
ある日のことだった。唐突なことに私の幼馴染の青年は、騎士として城に駆り出された。どこにでもいるような平凡な青年は、突然、剣を振るい闘う戦士となったのだ。それをただの町娘である私が理解するには、なかなか時間がかかった。
「ああー怠いなぁ……町の見回りなんてさー」
「そういうなよ、稽古よりはマシだろ?」
それでも、いまとなってはそれも慣れてしまって。こうして鋼に身を包み、歩いている人を見ると、幼馴染の顔が自然と頭に浮かぶ。
遠くに騎士が見えると、もしかして……とか少し期待するし、それが叶わなくてもその騎士の会話をすれ違いざまに聞いて、彼もこんなことを思っているのだろうかと思いを馳せる。
「それにしても、あの新人のイズミってやつ」
「ああ、あのイケメンくん」
その名前に思わず足を止めたのは、つい最近の話。
*
「あ、イズミおかえりー」
「ただいま……ってその出迎え方やめてくれる?」
ここアンタの家なんだからいらっしゃいぐらいで良いでしょ。そうぶっきら棒に言っておきながら、毎度しっかりただいまって言っている辺り彼らしくてくすりと笑いが零れる。重たそうな荷物をドスッと部屋の隅に降ろしたその表情は、どこかくたびれているように見えた。
「イズミ、大丈夫?」
「なにが?別に大丈夫だけど。それよりも母さん達は?」
「おばさんもお母さんもとっくに非難したよ」
もう直、この町も戦地と化す。そんな話が町に広がっていた。最初こそどこから生まれたのかもわからないそんな噂話に誰も聞き耳を立てなかったが、近頃激しさを増した国の戦争。それでその噂話が段々現実味を帯び始めて、住人が少しずつ移転し始めていたのだ。
「は?あんたは?」
「誰かさんが帰ってきた時、寂しがると思ってね」
「いや寂しくないし……ってか寧ろ邪魔なんだけど」
「えぇー?エゲツナイこと言わないでよ」
いつもの嫌味を笑い飛ばしながら、夕飯の用意を始める。生憎と私は母たちのように料理は上手くないので、いつものように美味しい御馳走をふるまってあげることはできない。粗末な料理を、それでも自分の中では頑張った努力の結晶を、内心ドキドキしながら机に並べていく。
「はい、どうぞ」
「……これ、だれが作ったの」
「私だけど」
「……そう」
かつては大勢で囲んでいた机に、腕を置いてぽつりと1人椅子に座っているイズミ。皆がいなくて本当は寂しいはずなのに、今はイズミがいるからか何故か心細さなんて微塵も感じない。そっと頬を緩める私を他所に、イズミは机の上の料理を品定めするように視線を送っていて、不安からか心臓がバクバク音を速めていく。
「……ぁ、食べたくない……かな?」
「は?」
「その……固まってたから」
「あぁ、そういうことか。いや……」
何かに納得したように、イズミが匙を手に取る。いつの間にそんなもの着るようになったのか、高価そうな良い生地のシャツをぶっきら棒にめくって、そこから見えた腕は、前よりも筋肉が付いたように思えた。なんだか段々知らないイズミが増えていることを密かに実感する。
「ナマエも成長したなって思ってさ」
「……え?」
「こんなに作れるようになったんだぁ」
「そんな変わった、かな?」
腰巻エプロンを取りながら、イズミの向かいの椅子に腰を下ろす。テーブルに並べた料理に彼が驚く様な豪勢なものなどない。至って通常時出すような素朴なものばかりなのだが。
「俺が前に帰ってきた時は、丸コゲだったのに」
「そ、それは忘れてよ黒歴史なんだから」
「ふはっ、はいはい、わかったよ」
小さく吹き出して、彼はそっと口に匙ですくった料理を運んだ。前にイズミが帰ってきた時のように、部屋は賑やかではないけれど。私とイズミの2人しかいない寂しい部屋だけど。この空間が何故かとても暖かくて、ふと胸が満たされていくのを感じていた。
「うっ!?……ちょっとナマエ」
「どうしたの?」
「これ、砂糖と塩間違えたでしょ」
「うぇ!?嘘!?」
突然顰められたイズミの顔に、慌ててイズミのスプーンを奪い取って料理を口に入れてみる。その瞬間、甘い味にしたはずのそれが、辛いと感じるくらい塩気のあるものだから、さっと血の気が引いていく。
「……まじだ」
「ばかじゃないの、ほんと」
「ご、ごめん。今すぐ作り直して……ってなんで食べてんの!?」
「まぁ、イレギュラーではあるけど、食えないことはないし」
パクパクと味の狂った料理を次々に口に運んでいくイズミ。元々ポーカーフェイスが上手い彼の顔色は変わらないものの、その額には塩分の辛さのせいか、まずさのせいか、汗がにじんでしまっていた。
