01
ざくざくと音を立てながらトレイは地面にシャベルを突き立て、土をすくい、穴の横へ放る。単調なその作業をリズミカルに繰り返していれば、いくら深夜といえど体にじんわりと汗をかいた。
トレイは一度手を止め、左手で額の汗を拭いながら右手でシャベルを地面に突き刺した。代わりに足元に置いていたランタンを片手で頭の上に掲げるように持ち上げる。無心で掘っていた穴は人ひとりがすっぽりと収まるほどの大きさになっていた。
「よし」
穴のサイズに満足したトレイは再び足元へランタンを置き、後ろを振り返った。そこにはボロ布に包まれた人間が転がされている。布の隙間から覗く肌は蒼白で、夜の暗闇の中でぼんやりと光っているようにも見えた。
「死体を埋めるにはいい夜ですね」
「……そうだな」
突如として闇の中からかけられた声にトレイは内心驚きつつも、体の動きは止めずに死体を持ち上げる。姿の見えない声の主は小さな声でクスクスと笑っているようだった。
「いつもお疲れ様です」
「俺はここの墓守だからな。仕事をしてるだけだ」
トレイは慣れた手つきで死体を穴の中へ寝かせ、シャベルを手に取り土を被せていく。
棺を用意したことは今までもない。特に思い入れもない遺体にそんな手間をかける必要があるとは思えなかったからだ。
何がおかしいのかクスクスと笑う声は止むこと無く、墓地の片隅にこだましていた。トレイは呆れながらも声の主に問いかける。
「……こんな時間に墓参りか?それとも墓荒らしにでも来たのか?」
「いいえ、まさか」
「じゃあ俺を殺しにでも来たのか?」
両手でシャベルを握り締めたままトレイは作業を中断した。微かに土を踏む音がする方へ体を向ければ、暗闇の中で白い何かが動いているのが辛うじてわかる。
焦りは無い。もしかしたら今夜はもうひとつ穴を掘る必要があるかもしれないなと頭の片隅で考えた。だがそれは少しだけ面倒くさくも感じる。
トレイはじっと近づいてくる人影に目を凝らした。
「いつか殺される自覚がおありなのですね」
ようやくランタンの光が届く範囲に出て来た声の主は恐ろしく整った顔の、美しい男だった。だが感嘆よりも男から発せられる異様な不気味さに、シャベルを握るトレイの手に力がこもる。
「僕にあなたのお手伝いをさせていただけませんか?」
目を細め、口の端を吊り上げて男は笑う。
この町に来てから何人目かの死体を埋葬していたこの日の夜に、トレイは怪物に出会った。
▼
「トレイくんにって依頼が来てるけど……どうする?」
墓地のすぐ隣、墓守の生活のために用意された質素な家の中で、同じく質素な椅子に腰かけたケイトがトレイへ問いかけた。トレイは黙って火にかけたポットの水が沸騰するのを見守っている。
「どうするかな……どんな奴だ?」
「今回はね〜誘拐犯」
「何人?」
「八人。全員子供」
ケイトはテーブルに頬杖をつきながら淡々と答える。トレイはうーんと唸りながらしゅんしゅんと音を立て始めたポットの火を止めた。
「俺の調べだと、みんな死んでるね」
「そうか」
「報酬もいいよ!」
「だろうな」
薄く笑ったトレイはケイトと自分のカップをテーブルに出し、それぞれに紅茶を注いでいく。ケイトも冷めたような笑みを顔に張り付けながら注がれる紅茶を見つめていた。トレイは最後に自分のカップにだけ砂糖を入れてケイトの向かいの椅子に座る。
「お願いしますって頭下げられたよ。オレが殺して来るわけじゃないのにね」
「お疲れ」
「もー、トレイくんがわがままで選り好みするから!」
「墓守の仕事もあるからな」
「その墓守の仕事も他の仕事もぜぇんぶ、けーくんが紹介してあげてるんですけど?」
ケイトからじとりとした目を向けられ、トレイは声を出して笑った。
