オメガバパロ


夢を見る甘い匂いをした女を押し倒している自分を
女は泣いていた自分の半分もないほどの細い腕を掴まれて暗い部屋の中で月明かりに照らされた

「鷹村さん」



嫌な夢だった
鷹村守は額に汗をかきながら起きた、彼の睡眠の質が悪くなったのはある女との出会いのせいだった
彼は夢を頭から消すように冷水で顔を洗い歯を磨いて着替えをしていつも通りのロードワークを始める、朝早くのためついでだとジムに顔を出せば一人の女がそこにいた

「おはようございます鷹村さん」
「おう、早ぇな」
「今日は夕方に来れませんから」

そういってパンチングボールを規則よく叩く彼女に鷹村は小さくため息をこぼした
夢で見た女は彼女だった、今日も今日とて彼女は首までしっかり隠れたタートルネックを着ている

「ひゃぁっ何するんです」
「ちゃんとつけてんのか?って」
「付けてますよそりゃあ」
「変なのに"噛ま"れねぇようにな」
「ええ」

通り際に首元を引っ張れば黒い皮の首輪が付けられていた、この世でそんなものが付けられている者は犬かΩかの二択だ
Ωはまるで家畜だ、今でこそ少しは差別などは収まったがそれでも関係は無くそのように扱われる時はあった
鴨川ボクシングジムに来た彼女に対し周りは鷹村守に対して危惧した、何故ならあの男は生粋のαでありある種の差別主義者であったからだ彼女が弱者だと分かれば何をするかと思った
だがしかし初めて挨拶を交わした時、彼は恩師である会長の首根っこを掴み会長室に投げ入れた

「どうしてあんなやつ連れてきやがった」
「オレ様がαだと分かってるはずだろうが」
「女なんざ入れるなんて気でも触れたか?」

散々な彼の言葉に思わず会長も目を丸くした
それはただの嫌悪ではなく怯えのようにもみえたからだ、確かにこのジムでは女を入れるつもりなど毛頭も無かった、だがしかし才能あるものが何も無く消えていくのを黙っていられる程大人しい男でもなかった

「ただそれだけのことよ」

そんな言葉に納得できるはずもなく鷹村は「どうなっても知らねぇからな」と残した
だがしかしそんな彼の言葉とは裏腹に2人はさして問題もなく日々を過ごせていた、同じプロ同士男女の差はあれど話は合うのだろうトレーニングをこなしたり馬鹿騒ぎしたりとした
例え2人が互いに対して誰にもいえぬ想いを抱えていても



運命という言葉を知っていますか?
テレビがそんなことを言った、練習終わりに食べに来たラーメン屋はくだらない第2の性についての特集だった
この世にΩは1割ほどしかいない、絶滅危惧種に近い扱いをされている程だ、だからこそ世間は昔とは違い優しくなり福利厚生もしっかりされるようになった
Ωである故に人生を狂わされてきた人間たちを他人は面白おかしく語る、安いちんけなラブストーリーに仕立てあげてドラマや映画を作る、可哀想だと言ってΩを守る団体だという者たちが声を上げた

「オメガの女王が今夜もリングに舞い降りた」

所詮それは称号として伝えられるグローブをはめながら相手を見つめる、物珍しいのか中継がある時は首元をやけに映される
誰もがみな「Ωなのに」「女なのに」と口にした時、口の中から血の味がした、両親は私に第2の性が判明した時泣きじゃくって首輪をつけた、だから誰にも負けない強い女にならなくてはならないと思ったのだ

「あんた有名なΩだよな、見たことあるよ」

暗い路地裏に男達が私を掴んで連れ込んだ
目は血走っていて口の端からは涎が垂れていた、背中には男の硬いものが当たっていて足の間にいる男はズボンのベルトを音を立てて外していた
最低な体だった
毎月薬を飲んだら安定化したり、少しはマシになればいいもののまさかこんな突然発情期が来るとは思わなかった、持ち合わせていたインスリンを打ち込んだものの男達の発情は収まらずどうしてこんなに強いフェロモンを発したのだろうかと思った

気付けば私は警察に囲まれて男達は床に伏していた

「正当防衛ということで今回は」
「ただし1年間は試合には出れなくなる」
「週刊誌たちがこぞって楽しんでいてね」
「キミのことはもうここでは飼えないよ」

こんな最低な人生あってたまるかと唾を吐き捨てたかった
私の人生は所詮どう足掻いても変えられない、ボクシングを奪われてどうすればいいのか弱いだけの存在に戻りたくなかった
そんな時ひとりの初老の男性が現れた、見覚えのある有名なセコンド…鴨川源二だった
彼に拾われて私の人生は変わろうとしていた、絶対に今度こそ…そう思ってた

