叶生緒

「ようメガネ君」

宵闇の中、満月が放つ明かりが頼りだった。中々寝付けなかったのは単純に慣れない場所という理由だけではない。ベットに入れば濃厚な記憶が蘇るせいであった。思い返してみれば今日1日の間にいろんなことが起こりすぎて、未だに頭が追い付いていない。そこで三雲修は“施設な自由に使っていいよ”という宇佐美の言葉に甘え、夜風に当たるべく屋上へ足を運んだのだ。誰もいないと思っていたそこにいる先客は口調ですぐにわかる、迅悠一であった。「寝れないのか」そう言った彼の元へ歩み寄る。

「少し目が冴えてしまって」
「今日1日で1週間分ぐらいの出来事が起きたもんな」

無理はない、とそう言って高らかに笑う迅に笑い返すが、どうも彼みたいに豪快には笑えない。それが夜中だからか、彼のテンションが高すぎるからか、三雲にはよくわからなかった。

「じゃあ少し話でもしないか」
「話ですか?」
「そうだ、丁度君に話したいことがあるんだ」

月明りが頼りの屋上じゃはっきりと見えない。そのせいか、そう言って微笑んだ迅さんの顔は、なぜかいつもと違うように見えた。

「垂直に聞こう、メガネ君は生緒のことをどう思う」

その突拍子もない言葉に、三雲は面食らう。別に彼女に対して悪い考えだったりやましい考えがあるわけではない。ただ単純に、そんなこと訊ねられるとは思ってもいなかったのである。

「えっと……」
「悪い、別に深い意味はないんだ。思った通りのことを言ってくれて構わない」
「思ったまま……ですか」

それが一番難しいんだよなあ……。なんて思いつつ、迅の言う人物のことをぼんやりと思い浮かべてみる。初めて会った時からそう多くの時を過ごしたわけでもないにも関わらず、何転もした表情のせいで彼女への印象はいくつも生まれてしまっている。明るい人だなとか、面白い人だなとか、少し短気なのか、などなど。それはとてもではないがひと言に凝縮して表現するのは難儀であった。しかし。

「とてもいい先輩だと思いました」

これははっきりと言えることであった。駅で突如目の前に現れた彼女のことを見たときは、正直ヒヤリとした。迅ほどの実力者が強いと言い切るほどの人物、彼女までが敵に回ってしまってはと考えたのだ。

“迅が言ってたでしょ、君たちの味方になるって”

しかし、そんな心配など杞憂だったようで「そう言うことです」と言い切った彼女は無邪気に笑っていた。なんの根拠もないというのに“迅が言うから”という理由だけで空閑を守り、更には三輪隊を守ろうとしていた。

「優しくて強くて、真っすぐな人なんだろうなって」

敵対する空閑も三輪隊も守りたいなんて、根拠もなしにネイバーである空閑を助けたなんて。きっと並大抵の人ができることではない。したくても容易く実行に移せることではないはずだ。行動は矛盾だらけのように見えて、その芯である彼女の意志はしっかりしているようにもみえる。空閑や迅に対して怒っていたり、鬼怒田に対してはとんでもない発言をしたような気もしたが、その一方で彼女が人を思いやっていると思える場面は幾度もあった。それを証拠に彼女のことを話す宇佐美や白石の顔は楽しそうで彼女を心から好きなんだと伝わってくる。

「人の話を聞いてみても、良い人なんだなって。思うんですけど……」

しかし、その一方で胸に引っかかっているがある。今日本部で鬼怒川さんが言っていた“全く、お前はあん時の事件から一向に反省してないな。本来であればクビだったというのに”という台詞。その事件とはいったいなんだったのか。夜風が屋上を吹き抜けている静寂の中、そんな疑問を口に出せず悶々と考えていると、隣にいる迅がすぅ、と深く息を吸う音が聞こえた。

「遊真、隠れてなくてもいいぞ」
「え?!」

慌てて振り返る。そうすると扉の影からひょこっと空閑が出てきて、思わず大声でその名を呼んでしまう。

「空閑!隠れていたのか?!」
「いやあ、なんとなく入りずらかったもんで」
「はは、まあ丁度いい」

丁度お前たちに聞いてほしいことがあるんだ。そう言って、空閑を自分たちの隣に腰かけるように手招きする。そうすれば「お言葉に甘えて」といつもの調子で空閑は三雲の隣に腰を下ろした。

「特に遊真には生緒と仲良くしてほしいからな」
「ふむ?」

そう言って迅はどこか嬉しそうに微笑む。生緒と空閑に仲良くしてほしい理由、それは父親同士が知り合いだからだろうか。もしくはそれ以外にも何かあるのであろうか。三雲は疑問を抱きながらも迅がゆっくりと話し始めるのを、ただ静かに固唾を飲んで見守っていた。

