花壇委員の朝は早い


 ちゅんちゅん小鳥のさえずりが頭上から聞こえる長閑な朝。それなのに気分はさほど良くはない。その理由は明白で、いつも起きる時間より時計の一周分早い時刻に目覚ましをかけたせいであった。強烈な睡魔に堪らず、くぁっと大きなあくびをする学校の廊下。すると隣からも同時にあくびをする間抜けな声が聞こえる。

「ねっむ……」
「だろうね」

 あくびの終えたせいか、うっすら端の濡れた目をこする安定。お次は晴天へと届く勢いで腕を振り上げて悠々と伸びをし始めた。

「どうせまた夜中までゲームしてたんでしょう」
「うん、そう」

 自由奔放ボーイめ。あっけらかんとしているこの感じ、さてはわざわざ家まで起こしにいってやったことを忘れているな。もしくは、それが当然のことと思っていそうだ。本来ベビーフェイスであるが故の大きな瞳も、今は眠気に苛まれ少ししか開いていない。髪も、私と安定のお母さんで急かしたせいか、癖毛を中途半端にまとめただけという印象でどうにもかっこよくない。しかし、当の本人にとってはそんなことはせんなきことのようで、対して気に留める様子もないまま今に至るわけである。

「沖田君が出るまでやろうと思ったら2時回ってたぁ……」
「何のゲームよ」
「江戸無双」
「ほう」

 若干著作権が心配である。

 廊下からようやく昇降口へたどり着き、ローファーを取り出して履き替える。私が割り振られた胸部ぐらいにある位置のシューズロッカーとは違い、安定のロッカーは最上段にあるようだ。私では届かないだろう場所にも拘わらず安定は軽々と手を伸ばしてスニーカーを取り出してしまう。そこでその背が私よりもずっと伸びたことにふと気がついた。あまり意識したことがなかったけど高くなったなあ。幼稚園からのよしみであるせいか、その成長ぶりに感心してしまう。

「ん?なに?」
「いや、大きくなったなと思って」
「あぁーそうだね。去年よりまた5p伸びてたよ」
「成長期やん」

 そういえば、久しく見ない間に兼定も伸びていたけど、男子高校生の成長速度とはそんなものなんだろうか。その時思い浮かべるのは清光と堀川の姿。あの子たちも安定同様あんまり気にしたことなかったけど背が伸びてるんだろうか。今度確かめてみよう。

「真空はどうだった?」
「……ノーコメントで」

 「えぇ〜」と駄々っ子のような声をあげながら、不服そうに眉を下げる安定を無視して「行くよ」と手を引き歩き出す。流石、早朝といったところか通学路や校内含め制服姿の学生とは一人も遭遇しなかった。しかし、花壇のあるグラウンドには野球部だろうか、ちらほらと練習をしている元気な姿が見受けられた。流石運動部お疲れ様です、と心の中で激励する。その姿には安定も感心したようで。

「朝早くから元気だね」

 僕には無理だ。そういうや否やあくびをする彼に、やはり彼には早起きは向かないと痛感した。

「というか、安定ってこんなんなのに朝忙しい花壇委員会なんて入ったのよ」
「こんなんってなにさ」
「だってほら、夜更かし大好きだし寝起き悪いし」
「あぁ〜まあね」
「なのになんで早朝仕事のある花壇委員会にしたのかなって」

 花壇へ向かう途中、壁に下げられているじょうろを手に取り、安定に持たせるべく差し出せば、自然にそれを受け取りぶらぶらとさせて遊びだす安定。どういう意図かは知らないが、象をかたどった幼児向けのじょうろしかないこの学校。大半が変声期を迎えた年頃の男子だというのに、彼らが使用することをきちんと考慮してのチョイスなのだろうか。しかし、目前の彼に至っては、童顔の可愛いらしい顔つきしているせいで、残念ながら違和感はさほど感じられなかった。

「じゃんけんに負けて委員会入らないといけなかったから」
「でも比較的楽な図書委員とかさ、清光もいたし」
「あいつとは嫌だよ」
「早起きよりいいんじゃない?わざわざ苦手の詰まった花壇じゃなくてもさ」
「そりぁ真空がいると思ったからね」

 瞬間、陽春の風が2人の間を通り抜けた。

「それって……」

 表情のないまっすぐこちらを見つめる顔は、どこか真剣そうな印象を受けた、のだが。

「仕事押し付けられるもん」
「だろうと思ったよ」

 知ってた。ニート予備軍のような発言に嘆息をもらしては花壇へ足を運ぶ。本当、つくづくこいつが彼女できない理由がわかるわ。後ろをひょこひょこついてくるヒヨコに、水汲み専用の蛇口を指差して「水汲んでから来てね、先に花壇の雑草処理してくる」そういえば「はぁい」と気の抜けた返事がくる。若干不安を覚えたが、もう子供ではないのだ。水汲みぐらい1人でできるだろう。そうして奥の花壇へと足を進める。

「真空−」

 どうやら、だめだったようだ。思わず固まれば、再度大声で連呼される名前に「わかったから」と慌てて安定の方へ駆け戻る。もういっそ、気分は親離れのできない幼稚園男児のお母さんである。今度はなんだと寄って行けば、ハンドルをくるくるひねり続ける安定が困り顔でこちらを凝視していて。その手元の蛇口からは、ぽとっと一滴の雫がこぼれた。

