酒は詩を釣る針


和泉智花はしがないOLであり、趣味はお酒と映画独り身の寂しい生活を送っていたがひょんな事から飲み仲間が出来た

「今日早いね珍しいじゃん」

「いやいつも通りだよ、貘くんが遅かったんだよ」

そういってカウンター席の2席に男女は腰かけた、その飲み仲間というのがこの今隣に座った男
斑目貘だった、出会ったのはこの居酒屋である、おひとり様も少なくない静かな創作居酒屋だった、亭主は元割烹料理店の料理長で和食の味といったら堪らなかった、おまけにお酒が大好きらしくワインから日本酒までジャンルを問わず何でも置いてくれていた

「何飲んでる?日本酒?」

「焼酎のお湯割り、寒いし暖かいの飲みたかったけど…あっ貘くん来たし熱燗頼もうか」

「そんな飲んで明日響かないの」

「響いても私休みだし大丈夫、貘くんも他の子置いて来てるけどいいの?」

「大丈夫だよいつもの事だしマルコの事は梶ちゃんが見てくれてるって言うし、おまけに朝から2人でお出かけしてるよ」

この男が世間一般で言う普通からかけ離れているということはつい先日知ったことだ、それは2人で別の場所で飲んでいた時彼は突然カジノに行きたいと言い出した、日本では違法な場所に行く事など出来ないと言うも好奇心に負けてしまった
元よりパチンコ麻雀含めギャンブルなどしたこともなかったが彼は丁寧に教えてくれた上に、場馴れをしている彼に全てを持っていかれ二人合わせて三百万程は勝ちを上げた

とはいえそのお金の内の20万円だけ貰いそれ以上は受け取らなかった、何故ならあまりの大金は身を滅ぼしやすいことを知っていた…つい先日冷蔵庫が壊れたのを買い直しして困っていたので丁度その程度が良かったのだ
そんな事を含めて貘との関係は早数ヶ月、飲んで飲ませてゆるりと男女で話をする

「今度また梶くんとか連れてきたらいいのに、2人とも弟みたいで可愛いし楽しいから新鮮だよ」

「俺のことも弟みたいに可愛い?」

3合目を空にしたあたりで貘がいった、いつもの事だった彼はそんな姿であんなに夜の世界を知りながらもお酒が弱いらしくふわふわと酔っているらしく肩に頭を乗せて上目遣いで見上げた
少し年下であろうこの男は自分の美丈夫さを理解しているだろうか?
ある意味女だからという意味も踏まえて危険がないと判断してもらえている、ある種の信頼を得ているという解釈を取れば少なからず嬉しい気持ちでもあった、それは人に懐かない猫が懐いてくれてるような感覚だが
そしてそんな可愛いことを聞いてきた男の目を見て答える

「うん可愛いよ、それにイケメンだし話し上手だし貘くんに無いものなんて無さそうだね」

「…そうかな?俺からしたら智花さんも完璧だよ」

「またまた貘くんに比べたら全然ダメだよ」

「そういう謙虚なところも好きだよ、優しいし安心感がある…あれ?香水変えた?」

「気付いた?この間会社の人に貰ったんだよね」

丁度誕生日も近いものだから。と言えば貘の目が少し据わってじとりと智花を見たあとに頭を擦りつけてきた彼から香る香水の香りがふわりと香り、この匂いだけはハッキリと覚えてしまうほどになった
少し赤くなった顔でマーキング行為をする彼の柔らかい髪の毛を撫でる

「智花さんに合わないよ、今度俺が買ってきてあげる」

「そうなのかな、貰い物だから付けてるけど…じゃあ今度楽しみにしてるね」

「うん…あっ、熱燗もう1合ください」

さり気なく追加のお酒を頼んでまたお猪口にある日本酒を飲みきった、目を合わせれば嬉しそうに微笑む彼に性別が逆なら危ないぞと注意してやりたかったほどだ
毎度の如くほろ酔い以上の酔い方をする貘はベタベタと甘えてくる、手を繋いだり肩に頭を寄せたり目をよく合わせたりと妙な色気と綺麗なその容姿に惑わされそうになりながらもこの様に安全にお酒を飲める人は少ないため心地良かった

