La floraison







「いらっしゃいま……あ、丸井」
「……よォ」


 レジカウンター周りの整理をしていると、いつものように丸井が現れた。こんなに適当な挨拶では接客態度がなっていない、なんて親に怒られてしまうだろうか。幸い今は二人とも奥の方にいるし、なんせ客といってもクラスメイトだから問題ないだろう。

 丸井が始めてこの店に来てから三ヶ月は経つ。彼ももうすっかりウチの常連である。母も「アンタと同じ中学の子、よく来てるわね〜」と言っていた。しかし、いつも楽しそうな顔でお菓子を選んで買っていく彼の顔が、今日は浮かない。なんというか……不自然、というか。やけに背後を気にしている。軽く彼を注視してみればそれは明らかだった。


「丸井、後ろに何か──」
「おっ!ここが丸井先輩お気に入りのお菓子屋さんっスか!」
「あっ、オイ赤也!」

 勢いよく飛び出してきた人影の頭を丸井が手で慌てて押さえつける。うん、今完全に首からポキッて音したよね。同級生が人を殺す瞬間なんて見たくなかった。
 しかし、首の骨を手折られたと思っていた人物は何すんすか!と文句を垂れ流しているだけであった。とんでもない生命力だなあと感心してしまった。しかし考え直してみるともしかすると身体が柔らかいだけかもしれない。うん、きっとそう。


 友達を連れてきたのだろうか、と考えていると、扉からまた影、そのまた影が飛び出してくる。え?え?と困惑しているうちに、狭い店内に六人程がぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
 各々店内を興味深げに見回しており、そのうち微笑みを湛えた男が口を開く。



「並べ方に彩りや角度などの拘りが感じられる……良い配置だ」
「……ありがとうございます……」
「素敵なお店だね」
「……ど、どうも」

 そしてその後に続くように、中性的な顔立ちの男が賞賛した。
 口々に感想を言う彼らに呆気を取られた私は、はあ、へえ、と気の抜けた相槌しか打てなかった。丸井は当惑した様子で後輩にされるがまま肩を揺すぶられていた。その目にはもはや生気が感じられない。
 すると混乱する私に誰かが近付いてくる。目線を向ければ……ラテン系だろうか。スキンヘッドの黒人と目が合った。その凶悪そうな顔から、何か脅されるのではないかと身構える。



「その、何だ。いきなり来て、色々とウチの部員が迷惑かけちまってすまねぇな」
「…………あ、ハイ、お気になさらず……」


 意外に優しい人だった。

 先程から客に対して間抜けな姿を晒してばかりだ。少し冷静になろうと咳払いしてから深呼吸する。良心であるスキンヘッド彼に頭を下げ、放心状態の丸井に近寄った。私の姿を虚ろな瞳に捉えた丸井は、漸く正気に戻ったようだった。



「あの、丸井、これはどういう……?」
「……俺がここに来るの、テニス部のヤツらに付けられてたんだよ」
「…………なるほど」


 先程からの機嫌の悪さもそういうことらしい。その膨れっ面は自分のお菓子を取られた子供のように見えた。
 お菓子は逃げないよと言えば、腑に落ちない顔をされたから首を捻る。ふと、後ろから声が聞こえた。


「見てくださいよ!このケーキめっちゃ美味そうじゃないスか!?」
「ああ、本当だ」


 そこでキラキラ瞳を輝かせていたのは先程丸井に殺されかけていた男子だった。名前は……そう、確か、赤也。切原赤也君だ。
 彼が指さしていたのはタルトタタン。林檎たっぷりのこの秋限定のメニューである。なかなか目敏い。そして中性的な男も顎に手を添えながらショーケースを覗き込む。げっ、幸村部長いつの間に!なんて切原くんの声で思い出す。そうか。あの鬼のように強いという男子硬式テニス部の部長か。有名人だ、と小さな感動を覚える。