「三雲君は本部で少し聞いたこと覚えてるかもしれないが……」
「鬼怒川さんの言っていた事件ですか?」
「お、察しがいいね」

先ほど自分が考えていたことが話題に出てきたことに、心臓が一瞬跳ねる。恐る恐る口を開けば、どこか懐かしがるように遠くの満月を見つめながら、迅はそうだと頷いた。

「生緒は、1年前、本部からある物を盗んだんだ」
「なっ……」

その台詞に、衝撃を受けた三雲は思わず声をこぼす。

「そうして彼女はそれを持って此方の世界から逃げ出そうとした。ゲートを通じて近界へ、な」

彼女がそんなことをするようには到底思えなかった。ましてや盗みだなんて。現に本部の会議で空閑のブラックトリガーを奪え、という城戸に対して、異様なほどに嫌悪感を露わにしていたことを三雲は知っていた。そんな正義感の窺える彼女が過去に窃盗を犯しているなど思えない。

唖然として迅の顔を見つめている三雲だが、迅の表情はゆるがない。

「当時はボーダーも大騒ぎでな。表向き公表もされていないし知る人は限られてはいることではあるんだけど、結構派手にやったせいか知ってるやつは少なからずいてな。現に今でもそれがC級あたりで噂になってたりする」

噂になっている、とは言っても零れてしまった情報の切れ端に尾ひれがついたような噂ばかりで、真実とは程遠い形だったり、不十分な形で語られていてるだけで。たまに突拍子もないような事実とかけ離れた噂があって面白いぞ。そう言ってはははと呑気に笑いを零す。

「あの時あいつは、たった1人でボーダー全体を敵に回す覚悟をしたんだ」

生緒にとって顔見知った奴らも、仲間だった奴らも、みんなが生緒を止めようと刃を向けた。彼らが知っていたのは上層部から教えられた“生緒が本部より重要なものを盗みだした”“近界へと逃亡しようとしている”ただそれだけの情報のみ。それぞれに思うところはあったけど、大体が彼女を止めるべく動いた。

「そんな中、ほんの一部だけが彼女の味方をしたんだ」

当時A級隊員だった蒼井海夜。入隊して間もないC級隊員の双子コンビである若葉響と若葉金太。そしてまだ所属が決まっていなかったオペレーター白石雪の4人である。

「今の蒼井隊……」
「その通り。あいつらはその事件の後、色々あって隊を結成することになる」

現状からもう察してるかもしれないけど、残念なことにその作戦は失敗に終わるんだ。そう言って迅は静かに顔を伏せる。月明りから背いたせいで、その表情を三雲は窺うことができなかった。

何とかゲートまでたどり着いた時、ネイバーや追手やらで、その場は大乱闘。そんな中当時C級隊員だった双子の響達は、今と同様、ベイルアウトが出来なかった。ゲート目前にして換装が解けてしまった双子たち。

「そこでゲートを渡って近界へ逃げるか、生身になってしまった双子を助けるか。究極の2択を付きつけられる」

ゴクリと三雲の喉が大きく上下する。

「……生緒が選択したのは響達だった」

話を聞いているだけだというのに何故か喉がカラカラになってしまっていた。それは乾燥した冬の空気のせいなのか、それとも三雲が緊張しているせいなのか。その一方で迅を神妙な面持ちで見つめたまま話を聞き続ける遊真。三雲は恐る恐る、乾ききってしまった
唇を開いた。

「生緒さんが、そこまでして持ち出そうとしたものは何ですか?」
「気になるよな。そこで少しだけ昔話をさせてほしい」

大事な女性が残していったブラックトリガーと、元々トリオンが馬鹿みたいに多かったせいでネイバーに狙われてばかりだった娘。その双方を守るために、父親はあちらの世界を転々としていた。しかし、それも遂に限界を迎え、ネイバーの大群から追いつめられてしまう。そんなとき、幼い娘を守るために彼女の父親は自らブラックトリガーになることを選び、更には彼女の膨大なトリオンを隠せるようにしたんだ。そうしてまだ小さい彼女の元に残されたのはブラックトリガーとなった父親と父親が大切にしていたブラックトリガーだった。

「性能上、幼い少女が持つには危険と判断され、父親の持っていたブラックトリガーは、本部で大事に保管されていた」

親の形見として父親のブラックトリガーはボーダーによる監視下の下彼女の手に返された。が、生緒は父親が持っていたそのトリガーについては使うことはおろか、触れることも、見ることすら許されなかった。完全なボーダーの管理下に置かれ続けた。彼女が何度懇願しようと、どれだけ成果を上げ奮闘したとしても、それはずっと変わらなかった。

「そこで恐らくあいつは思いついたんだろうな。近界に逃げてしまえばそのトリガーと離れ離れにならずに過ごすことができるって」

刹那、冷たい風が屋上を吹き抜ける。

「ってことは、その盗み出したものって……まさか」
「なんとなく察しがついたか、そうだ」

父親の持っていたブラックトリガー、つまりアイツの母親だ。