「貘くん帰れる?」

「もーむりぃ」

「はぁ泊まるか、ホテル帰るかどうする」

「泊まっちゃ…だめ?」

「毎週のことだからいいよ」

千鳥足でフラフラの貘の腕を肩にかけてタクシーに乗り込み家までの道のりを伝える、律儀に会計は毎度貘が持ってくれるがちらりと見える財布の中身は相変わらず分厚くこんなに細く大金を持ったか弱い男を1人帰らせるほど智花も他人紛いには思えずに仕方なく泊めるようになったのはいつからだったのか
ようやく着いたマンションの鍵を開けてソファーに座らせて水を置いてやる

「智花さぁん」

「なに〜今メイク落としてるけど、お風呂入る?」

「いれてくれるの?」

「馬鹿言わないの1人で入ってよ…ってベッド使うなら端っこ行かなきゃ私寝れないでしょ」

それでなくてもスタイルのいい彼は足も長い為にベッドの半分近くを奪われやすくなる、歯を磨いてメイクを落としてお風呂はもう明日の朝でいいかと適当なパジャマに着替えて電気を消した

「おやすみ貘くん」

「おやすみ智花さん」

まぁこの関係も悪くないかと泥酔状態の彼の頭を撫でながら眠りについたのが金曜日のこと
そして翌週の木曜日だった、近くの本屋に居たのはあの斑目貘と一緒に過ごす2人組だった漫画コーナーで選ぶ大柄のマルコは挨拶をしたあと漫画を探しに行ってしまい梶と二人遠目にそれをみていた

「本当偶然ですね、最近変なのに絡まれたりしてませんか?」

「平気だよ、それより2人で本屋さんって珍しいね」

「なんかマルコが最近見たアニメの本読みたいって言い出したんで」

「そうなんだ相変わらず可愛いねぇ」

なんて世間話をしつつ本屋の中を歩き回る、この本が面白いやらそういえば近頃こんなことがあったなんて話をしていた時だった
偶然斑目貘の話をした時である

「貘くんって本当お酒弱いのに飲むから大変だよね、梶くんとかともよく飲むんでしょ?いっつもお互い大変だね」

「え?貘さん酔うんですか?」

「いっつも大体日本酒1合くらいからほろよい初めてこの間も4合ぐらいからデロデロでもう」

「貘さんって普段すごい強んですけどね、僕らといる時酔ったことないし普通にウィスキーとかボトル2.3本開けますよ?日本酒も」

その言葉に思わず「え?」と間抜けに声がこぼれて、ふと視線を下に移せば恋愛誌コーナーのような場所にあり、男を簡単に落とす方法!なんていうタイトルの本の帯には"好きな相手には酔ったフリして急接近!?"なんてベタベタなことが書いてあった
智花はその後2人と別れて金曜日の仕事をしながらもあの話が消えなかった
何故貘はそんなことをするのだろうかと思いつつも、いやきっと気の所為だろう?と考えないふりをした翌日金曜日の夜
いつもの店の前で右往左往ソワソワと智花は看板を見ては帰るかと悩ませた

「智花さん入らないの?」

「うわっビックリした、いや入るけど」

「初見さんみたいにソワソワしてるから別人かと思っちゃった、寒くなってきたしフグ鍋頼んでたんだよね」

「フグ!いいねぇ親父さんのお鍋なんて最高じゃない」

思わぬ言葉に釣られて店に入りいつも通りにカウンターに座れば即座にカセットコンロの用意と鍋がやってきた
今日はせっかくだしとまた日本酒を用意してもらい鍋をつつきながら2人で他愛ない話をする
キラキラと輝く白いまつ毛はまるで人形のようで今までも引く手あまたであったのだと安易に想像が出来た、お猪口に入っていたお酒は少し辛みがあり鍋の出汁によく合っている。