確かにその通りだった。むしろターゲットや場所や犯行後の周囲の動向など、あらゆる情報はケイトに頼りきっている。
だが、だからと言ってケイトから紹介された仕事を全て請け負うかは別問題だ。気が向かなければ殺人なんて大罪を犯そうとは思わない。
「やる気出ない?」
「そうだな……昨日殺したばかりだしな」
「また?何人目?」
「さあな」
今度はケイトがふはっと吹き出すように笑い出した。トレイはそんなケイトを尻目に見ながら紅茶に口をつける。
「覚えていられないくらい埋めたの?この墓地に。それとも数に興味無いだけ?」
「興味がないな」
「そっか〜。でもこの町が都合いいからってあんまりやり過ぎないでよね。トレイくんがしくじったらオレまで巻き込まれるんだからさ」
「わかってるよ」
その時、外からカタンと小さな物音が聞こえた。瞬時にケイトの纏う空気が張り詰めたが、トレイは気にせず椅子から立ち上がる。
ノックされるよりも早くトレイがドアを開けると、そこには包帯らしき白い布を服の上から巻つけたようなシャツに黒いパンツを穿き、これまた包帯を巻き付けたかのような帽子を被り、さらに体にいくつもの飾りベルトを身につけた、すらっと背の高い男が立っていた。その男はノックする直前だったのか、腕を持ち上げた体勢のまま止まっている。
「おや、親切に開けていただいてありがとうございます」
「お前がわざと音を立てて俺を呼んだんだろ?」
「その音で僕だとわかるなんてさすがですね」
「また勝手にシャベルを使ったな?」
家を訪ねてきたジェイドは人好きのする笑顔を見せる。トレイの背後で警戒を解いたケイトが手を振っているのか、ジェイドは眉を吊り上げるトレイを無視するようにヒラヒラと右手を振った。
「勝手に穴を掘るな」
「いいじゃないですか。どうせ使うのでしょう?」
「使うときに自分で掘るからいいんだ」
「そんなこと言わずに。僕にお手伝いさせてください」
ね?と幼子が両親にねだるような目で、あざとく首をかしげたジェイドに懇願される。しかしトレイはそれをはね除けるようにジェイドへ背を向けた。
「手伝いはいらないんだ」
トレイはジェイドと出会った日のことを思い浮かべた。あの晩に、手伝いをしたいと言うジェイドの申し出を断ったトレイはすぐに殺してしまうべきか考えたことを覚えている。
「僕を殺すか考えてますね?試してみますか?」
「試す?お前、腕に自信があるんだな」
「ええ、多少は。ですが僕はそもそも死んだ身なのでもう死ねないんですよ」
微笑を浮かべるジェイドが嘘を言っているようには感じられない。だが信用も出来ない。死んだ身とは一体何なのか。おちょくられているのかと、トレイは機嫌が悪くなることを隠しもせず眉間にシワを寄せる。そして躊躇なくシャベルを振りかぶった。
ジェイドは逃げることもなく、避けることもなく、声も上げず、ただ胸にシャベルを突き立てられた。それに驚いたのはトレイの方だった。
衝撃でよろけてはいたものの、ジェイドの体から血が出ることはなく、しかもいつもはあるはずの人を殺した手応えも全くない。柔らかい土にシャベルを突き立てたような、確かに何かに刺さった感覚はあるものの、あの恍惚とする皮膚を裂き、肉を破る感覚ではなかった。
「信じていただけますか?」
トレイは何も言わずにシャベルをジェイドの胸から抜いた。その拍子に何かが転がり落ちる。警戒し、トレイは一歩足を引いたが、ジェイドは涼しい顔でほくそ笑んでいた。
「おや」
胸の穴などなんでもないようにジェイドは屈んでそれを拾い上げる。ランタンの光を反射するそれは小さな石のようにも見えたが、ジェイドが空いた胸の穴へぽいっと放り込んだことで何なのかはよくわからなかった。
