02

「トレイくんが手紙なんて珍しい〜って思ったら中に翡翠が入ってるんだもん。ビックリしちゃった」
「結果は出たのか?」
「まだ鑑定中。でも無用心じゃない?封筒にそのまま入れるなんてさ」
「無事届いたんだし、いいだろ?」

 楽しげに笑うケイトはトレイの家の中で我が物顔でくついでいた。そんなケイトを気にすることなくトレイはいつも通りに二人分の紅茶を用意する。

「この前の依頼、やっぱ受ける気にならない?」
「そうだなぁ……」
「被害者増えてるんだよね。もう十二人だよ」
「早いな。まだ数日しか経ってないのに」

 ケイトから依頼を持ちかけられてから今日までトレイですら一人しか殺していないというのに。それは口には出さず心の中に留めた。別に声に出したところで今さら驚かれることでもないが、ただケイトに「普通じゃない」と笑われるのが目に見えている。

「トレイくんには簡単な仕事でしょ?」
「まあ、比較的楽ではありそうだ」
「ジェイドくんと一緒に行けばいいんじゃない?」

 からかうようにそう言ったケイトを睨み付けながらトレイがテーブルを紅茶を置くと、ケイトは両手を手の平が見えるように上げながら笑った。

「随分とジェイドに肩入れするじゃないか。何かあるのか?」
「何て言うか……困ってるように見えて……トレイくんならなんとかしてあげられるんじゃないかな〜って」
「……昔のお前とジェイドは何もかも違うだろ。ジェイドは人間ですらない」
「うん……そうなんだけどさ……」

 ケイトはへにゃりと笑いながら紅茶のカップに口をつける。昔のことを思い出しているのか、トレイからはケイトがどこか遠くを見ているように思えた。
 ジェイドを気にかけるのはケイトなりの理由があってからこそだとはわかる。しかしケイトからは前に「トレイに助けられたから助ける」のだと言われたことは覚えているが、トレイに助けたつもりはなく詳しい理由はよくわからないままだ。

「依頼は受ける。でもジェイドは連れていかない」
「えっ!あ、うん、そうだよね。わかった」
「今回も後始末は頼む」
「おっけー!詳しいことはこの前渡した手紙に書いてあるけど読んだ?」
「ああ。読んだし、ちゃんと燃やしておいた」

 紅茶を飲み終えたケイトの顔には影はなく、いつもの明るい笑顔を浮かべていた。トレイは再度、翡翠の鑑定の結果がわかり次第連絡するよう頼み、紅茶を飲み終えたケイトが帰っていくのを軽く手を振りながら見送る。
 普段ならここらへんでどこからか依頼の話を聞き付けてきたジェイドが現れるが、ジェイドはトレイに翡翠を渡したあの日から大人しくしていた。
 トレイは不思議に思いながら紅茶を飲む。どうしてあの日、ジェイドは悲しげに笑ったのだろうか。


   ▼


 両足の腱を切られた男がトレイから逃れるように酒瓶の転がる床を這いずる。しかしずいぶん酒が回っているらしく満足に前に進めてすらいない。男は呻きと悪態を口にしながら時折トレイへ命乞いをしたが、そんな男をトレイは冷ややかに見下ろすだけだった。

「呆気ないですね」

 その声にトレイはナイフを構えながら部屋の入り口を振り返った。しかし満面の笑顔で立っているジェイドの姿に体の力が抜ける。
 ジェイドは床に転がっている男の傍により、しゃがみこむとまるで動植物を観察するかのようにじっくりと眺め始めた。大人しくしているかと思えばこれだ、とトレイは肩をすくめる。

「お前、俺を追ってきたのか?この雨の中を?」
「はい。二つ隣の町とのことでしたので歩いてきました。思ったより時間がかかってしまい最初から見ることが出来なかったのは残念です」
「歩いて来たって……」
「言ったでしょう?僕には睡眠などは必要ないんです」

 トレイの住む町から大人の足で歩いて来て、早くても二日はかかるところをジェイドは一日で来たことにトレイはぽかんと口を開けた。さすがに歩いて移動するのは大変だと、トレイは町の住民に車を出してもらったぐらいだ。しかも今日は雨が降っている。だがジェイドが怪物だったことを思い出し、人間の道理は通用しないかと納得して口を閉じた。
 助けを求める男の手を避けながらジェイドは立ち上がり、トレイの横に立った。楽しげな目で見下ろされたトレイは呆れから片手を額に当てうつ向きながら首を振る。

