「堀川君、手伝うよ」
「あ、主さん」
ジャージだとか、寝衣だとか。大量に干されているものを、地面にある籠の中へ黙々と移している青年に声をかける。まだ建てたばかりとは言え、この本丸も総員九名と、一般家庭であれば大所帯と言われる程の人数にまで増えていた。そんな人数分の洗濯物を、いくら人手不足とはいえ、一人に任せるのは中々酷なことである。
「ありがたいですけど……。仕事はどうしたんです?」
「長谷部に押し付けてきた」
「こら、駄目ですよ?人に押し付けちゃ」
「だいじょーぶだいじょーぶ!」
これでも、書類仕事は今までに幾度もこなしてきたのだ。見慣れた書類を片付けるのにそこまで時間がかからなかった。残る書類も後僅か。後10分もすれば、長谷部がすべて終わらせてくれるだろう。
「もうすぐ長谷部も自由の身だからさ」
「それならいいんですけど」
高い位置にある衣装を取ろうと手を伸ばす。その時、するり、肩から何かが落ちる感覚がした。ふと、足元を見れば、お気に入りのカーディガンが地に落ちていてぎょっとする。書類と向き合っていた際、肌寒さを感じて肩にかけていたのを、すっかり忘れていた。
「あぁもう。洋服を中途半端に着ているからですよ」
「あぁー、ごめん」
「ほら、背中向いて下さい」
カーディガンを優しく叩いて、土を払い落としてくれていた堀川君の言葉に、先程取った洗濯物を抱いたまま凍り付く。彼が言う、背中を向いて、とはどういうことだろうか。首を傾げてぱちぱち目を瞬く。すると、全く動こうとしない私に痺れが切れたのか、堀川君は不満げに息を吐いて、呆然と立つ私の背後に回りこむ。
「ほら、ちゃんと着てください」
そこでようやく堀川君の意図が掴めた。後ろでカーディガンを着やすいように広げてくれている彼。気の利いた行動がこうも自然にできるとは。本当良く出来た嫁のようである。しかし、私はそこに腕を通すのを渋る。
「でも……今は暑いから、腰に巻いておこうかなって」
「なるほど、わかりました。じゃあ巻いちゃいますね」
刹那。横っ腹を通り過ぎてにょきっと伸びてくる手に、肩が跳ねそうになる。あれ、この子こんなに大胆なことするの、なんてツッコむ間もなく、お腹の前でカーディガンの袖部分が結ばれようとされるのを見守る。しかし、見ずにするのは流石の器用な彼でも難しかったのか「あれ?」という台詞と同時、肩から覗き込むように整った顔が飛び出してきてくるものだから、今度こそ肩が跳ねた。
「あの、堀川さん。ちょっと距離が……」
「え?なにか問題でも?」
「あれ……え?ないの?」
「ないと思いますよ」
にっこり、屈託のない笑顔に「そうでしたか」最早、そう言うしかなかった。本来であれば、堀川国広、という刀は和泉守兼定のことが大好きな、礼儀正しく世話好きの優しい刀だったはず。はたして、そんな礼儀正しい刀が、年頃の娘の腰に軽々しく手なんか回してくるのだろうか。
「あれ?なんか腑に落ちてないような表情ですね?」
「そう見える?」
その通りなのだけれども。
「どうしたんですか?何か嫌でした?」
「嫌っていうか、なんというか……」
「というか?」
そこで、はたとあることに気が付く。よく鯰尾が私のことを女子ではないと言ってくれているが、もしかしたら堀川君はそれを真に受けているのではないだろうか。礼儀正しいが行き過ぎて、人を疑う心がないのかもしれない。
「堀川君……。まさか、私のこと……」
「……一応言っておきますけど、恋慕の情とかは抱いてないですよ?」
「わかってるわ」
何を勘違いしているのか、にっこりと笑って聞いてもいないことを答えてくれる堀川君。間髪を容れずにツッコめば、良かったと言わんばかりに良い顔で微笑まれた。なんだか色々と複雑な気分ある。
「でもまあ……。恋慕とかいう言葉が出るくらいなら、私が女っていう認識はあるのか」
聞こうとしていた“私を女わかっているのか”という質問に、間接的な答えが聞けたので良しとしよう。そう半ば強引に納得する。そうでもしないと袖を濡らしてしまいそうだった。女の子相手にしても恥ずかしげもなく、ああいうことができるということは、相手が私だからなのか。はたまた、興味の対象が兼さんにしかないのか。