あれから数日経った今もジェイドはこうしてトレイに付きまとってる。鬱陶しいと本人に伝えたこともあったが綺麗な顔で微笑まれるだけだった。
今も笑みを浮かべているジェイドの目の前でドアを閉めたトレイははあ、とため息を吐く。
「連れて行ってあげればいいのに」
その言葉にトレイが顔をケイトに向けると、にやにやと笑う目と目が合う。初めて出会ったあの晩からジェイドに付きまとわれるようになったトレイは何かと世話になっているケイトには全て話していた。だが、ケイトはジェイドの存在に振り回されるトレイを面白がっているのか、何かとジェイドの肩を持つ。
「ジェイドくんは下手なこともしなさそうだし。それにマミーが仕事の相棒なんてすごいと思うな〜」
「自称マミーなだけで本当のところはわからないだろ」
「でも本当に死なないんでしょ?」
「……ああ」
だからこそ面倒くさいのだとトレイは再びはぁ、と息を吐いた。
ケイトは笑顔を浮かべたままおもむろに懐から封筒を取り出し、テーブルの上に置く。
「とりあえずさっきの話の資料、気が向いたら見といて」
「わかった」
「じゃーね、トレイくん」
椅子から立ち上がりドアの前から退いたトレイへ左手を振りながらケイトはドアノブへ右手をかける。それを黙って見ていたトレイはあることを思い出してケイトを制止した。
「ジェイドのことでわかったことは?」
「まだなーんにも」
「そうか……」
「トレイくんがいっぱい稼いで、分け前をたっぷりくれたらけーくん頑張れるかも〜」
「馬鹿なこと言ってないで早く帰れ」
「トレイくんひっどーい!」
ケイトはけたけたと笑いながら今度こそ家を出て行った。トレイはそんなケイトの背を見送ったあと、何とはなしにドアの周辺を見回す。そしていつもはドアの横に立てかけてあるはずのシャベルが無くなっていることに気がついた。
すぐに頭に浮かぶのはジェイドの顔だ。先ほど家に来た時に持っていかれたのかもしれない。トレイはすぐ横の墓地へ目を向けながら大きくため息をつき、歩き出した。
綺麗な等間隔とはいかなくても直線上に並ぶ墓とは違い、ぽつんとひとつだけ列から弾かれた墓がジェイドのものだ。墓地の一番奥の、一番隅にその墓はある。
トレイが管理するこの共同墓地は貧困層や犯罪者が埋葬されることが多いため、墓石がない墓も多い。だが、墓石もなく、土もかけられず、ぽっかりと地面に穴を開けたままの墓は異様な空気を放っていた。
「ジェイド」
トレイが穴を覗き込むとジェイドは穴の中で仰向けに横たわり、胸の上で両手を組んで眠るように目を閉じていた。トレイのシャベルはジェイドの体と土の壁の間に隠されるように置かれている。
呼びかけに応えず、ジェイドは目を閉じたままだ。トレイはもう一度呼び掛けたがやはり反応はない。
「……要求はなんだ?」
「ケイトさんから依頼されていたお仕事に僕も連れて行ってください」
「聞いてたのか。まだ受けるかどうかも決めてないよ」
「そんなこと言わずに」
ようやく目を開け、上体を起こしたジェイドにトレイは肩をすくめる。この怪物は口を開けばいつも決まってトレイにこうして殺人への同行をせがんだ。
「何度言われようと断るからな」
「冷たいですね。泣いてしまいそうです」
「怪物も泣くのか?」
「さあ?」
ジェイドは傍らにあったシャベルを掴み、トレイへと差し出す。トレイは無言でそれを受け取った。
シャベルを手渡したジェイドはつまらなそうな顔で穴の中から空を見上げている。
「……どうして俺の仕事に執着するんだ?」
「仕事、というよりはトレイさんにですよ」
「それそこ訳がわからないな。なぜなんだ?」