「いいよ、もういいから」
「良くない」
「無理しないで、作り直すよ」
「そんな経済的余裕ないでしょ、それに……」
あんたが俺のためにここに1人残って、俺だけのために作ったんでしょ。
伏せられているイズミがどんな顔をしているのか私には見えなかった。でも常に毒舌なイズミが吐いた言葉のなかに不器用に秘められた優しさだけは、なんとなく気がついて。なんだか自分が情けなくなって、申し訳なくって、顔を落した。
「まぁ……その代わり、次に期待して置こうかな」
「……え?」
「次はちゃんとした料理作ってよね、そしたら許してあげる」
「やる!!作る!!」
「うん、期待しないで待っててあげるから、精々頑張りなよ」
せめてもの思いで、コップに水を汲んで差し出す。その水は案の定、一気にイズミに飲み干された。やっぱり、無理してる。それでも、どこか満足そうに時折口角を上げながら食べるものだから、それ以上何も言えなかった。あっという間に空になった皿を見つめ、心の中で次こそは美味しい料理を作って彼にふるまおうと、硬く決心した。
「明日の早朝に戻るけど、あんたも起きたらすぐに母さん達追いかけなよ」
「うん、わかった」
「本当は俺が出ていく時間に起こそうかと思ったけど、あんたの場合、朝ボケして川にでも落ちそうだから」
「大丈夫、安心して城に戻っていいよ」
「不安要素しかないから言ってるんだっつーの」
再度コップに入れた透明な水を彼の元へと持ってくれば、すぐさま手を付けて煽るイズミは、少し不満そうに眼を細めた。大丈夫だと笑って軽くその銀色の頭を叩けば、彼は更に不機嫌になって牙を向けてくる。
「ちょっと、乱れるでしょ髪が」
「常にくせ毛じゃん」
「うるさいよ馬鹿」
「そんなこと言ったってどうせ……あ」
“どうせイケメンなんだから”そう言葉に出そうとした途端、今朝の騎士達の会話が脳裏を過ぎる。
「なに、急に固まっちゃって」
「……いや、明日の荷物整理しなきゃなって」
“いいよな、姫様に気に入られて、いざという時は一緒に安全圏に行くんだろ”
目の前で、私のとっさに吐いた嘘に気が付いていないのか、目を伏せて「そう」と一言つまらなさそうに呟く彼に、ほっと息をついた。直接本人に聞こうと思ったけど、なんとなく言う気になれない。それを聞いてしまえば、またイズミが遠くなってしまうような気がして、怖かったのだ。
*
ギギギと重い音を立てて、扉が開く音が聞こえた気がした。夢見心地の中、恐らくイズミが家を出て行ったのだろうと瞼を閉じたまま考える。そして再び意識が遠のいていく。
次に目を覚ました原因、それは、耳をつんざく様な金属音だった。
*
足を感覚が狂ってしまいそうなほどに全速力で地を駆ける。伸びきった新緑の草をかき分けて、疲労で休みたいと悲鳴を上げる足に鞭を打ってひたすらに走り続ける。背後で燃えあがる故郷に泣きそうになりながらただたま走る。今まで平和だった町が、一瞬にして赤く染まってしまった現実に、どうかこれが夢であれと願うけれど、上がる息が、流れる汗が、覚醒した意識が私に現実を突き立てた。
「イズミっ………」
真っ先にイズミのいる城の方へ足を向けていた。予期していなかっただろう町の襲撃。真っ先に浮かんだのは幼馴染みの彼の顔だった。考えもなしに人気のいない木々の中に駆け込む。もう少ししたら、城の敷地に通じる門があるはず――
「さぁ、早く貴方も来て」
「……姫様」
「イズミ、一緒に逃げましょう……ねぇお願い」
静寂に眠るような深い森の中で、ふと鈴の様に綺麗な女性の声が聞こえた。女性が紡いだ“イズミ”の名前に心臓が大きく跳ねて、どこかで別人であってと祈ったのも虚しく、聞こえた声は正しく私の知るイズミその人のものだった。
「私と一緒に来て」
「貴女は何故そこまで俺を……」
「私の騎士は、貴方しかいないの」
どこか切なそうな女性の声に、ぐっと胸が締め付けられる。幹の陰からそっと覗いてみると、儚げな女性が、縋り付くようその白細い手をイズミへと差し伸べていた。まるで絵画を見ているような2人の美しさに思わず息を呑む。絵本の世界に迷い込んだようなそんな気分だ。
馬車から顔を出す、豪華なドレスに身を包んだ綺麗なお姫様と、彼女を見つめる騎士。新緑の中でたたずむ美しい2人は、まるで次元が違うと思えるほど、異質な美しさを持っていた。
聞こえる声はイズミなのに、あの横顔はイズミなのに。なんでこんなに遠く感じるのだろう。彼が手も届かない程遠くに感じた。締め付けられる胸の前で手のひらをぎゅっと結ぶ。いつの日か騎士が話していた彼がお姫様に気に入られている、という噂は、本当のことだったんだ。その時、森が息を吸う。ざわざわと木々が揺れて音を立てたその時――