「今日えらく俺の顔みるけど変な顔してた?」

「ううん、相変わらず可愛い顔してるなぁって思わず」

「智花さんも十分可愛いし綺麗だよ」

「お世辞が上手いなぁお酒が美味しいよ」

「俺も智花さんと呑むお酒は特別美味しい」

子供のように可愛く無邪気に笑った貘の指先は綺麗にお箸を持ってフグを口に放り込んだ、いつも通り飲むに飲んで6.7合も飲んでしまえばお互いにそれなりに酔った気分になれた、というより貘はいつも通りふわふわとした顔で顔を擦り寄せて来た
お会計を済ませてタクシーを呼び、来るまでの短い時間で真っ赤な顔の貘に聞く

「泊まる?帰る?」

「泊めて」

お酒を飲んで赤くなった頬や、少し潤んだ瞳、きっと自分が男で彼が女ならとっくに家に連れ込んで食ってしまってる…と心底思いつつもマンションの扉を開けてソファーに座らせて水を置いてから智花はメイクを落としに行くことなく隣に座った
珍しい行動に貘はするりと近付いて腕を絡めてまるで恋人のようだったが智花は貘を見つめて真剣な顔をして伝えた

「…貘くん、酔ってないんでしょ」

「え〜酔ってるよ」

「実は梶くんに聞いたんだよね、貘くんってすごくお酒強いって」

「そんなこと」

「ウィスキー何本も開けるんだっけ?」

「みんなでだよ」

「いつも私の家泊まって帰るし次の日二日酔いにもなってないよね」

そういえば黙り込んだ貘に別に責めたいわけじゃない、もし気分を害してしまったならすまないと謝りたく思い彼を見れば肩を震わせていた、ぷるぷるとそして顔を隠していたので隙間から覗けば彼の口元は大きく三日月のように弧を描いていた事に智花は固まってしまう

「梶ちゃんから知るとは思わなかったけどバレちゃったかぁ」

「え、あの、貘く…貘さん?あの」

「だってさぁ智花さん普通に騙されるから面白くって」

絡めた腕を強く更に抱かれて指先を絡められる気付いた時にはソファーに組み敷かれて天井と髪の毛が少し乱れた貘がいた、顔は少し赤いがトロンとした酔っているような瞳ではなくまるで肉食獣が獲物を食らうような瞳であった

「他の男もこうやって家に泊まらせてたの?」

「そんな訳ないでしょそこまで尻軽じゃないし貘くんだから泊めてるんでしょ」

「そういう所が好きなんだけど気付いてた?」

「梶くん経由でお酒強い事を知った私に言うことかな」

そういえば彼は楽しそうに声を上げて笑うものだからここまで来たら手のひらで転がされていた自分が情けなく思い顔を逸らしてしまう、全くこの天使のような顔をした男はどうやら随分と小悪魔だったのだと気づいた時には遅かった
彼の白い指先が頬を撫でて唇をなぞり、そして目を合わせられる

「俺はそんな可愛い智花さんを見つけた時から好きだよ」

「っん」

結果論を言えば付き合った、貘曰く飲み友達になったのもカジノを誘ったのも全部好意の為だった、新しくなった冷蔵庫から彼は冷えていたビールを飲みながら微笑んでいた

「俺以外の悪い男に引っかかったらダメだよ」

と、ふと翌朝ゴミ箱を見ればティッシュと共にお菓子の袋が1つ入っていた、全くどうやら全てが彼の思い通りだったとは気付かず
後日梶に言いに行けば気付いてるものだと思った、などと彼は悪びれもなくいうものだからこの面子には困ったものだと溜息をこぼした
それでも隣に立つ美丈夫は今日もまた嬉しそうに日本酒を飲んでいた、そして最後にひとつ悲しいことを言うなら前のように酔ったフリをしなくなった為可愛さは少し減ったということ。

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