「人が死ぬ瞬間、いえ、人が人に殺される瞬間に興味があるんです」
「それはずいぶんと変わった趣味だな」
ふっと小さく笑ったジェイドは視線をトレイへ向けた。
何度見ても左右で色の違う瞳は生きている人間と同じように見える。しかし体は死んでいると知っていて、トレイはジェイドに見つめられる度に不思議な気持ちになった。
「あなたに言われたくはありませんよ」
「まあ、そうだよな」
トレイは再び穴の中で寝転んだジェイドを一瞥し、静かにその場を立ち去った。
▼
ナイフの切っ先が皮膚に突き刺さり、ぷつりと皮が破れる。ナイフと皮膚の隙間から赤々とした血がじんわりと溢れ始めたことへ感嘆の声を上げる代わりに、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
それから体重をかけてよりナイフを奥へ押し込んでいく。肉が裂けていく感覚が手に伝わり、ナイフの刃が沈んでいく毎に息が荒くなった。そんなトレイの口元には笑みが浮かんでいる。
柄までナイフが刺さる頃には女の死体の胸から流れ出た血が地面を汚していた。トレイは一度死体から離れ、呼吸を整えながらそれを見下ろす。
力なく投げ出された手足、見開かれた虚ろな目、半開きの口からは舌が飛び出している。トレイは思わず笑い出しそうになる口元を左手で抑えながら、右手で再びナイフの柄を握った。
ナイフをゆっくりと引き抜いていく。徐々に刃が抜けていくと、溢れる血の量が増え、血の臭いが立ち込めた。トレイは恍惚としてその場に立ち尽くす。
しかし背後から聞こえてきた足音にトレイは血濡れたナイフを握り直した。
「僕も誘ってくださればよかったのに」
死体と共にトレイが佇む細い裏路地に現れたのは不満そうな顔のジェイドだった。むっと眉を寄せたジェイドはつかつかとトレイへ歩み寄りギロリと睨み付ける。だがトレイの握る血が滴るナイフを見たとたんに一変し満面の笑みを浮かべた。
「結局殺すのなら、ケイトさんのご依頼を受けた方がよかったのでは?」
「そんなことより、どうしてここがわかったんだ?」
「ふふっ、どうしてだと思いますか?」
質問を質問で返されたトレイはうんざりした。何かを問えば問いで返ってくる。飽き飽きしているトレイを見てもジェイドはにこにこと笑って地面に転がされたままの死体を指差した。
「また埋めるんですか?」
「そうだ」
「それはよかった。ちょうど穴を堀り終えたので来たんです」
「勝手に穴を掘るな」
トレイは死体のシャツの袖でナイフの血を拭い、腰につけていたナイフケースに納めた。それから事前に用意し路地に隠していた麻袋を取り出す。慣れた手つきで死体を袋に入れたあと、無言の視線に耐えきれずジェイドを振り返った。
「なんだ?」
「なんでもありせんよ。手慣れていると思っただけです」
「まあ、何度もやってれば慣れもするよ」
「やはりトレイさんのお仕事へぜひご一緒させていただきたいです」
ジェイドの言葉を無視してトレイは麻袋を担ぎ上げた。歩き出したトレイの後ろをジェイドが着いてくるのがわかる。
だが、いくら人目につきにくい真夜中といえど騒がしくすれば誰かが様子を見に来てしまうかもしれない。トレイは文句を言ってやりたい気持ちを飲み込み、黙々と墓地まで歩いた。
墓地に着くと用意した覚えのない火の灯ったランタンが木製の柵にかけられていた。訝しみながらトレイがジェイドを振り返ると、にこっと微笑まれる。こいつが用意したのかと思いながら柵の扉になっている所を体で押すようにして開け、墓地へ入った。
「トレイさん、あそこです」
柵にかかっていたランタンを持ち、後をついてきたジェイドがある一ヶ所を指差す。ジェイドが勝手に掘ったのだろう穴が空いているのがすぐにわかった。
