バナナの皮でも仕掛けとけ


「そうか、で用事は?」
「名前さん、俺の話聞いてました?」

正直に言おう、全く聞いていなかった。2年の静かな教室を借りて、黙々とイベントの予算を集計していたところ、そこに現れた後輩の高峯翠。何故こんな生徒会の事務仕事を、私がしているかというと、あの生徒会生真面目眼鏡のせいだ。まあ元をたどってしまえば、私が廊下を全力疾走したせいなのだが。

「たけのこが良いよ」
「なんの話してるんですか……」
「あ、違った?」

適当に答えてみたが、違ったらしい。この回答なら好きなお菓子はなんですかでも、おかずになに入れますでも、夕飯なんですかでも通用する良い回答だと思ったのだが。彼から重いため息がこぼれた。

「えぇ〜……カレーがいいんじゃないか」
「おすすめ料理聞いてるんじゃないです」
「そうか、もういっそはちみつでも飲んだら」
「俺くまじゃないし、というか少し食べ物から離れて下さいよ」

鬱だ……そういって俯いた彼を慌ててなだめる。そうすればぷくっと贅肉のない頬に空気をためてこちらを睨みつけてきた。千秋にも負けない巨体なのにかわいい、なんでだ。向けられたきりっとした眼差しには怒気が含まれていたので大人しく口はつぐんでおく。ぐったりと肩を落とした翠は、心なしかげっそりしているようにも見える。

「俺、困ってるんです」
「そうみたいだね」
「はぁ……鬱だ」

目の前の机に雪崩れ込んだ翠は、ぐったりとしていて、その姿はまるでこんにゃくのようだ。そんな後輩をみかねてやれやれと重い腰を上げる。夕暮れに染まる窓の向こうでカラスの鳴く声がした。

「そうか、先輩が癒してあげよう」
「え?頭……あんま撫でないでほしいんスけど」
「良いではないか、良いではないか」
「……はぁ」

机に伏せているせいで見える、いつもは見降ろせない翠の頭に密かに好奇心を抱いたのだ。例えるなら展望台に登って街を見渡している感じだ。こんなこと口に出してしまえば「俺はなんで展望台と同じ扱いをされるんだろう……鬱だ」と言うのだろう、そうなれば面倒なので、今はお口にチャックだ。

「へぇ〜ふわふわしてる。意外と翠の髪の毛柔らかいんだね」
「もしかしなくても、先輩楽しんでませんか?」
「慰めるついでに、一石二鳥だよ」
「そうっスか……」

流石にこれ以上は彼の頭がぐしゃぐやになってしまうので、ここまでにしておいてやろう。名残惜しい気持ちをこらえて踵を返す。再度椅子に腰を下ろして顔を上げた翠と視線を交わす。

「で、どうしたって?」
「ようやく話を聞いてくれる気になったんスね」
「悪かった悪かった」

じとりと恨めしそうな視線をおくる翠に、生徒会から預かった書類達を肘で踏みつけながら謝罪した。どうもこの子はテンションが低い。周りの奴らが、特に千秋が高すぎるから余計そう感じるのかもしれない。まぁあのバカうるさいのが2人よりも、こちらの方が楽だから、自分としてはこれでいいのだが。

「最近、守沢先輩がしつこくて……」
「いつものことでしょ?」
「まぁ、そうなんスけど……」
「ありゃだめだ、治らんよ」

多分死んでも治らない、下手すれば生まれ変わったとしても生まれた瞬間はっはっは〜☆と言いながら駆け出し始めるんじゃないか疑うレベルである。あれがしつこい、うるさい、鬱陶しいの三拍子なのは今に始まったことじゃない。こればかりは私でもお手上げである。

「馬鹿は死んでも治らないって言うじゃん?」
「それでも!!それでも!!!」
「おぉお!?」

ガタリッ、突然音を立てて立ち上がる翠に驚いて思わず声が漏れた。あのいつもだるるんとしている翠がこんな機敏に動くなんて珍しい。怒った面持ちの翠を唖然として見上げる。

