扉に向かって前進する。
やっと離れた迅の腕。
今度こそ帰れる。
そう思っていたのだが。
「おぇっ!?」
「それはできません」
突如、前方に出現した逞しい腕に遮られてしまう行く手。そのせいで帰ることは叶わなかった。おまけにそれが勢いよく首に絡みついて来るもんだから、大勢の前で恥ずかしい嗚咽が零れてしまった。周りはそれこそ迅の台詞に動揺して私の嗚咽どころではないらしいが、私はそれすらどうでもいいほどにこの腕の主が恨めしかった。
「俺は玉狛支部の人間です」
「……」
「城戸司令に直接の指揮権はありません」
「…ちょっと」
離してよ。呪いの言葉を吐いてみても、迅は私の声など聞こえていないとでもいうようにスルーを決め込んで話を続ける。フツフツと煮えくり返りそうになる感情を抑えきれず、未だに首を拘束している彼の腕を掴む力を強める。もう一度彼の名前を呼ぼうとするが。
「俺を使いたいなら林藤支部長を通してください」
込めた力を増しつつも、その言葉にそっと口を閉ざす。睨みつけるようにしてその顔を見上げ続けていれば、不意に視線が交わって微笑まれた。安心しろ、まるでそう言っているような笑顔だが、全くもって意味が分からん。理解しきれない迅の行動の数々に思わず眉をひそめる。
「林藤支部長、命令したまえ」
「やれやれ……支部長命令だ。迅、黒トリガーを捕まえてこい」
「はい」
「……林藤さん、なんで……」
煙草を咥えたままに林藤支部長が迅へ投げた台詞に目を見開く。林藤支部長であればもしかしたら。なんていう淡い期待はあっけなく消えてしまったようだ。前へ出て抗議したいが、首に回された迅の逞しい腕がそれを許してくれない。
「ただし、やり方はお前に任せる」
その言葉に目を瞬かせる。
「何をボケっとしてるんだ、生緒」
「……は?」
状況についていけず林藤支部長を見つめる。どこか茶化すような言い方で呼ばれた名前。その声色は悪戯を企んでいるときの林道さんのそれとよく似ていた。混乱して動けない私へと視線を向けていた支部長が、にかっと浮かべた不敵な笑み。
「お前も、今は玉狛支部の人間だ。ちゃんと支部長命令を聞いてもらうぞ?」
「何、言って……」
ふと脳裏を過ぎるのはずっと胸に蟠り残っていた言葉の数々。
“お前が1人だけ玉狛に引き抜かれた、そこには何らかの理由があると思っている”
“それにお前を玉狛に呼んだのも、別にお前を利用したいわけじゃない”
“お前の助けになりたい、お前の力を借りたいの半分ずつだな”
今までずっと解けなかったパズルのピースが、ぴたりとはまっていく。てっきり、私は城戸司令の命令通りにブラックトリガーをあの子から奪い取らなければいけないとばかり思っていたのに。ゆっくり迅を見上げれば、言っただろ、とでも言いたげな真っすぐな瞳と視線がかち合う。
「林藤……」
「ご心配なく城戸さん。ご存知の通りウチの隊員“達”は優秀だからな」
「叶を引き抜いたのはこういうことか」
「いやいやまさか。たまたま人手不足だったところを助けにきてもらっただけさ」
いやぁ〜戦力はなんとか気合で補えるけど、人数と手の数は流石にどうにもならなくてね、少数精鋭の困ったところですなあ。なんて呑気に笑っている林藤支部長に呆気にとられるところ。迅が私にしか聞こえないようにこっそりと耳元で「わかっただろ」なんて言ってくるものだから、眉を顰める。
「……それならそうとはっきり言って」
「はは、相変わらず手厳しい」
じゃないと全部私が馬鹿みたいじゃないか。今までの自分の行動を思い出して頬が熱くなる。迅が良からぬことを考えているんじゃないか、なんて疑ってしまった過去の自分が恥ずかしい。
「実力派エリート迅!支部長命令により任務を遂行します!」
そう言って子供っぽく敬礼のポーズをして見せた迅を見ていると「お前はどうする?」挑発的なセリフが降ってくる。もちろん、そんなのどうするかなんて決まっていた。
「同じく叶、支部長命令により任務を遂行します」
そう言えば、満足そうに微笑んだ迅がメガネ君に「行こうか」と言ってその頭をポンポン叩く。三雲君は三雲君で展開の流れについていけなかったのか「はい」と返事をするまでに数秒間があった。後ろで鬼怒川さん達がブーブー言っているが、いつものことだと特に気にも留めずに、いまだ困惑中の三雲君の背中をぐいぐい押してとっととずらかろうとする。
「三雲くん、ちょっといいかな?」
それを止める様に唐沢さんが口を開いた。さっきから三雲君を何やら興味深そうな眼差しを送っているなとは思っていたが、なにか彼に惹かれる所でもあったのだろうか。「相手が何を求めているか、それが分かれば交渉は可能だ」そう語る唐沢さんの瞳には好奇心に似た色が垣間見えた。
「君の友人のネイバーがこっちに来た目的は何なのか、君は聞いていないか?」
「目的……そういえば」
目の前の三雲君が何かを思い出す。
「父親の知り合いがボーダーにいる。その知り合いに会いに来た。……たしかそう言っていました」
「父親……?」
その言葉に思わず固唾を呑み込む。思わず自身のブラックトリガーに手をかけた。ネイバーの父親と知り合いなボーダー関係者とは一体誰のことだろうか。候補として旧ボーダーの頃からいた大人たちが真っ先に頭に浮かぶが、当事者である忍田さん達は「誰のことだ?」と言ってピンと来ていない。
「その父親の名前は?…いや友人本人でもいい」
「父親の名前はわかりませんが、本人の名前は“空閑遊真”です」