「お前な……あまり勝手なことばかりするな」
「いいじゃないですか」
「よくない。こんな真夜中の人いない墓地にランタンなんて目立つだろう。それから俺以外が墓で穴を掘ってるなんて怪しまれる」
ここがいくら教会で祝福を受けられない人々の墓地で、町外れにあると言えど、誰が通りかかってもおかしくはない。町の役所から雇われていることになっているトレイが町人に見られたところで、トレイの普段の殺人を除く行いや人柄もあり特段怪しまれることはないだろう。
だが、ジェイドは違う。この墓地に怪物がいるなどと噂が広がってしまえば人々の目を集めることは明白だった。
トレイが乱雑に死体を地面に落とすと、ドサッと鈍い音が鳴った。ジェイドはランタンを持ちながら驚いているのかいつもより少しだけ目を大きくし、トレイを見つめている。話し始めたトレイはもう言いたいことは言ってしまえとジェイドに言い募った。
「お前が注目を集めれば俺にもその目が向く。お前のせいで捕まるなんてごめんだ」
「……そうですね。軽はずみなことをしてすみませんでした」
しゅんと項垂れたジェイドにトレイはそれ以上言葉を投げかけることもなく、死体をまた抱え上げる。ずっと穴を空けておくわけにもいかないならば、この死体を埋めてしまおうとジェイドの掘った穴へ向かった。
ジェイドはランタンを持ち、黙り込んだままだったがしっかりとトレイを追って来た。トレイは穴の中へ死体を放り込みながらちらりとジェイドの様子をうかがう。すると、ジェイドはランタンを持つ手とは反対の手でトレイのシャベルを差し出してきた。
「それも用意してたのか?」
「はい。どうしてもトレイさんのお手伝いがしたいので」
トレイはシャベルを受け取る。微笑んでいるジェイドの顔からでは本心なのか判断することは出来なかった。
「その理由を何度も聞いてる気がするんだけどな」
「おや?先日お答えいたしましたが」
「それだけじゃないんだろ?」
シャベルで土をすくい、穴へ落とす。その単調な作業を何度か繰り返していてもジェイドからの返事はない。さすがにトレイは手を止め、ジェイドへ向き直った。
「どうした?」
「いえ……気づいていらしたのかと、少しだけ驚きまして」
「まあな。お前は怪物なんだから自分でいくらでも殺せるのに、俺に執着するなんておかしいだろ?」
「そうでしょうか?」
不思議そうな顔で首をかしげるジェイドにトレイは頷いて見せた。そうしてトレイは何かを思案し始めたジェイドから視線を外し、指先で眼鏡のブリッジを押し上げ、土を被せる作業へ戻る。
初めて出会った日にトレイが開けたジェイドの胸の穴は次の日には無くなっていた。ジェイド本人へ仕組みを聞けども曖昧な返事ばかりではっきりとしたことはわかないままだ。
ジェイドは怪物。疑いようもないのはそれだけだ。
「質問をし合う、というのはどうです?」
墓穴が半分ほど埋まった時、ジェイドのそんな唐突な提案にトレイはまたもや手を止めることになった。顔をしかめるトレイとは違い、ジェイドは楽しげに笑っている。
「お互いに聞きたいことが多いようですし。もちろん、答えたくないものは答えなくて結構ですよ」
「今まで俺からの質問をはぐらかしてきたのに急だな?」
「疑念が晴れればトレイさんに同行させていただける可能性が増えますから」
「それはどうかな」
シャベルから手を離し、腕を組んだトレイを同意したと見なしたのかジェイドはぱあっと目を輝かせた。
「では、僕から。トレイさんはなぜ人殺しをするのですか?」
「……この作業が終わるまでだぞ」
「ええ、それでいいですよ」