「……そこにいるのは、誰」
鋭さを帯びた一言に、打たれるように反対方向へ駆け出した。
*
行く当てもなく、取りあえず自分の町だった場所を目指していた。慌てて家を飛び出してきたせいで、荷物も持ってきていない私は彼が言う通り本当に間抜けだ。恐らくもう燃えてしまっているだろうけど、でもどのみちお母さんたちの元に行くにも、結局町方面に行くのが早い。
走ってきた道を駆ける気力もなくとぼとぼと重い足取りで辿る。まるで胸に石でも詰めてあるかのように、気までもが重かった。耳に残っているイズミの低い声を思い出すと何故か息苦しい。念のためにと大通りを外れて歩く。
どこかで思っていた。イズミが騎士になって離れてしまってもきっと帰ってくれると、何の確証もないのに、何故かそう思い込んでいた。私は本当に馬鹿だ。なんでそんなこと思っていたんだろう。元々顔の整っているイズミ、その腕を見込まれ騎士になったイズミ、彼の隣にどうしていつまでも私が立てると思っていたのだろう。知らない彼が増えていることに気づいていたのに、彼がゆっくり遠ざかっていくことに気が付いていたのに、もっと早くに肝心なことに気が付くべきだった。彼と私は不釣り合いだと。過去の自分を呪う。脳裏に張り付いたように頭から離れてくれない2人の姿、悔しいほどにお似合いだった。今頃一緒に逃げているのだろうか、私の知らない遠いどこかへ……。
感傷に浸っていた私は背後から近づく人物に気が付けなかった。
「ねぇちょっと」
「っひ……わぁ!?」
「アホ、こんな時に戦地に向かう馬鹿がいるか」
「い、イズミ……?なっなな………なんで!?」
急に腕をとられて背筋が凍りつく。跳ね上がるようにして振り返ると、そこにはここにいるはずのない人物がいて、自身の目を疑った。
「なんでって……。どっかの馬鹿が逃げていくのが見えたから、追っかけて来ただけだけど」
「お……お姫様は!?」
「さぁ。今頃馬車に乗って安全なところにでも逃げているんじゃない?」
「イズミは……行かなかったの?」
取りあえずここは危険だと、腕を引かれるままに付いていく。ガサガサと不揃いな草むらをかき分けて、前を歩く久しぶりに近くで見た幼馴染の背中はいつの間にか大きくなっていた。
「俺が?なんで行かなきゃいけないわけ?」
「でも、お姫様は……」
そこでつい口ごもってしまう。あの声、あの表情、なんとなくわかってしまう彼女の本心。あの人は間違いなくイズミのことを好きなんだ。それがわかってしまったのは私が彼女と同じ女だからなのか、それとも彼女と同じく彼に恋しているからなのか。
「俺が守らないといけないのは……」
「え?」
「……やっぱりナマエは、俺がいないとだめだねぇ」
ため息まじりにイズミが意地悪く微笑む。相変わらずの人をあざ笑うかのように上から目線な物言いに口を尖らせた。
「なにそれ」
「目を離すとすぐ無茶する」
「……そんなことっ」
「あるでしょ。まぁ……しょうがないから」
私の手首を掴んでいたイズミの手がふと離れて、再度その手を差し出される。「俺が守ってあげるよ」ふわりと微笑んだ彼の黒いグローブに、泥で汚れてしまった手を乗せていいものかの遠慮がちに近づけると、痺れが切れたのかグイッと力強く引かれた。驚いて彼を見上げれば、そこには満足そうに口角をあげるイズミがいる。
「まだ、リベンジだってしてないしさぁ」
「あ、そういえば……」
「あんな塩辛い料理で終わりとか、たまったもんじゃないからねぇ」
彼に引かれるまま道なき道を進む。先ほどまでの胸の重さも足の重さも嘘みたいで、羽が生えたように何もかもが軽かった。固く絡んでいる手と手を見落とせば、にやけが止まらない。さらさらと草が風に煽られて、気持ちの良い音を立てている。
「イズミ、どこに行くの」
「取りあえず少し離れた街に移動する」
「イズミも一緒?」
「あんた……さっきの俺の言葉もう忘れたわけ」
“俺が守りたいのは、あんただから”
こちらを睨んだ後そっけなくぷいっと顔を前に向けたイズミ。脳内で再生される台詞をきっと私は一生忘れないだろう。「ほんと、なんのために騎士なったと思ってんだか……」呟くイズミは昔とは確かに色々変わってしまったのだけれど。風に揺れる銀色の髪の毛も、暖かく力強い手も、それは幼い頃から知っているイズミのものと変わりがなくて。彼と一緒に入れる幸せをひしひしと感じては、強くその手を握りかえしてみせた。
