モガミソウイチと

「ちょっと迅、どういうこと」
「いいからいいから」

全く持って良くない。今度はなんだ。うんざりとしながら、前を行く袖を引っ張ってみるが、迅は動じずにまっすぐ先を見たまま歩く。後ろで遊真と三雲君が大人しくついてきているので、傍から見れば私だけがいい歳した駄々っ子のように見えそうだ。先輩の意地としてぐっとこらえ、袖を引くのをやめる。

「……なんでまた、私まで来なきゃいけないの」
「水臭いこというなって。ここまで一緒に来たんだから、お前も付いて来るのが筋だろう」
「そうだぞ、生緒」
「遊真は黙ってて!!」

気が付けば、もう林藤さんが待ち構えているのででろう部屋の扉の前にたどり着いてしまっていて。コンコン、迅がドアをノックする音が静かな通路に響く。

「失礼します、2人を連れてきました」
「……失礼します」
「おっ、来たな」

迅が部屋の中へと入っていく。いっそ、逃げてしまおうか、なんて一歩足を引こうとも思ったのだが、流石、迅。それよりも早く腕を掴まれ、強い力で引っ張られる。逃げられないなんて薄々感づいていたことなので、諦め付いて行きながらも、やはり気にくわないので口を尖らせたまま挨拶をする。そのままそっぽを向いていれば、林藤さんは私の顔をみて愉快そうに高笑いした。

「どうした生緒、そんなむくれっ面してー」
「元々そういう顔です」
「はは、迅に無理やり連れてこられたのか?」

まさにその通りです。不機嫌をそのまま顔に貼り付けこくりと頷く。

「お前らは相変わらずだなあ」
「はは、よしよし。そう拗ねるな」
「拗・ね・て・な・い」

頭を触ろうと延びてくる腕を強めに叩き落とせば、バチンと音が鳴る。彼はその手を引っ込めて「いたた」と手を振る。その大きな手の甲は、早くも赤くなりかけていた。

「それに林道さん、たばこくさい」
「はは、すまんすまん」

普通、中坊の前で喫煙するかね。疑わしい視線を向けつつ袖で鼻を隠すと、林藤さんは申し訳なさそうに眉をハの字にさせて、そっとたばこを灰皿に戻した。

「……さて、お前が空閑さんの息子か」

それでも、相変わらずたばこの匂いは部屋に満ちているままだ。

「はじめまして」
「どうも」

話を見守る中で、今度、たばこ専用の消臭力買ってきてあげようと密かに決意する。にやりと口角をあげた林藤さんに対して、似たような顔で返した遊真。なんだか気の合いそうな2人だと直感的に思った。息ぴったりの2人、もしここに昔の小南がいたら、遊真に嫉妬していそうである。

「お前のことは、迅と三雲君から聞いている」

そう言って「捕まえるつもりはない」と前置きを話し始める林藤さん。なんとなく、私がどうして呼び出されたのか、見当がついてきた。しかしながら、鼻をつつくような身体に悪そうなたばこのにおい。

「ただひとつだけ教えてくれ」

私はこれが苦手であって。

「ねえ迅」
「どうした?」

隣にいる迅に、袖に顔を埋めたまま話しかける。

「たばこくさい、帰りたい」
「はいはい、もう少し我慢な」
「だって」
「ここで帰ったらお前きっと後悔するぞ」

「お前、親父さんの知り合いに会いに来たんだろ?」

なだめるような迅と「その相手の名前はわかるか?」静かに問いかける林道さんを交互に見て口を閉ざした。ここから逃げ出したい、そう思ってしまうのはきっと嫌なタバコの匂いのせいだけではないのだろう。なんとなく想像してしまったのだ。遊真が、ある人物の名を口にすることを。だからこそ、目をそらしたかったのだ。