「へえ?赤也は俺が嫌いみたいだ」
「ち、違うんスよ!ちょっとビックリしただけで……!」
「店員。すまないが、この菓子の作り方を教えてくれないか」
「……ブン太、苗字。本当にすまねぇ。」
「あーー!!もうお前ら帰れ!!!!」


 幸村君にニッコリと微笑まれた切原君が悲鳴を上げたのと、騒がしすぎる空間にいよいよ我慢しきれなくなった丸井が叫んだのはほぼ同時だった。




「ねえ、丸井ってば」
「……何だよ」
「何でそんなに怒ってんの」

 クッキー一枚も買わせないで帰らせた癖に。


 そう言えばうるせ、といってマドレーヌの最後のひとくちを口の中に投げ入れてまた黙り込んだ。痺れを切らした丸井がテニス部部員を無理やり返してからずっとこの調子だ。終始頭を下げて申し訳なさそうにしていた黒人……桑原君の姿が未だ記憶に残っている。なんだかこちらこそ悪いような気がしてきた。今度お詫びの品でも持っていこう。
 

 丸井が膨れる理由が他に見当たらなくて呆れ果てる。お菓子をあげても機嫌が直らないならもう私に為す術はない。彼が鞄に残りのお菓子をしまい込む。帰るのかな、と思うも店前のベンチから立ち上がる様子はない。不思議に思い声を掛けてみることにした。


「帰んないの?」
「帰って欲しいのかよ」
「そういう訳じゃないけど」

 そんな不満丸出しでベンチに座られるとクレーマーみたいだし。周りの人から変な目で見られそうだ。この時間帯はそこまで人通りは多くないけれど、何となくそれは嫌だった。
 灰色のコンクリートを睨むように見つめていた丸井が、その視線をこちらに向ける。一瞬驚いて後ずさろうとしてしまう。彼はフラストレーションの溜まった顔のまま声を発した。



「……この店最初に見つけたの、俺だろ」
「……?まあ、そうだね」
「…………お前と一番仲良いのも、俺だろ」
「……え」

 え、と何度も重ねて呟いてしまった。それに対して彼は少し不快そうに眉を顰める。丸井とはこの一件を通してかなり仲良くなった筈だ。ただ、一番仲が良いというのはどの範囲でのことなのか。クラス?それとも……テニス部の中で?前の質問と先程の状況から推測するに後者だろう。

 はて。やはりテニス部の男子としては一番仲が良いと言えるのだろうか。仁王は同じクラスだがよく分からないからあまり話したこともない。今日店に来た中にも彼は居なかった。





「多分。ねえ、急に何──」
「好きだ」


 何言ってんの、と声にはならなかった。その代わりに何とか言葉を発そうと動かした口から無色の息が漏れるだけ。鼻頭から得体の知れない熱が伝導していく。もはやその熱の制御権は私に無い。熱が広がる顔を隠すように下を向くことしかできない。でも、それすら彼の「こっち見ろ」という一言で叶わなくなる。



「……返事、くれねえの」
「なんか、……その、そういうの、考えたことなくて」


 わかった。そう言って立ち上がった丸井にびくりと反応して今度は後ずさる。足は地面に縫い付けられたように酷く重かった。
 彼が私の顔を見てくしゃりと笑う。やっぱり私は彼の笑顔が苦手で、それで、どうしようもなく恥ずかしくてどんな顔をすれば良いのか分からなくなってしまったのだ。



「また来るからな。……俺は待ってる」


 店で彼のことを待つのは私の筈なのに、彼の言葉はやけに芯があって笑い飛ばせる雰囲気ではなかった。

 彼はいつから私のことが好きなんだろうか。私のどこを好きになったのだろうか。色々な疑問が浮かんだけれど、遠ざかる丸井の背中を見ていたらよく分からなくなった。




 告白、された。


 そう自覚したら、もう明日からは丸井をただの友達としては見ることはできない。マドレーヌの焼けたバターの匂いが、秋風に乗って頬を撫ぜた。


焦がれるキャラメリゼ






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