ちゃぷちゃぷ揺れる

「ここが、我らが玉狛支部です」
「疲れたあ……」

昨日、歩いていたときから思っていたけれど玉狛支部ってこんなに遠かったっけ?今履いていたのが通学用のローファーなら、間違いなく足が死んでいる。日頃からの生身の運動不足さを実感して情けなくなる。これは幼い頃からトリオン体に慣れ親しんできた者の末路なのだろうか。ふくらはぎが若干悲鳴を上げている。

「川の上に建物が……」
「川の何かを調査する建物で使わなくなったのを買い取って基地を立てたらしい」

いいだろ〜そういう迅は意気揚々と語る。お前が建てたんじゃねえだろうと言いたくなるがしかし、それよりも、だ。

「初耳なんだけど」
「忘れてるだけだな」
「まじか」

まさか長年過ごしてきた建物の成り立ちを忘れてしまっていたなんて。自分の記憶力の悪さを呪いながら川に目を落す。キラキラと光を反射している水面が穏やかに波打っていて、ここは相変わらず平和だなあ、なんて小さく笑う。迅がスマホでポチポチと操作をして「隊員は出払っているけど何人かはいるっぽいな〜」なんて言っている。その台詞に、最近全く会っていない小南にまた会えないのかあ、なんて落胆するも、でもやっぱり会えば絶対にうるさいだろうしそれでもいいかと考え直す。てのひらをかざして入り口を開いた迅に続く。

「ただいま〜」

真っ先に入った迅が挨拶しているのに続いて、小さくお邪魔しますと呟く。

「生緒はただいまって言わないのか?」
「うん、もう生緒で固定なのね」
「呼びやすい」

そうか、ならもう勝手にしてくれ。「私は玉狛支部の正式な隊員じゃないからね」吐き捨てて歩く私を白髪の少年は真っすぐ見ているのが横目に分かる。この子の目、時折思うがなんだか心の中を透視されているようで妙な気分になる。好意とか敵意とかそんなものではない、どこか好奇心を孕んだような品定めするような、そして真意を定めようとするような熱い眼差しに、痺れが切れて視線を向けた。

「なにか?」
「ん、いやなにも」
「そう……。ねえ、君ってさ」
「なんだ?」
「心の中見える系の力とか持ってたりしてないよね」

その瞬間、一瞬だったが少年の紅い瞳が揺れた。なんとなく言ってみただけだったのだが、なんかの地雷だったのだろうか。足を止めた少年につられるように歩みを止める。

「へぇ……お前やっぱ面白いな」
「お前言うな、なんでよ?」
「こんな早くに当てられたの初めてだったから」
「じゃあやっぱなんか副作用もってるのね」

それならば今までの違和感にも納得がいく。邪念とか見えちゃう副作用とかだったらどうしよう。なんて内心ハラハラしながらも、その気になるサイドエフェクトの詳細を問いかけよう。そう思ったのだが、口を開くよりも早く部屋の扉を開けた先のゆるキャラのような風貌の1人と1匹との久しぶりの再会に、完全に意識が持っていかれてしまう。

「おー陽太郎だ!」
「む、生緒!」

カピバラの雷神丸にまたがって遊んでいた少年の名前を呼べば、私を見つけた陽太郎はその背中から勢いよく飛び降りて、こちらにパタパタとあどけない足音をたてて駆け寄ってくる。

「生緒!今までどこへ行っていたんだ!」
「お久しぶりですお父さん」
「まったく馬鹿娘が。もっと顔を見せに来ないか!」

なにこのままごと。そんなことを思っていそうな顔をしてこちらを見つめている三雲君。困惑している彼に心の中で気持ちはよくわかるよと相槌を打つ。しかし、毎度玉狛支部へ来るたびに繰り広げられるこの寸劇にはとっくの昔に慣れてしまっていて。今や当然のように演じる私にそんなことを言う権利はない。