「うん、後者だな」
「1人でなに百面相してるんですか」
「この兼さん教め!」
「まだ兼さん来てないっていうのに、突然何言いだすんですか」
呆れた表情でこぼされた嘆息。よいしょ、あざとくも思える掛け声と同時に地面に置いてあった籠を持ち上げた堀川君。私はまだ数えるほどしか洗濯物を入れていないというのに、流石、家事が得意と言っているだけあって、気が付けばすべての洗濯物が籠の中に移されていた。大量の衣類が入っている籠を楽々と運び始める堀川君の横に並ぶ。歩幅が同じぐらいなのは背丈が近しいからか、それとも、彼が合わせてくれているからなのか。
「さっきから、女っていう認識はあったのか〜、とか、兼さん教め〜、とか変なことばかり……あれ?」
「ん?」
ふと、足を止めた堀川君につられるようにして、足を止める。ぱちぱち。まっすぐ進行方向を向いたまま、大きな瞳を瞬きさせている堀川君を不思議に思うまま見つめる。
「主さん……もしかして」
「えっなに?」
ふと、こちらを向いた堀川君。その海の如く鮮やかな青色の瞳と視線が合わさる。きょとんとしてこちらを見ている視線の真っすぐさに、なぜだか背筋が伸びた。瞳の奥まで見ようかとするほどの視線は、なんだか心の中まで見透かしてしまいそうだ。「もしかして」無表情で呟かれたその台詞に何やら嫌な予感がする。
「ふふっ。そうか、そうでしたか」
「え?なに?」
「主さんも、意外と可愛いところあるんですね」
突然、頬を緩ませた堀川君。黒目勝ちの大きな目が弧を描く。くすり、小さく笑うと同時に進み始めた彼とは対照的に、状況が全く掴めない私はその場で立ち尽くしていた。“可愛い”褒め台詞であるはずのそれに、本来であればにやけているところだが。
「意外と?どうしてそうなったの?」
一体なにをどう納得してしまったのか。そして意外と、とはどういう意味か。肝心なところの言葉が足りないせいと、余計な一言のせいで、素直に喜べない。
「主さん。一緒に洗濯物畳むの手伝ってください」
「手伝うけど、その前にどういう意味か説明して!」
「説明もなにも、そのまんまですよ。女の子として見てほしい、なんて可愛いらしいじゃないですか。いつもやんちゃしてるのに、やっぱり女の子なんだなって思いまして」
「そんなこと言ってないけど」
「へぇ?じゃあ女の子扱いしなくていいんです?」
「……それは困るけど」
思わず口ごもってしまえば「ほら、やっぱり」と言って、くすくすと笑われてしまう。そうすれば、頭の出来が悪い私はこれ以上返す言葉を見つけられなかった。結局うまく丸め込まれてしまっている現状に、むすっと口を尖らせたまま、堀川君の後に続く。
「あれ、まだ何か不満です?」
「……むぅ」
「あらぁ……。困ったなぁ」
片手で軽々と籠を持ち、そのまま空いた手で頬を掻く。困ったような声色。すると、「あ、そうだ」何か思いついたような明るい声と同時に、突然目の前に手が差し出される。傷一つない綺麗な手のひら。中性的な顔立ちであるのに、やはり手だけは男らしく広かった。なにかを催促するかのような手の意味が分からずに、瞬きを繰り返す。
「良かったら、エスコートしますよ」
「は?」
「さぁ、お手をどうぞ」
ね?そう言って微笑まれた瞬間、急に顔が熱くなる。端整な顔立ちで優しく笑いながらそんなことするのずるい。王子様みたいな顔でそんなことされてしまえば、例えジャージ姿であろうとかっこよく見えてしまうわけで。戸惑い固まる私を他所に、ずっと目の前に差し出されている手。
「ほら。早く手だしてくれないと、僕困っちゃいますよ?」
「えぇっと……」
「あるじさま!!あるじさま!!」
どうしようかパニックになっている中、五虎退の焦ったようにして私を呼ぶ声が聞こえて、はっとそちらを振り返る。
「五虎ちゃん、どうしたの?」
「あの、ごめんなさい……。如雨露が見当たらなくって」
