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江戸の朝は意外と静かでボロアパートの二階にあるこの部屋の窓から見える町並みは、故郷の景色とはまるで違うのに静けさだけは同じように感じた。
ここは歌舞伎町。
夜が明るくて長いこの町のこんな時間を橘香は何となく気に入っていた。
江戸に上京して一ヶ月。
仕事にも慣れ、生活もだいぶ落ち着いてきた。
寝間着からお気に入りの白い梔子の花があしらわれた浅葱色の着物に着替えるとすっかり手放せなくなってしまった脇差し程の長さの木刀を真横にして腰に差す。
早々に支度を済ませて家を出た。
人気の無い朝焼けの中をスクーターで走るのは爽快で、いい日になりそうだなんて橘香は思っていた。
飲み屋街の通りにあるキャバクラ『すまいる』近くのゴミ捨て場に頭を突っ込んでいる見覚えのある姿を見るまでは。
「……」
無言でスクーターを停車し、ゴミ捨て場の人物を足で転がせば、警察官でありながら意中の女性をストーカーするという橘香の上司である男が顔を腫らして気絶していた。
◇◆◇
「女中といってもやることは賄い方の手伝いと配膳ぐらいだ。人数が多くなって人手が足りてねぇ。他は自分達でやることになってる。後は……確かあんた歌舞伎町に住んでるんだったな?」
初出勤の日にした会話を橘香は思い出していた。
いくつかの注意点の中で意味の分からないものが多数あったがやっと一つ、理解した。
「じゃあ、近藤さんを見かけたら連れ戻してくれ」
◇◆◇
つまり、こういうことなのだろう。
《真選組女中特筆第一項 町でゴリラ(近藤さん)を見かけた場合、速やかに回収すべし》
「おーい、こんな所で寝てないで起きてくださいよ」
橘香は近藤の腫れていない方の頬を軽く叩きながら声をかけるが起きる様子はなく、白目を向いている。
呼吸は確認しているので死んではいないだろう。
ハァ、と橘香は思わずため息をついた。
いくら早く家を出たといってもこのままでは遅刻してしまう。
新人が遅刻など、この時間に厳しい江戸では許されるわけもない。
面倒ではあるがこのまま放置して、怒られるのもイヤだ。
頭を必死に回して橘香はスクーターの座席の下にいれていた予備のヘルメットを取り出すと、それを近藤の頭へと装着した。
鍛えているのであろうその重い体を引っ張って、今度はスクーターの足元に膝を抱えるような形で座らせる。
そして、スクーターを発進させた。
カーブを曲がる度に近藤を両足で挟んでバランスを取るので、がに股はなるわ、近藤の着物は足跡だらけになるわでとても人様に見せれる姿ではない。
どうにかふらふらと職場である武装警察真選組の屯所に辿り着けば、門前を掃除する隊士の姿があり、ホッと一息つく。
「おはようございます。山崎さん」
「あっ、おはよう。橘香ちゃん……って、何乗せてんのォォ!?」
「えっと、ゴリラ……あっ間違った。近藤局長です」
「いや、それは分かるけど。局長見つけたんなら連絡してくれれば俺らが迎えに行くから!」
「そんな無茶な運転しないで!」と言われてようやく携帯で連絡することに橘香は思い至った。
あー、やっぱり朝は頭が回らないなぁと思いながら近藤を山崎に引き渡し、スクーターをいつもの場所に停めて仕事しようと食堂に向かう。
先に来ていた賄い方の隊士や女中達に挨拶をして、橘香も割烹着と三角巾を身に付ける。
両頬を軽く叩いて気合いを入れてみた。
さて、今日もお仕事頑張りますか!
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