「大丈夫か、生緒」
「別に」
どうってことないけど。口を尖らせたまま睨みつけた。それなのに、呆れたように迅は笑うだけで。私にそっと湯気の立つマグカップを渡してくる。反対の手にはもう2つのマグカップがあって、器用に片手で取っ手を2つ握っている迅に、熱そうだな、なんて呑気な感想を抱いた。
「遊真のところ行くぞ」
「……なんで?」
別にボーダーには入らないんでしょ。じゃあ別にいいじゃんか。そんな意を込めて首を傾げる。遊真がそう決めるってことは、直感的に察っしてはいた。何故、彼がわざわざ、2人に会いにここまで来たかは知らないが、遊真に敵対心を抱く三輪や、ブラックトリガーを狙う城戸さん達。ネイバーの彼にとって、この世界はあまりにも窮屈すぎる。それだけは明々白々であった。目的の人物がいない、最早、窮屈なだけの世界に、彼がいる意味などないのだろう。
「つれないなあ」
「そうでもないでしょ」
マグカップに顔を近づけてみると、そこから立ち上る湯気が顔に当たり熱を感じる。そっと側面に触れてみれば、そこはとても熱くてすぐさま手を離した。これはまだ飲めそうにはないな。
「まあ、どうするかはお前の自由だけどさ」
「良く言うよ。今日1日、無理やり散々連れまわしてたくせに」
「駅の件はともかく、本部や林藤さんの時はどのみちお前も呼ばれてただろ」
手間を省いただけさ。なんて言いながら廊下の壁に背中をくっつけている私の隣に並んで、同じように壁に寄りかかる。横に並べばあからさまになる身長差、横にチラリと視線を向けてもそこには迅の肩しか見えない。
「お前もなんだかんだ言って気にかけてるんだろ。あいつのこと」
「そりゃ多少はね。ネイバーだし」
「それだけ?」
「それだけ」
そう、たった一日話しただけの相手に対してなんて、それぐらいしか思わないだろう。当然である。後は小生意気なやつだ、とか年齢の割には小さいな、とかそれぐらい。例え父親同士がどんなに仲良かったとしても、私たち子供には関係ない。私たちはただの他人なのだ。
「遊真の黒トリガーってさ。空閑有吾……遊真のお父さんのなのかな」
「どうだろうな。聞いてみたらいいんじゃないか」
曖昧な返事をする迅はつくづく意地悪だ。知っているなら教えてくれたらいいのに。どうせ視えているんでしょう。わざとはぐらかすような言い方をする迅を、その意を込めて見つめてみるが、彼はそんなの気にも留めずに片方のマグカップに口をつける。おかげで胸のもやもやは肥大化していくばかり。マグカップの白色に目を落とす。
「遊真は……」
いま、この身寄りのない世界で、独りぼっちなのだろうか。ポケットの中にあるブラックトリガーを取り出してはマグカップと併せ持つ。どこか泣いているような赤眼が脳裏を過ぎった。ふと思い出したのは、私が初めて、父のブラックトリガーをこの手に持ったあの日のこと。小さな自分の姿と、白髪の少年の姿が、ふと重なる。
「……遊真、何処にいるの」
「行かないんじゃなかったのか?」
「もう、そういうのいいから」
行こう。そう言えば迅が何処か嬉しそうに笑っていた。
*
階段を上って屋上に辿り着く。冬の夜の空気はただでさえ冷たくて、たまったものじゃないというのに。なんでよりにもよって屋上なんて風当たりが良い場所を選ぶのだろうか、この白頭。嫌がらせか。
「悪いね迅さん、せっかく誘ってくれたのに」
「別にいいいさ、決めるのは本人だ」
お前が後悔しないようにやればいい。そう言ってマグカップを差し出したところで、ようやく彼の手が片方開く。待ってました、といわんばかりに私は早々、自分の持っているマグカップを彼に押し付けて、建物の端、足を投げ出すようにして腰かけている遊真の横に座る。
「生緒も悪いな」
「ん?」
「悲しいこと、思い出させただろ」
年下の彼にそんなこと言われるとは思わなかった私は、思わず目を瞬かせる。自分より小さな見た目のチビに気遣われるなんて。動揺してぶっきらぼうに顔をそむけた。
「別にいいよそんなこと」
「そうだ、お前の話聞かせてくれよ」
そうしていつの間にか迅は背後に立っていた。
「今までのお前と親父さんの話」
遊真が微笑む迅を見定めるようにジーと見つめている。ふと、空に視線を向ければ、本部と比べれてここからはよく星が見えることが分かった。キラキラと夜闇に輝いている星々、そういえば子供の頃、死んだ人は星になって生きている人たちを見守るのだ、と誰かが言っていたな。大事な人が星になって遠くへ行ってしまわずに、黒トリガーとして傍にいてくれている私たちは、ある意味幸せなのかもしれない。ふと、そんなことを思った。
*
「俺は向こうの世界に帰るよ」
遊真がすべてを話してくれた。しかし、想像のできないような内容の数多を一気に聞いてしまった私は、未だにそのすべてを呑み込むことができないでいた。まだこんな幼い身体で父を亡くし戦地に1人、それでも彼は、闘い生き抜いてきたというのか。遊真は強い。それは、彼の使うのが黒トリガーだから、という理由だけではないということが、話を聞いた今なら、はっきりわかる。彼は強い、彼と私たちとでは生きてきた世界が違うのだ。
「俺がこっちに来た理由はもうなくなった」
彼の父親が彼が死にそうなところを救うために黒トリガーになったこと。彼は父親の“嘘を見破る”サイドエフェクトを引き継いだこと。父親を元に戻せる方法を探していたこと。全てを聞いて、改めて確信した。
「これ以上いても、ごたごたするだけだからな」
彼と私は少しだけ似ているんだと。
「けどこの何日かは面白かったな、久々に楽しかった」
そういて無邪気に笑っている遊真を見ながら、そっとマグカップを迅の腕から奪い取る。もう冷めてしまった白濁色のそれは、最早、ホットミルクではなくなってしまっていた。
「……そうか」
「よかったね」
その中身を一気に煽る。しかし、すでに冷たくなっているそれを飲み干したところで、暫く外にいたせいで冷えてしまった指先に暖が戻ることはなかった。
「これからもきっと楽しいことはたくさんあるさ」
お前の人生には。その言葉に込められている意図は私にはきっとわからない。