月岡紬
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特にお金が欲しいわけでも無く、寂しい夜をどうにかしたいという考えで登録した出逢い系サイトは変な誘いが多いのはもちろんだった
その中で出会ったハンドルネーム「つむ」は文面から真面目で謙虚で、あぁこの人なら変なことがあってもどんな見た目だろうといいかもしれないと思うほどには話をしたつもりで金曜日のバイト終わり22時過ぎの新宿駅
男も女も欲に塗れて足を急かせる、時折酔っ払いに絡まれながらも待っていた
「君が小雪さん?」
そう聞こえた声は予想したよりずっと優しくて、ずっと暖かくて、見た目だって予想した何億倍も綺麗でかっこよくてでもどこにでもいる気の弱そうな男の人だった
本名でしているのは自分を偽ることが苦手だから、三姉妹の末っ子で姉はみんな早いうちに家を出た夫婦仲も悪くていつも気分の悪い親の顔を見た
「…つむさん、ですか」
「よかった、じゃあいこっか」
そういった彼が手を差し出すわけでも腰を触ってくるわけでもなく、そう言われてあぁホテルなのかなとか適当によくあるパターンを考えていたのに、彼は歩きなれたようにカフェに入っておすすめだというミルクティと紅茶のクッキーとケーキのセットを2つ頼んだ
つむの職業は家庭教師で普段は学生達に教えていると聞いていた、真面目で絵に書いたような好青年のような彼
「小雪さんは学生さん?」
「はい、今はデザインの専門学校で勉強してて」
「家具デザイナーになりたいんだよね」
「覚えてたんですね」
「うん、いつも丁寧に返事してくれるから話してて楽しくて」
ここのお菓子美味しいでしょ?なんて聞いてくれる彼にどうしてこのサイトを使ってたのか?などと聞きたくても聞けなかった
その後に彼は月岡紬という名前だと教えられ小雪も同様に本名をあかせば、彼は真面目な顔で本名でSNSやあんなサイトには登録したらダメだと今度は言い始めたもので目を丸くした
優しくて暖かい彼はどこか自分に自信がなくて話をするたびに暗いような気がした、それは自分のような他人の負に当てられてるのか、なんてたくさんの考えを宿しながら見てしまう
彼と出会って1年後、サイト越しに連絡を取り合ってた彼と就職やデザインや様々な山に悩んでいた時に彼はまた会おうと言い出した
新宿駅に21時に、夕飯をと
気まぐれで行けば彼はやはりどこか物静かに立っていた、高鳴る心臓を隠して「つむさん」と名前を呼べば安心したような顔をして「変わったね」と彼が言った
どこが変わったのか聞くのも忘れて流して彼の1歩先を行く背中を見つめた、狭い路地に入って奥に行って暖簾のかかった場所を潜れば
どこか懐かしい醤油の匂い
「ラーメンじゃダメかな」
「大好きです」
なんて返事をして手を繋ぐ訳でもないけれど車道側を歩いて、五月蝿い喧騒の中を2人で歩く恋人にも友達にも知人にもきっと見えない他人同士
暗い夜の街の看板の光が2人を照らす、ドアを開けて腹を空かせるラーメンの匂いが鼻をくすぐる、情けない腹の虫が鳴けばそれを聞いていた隣のつむは笑った
「ここ美味しいから気にいると思うから」
そう告げられておすすめのラーメンと餃子と炒飯のセットを2つ
10分弱で出てきたそれに若い女子らしさもなくがっついてみれば彼はまた嬉しそうに微笑む、彼が小雪をみるときそれは優しい慈悲めいた瞳だ
夕飯を終えて満腹になりながら出てこれば彼が優しく笑っていた
「小雪ちゃん、劇とか興味ある?」
「…中学校の校外学習でみたくらいであんまり詳しくは」
「よかったらこれ俺が今度出る舞台なんだ…来て欲しいな」
自身なさそうに渡されたその1枚のチケットにはMANKAIカンパニーと書かれていて、場所はあの有名な天鵞絨町、近頃有名になっているのは知っていた同級生も見に行っていて楽しかったやかっこよかったなんて言ってたのを思い出す