嬉しそうなジェイドの様子に面食らったトレイは拒否する気にはならず、これでジェイドが満足して自分の穴へ帰ってくれればいいかと思った。だが、直球な質問に無意識のうちに苦笑いを浮かべてしまう。
「趣味だよ」
「数日おきにしてますしそうでしょうね。悪趣味ですが」
「次は俺か?そうだな……どうしてジェイドはここに居るんだ?」
トレイからの質問にジェイドは自分の墓穴がある方へ顔を向けた。しかし今いる場所からは距離があり、辺りが暗いこともあってトレイからは闇しか見えない。
「恐らくこの墓地に埋められたからだと思います。なぜこの町に留まっているのかという質問でしたら、その答えは行く宛がないからです」
トレイへと視線を戻したジェイドは微笑んでいるが、どこか悲しげにも見えた。ランタンの光が当たり、出来た影でそう見えるのかも知れない。けれどやはり表情からは感情が読み取れない。
「トレイさんはなぜこの町に?」
「都合が良かったんだ。田舎だけどそこそこ店はあるから生活には困らないし、何より小さな犯罪から大きな犯罪まで日常茶飯事だろ」
「警察の皆さんもあまり積極的とは言えませんしね。逮捕されても賄賂次第では釈放していただけるとか」
「詳しいな」
「長いこと、この町に居ますから」
ジェイドが言っていたことは本当のことだった。とは言えトレイが実際に賄賂で何かをしたことはなく、ケイトからの情報だ。それと照らし合わせてもジェイドのこの町についての話は嘘ではない。
身を守る術は必要になるが、トレイにはそう簡単には殺されない自信が多少はあり、殺人を繰り返しても目立たず、大々的に捜査されないというのは好都合だった。だからこそケイトから墓守の仕事に誘われるがままこの町へ来た。以前住んでいた所も悪い所ではなかったが毎回殺しのターゲットを捜すのが大変で、面倒になったというのもある。
「ジェイドはどうして怪物になったんだ?」
「わかりません。気がついたら穴の中にいて、この体になっていました」
「へえ。原因はわからないんだな」
「はい」
質問の受け答えに慣れてきたトレイは穴を埋める作業へ戻った。ジェイドはランタンを持ち直し、トレイが作業しやすいようにと光が当たる場所を調節する。
「トレイさんはなぜ犯罪者ばかりを狙うんです?」
「善人を殺すのは普通の人間じゃないだろ」
トレイにはかなり本気の答えだったが、ジェイドはそう受け取らなかったらしい。笑い声を上げそうになった口を片手で抑えながらも体を揺らして笑っている。
ジェイドが笑う度にランタンも揺れるもので、トレイは視界に入る光がチラチラと揺らめくのが鬱陶しかった。
「あなたのようなサイコキラーは既に普通ではありませんよ」
「そうか?これでも気が向かない時はだれも殺さないぞ」
「普通の人は気分で殺人なんてしないでしょう」
「そうかもな。でも昔からこれが俺の普通だよ」
笑いが止まらないという様子で、時に鋭い歯を見せながらジェイドは笑い続けていた。このまま笑い死んでくれれば静かになるのになぁ、と考えながらトレイは手を動かし続ける。
あと少しで墓は完成しそうだった。
「あなたがこの町を都合がいいと言う理由がわかりました。犯罪者ばかりを狙うと言うならターゲットに困りませんね」
「そういうことだな」
「さて、そろそろ終わりそうですね。最後はトレイさんからの質問ですが、何かありますか?」
シャベルで土をすくいながらトレイはうーんと小さく唸った。自分からこの作業が終わるまでと言い出したが、最後の質問と言われると何を聞くか少しとは言え悩んでしまう。
「……お前は俺のことをけっこう知ってるみたいだが……どうしてなんだ?」
