安くなれば満足です


 例のごとく、前の席の堀川が瞬く間もなく廊下へと旅立つのを白い目で見送り、ぼーっと次の授業が始まるまで休んでいようかと思った時だった。整えられた深紅の指先が机の端に現れ、仲良しの彼が遊びに来たのだと瞬時に察する。

「清光」
「ん」

 席の主と入れ替わるようにして、前方の椅子をガラガラと引き我が物顔で腰を下ろした清光は、私の机に肘をおいて頬杖をつく。その視線は廊下へと向けられていて、その時の清光といえば切れ長の釣り目に長いまつげ、さすが美を追求しているだけあってその様は美しい。真っすぐな視線についつられてその視線を追う。

「堀川って、なんで兼定のことになると馬鹿になるんだろうね」

 これでなんでもいいから風情のある台詞を呟いてくれたなら、結構様になっていたんだろうが、そううまくはいかないらしい。無表情のまま疑問を呟くや否や、ハッと鼻で笑う清光は悪い顔をしていた。

「なにも、あんな破竹の勢いで飛び出さなくてもいいのにさ」
「会いたくて会いたくてしょうがなかったんだよ」
「そうなんだろうけど、購買で個数限定のメロンパン買いに行った時の安定並みじゃない、あれ」

 懐かしいな、そういえばそんなこともあったわ。一年前、購買にて大人気であるパン屋のメロンパンが、数日限り個数限定で販売されていた時のことを思い返す。授業終了5分前より目をギラギラとさせて、終礼の挨拶早々、それはもう音速超えそうな勢いで駆けだしていった安定を思いだす。当時1年生だったというにも拘らず、先輩方をもぶっ飛ばす勢いで突撃していったその雄姿は印象的で、暫くは清光にイノシシっていわれていたっけか。

「メロンパンはなくなるけど、兼定は逃げないだろうに」

 そんな清光の例えを聞いてふとくだらないことを考える。もしあのとき、メロンパンに意思があったのであればあの権幕で飛びついてくるイノシシ安定をみてどう感じただろう。それはさぞ恐ろしかったに違いない。安定と国広をイコールで結ぶのであれば、追われる側の兼定の目にはメロンパンからみた安定のように国広が映っているのではないだろうか。

「兼さん、超逃げて」

 そう思うとちょっと同情してしまう。放課後、教室を飛び出して迎えに向かったであろう国広と入れ違えに、それとは反対側の入り口から、心なしかげっそりした様子で「助けてくれぇ……」と言って現れた兼定。当時は反抗期特有のツン反応なんだと適当にあしらっていたが、もしかしたらあれは存外切実な懇願だったのかもしれない。思わず口を押えた私をよそに清光は「わかるわぁ」とカラカラ笑う。

「ちょっと心配になってきた……」
「まぁ大丈夫でしょ、帰国子女だし」
「清光は帰国子女を何だと思ってるの」
「んー、コミュ力ガチ勢?」
「わかるけど」

 あの兼定だよ?去年のファミレスで綺麗なウェイトレスを前に、長い料理名を噛んで数日へこんでいたあの兼定が、数か月でコミュ力ガチ勢になる程のビフォーアフターしているとは思えない。「確かに」と笑う清光は、私のペンケースを漁りだす。毎日というほど見ているその中身、もうとっくに見飽きているはずなのだが、きっと手持ち無沙汰なんだろう。シャーペンをカチカチともてあそぶ彼に、次の科目である数学のノート、そのちぎられた後が乱雑に残る最終頁を開いて差し出す。「なんかかいてよ」そういえば、「おっけ任せて」と得意げにシャーペンを握りなおした清光の瞳は心なしか輝いて見えた。

「先生も先生だよね、クラス一緒にしてやれば良かったのに」
「んー、まあ兼定的には丁度いいんじゃないかなあ」
「それもそうだなー。そういえば真空話変わるんだけどさ、今日の放課後ひま?」