「あの馬鹿1年の教室を毎朝全力疾走して更には大声で俺の名前を呼んで挙句の果てには俺にも叫ばせようとっ!!」
「おぅ、取りあえず落ち着け」
「あのすかぽんたんにこれから俺は何をさせられるのか!!」

「あ、飴舐める?」
「あの馬鹿丸出しのせいで朝が増々鬱に……!!」
「ああぁわかった、よくわかった何とかするから!」

取りあえず落ち着いてくれ。過呼吸になりそうなぐらい早口で話す翠の肩を半ば無理矢理椅子へと押し戻し、若干乱暴ではあるが口に棒の付いた飴を押し入れる。やめて、とかぎゃっ、とかいう声は無視だ、無視。

「ん……甘い」
「うんうん、ゆっくりお食べ」

ガリッ

ガリッ

……この際飴をかみ砕く音がしたのは、聞こえなかったことにしておこう。膝に両手を置いて少し猫背になっている翠の顔を覗けば、下で飴を弄んでいるからなのか、ぷくりと頬がぼこぼこと丸い形が内側から頬を膨らましているものだから、それが少し面白くて笑いそうになってしまった。

「で、要は千秋が朝うるさいと?」
「そうっス」
「黙らせたいと?」
「うっす」

コクコクと首を上下に動かして頷く仕草は、体格の割に合わず大人しい。

「もう来てほしく?」
「ないっス」
「よかろう、明日30に1−Aに集合しよう。先輩に任せとけ」
「ス」

返事が些か雑な気もするがまあいいだろう。そうと決まれば早速準備開始だ。机の上の書類をまとめて立ち上がり、窓からグラウンドを見渡す。今日の陸上部は確か活動していたはず……お、やっぱりいた。地上で駆けている褐色肌の人物を見つけ、にやりと口角を上げる。

「よし。行くぞ翠」
「はーい」

背後から聞こえた呑気な返事、落ち着いた素直な返事が意外だった。てっきりどこに?って聞かれると思ったんだが、まぁ興味がないならそれでもいいか。口内にある飴をコロコロ転がしながらついてくる高身長な後輩を一瞥して足を進める。

「先輩、ところで」
「ん、どうした」
「この飴、どこで買いました?」

意外と千秋のことなんてどうでもいいのでは。飴玉が包んであったたカラフルなビニールを、興味津々に見つめている翠に一瞬疑問が浮かんだ。





「で、どうするんスか」
「見てわからないかな、バナナだよ」
「いや、先輩がバナナの皮を構えているってことは、見てわかるんスけど」

1−Aの扉の内側に隠れるように身体を丸め廊下を覗く。背後で冷ややかに向けていた翠に堂々と答えれば渋々と彼も此方に歩み寄ってくる。何やってんだと呆れるような彼の視線の通り、見方によっては不審者だが、まぁ大丈夫。

「先輩……俺達かなり目立ってます」
「千秋よりマシだろ」
「違う意味で同じくらい目立ってるような……」

不安そうな面持ちで、かがみなつつ私の頭上から廊下をのぞき込む翠。まだかまだかと緑色のネクタイが現れるのを待つ。後ろで真白くんとしののんの心配そうな声がしていた。そこで思わず不敵な笑いが零れる。このように幸いにもこのクラスには騒ぎ立てる人物がいない。これなら集中してターゲットの足元目掛けてバナナを投げることに専念できるのだ。ここまで計算している私は中々策士……

「おぉおおお!?名前の姉ちゃん何してるんだぜ!?」
「あ、こら満!!」
「まじか」

だったはずなのに。背後から聞こえた声に廊下に視線を向けたまま思わず苦い声を零した。

「あれ、満ここのクラスだっけ?」
「いや、違うっすね」
「そうだよな違うよなまじかよ」
「姉ちゃん姉ちゃん!!」

まずい、まずいぞ。非常にまずいぞ。案の定呼びかける声に冷や汗が流れる。ここで振り向いてしまえば離してもらえるのに時間がかかるだろう。かと言ってこれで無視していたって絶対絡みにくる。さすればいざ千秋が来た時にバナナ攻撃が出来ない。どうする、頭の中でグルグルと思考を張り巡らせてみるが、案の定、出来の良くない私の頭は良い答えを導けず、こんがらがっていく。