「へ、じょうろ……っあ!そうだ昨日、鯰尾が新しいのに変えようって言って捨てちゃったんだ!ごめんね、今新しいの出すから!ちょっと待っててね!!」
踵を返し、走り出そうと地面を蹴る。すると、パタパタと軽い足音が後ろを追いかけてくる。
「あ!待って下さいあるじさま!ぼっぼくも一緒に行きます!」
「お、じゃあ一緒に行こっか!」
「っはい!!」
そうすると、五虎退の色白な頬が、ふわりと紅く色づいた。その様子に頬が緩む。前の本丸で短刀達によくしていたように、五虎退の小さな手を、思わず掬う様に取ってしまう。この本丸の子たちはこれにまだ慣れていない、ついやってまった。一時はそう思ったものの、五虎退は僅かに驚いたそぶりを見せただけで、私にあどけない笑顔を向けてくる。その可愛い笑顔にハートを盛大に射貫かれながらも、ついさっき見たような既視感にハッとして振り返る。
「っ堀川君!」
「はい」
「普通に!接してくれたらいいから!!」
彼が純粋に女の子扱いしようとして手を差し伸べてくれたのか、それとも子ども扱いしたための行動だったのか。どちらだったのかは今となってはわからないが、とにかくあんなの毎日されたらこちらの身が持たない。何の話だろうと首を傾げている五虎退に「行こう」と言って、速足にじょうろを取りに向かった。
*
「……僕とは繋いでくれなかったくせに」
呆れたように眉を下げて笑う堀川は、ポツリ、小さく呟いた。遠ざかっていく主達の後ろ姿を、暫くの間立ち止まって見つめ続ける。先ほど自分がその細い腰に巻いたカーディガンが、走るのに合わせてパタパタと跳ねていた。仲良しそうに繋がれている手、それが羨ましく思えてしまうのは、自分が、相棒のいないせいで寂しいからなのか、それともあの人間を気に入ってしまったからなのか。
「堀川。主がどこにいらっしゃるのか知らないか」
「あ、長谷部さん。主ならついさっき、五虎退くんとじょうろを取りにいきましたよ」
「そうか、礼を言う」
彼女たちの姿が見えなくなったあたりで、横から声がかかる。どうやら彼女の言った通り、彼は早々に仕事を終えたらしい。予告通りの展開に、ボケっとしているようで意外としっかりしているんだなあ、と密かに感心していた。両手のふさがっているせいで顎で示した方向へ、歩みだそうとする長谷部。
「長谷部さんは主のことどう思います」
「……どう、とは?」
去っていこうとする長谷部の背中に、ふと疑問を投げかけてみる。その言葉に足を止めて振り返った長谷部の表情は、相変わらずの不愛想であった。堀川へ向けられる眼光は、その質問の意図を見定めようとしているかのように、まっすぐと向けられている。
「主さんは、世話の焼ける人だと思いませんか」
「別に……そう思ったことはないが」
そこで長谷部の頭に過ぎったのは、初めて彼女と出会った時の記憶であった。目覚めた鍛冶場から出た瞬間、視界に飛び込んできたのは、地に寝転がっている女人の姿。それは、自分の主は一体どんな人なのだろうかと、期待に胸を膨らませていた矢先に起きた出来事だった。
「あれ、そうですか?意外です。よく主さんに振り回されているのに」
「俺をそれだけ頼りにしてくれているということだ」
「ふふ、長谷部さんは寛大ですね」
「……お前は、主に何か不満でもあるというのか?」
言葉と同時に、若紫の瞳が鋭さを増す。敵意にも似た怒気を滲ませているその色は、主に歯向かうつもりか、そう言っているように見えた。それに堀川は気づいていながらも、その瞳からそっと目をそらして空を見上げる。白いモクモクとした雲が優美に青の上を流れてゆく様を見つめながら、「まさか」と一言、天へ投げかけた。
「この本丸、当分兼さんと会うことが出来なさそうなので。僕はついてないなって、最初の頃は思ってたんですけど」
「……気が変わったということか」
「ふふっ、はい」
この本丸なら、兼さんがいなくても楽しめそうです。なんて言ったら、兼さんが拗ねちゃうかな。密かにそんなことを思いながらも、堀川の表情はどこか穏やかだった。