狡噛さんに抱かれたい

「狡噛さんのことが好きです」

そう言い続けて何年だったろうか
彼はついに折れた、正直叶うわけが無い恋だと思っていた、何故ならあまりにも自分達は特別な関係だったから

事件の被害者とその事件を担当した刑事、ひょんなことから彼に保護をされあれよそれよという間にシビュラシステムから命じられ共に生きることになった、思春期の多感な少女が年上の自分を助けてくれた相手に恋をするなどよくある3流ドラマのようだが現実になってしまった
狡噛慎也はその恋心を跳ね除け続けた、監視官ならまだしも執行官落ちまでした身で彼女をひとつの関係でこれ以上縛ることは良くないとわかっていたからだ、それでもナマエは数年間その恋心をやめなかった

「私が嫌いですか?」
「女として見れないならそういってください」
「曖昧なまま断らないでください」
「そうじゃなきゃ…諦められないんです」

初めて出会った頃彼女はまだ中学生だった、それが気付けばもう成人も過ぎた立派な女性に変わっていった
狡噛にとってナマエは保護すべき被害者であり自分が責任をもって守るべき存在だと言い聞かせた、歳を重ねる度に美しくなる姿は娘の成長を見ているようで嬉しい気持ちと反対に男としての本能なのか彼女を欲しくなっていた
けれど数年目の冬、狡噛は折れた、ナマエに胸の中で泣かれながら「好きじゃないなら"嫌い"といってください」と言われたからだ
曖昧な答えばかりを出して逃げ惑う彼を追い詰めた、ナマエもそれ以上追いかけ回すつもりは無かったのだろう最後の賭けに負けてしまった彼は責任をもってナマエを恋人にした

だがしかし問題が現れた

「抱いてください」

ナマエは大人になろうと足掻いているようだった
突然の出来事に彼は飲んでいたコーヒーが器官に入ってしまい咳き込んだ、だがしかし目の前の少女のような女は真っ直ぐとした純真な瞳で男を見つめた

「ダメだ」
「どうして」
「…分かるだろ」
「わっ分かりません」

頭の悪い娘では無い、分からないと言っているが嘘のつけない彼女は分かりきった顔をしている

「心まで壊したくは無い」

そう伝えれば不服ながらも納得をしたナマエは逃げるように寝室に行ってしまった、あぁどうしたものかと狡噛は悩みながらその日の夜はソファで眠った
その日以降ナマエは何も言わなかったが狡噛は悩んだ、言わないがヒシヒシと彼女の視線は感じるからだ、今まで同じ寝室で同じベッドで眠りについていたがそれもあの日以来無くなった特別2人の様子は変わったことはないようにみえるが知っている者からすれば二人の間になにかがあったこと自体は間に見えてわかる

「ナマエちゃんからのお誘い断ったんですって?」
「聞いたのか」
「そりゃああんなに可愛く悩ましい顔してたらお姉さんとして相談に乗りたくなるじゃない」

仕事の一環で訪れた先で狡噛はそう言われた、目の前に艶めかしく椅子に座る女は楽しそうな顔をしてタバコを吸う
休憩がてらの長話になるかと感じ、自身もポケットからタバコを取り出せば気を使った彼女が火を向けた

「乗ってあげたら良かったじゃない」
「馬鹿言え、それで何かあったらどうするんだ」
「トラウマが酷くなるって?」

ナマエがどうしてここに来たのかはデータを見ればすぐに分かることだ
生まれた時から彼女の色相は常人よりもクリアで脳の作りも人が10%だとすれば彼女は20%まであった
そのためシビュラシステムや国の判断としてもそうした人間は特別であり、未来が確約されている、どれだけ大切に育てていても壊れる時は簡単であり彼女は壊された側だった

「あんなことがあったんだ、いくらあいつが特別だとはいえ傷をえぐり返すことはないだろう」
「…それで彼女が安心するとしたら」
「一か八かの選択で俺はアイツを傷つけたくなんかないさ」
「優しいのね」
「あいにく惚れた女にだけだがな」

キザなセリフに互いに苦笑いを浮かべる、ふと時計を見れば勤務交代の時間になっていた部屋から出る際「それでもあの子は貴方にだけ心の全てを許してるのよ」と背中に投げかけられた


もう何週間彼と同じベッドで寝ていないのだろうかと思った
1人だけの広すぎる寝室は彼の匂いが薄れていく、夜になるとそんなら事ばかりを考えてしまい少しだけ涙が零れる
彼に好きだと言った時叶うわけが無いことはわかっていた、それで構わなかったのにあまりにも曖昧な回答ばかりをされてしまうことが悔しくなって意地を張ったことを今もよく覚えている
嫌いだと簡単に言われればそこで諦めが着いた、ストックホルム症候群のようなものだと彼に言い聞かせられ他にいい人がいると言われ俺じゃない方がいい。と言われる度にどうして逃げるように言うのだろうかと思えてしまった「好きじゃない」と言われれば簡単に諦められた恋に彼は決していわなかった
交際を始めて人並みに手を繋いでキスをした、けれど欲深い自分はそれ以上を望んでいた初めて求めたあの日彼は酷く困ったような悲しいような顔をしていた、一言謝ればよかったと思う頃には遅く小さな溝が深まって行った