「いけたら」
「うん」
待っているわけじゃないようなその返事、日付をみてその日の予定を開けた
一人きりできた劇団は広くて人もたくさんだった、受付を済ませて関係者席は見やすい席だった、儚くも優しく彼とは別人のようなその演技に目を奪われながら劇に張り付いた
いつの間にか頬を濡らした涙を拭った、最後に頭を下げる冬組をみて静かに席を立った
サイトでの連絡は途絶えた、何を伝えればいいのか分からなかった
彼の思いが詰まった演技を見たくせに思いが大きすぎて出てこなかったのだ
「今日はよろしくね小雪ちゃん」
知らないお父さんと変わらない人の手を取ってホテルに入った、その男に押し倒されたその時にポケットに入れていたチケットの半券がベッドに落ちて頭の中で彼が悲しそうに優しく微笑んだ姿を思い出す
「…私の天使なんだ」
「え」
行かなきゃ、そう小さく呟いて目の前の中年を押しのけて走り出した
電車に乗って何度も走って転けてMANKAI寮という場所が有名でよかったと胸をなでおろして、夜遅くの訪問に思わず胸が高鳴るチャイムを鳴らさなければならない、いや彼はもう自分のことなんて…何度も思っていたがその負を取り勇気を出してチャイムを押そうとした時だった
「…小雪ちゃん?」
「っっ!」
「いらっしゃい」
変わらない笑顔で彼はそういった、冬組の公演から3ヶ月が経った、なのに彼は変わらない
小雪は何かを言わなければならないとずっと思った、彼の心配そうな声が何度も頭にこびり付いたが小雪は震える声で言った
「舞台の上に立つ貴方はとっても綺麗で…かっこよくて、本当に私の天使様みたいだった」
さみしいあの夜に出会った時、優しさに甘えてもう一度と願って、嘘で塗り固めた大人達に唾を吐きながら望んでいた自分が醜い
チケットの半券がクシャクシャになっているのを感じながらも強く握り、返事を待ち続けたそれ以上の賛美も出てこない
「俺は多分この世界に落ちたミカエルと一緒なんだと思う、ネットで知り合った君にどうにかならないのかなって…恋とかそういう類ではないと思うけど、会ったら君が消えそうなくらいだったから」
「つむさんは、どうして私に舞台を見せたの」
「わかってくれる気がしたから、天使の幸せも悲しみも」
自分の代わりに知ったように言葉を吐く目の前の男は自分を何もかも見透かした、彼を前にして高鳴っていく心臓が止まらずに小雪は彼の顔を見つめた
「でも私はあの劇みたいな人じゃない、私は天使に恋する愚かな人だから」
「…小雪ちゃん?」
「月岡紬さん、私あなたがずっと欲しい貴方に求められたいんです、あの日2人で出会った夜が心地よかったからじゃない、きっと私に居場所をくれるからかもしれないけど」
なんて酷い告白だろうかと自分を憐れみながらそうつぶやくように行った、恋なのかもわからない
舞台役者としての彼を好きになっただけかもしれない、チケットに書いてあった主役の名前を必死に思い出して告げたが間違えていたかもしれない、様々な考えが交差しながらそっと紬の手が伸びて頬を撫でた
「恋じゃないかもしれない、けど愛かなって」
「へっ」
間抜けな声が出てきて口を開けば優しくその唇が重ねられる、目を丸くして彼を見れば恥ずかしそうにするものだから、小雪は困惑しつつも彼をみた
「俺が君の寂しさを埋めたいけど、だめかな」
「…紬さんがいい」
たった一言絞り出した声は小さく掠れた、手を取られて彼は嬉しそうに微笑んだ
「遅いから送ってくよ小雪ちゃん」
まるで彼ははじめからすべてを知っていたように名前を呼んだ、返事をすることもなくその手に引かれて歩いていく
もう寂しい夜は来ないのかもしれないと思いながら、寒い冬の空は星で光り輝いて月がまるで2人を照らし続けるようだった。
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