「モガミソウイチ」

しかし、それは杞憂で終わった。

「親父が言ってた知り合いの名前は、モガミソウイチだよ」
「そうか……最上さんか」

“最上宗一”忘れもしない人物の名前に、咄嗟に迅の顔を見てしまう。そこにあった迅の横顔は、いつもの何を考えているのかわかりずらい無表情な横顔なのだけれど。私の目にはそれがどこか寂しそうに映って見えた。ゆっくりと歩み出す迅を見守り続ける。

「他にはいなかったか?」
「うん、最上って人だけ」

その言葉にそっと肩を落とす。それが安心なのか、落胆なのか、自分ではよくわからなかった。脱力してしまった身体の支えが欲しくて、そっと下がって部屋の壁に寄りかかる。背中に伝わる壁の温度はひんやりとしていて冷たかった。

「あぁ……でも……」
「なんだ?」
「もしも会えたら頼るといい、て言われた日本人がいるけど」
「ほう、誰だ」

壁と背中をごっつんこできるまで下がっておかげで、全体が見えるようになった部屋をボンヤリと見渡す。ゴミ箱の中身は満杯になるほど溜まっていて、ディスクの上には本が積み重ねっぱなし。明らかに整理を怠ってるだらしのない部屋はいつもと変わらないようだった。会話をなんとなく聞いていたとき、ふと、遊真がこちらを振り返る。真っすぐな真紅の瞳に目を捉われて。

「叶有李」

遊真の口から紡がれるのをどこかで怯えていた名前が紡がれた。真っすぐ遊真を見据えている後ろ。林藤さんが弱弱しく微笑むのが見えた。笑っているようで下がっている眉。その顔は哀愁を帯びている。そっと壁から離れて、迅の横へと歩み寄る。

「そっか、やっぱりな」

ふっと自嘲にも似た笑いを零した後、重そうな口を開く。「最上宗一はボーダー創設メンバーの一1人で、お前の親父さんのライバルだった」懐かしそうに語る林藤さんに、胸が締め付けられてゆく。思い出すのは、いつまでも忘れられない、最上さんが私の頭を撫でてくれる大きな手のひらの感触。そしていつも優しかったあの笑顔。ひとつひとつを思い出すだけでどうしても苦しくなってしまうのだ。

「そして、迅の師匠だった」

迅が最上さんのブラックトリガーを、林藤さんのディスクにゆっくり置いた。元人間であったはずのそれは、その拍子、コトン、と無機質な音を立てる。私もポケットからそっと自分のブラックトリガーを1つ、取り出した。振り向いて彼らをみれば、苗字からもなんとなく察しがついたのか、驚いたような顔して固まっている三雲君に小さく笑いかける。

「叶有李も、同じくボーダー創設メンバーの1人。最上さんと空閑さんと仲が良くってなぁ……」

そっとブラックトリガーに触れる。そうだったんだねと心の中で話しかけてみる。私は改めて父のことを何も知らないのだと痛感した。

「叶生緒のお父さんだ」
「この2つの黒トリガー……」
「うん、迅の黒トリガーが最上さんだ」
「私の黒トリガーが、叶有李だよ」

2人が驚いたような顔をする。込み上げてくる負の感情に、うつ向き強く唇をかみしめれば、机越しにどんっと乱暴に林藤さんが背中を叩いてくる。この人は本当に、女子の扱いがなっていない。どうして小南はこんな人になついていたのだろうか。あぁ、そういえば小南は女の子らしくないもんな。

「じゃあ、その人たちは……」
「最上さんは5年前に黒トリガーを残して死んだ」
「生緒のお父さんも、その前に亡くなっている」

言葉を紡ぐことをしない私に代わってか、迅がそっと口を開く。脆い何かに触れるようにそっと、遊真は2つの黒トリガーに触れた。その瞳の奥で泣いているような悲しい色が見えたのは気のせいか。林藤さんが淡々と話し始める。自身が遊真の父にお世話になったこと、その恩を返したいこと。どことなく放心状態に近い私の耳に入っては抜けていく言葉の数々。

「……どうだ、玉狛支部に入んないか?」

遊真の燃えているような赤色の目は、真っすぐと林藤さんを見つめていた。