悩んでも仕方がないと思い付いた率直な疑問をぶつけると、予想していた質問と違っていたのかジェイドは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。けれどすぐさまその顔に微笑みを浮かべる。
「ずっと見てましたから」
「はは、悪趣味だな」
苦笑混じりにトレイがそう言うと、再びジェイドはクスクスと笑い出した。最後の土をかけ終わり、トレイはシャベルにもたれ掛かるように立ちながらジェイドの笑いが収まるのを待つ。
「ふふっ、趣味の悪さはお互い様では?」
「そんなことより終わったぞ」
「おや、あっという間でしたね」
トレイはシャベルを右手で持ち、左手でジェイドからランタンを受け取った。
トレイが歩き出すと当然のようにジェイドもついて来る。肩越しにトレイが振り返ると人好きのする笑顔を返された。
「穴に帰らないのか?」
「おや、質問し合うのはもうおしまいのはずですが」
「お前な……」
「冗談です。僕は人間のように食事や睡眠を必要としません。穴に戻っても退屈なだけです」
片手を顎に当てながらニコニコと笑うジェイドに反してトレイは盛大なため息を吐いた。何か言ってやろうかとも思ったが、より面倒くさそうな気がしてトレイは口をつぐむ。
二人分の土を踏む足音をさせながらトレイは家を目指す。家にはものの数分でたどり着き、シャベルをドアの傍に置いてからドアノブを掴むと、「あの」と背後から控えめな声でジェイドに呼び止められた。
「僕を連れて行く気にはなりましたか?」
「いいや」
「酷いです、トレイさん。僕はちゃんと質問に答えたのに」
「俺は一言も質問に答えれば連れて行くなんて言ってないぞ。わかってただろ」
泣き真似をするように顔に手を当てていたジェイドはすっと真顔になると、突然黒いインナーの胸元を両手でつまみ、左右に千切るようにして裂いた。
トレイはそれにギョッとして一歩足を引く。背中が家の壁にぶつかり、立てかけていたシャベルが音を立てて倒れた。
「怖がらないで。トレイさんには何もしません」
にまっと歯を見せて笑うジェイドは左手で飾りベルトをずらし、裂けた服の間から躊躇なく自分の胸に右手を刺し入れた。普段から見えている顔や手を含め、ちらりと胸元から見える肌は人間と同じように思えるが、やはり死体であり脆いのか呆気なくジェイドの手は胸に沈んでいく。
血が出ることもなく、痛みに呻くこともなく、ジェイドは自分の胸の中を、自分の右手で、まるでポケットの中に入れた小さな鍵を探すかのように動かしている。トレイは言葉を発することも出来ずに、その様子を食い入るように見ていた。
「ありました」
そう言いながらジェイドが胸から取り出したのは、親指の爪と同じくらいの大きさの翡翠だった。トレイはジェイドにそれを差し出されたが、本物かもわからないそれを受け取れず、困惑から眉を寄せる。
「鑑定に出した訳ではありませんが……本物です。価値も翡翠の中では十分に高いはず」
「……それを俺に渡してどうしようって?鑑定に出して欲しいわけじゃないんだろ?」
「ええ。これは取引です。僕を仕事に同行させる。その報酬に」
「俺が仕事を選んでることは知ってるよな?お前の依頼を受けると思うか?」
ジェイドは困ったように笑いながら翡翠をずいっとトレイの前につき出した。
「もちろん、鑑定して頂いてから受けるか考えていただいて結構です」
「仕事を受けないからって素直に俺が翡翠を返すとでも?」
「……返して頂けなくても僕は気にしませんよ。もう僕には必要の無い物ですから」
悲しげな笑みを向けられ、トレイは渋々と翡翠を受け取った。ジェイドはどこかホッとしたように表情を緩め、軽く会釈すると墓地の方へ歩き出す。トレイは暗闇に消えていくジェイドの背を見送り、今度こそドアノブを回して家の中に入った。