「姉ちゃん!!とぉう!!」
「おっげぇ!?」

いつの間に背後まで近づいていたのか。縮こまった背中に抱き着かれたと同時、首にしがみついたやんちゃな腕に首を絞められて、女子とは思えないほどのくぐもった声が出た。

「せ、先輩大丈夫ッスか?!吐かないで!!」
「名前先輩!!おい満、離れろ!!」
「姉ちゃん!!バナナの皮なんか持って何してるんだぜ?無視はひどいんだぜ!!」

ぎゅっと首にしがみつく満は、どうやらご立腹なご様子なようで込められた力は流石男子と言ったところかめちゃくちゃに強い。更にはしがみ付きながら、左右に揺さぶるもんだから、更に喉が圧迫されて吐き気すら覚えた。

「悪かった、理由が後で説明するから離せ…苦しっ……」
「本当?じゃなかったら怒るんだぜ!」
「ほんどっほんどっ!!」
「昨日だって急にアドちゃん先輩連れてどっかいっちゃうし、俺にも構ってほしいんだぜ!」
「し、死ぬ……っ!!」

そろそろ酸素が無くなる、恐らく満の腹らへんの、背後にあるシャツ越しの硬い腹筋を、ギブアップの意も込めて差してみるが、まるで反応しない。

「あ!!先輩今っ!!」
「……っ!!」

翠くんの切羽詰まった声に、無我夢中に廊下にバナナの皮を投げる。すると、運がいいのか、流石私といったところか。ちょうど伸びてきた緑のネクタイを付けた人物の足が、見事それを踏んでつるんと滑る。ドンッと廊下で大きな音がしたと同時に満の腕がはがれた。

「こら、名前さんが苦しんでるだろ?」
「え、そうなんだぜ?」
「すみません、名前さん!」

申し訳なさそうに眉を下げる真白くん。いや寧ろ命拾いしました、ありがとう。そう続ければ、いえいえと優しい笑みを浮かべてくれた。最近の子(一部)はしっかりしてるなと、つくづく感心する。

「う……ごめんなさいなんだぜ」
「いや、私も悪かった、すまんな」

ゆっくり腰をあげ、委縮してしまった満の頭をポンポンと叩けば、表情を花開くようにパッと明るくした満。可愛い、再度正面から飛びついてくる身体を今度はしっかりと受け止めるべく両手を開いたその時

「名前……貴様か?」

「あ?」

背後の扉の方から鬼の気配と言っても過言ではないほど、どす黒い恨めしそうな声色に背筋がヒヤリとする。あ、なんか聞き覚えある声なんだけど、千秋の声じゃない声なんだけど、嫌な予感を胸に振り返ると、そこには青ざめた翠と、青筋を立てている眼鏡の姿があって。

「あれ、はすみんじゃん。なにしてんの?」
「これを投げたのは貴様かと聞いている……」
「……まさか」

千秋じゃなくてはすみんだったとか言わないよね?違うと言って、そう祈りながらゆっくりと翠の方へ視線を向けると、そこで数歩下がった翠君が、はすみんの見えないところで、両手を合わせて頭を下げた瞬間、ダッと廊下目掛けて駆け出した。これは間違いない、アイツはすみんのことを千秋と見間違えやがった。

「待て翠!!!」
「待つのは貴様だ」

追いかけようと床を蹴った途端ぐっと襟元を掴まれ引き戻される。再度絞められた首元に本日二度目の嘔吐き声を出した。これは2時間近く説教されるな。がっちり捕まってしまっている制服とお怒りの蓮巳が持っているバナナの皮を見てそう悟った。