「おっ、陽太郎。今誰かいる?」
「……」

私の目の前で仁王立ちをしているお子様はゆったりとした動作で振り向く。そこでやっと迅の背後にいる三雲君たちの存在に気づいたようで、時が止まってしまったのようにピタリと硬直してしまった。暫く彼らと視線を合わせた後、ようやく口を開いた陽太郎は一言。

「しんいりか」
「新入りか、じゃなくて」

せっかく森閑を駆使してかっこよく決めたのに、迅がその幼い頭にチョップを食らわしたせいで、それもおじゃんになってしまう。相変わらず玉狛は外観だけでなく内側もちゃんと平和なようで安心した。

「迅さんおかえり〜!……って、あ!生緒!!」
「やっほー栞。元気ー?」
「元気―?じゃないよ!ずっと来てくれないなと思ってたら…ってえ?何?もしかしてお客さん……?」

二階の方で何やら重そうな荷物を持っている栞が、遊真たちを見て笑顔を強ばらせる。そういえば昨日、お腹がすいてお菓子こっそりもらっちゃったんだけど大丈夫かな?まあ大丈夫だろう。

「やばい、お菓子ないかも!待って待って!ちょっと待って!」

細かくは気にしない、そう思った刹那、予感は見事的中したようで、手に持つ物をそのままに踵を返して駆けていく栞。その様子を客人にまじり静かに見上げながら見守っている。ほんのちょっぴり心苦しいので、せめてもの償いに手のひらをそっと合わせて合掌しておく。

「わわっ、どうしたの宇佐美さん!?」
「雪君、お客さん!!お客さん!!」
「えぇ!?お客さん!?」

その時、頭上から降ってきたもう1人の声に顔から血の気が引けていく。そういえば、さっきの駅での一件に関しての説明、後ですればいいやとか思ってちゃんとしていなかった。半ば強引に断った通信の向こうで雪が何を思ったか想像するのはそう難しいことではない。これはまずい。見つかればどうなるかなんて考えなくてもわかる。そっと忍び足で隠れるべく進む。

「生緒、どうしたんだ?」
「ちょっと用事を……」

不思議がる遊真を追い越して、そっと栞が覗いていた二階の廊下の下へ潜り込もうとした時。

「お、お客さんすみません!今ソファへ案内しま……あれ?生緒ちゃん?」
「うっ……」
「こら!逃げない!」

すると、さっきまで陽太郎と遊んでいた迅が、状況を察したのかゆっくりと歩み寄って私の肩をドンマイというようににそっと叩く。見上げれば何か諭すような表情でフルフルと首を振っている迅と目が合う。

「迅さん!すみません、その子逃げないように押さえてください!」
「おう、わかった!」
「お客さんも今案内に行くので……少し待って下さいね!」

ガッチリと左右の二の腕を掴まれた直ぐ後、駆けていく忙しない音が聞こえて絶望する。これは間違いなく正座でお説教ルートへ直行の流れである。陽太郎がよちよちと此方に歩いて来て、私の外着の裾を引っ張る。何かと思って首を傾げれば、呆れたような表情を向けられて。

「諦めろ、生緒」
「そうだ、何やらかしたかは知らんが、観念した方がいいぞ」
「なんだろうすごくムカつく」
「早いとこ謝っとけ。ああいうタイプは時間が経てば経つほどめんどくさいぞ」

そもそも、何が原因で私が怒られる羽目になったかというと、私が迅に連れられて遊真に会いに行ったことが悪いんだよな。もちろん私がちゃんと報告しなかったことが悪いのだが、こうしてじとりとした目で迅を見てしまうぐらいには奴にも非があると思うのだ。

「迅一緒に謝ろう」
「エリートは少し忙しいんだなあ」

ガッチリと掴まれている腕の力は緩めずににっこりと笑った迅に、再び深いため息を零した時。丁度隣で扉の開く音がする。視線を向けて見れば、扉を開けて微笑む雪と視線が交わり、今度こそは正座している時間が痺れが切れない程度でありますように、と密かに祈った。