「聞いてるのか」
「…ねぇギノくんは好きな人いないの?」
「今関係ないだろ」
「あるよ。ねぇ好きな人と特別なことをしたいって思うのは普通じゃないの?」
「はぁ、答えなきゃダメなのか」
「ダメ」
「普通だ、でも相手のことを考えたら自分本位で生きていけないだろ、狡噛もお前を想ってるから断ったんじゃないのか」
「…私別に狡噛さんのことっていってないもん」
「顔に書いてある」

もういいから仕事だと軽く頭をバインダーで叩かれてしまう、なんちゃらハラスメントって局長に言おうかな。なんて冗談を思いつつも彼の言葉は分かっている
どれだけあの人が私を大事に愛してくれているのか、手を繋ぐときでわかった

「寒いね狡噛さん」
「そうだな」
「風邪引くかも」
「そうしたらまた俺が介護しなくちゃな」
「そうなる前にあっためてくれないの?」

手を差し出して彼にそういえば酷く動揺した顔をしていた、きっと私が怖がらないかなって思ったんだろう
貴方だけはずっと特別だって言ってきているのにまだわかっては貰えない、結局上着を脱いで私にかけてくれた彼に腹が立って私は無理やり手を搦めれば驚いた顔をして何かを言っていたが少ししてから「怖くなったらすぐ離れろよ」と握り返すことは無かった
それを繰り返してからようやく握り返してくれるようになった、キスも同じだった、私は全て彼の優しさの上で生かされているのだ
だから好きになっている

「あまり困らせてやるな」
「…うん」
「おやすみ」
「おやすみなさいギノくん」
「宜野座さんだろ」
「ギノくんはギノくんでしょ」

普段は厳しい宜野座さんも2人きりの時は優しい、まるでお兄ちゃんのようだった
少しだけ嬉しくなって部屋に入れば真っ黒でふと耳を澄ませば小さな寝息が聞こえた、確か今日は夜勤だったかと思い出して今日もソファで眠る狡噛さんの顔を見つめた

「ごめんね狡噛さん」

寝てる人の邪魔をするのはダメだとわかっているけれど近頃すれ違いばかりで寂しかったのだ、小さくキスをして逃げるようにシャワーを済ませて寝室に逃げ込んだ、今日もベッドは広い

まるでおとぎ話のお姫様のように口付けで目が覚めた
小さな声の謝罪に罪悪感が湧きつつも起き上がり寝起きで煙草に火をつける、ナマエがどんな気持ちで誘ってきたのか分からない訳では無いそれでも男に酷いことをされたことのある少女を抱くというのはあまりにも難しいことに感じた
ほかの女ならばいくらだって言葉に甘えられたかもしれないが彼女はそうはいかない、目の前で両親を殺され知らない男達に乱暴をされてその相手を殺したのだから、時折夢を見るのだろう
眠りながらナマエは泣いていた、今でこそ知っている人間であれば普通に接することは出来るが初めの頃は男を見るだけで泣き叫び逃げ惑った

「ごめんなさいっごめんなさい…上手にするから、ごめんなさい痛いのはやめて」

そんな娘を誰が簡単に抱けるものか
自分が新任の一年目での出来事だった、傷だらけで血まみれでトラックから発見された少女を見て誰がこの子を壊したのかと
あの日を思い出す度に腸が煮えくり返りそうだった、それでもこちらに向かって微笑まれる度に好きだと言われる度にどうしようもなく愛したくなるのだ
重たい身体を起き上がらせて寝室の前で立ち止まる、ふと聞こえた小さな泣き声にどうしようもなくなってしまう
今の俺にはナマエを抱きしめる権利もないような気がしたからだ

あの日から1ヶ月が経過した
部屋の中で2人の時ナマエがいった

「そろそろベッドで寝ませんか」
「…狭くなるだろ」
「広すぎて、少し寂しいんです」
「そうか、生憎俺もソファとは相性が悪いみたいだから助かる」

そういった狡噛の言葉にナマエは笑った、二人の関係はこうして元に戻ったが同じベッドに入って互いに背中を向けていた
高鳴る互いの心臓が聞こえてしまいそうで恐ろしかった
その日から2人は寝られない日々が始まってしまい1週間目の夜また狡噛はソファに戻った、互いの目の下には隈が出来て仕事にも支障を来たし始めた故に2人揃って休暇を3日も入れられる始末だった

「ソファで寝てたら体痛みますから、私がソファで寝ます!」
「いやそれはダメだ、俺が寝る」
「ダメですってば」

ナマエがどれだけ言っても狡噛は譲る気はなかった
その日の夜ふと喉の乾きに目覚めた彼は水を飲もうと立ち上がった時、寝室から小さな声が聞こえたドアを開け見つめればベッドの上で泣きながらもがくナマエがいた

「ナマエ!大丈夫か、どうしたんだ」
「えっ…ぁ…こうがみさん」
「寝てたのか、起こして悪かった随分うなされ…」

言い切る前にナマエはベッドから起き上がり狡噛を強く抱き締めた、そして子供のように胸の中で泣きじゃくった
悪夢を見ていたのだという、あの日起きた事件を繰り返し見ていると

「ねぇお願い狡噛さん…私を抱いて、夢を見ないように1度でいいんです、貴方に抱かれたい」



小さな外の明かりだけが部屋に入ってきていた、それでも夜に慣れた目は全てを簡単に見ることが出来た
不安と恐怖と期待に濡れた女の目をしたナマエがそこにはいた

「優しくする」

念の為にそういえば彼女は小さく頷いた