数分前、暗い空を見上げて早く帰ろうと思ったのは正解だった。重たそうに淀んだ雲を見上げていたとき、ポケットに入っていた携帯電話がぶるぶると震えだす。当たり前のように見てしまった一文にまじかと絶句した。

“牛乳買ってきて”

母は何を考えているのだろうか。



「今日、傘は持ってきたのか?」
「……そうか、なら早く帰った方がいい」
「あぁ、わかった。なんかあったら連絡しろ」

朝の会話を思い出して呆然と目の前の土砂降りの雨を見つめる。為す術なくスーパーの自動ドア前で立ち尽くす私の腕を2L牛乳が苦しめていた。朝、私に忠告をくれた彼は今頃何してるんだろう。基本的に彼は引きこもりだからなぁ
、その割には細身だし顔も整ってるし、ちゃっかり筋肉つけてるし。

ああ、なんか腹が立ってきた。


「……おい」
「今頃、テレビでも見てんのかな。いや寝てるか」
「……」
「……殴りたい」
「……帰るぞ」

濡れて一層色を暗くしたアスファルトの上に、見覚えのある薄汚れたスニーカー。無表情で差し出されたのは透明なビニール傘。

「いやぁ、助かった。ありがとう国広」
「だから朝に言っただろう。あれほど傘を持って行けと」
「あはは……」

ぴちゃっと地面にできた水溜まりが靴に吸い付くようにして音を立てる。止め処なく降る雨が透明な傘を叩いて、ビニールがバチバチと五月蠅い。すぐ隣に視線を向ければ、すぐそこにある国広のすました顔。前に見たときよりも背が伸びた気がする、食い入るように見つめて入れば流石の彼もこちらの視線に気が付いたようでぱちりと一瞬視線がかち合う。

「そういえば、久しぶりだね。こうやって帰るの」
「そうだな、あんたは俺と違って帰るのが遅いからな」
「ほんと。急いでクラス行っても国広ったらもういないんだもん」

帰るの早すぎ。睨むようにして言った言葉に、彼は眉間にしわを寄せた複雑な面持ちで私を一瞥した。

「……俺と帰ってもいいのか?」
「は?」
「…カップルと勘違いされるかもしれないぞ」

思わず言葉が詰まる。まさか彼からそんな言葉が出るとは思わなかったという驚き半分、真っ直ぐな瞳を向けられた衝撃半分。「もう少しは考えてから行動しろ」いつもより増して低い声で言われる。そして背けられたその顔は、なぜか、物凄く。

“どうせ俺は写しだからな”

懐かしくて、儚くて、どうしようもなく寂しく見えた。

「そう…見えてもいいよ」

気がついたら口が勝手に動いていた。

「だからそんな寂しそうな顔しないでよ」
「……俺は」
「私は今も昔もずっとずっと、国広が大好きよ」

傘が落ちる音がひとつ。

「悪い……」

傘を捨てて抱き着く国広を小さな傘の中へ受け入れる。唇に食らいつくようにしてキスをした彼の手は、ほんの少し震えていた。