鷹村さんに出会うまでは




産まれた時から親父もお袋も卓兄も口を揃えて言う

「お前は鷹村家(α)の子だ」

この世界が案外糞であるということは幼いながら感じていた、どうしようもない力と肉体を持っていると感じて暴力という熱でどうにかしてやりたかった
αという存在がいかに貴重で重宝され特別なものであるのかを叩き込まれ、特にそれに慢心するということは無かった、何故ならオレ様だからだ
だがしかし第2の性が発現し始めた思春期のオレは大きな過ちを犯してしまった、何度も口にされてきたはずだ

「Ωにだけは気を付けろ、オレたちは本能には逆らえない」

本能に逆らえない?オレたちは獣じゃあない、そんなわけがないと信じていた
幼い故の無知だ、だがしかし許されないことをしたと今尚思うあたり罪悪感というものが強くあるのだろう
自分の下で泣く女、乱れた服、繋がる下半身、知らないホテル、あまいあまいどうしようもなく自分を自分じゃ無くす匂いが部屋に広がっている、そして何よりもその名も知らぬ女の首には大きな歯型がついていた
どうしたらいいのかも分からずにいれば家から渡されていた携帯が鳴った、普段なら出ないはずのそれに思わず出てしまい卓兄は何も言わないオレの所にすぐさまやって来て次々と見知った卓兄の使用人達が処理をしていく、動転しているオレ様の肩を掴んで「安心しろ、お前は何もしなくていい」といった
あの時の目はよく覚えている、普段気に食わない兄の優しさだった

あの後あの女がどうなったのかオレ様は知らない
テレビでΩのニュースが上がる度に消してしまった、それから直ぐに卓兄のラグビーの件で家には勘当されオレ様の今の生活が始まった
Ωなんてのは滅多にいる存在では無い、なのにある日懐かしいどうしようもない匂いを感じたパトカーやら救急車が大量に呼び出されており後ろ髪が引かれつつも無視をして歩いた
あんなのは悪夢だと感じた、二度となってはならないと思っていた

けれど所詮獣は獣なのだ



「Ωとしてここまで這い上がるのは苦労されましたよね」

何度目の質問だろうかとナマエは呆れていた
練習時間を割いてまで入れている取材は大抵こんな話ばかりだった、嫌いというよりも今ではもう呆れだ、今どきハラスメントが〜という中でΩに対してセーフなのだろうかと思えるほど

「そうですね」

苦笑いを浮かべながら目の前の男の記者をみつめた、下品な目をした男だと感じた
Ω特有の体付きゆえにそう見られやすいのは仕方がないと納得しつつも気は良くない、けれど彼の口からは止まることなく話の続きをされてしまいナマエはつまらなさそうに外を見つめた時だった

「そろそろロード行くぞ」
「ちょっと引っ張らないでくださっ」
「キサマも十分時間はやったんだからもういいだろ、それともオレ様の特集にでもするか?」
「いっいえ結構ですよ」

逃げるように出ていく記者にふんっと鼻息をついた鷹村をナマエは少なからず悪くないと思えた、普段からこの男は横暴で理不尽でガキ大将のような人間だが決して酷いだけではなかった

「…おい、フェロモン出てるぞ」
「違いますから!ほらロード行くんですよね早く行ってくださいよ」
「お前も行くんだよ」
「行きませんよ私もう走り終わってますしちょっともう!」

いつからこの男のことが気になり始めた、だがしかしナマエはその感情を本能だと感じていたΩゆえに作られた恋心だ
そうしなければ生殖活動が出来ないからだろう、まるで自分は獣のようで気味が悪かった

「鷹村さんは運命とか信じるんですか」

ある日ラーメンを食べながらジムの後輩である板垣がそういった、ある種彼はデリカシーがなく深く考えない主義だから聞けたことだろう、厨房に立つ青木も動きを止めて鷹村とナマエをみつめてしまった
全員が2人の第2の性を知っているため気にはなるものの言えずにいた
運命とはどうしようもないものだ、一般的なロマンチックなものではなく性として本能としてのものを言っていた

「信じるわけがねぇだろ、所詮は言い訳だわな」
「でもロマンチックじゃないですか、2人だけの特別って」
「ンなもん男と女がいりゃあ全部ロマンチックって言える話じゃねぇか」
「夢がないなぁ」

全くもって鷹村と同意見のナマエは安心した
運命だと言って近付いてくる人間なんて第2の性など関係なく人間性が良くないのだから、だからこそリングで勝利を重ねる度に「運命の相手との出会いは?」なんて馬鹿げた話を聞いてこられると気が悪い
なのにどうしてか鷹村守を知れば知るだけ、運命とやらを信じてしまいたくなるのだ

けれど人間の情というのはあまりにも脆かった