 その視線は一向にノートの落書きから離れない。

「んっとね、多分?」
「あ?なにかあんの?」
「堀川が怒らなくて安定が悪巧みをしなくて兼定が逃げ出してこない限り暇かな?」
「おっけ、暇だね」

「じゃあ俺に付き合ってよ」清光がそういうときは決まって拒否権がないのを私は知っている。どこへ?そう問うてみたがその問いに清光は意味ありげに「ふふふ」と笑うだけでなんだか嫌な予感がした。

「よっし、できた」

 そうして、わずか数分で作成された落書きが役立つのは、もう少し後の話である。





 終礼を終え、例のごとく前の席の堀川が飛び出したのを筆頭に、ぞろぞろと廊下へと人が流れていく放課後。窓の外では、一足先にホームルームを終えていた生徒たちが賑やかに帰路へとついているのが見えた。そこで、ぽすっと軽そうなカバンがもうひとつ、机に置かれる。それが誰のものかというのは予想で来ていたので、「ほら、行くよ」その言葉に手早く荷物をまとめて立ち上がる。すました顔の清光はそんな私に一言「忘れ物は?」そう訊ねてくる。なんだかんださりげない気遣いができるよなぁ、なんて「大丈夫」と返事をしながらそうぼんやりと考えていた。


「ねぇ、清光」
「ん」
「どこ行くの?」


 じゃあ俺に付き合ってよ。その台詞的にどこかに用事があるんだろうと察せてはいたものの、肝心のどこに、何をしに、行くのかわからないままでいた。馴染みのある道、向かうのは大方、学生でにぎわっている商店街といったところか。好奇心旺盛なおしゃれ番長、流行に敏感な清光のことだ。仮に商店街だったとしてもその目的など数多にありすぎて、最早何しに行くのか皆目見当もつかない。

「ん〜あぁ……」
「ん?」
「まぁ、行けばわかるっしょ」

 はぐらかされてしまった。

「……清光」
「なに」
「私、清光のこと信じてるからね」
「え?」

 なに急に。同様のうかがえる清光に対してそっと微笑めば「何怖いんだけど」と一喝されてしまう。だって、清光が行く場所を言ってくれないのって。

「やましいところ行こうとしてるんじゃないの?」
「なわけないだろ、馬鹿」
「整形外科とかだったら怒るからね!」
「違うわ」

 ほら着いたよ。若干呆れた様子の清光が指さしたのは、女子高生たちでにぎわっているピンクを基調としたお店であった。あれ、ここってたしか。

「クレープ屋さん?」
「そう、行きたがってたでしょ」

 新しく出来たという女子に大人気なクレープ店。すでに行列で並んでいるその大半が制服を身につけた学生であった。キャピキャピとした女子の声でにぎわう最後列に、腕を引っ張られて並ぶ。そこで思い出すのはつい先日の教室での会話。あれは皆が内緒で兼定と会っていたことにいじけていた時、安定が言っていたこと。

(あぁほら、この前行きたがってたクレープの店連れてってあげるから!)
(……クレープ?)

 あの時の話だろうか。

「でもあれは安定が連れてってくれるって」
「どーせアイツ来ないだろうから」
「それはそう」

 私でさえすでに忘れていた。

「夏になったら並ぶの暑いし、ちょうどいいでしょ」
「〜っ、清光ー!!」
「うわっ、ちょっと抱き着かないでくれる!?お前の体温年がら年中常夏なんだから!」
「ありがとう〜!」
「褒めてない」

 店から香るクレープ生地を焼く甘ったるいにおい。脳裏を支配するふわふわクリーム、艶のあるチョコソース。看板にこれでもかと言わんばかりにでかでかと乗せられている苺たっぷりのクレープの写真。立っているだけでその甘美な誘惑の虜となりそうだ。感謝のあまり飛びつくも、怪訝そうに引きはがされてしまったため大人しくしておく。後ろの女子が「あの人かっこいい」「モデルっぽい」とひそひそと話しているのが聞こえる。その視線の的が清光であることは振り向かずともわかった。流石美意識男子、といったところか。すらっとした等身美といい艶のある黒髪といい、極めつけに端正な顔立ちときた。最早非の打ち所がない。女子もそりゃ釘付けになるはずだ。友人の私でさえ時折見とれるもの。なんだか横にいることが憚られ、さりげなく距離を置こうと数歩離れる。