「水でないんだけど……」
「なんだ、壊したか」
「違うわ」

 ヤンキーのごとく、股を開いて屈み、低い位置の水道に向かっている安定。顔の割にこういったところ清光と違って男っぽいというかワイルドというか、いってしまえばガサツである。そんな彼だから、水道の1つや2つ、壊したところでなんら不思議ではないのだが、それにしたって水が出ないのはおかしい。安定が静かに見守る中、自分でもハンドルをひねって確かめる。

「あれぇ?」
「出ないだろ」
「本当だねえ」

 そらみろ、と言いたげにむすっとした表情にこちらを凝視しているが、しゃがみこんでいる安定に少し腰を曲げただけの私である。高さの関係上どうしても上目遣いになっているものだから、まったくもって威圧感を感じられない。

「壊れちゃってるのかなあ」
「元栓しまってるんじゃない?滅多に使わないだろうし」
「あぁーあるかも」

 さすがに元栓が閉まっているのだとしたらどうすることもできないなあ。諦めて他に水を調達できそうな場所はないかと見渡せば、少し離れた場所に部活の人たちが水分を摂取するために設置されたであろう水飲み場を発見する。花壇のある場所とは遠く、グラウンドにお邪魔させてもらう形になるが、それ以外は校舎の中に戻らないといけなくなってしまう。「よいしょ」若干おじさん臭いセリフを吐いて安定が立ち上がる。

「どうする?」
「うーん、あそこ借りて水汲もうか」
「んー?」

 私の視線を辿るように探す安定だが、どうやら視線だけではわからなかったらしい。指で一直線に示し「ほらいま男の子が走って行った」そうヒントをつけ足せば、どうやら見つかったのか「おっ」と短く嬉しそうな声をこぼす。

「本当だ、あるね」
「でも野球部の子たちに文句言われないかな」

 早速向かいだす安定に、ふとした不安ごとを問うてみる。

「えー、いいでしょ。こっち使えないんだし」
「事情話せばいいかな」
「まあそもそもあいつらのじゃなくて学校のだしね。ほら、行くよ」

 足の進まない私の腕を逞しく引いて進む安定。その背中がいつもよりも大きく見えたのは大きめなサイズの淡い水色のセーターのせいだろうか。こういう迷いのないところがあるから、安定といると気丈夫でいられる。



 野球ボールの流れ弾に細心の注意を払いながら到着した水飲み場で、ちょろちょろ流れる水がじょうろに溜まるのをぼけっと眺めていた。

「あとで先生に水でないこと言わないとね」
「僕が壊したんじゃないからね」
「わかったって」

 まだ気にしていたのか。笑いそうになるのをこらえて水飲み場に半端に腰かけている安定をみてみると、すねたように口をとがらしている姿がうかがえる。

「安定気にしすぎ」
「だって真空のことだから余計なこと言いかねないと思って」
「言わないって」
「どーだか、チビだし真空」
「君は私を頼ったり馬鹿にしたりと扱いが定まってないよね」

 同じ委員会に仕事を押し付けるべく入ってきたかと思えば、こうして見下した発言をする。すると、きょとんとした安定。

「え、頼りにはするけど馬鹿だとは思ってるよ」
「よろしい、そこに直れ」

 そして頬をつねるべく安定に歩み寄る瞬間、カキンとボールをはじく高音が耳に入る。野球部が朝練をしていることは端からわかってはいたので大して気には止めなかった。しかし、どこかから聞こえた切羽詰まった“あぶない”の一言に声のする方へ顔を向けた刹那――

「っ真空!!」
「ひぁ!?」

 横から腕をかつてない程の剛力で引き寄せられる。そのまま胸に閉じ込められ光の途絶える視界の端に、深海のような青色の猫毛がちらりと見えた。何が起きたのかわからないが、次にドンっと安定越しに衝撃が走り、なにかがぶつかったのだと察しがついた。頭に振ってくる「いってぇ……」と地を這うような声に肝が冷える。

「ちょ……安定大丈夫?」

 慌てて拘束の緩んだ腕の中から抜け出し、安定を見れば肩が痛むのか顔を歪ませて肩を押さえていた。音無く地に転がる野球ボールが起きたことの全てを物語っていた。

「打撲になってるかも、保健室に急いで……」
「……落とす」
「へ」

 ぽそり、つぶやいた言葉。
それが聞き取れた瞬間、耳を疑った。

「首落としてやる」
「ちょ、安定?!」

 殺気をまとった安定の目は完全に据わっていた。

「お前らファウルボール打つ方角くらい考えろよ!」
「安定ストップ!!」

 普通ファウルボールの方向ってコントロールしないから!!困惑したまま、野球部の元へ駆けだしそうな幼馴染の腰を掴んで行かせまいとする。守ってもらった姿に、一瞬でも安定って男の子になったんだな、とかっこよさを感じた数秒前の自分を殴りたい。どうやら、この人にはまだまだお目付け役が必要なようだと確信した。