられない少年のような顔をしてからノートをテーブルにおいた。
「全くなんてことだ、獲物の心を弄んで餌食にするのが上手だなんて」
そう言い残してはすぐに立ち上がり、リビングの電気を消しては二人で寝るには狭いシングルベッドで待っている彼女を抱き締めようと思いながら、湧き上がる熱を抱えて寝室へと向かうのだった。
2026.6.23
戻る 次へ
トップページに戻る