「え、なに。なんで離れるの」
「いや、ちょっと……」
「俺、この女子だらけな列の中、男お一人様だと思われるの嫌なんだけど」

 ほら、と一言腕を掴まれてしまい、渋々定位置に戻る。そうすればいつの間にか列が進んでいて、もう次の番になってしまっていた。やばい、何食べるか全く決めていなかった。そう慌てだすがもう遅い。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりしょうか?」
「じゃあ、これ1つと……、お前は?」
「あっと、えぇーと……」

 慌ててレジ前のメニュー上、視線を右往左往させる。笑顔のレジのお姉さんと注文を促す清光の両者の視線を受けて、内心大慌てである。

「あぁー……すみません、ちょっと待ってください」
「す、すみません」

 言葉を詰まらせた私を見てか察した清光がお姉さんに謝ってくれる。行列の中、本当ごめんなさい。それなのにレジのお姉さんは営業スマイルで「いいえ、ごゆっくりそうぞ」とほほ笑んでくれる。一瞬女神さまに見えた。きっとこんな素敵な接客だからこそ、人気なのもあるのだろうか。いや、今はそんな呑気にお店の分析している場合じゃない。

「候補はあるの?」
「うんとね、これとこれとこれとこれと……」
「多いな」

 次々指差していけば、赤い爪でそれを追いかけてくれる清光と2人でメニュー表を覗き込む。清光のツッコミに対して、目の前のお姉さんが小さく笑い息をこぼす音が聞こえた。

「ん−、じゃあこれは?季節限定らしいよ」
「そうなんだけど、気分的にはもうちょっと甘いの食べたくて」
「あぁーそうね。でもまた来たときここらへんのは食べられるんだし、後悔しないの?」
「するかも」
「っふ、はい。じゃあ、決まりね」

 すみません、これ1つで。そう言って折り畳みのお財布をズボン後ろのポケットから取り出す清光。お会計ご一緒でよろしいでしょうか、その問いかけに慌てて自分の財布をカバンから漁ろうとする。

「あ、いいよ真空」
「え?」
「お姉さん、まとめてでお願いします」

 その言葉に思わず、きょとん、とする。え、いいの?あの清光が?あの妙にお金にシビアな清光が?次々と湧き出る疑問符にたまらずフリーズする。

「かしこまりました。では割引させていただきますね」

 信じられない、何が起きているのかわからない、とばかりに困惑気味で口をパクパクとさせる。その間にさっさと会計をすませてしまった清光が前を横切り、クレープ完成待ちの列へと歩いて行ってしまう。最早なんの割引かなんて気にする間も無く、あとを追いかけるのも忘れて清光の背中を見つめる。

「素敵な彼氏さんですね」
「へ?」
 
 レジのお姉さんがほほ笑む。

「いや、あれは……」
「真空、何してんの。邪魔になるでしょ。早くおいで」
「あ、はい!」

 優しいお姉さんにお辞儀してそそくさと呼ばれる方へ向かう。背中にかけられた「ありがとうございました〜」のかわいらしい声に、つい、にやけそうになる。また来たときもあのお姉さんに会えるといいな。そのとき看板の一部分がふと、目に入る。“本日限定!!カップルでご来店時、会計をまとめると30%OFF”思わずパチパチと瞬きをする。もしかして。清光へ視線を送ると、静かに、と口元で人差し指を立てられる。その顔に悪戯っぽい笑みが浮かんでいるものだから、頬を緩めてコクリと頷き、その隣へと走るのだった。