「ケイトから聞いたのか?」
「ふふっ、秘密です」
「お前からの依頼を受諾した覚えはないが?」
「ええ、だから勝手に来ました」
「……邪魔はするなよ」
「もちろん、心得てます」

 何か問題が起きたときには問答無用で切って捨てていこうと決め、トレイは気づけば窓際まで這いずっていた男を足蹴にし仰向けにした。
 男は弱々しくトレイの足首を掴んだが、それを軽く振り払いトレイはその腕をナイフで切りつける。右も左も腕を切られた男は悲鳴のような呻き声を上げた。

「口を塞がなくてもよいのですか?声を聞き付けて誰か来てしまうのでは?」
「知ってると思うが、こいつのこの家は郊外にある。しかも今日は大雨だ」
「雨の音に紛れて誰にも声は届かない、ということですね」

 ジェイドに背中を向けいてるため顔は見えないがその声音から楽しんでいることが伝わってくる。トレイもこれから行うことを想像するだけで胸が踊った。
 トレイは満足に手足を動かせなくなった男に馬乗りになる。男の懇願に応えずに胸の、丁度心臓の上辺りにナイフの切っ先をあてがった。そして興奮を抑えるように一度深呼吸をしてからナイフを押し込んでいく。
 何度繰り返そうといつだって、この瞬間は何事にもかえがたい。湿気た空気と新鮮な血の臭いが混ざり、よりトレイを昂らせる。お世辞にもいい香りとは言えない臭いが人を殺していることを実感させた。

「……見てて楽しいか?」

 たっぷり時間をかけて男の心臓を刺し、男が息絶えてからもナイフから伝わる肉の感覚を堪能したトレイは立ち上がる。今まで息を殺していたジェイドはトレイから声をかけられたことでようやく身じろぎした。

「はい。とても興味深く、楽しめました」
「そうか」

 誰かに見られながら人を殺すのは滅多にないことだったが、案外気にならないものだとトレイは思った。ジェイドが気配を消していたからかもしれないし、そもそも動く死体だからかかもしれない。
 とにかく飢えて乾いていた心の一部が満たされた充足感にトレイは満足していた。

「お仕事はこれでおしまいですか?」
「ああ。今日は宿に泊まって明日帰るだけだな」
「ではご一緒しても?」
「ダメに決まってるだろ。お前は目立ちすぎる」
「こんな大雨の中、置き去りにするのですか?悲しいです」

 泣き真似をするジェイドを無視してトレイは男の胸に刺さったままだったナイフを抜き取った。そしてその部屋のクローゼットを開け、適当にシャツを使いナイフの血を拭う。ジェイドからの視線に気づかないふりをして血で汚れたシャツを床へ放り、トレイは男の家を出た。
 深夜で雨が降っていることもあり視界は最高に悪い。眼鏡に水滴がつくのはこの上なく煩わしいが、こんな大雨の日は足跡をあまり気にしなくていいのでいくらか気が楽だ。とはいえトレイはプロの殺し屋ではなく、素人の快楽殺人犯なので普段から全てに気を使っているわけではない。それでも後のことを考えなくていいのは、気を張り続けるときと比べるまでもなく違う。
 意を決したトレイは雨の冷たさに体の芯まで冷えきってしまわないよう、小走りで宿を目指した。


   ▼


 目の前でむすっと頬を膨らませるジェイドにトレイは辟易としていた。数日経とうが大雨の中置き去りにされたことが許せないらしいジェイドに四六時中付きまとわれていれば疲れもする。さすがに昼間の町中に姿を現すことはなかったが、どこへ行こうとひしひしとその存在を感じていた。
 こうして直に不満をぶつけに来たのは恐らく、今夜トレイが人を殺しに行くことを察したからだろう。しかしあの日はジェイドが勝手についてきたのだからトレイが責められるのは腑に落ちなかった。

「そんなに置いて行ったことを怒ってるのか?」
「いいえ、それだけではありません。僕からの依頼はどうなりました?」
「おいおい、翡翠の鑑定もまだ終わってないんだ」
「そう言ってうやむやにするおつもりで?」
「そんなわけないだろ」

 あの翡翠はもういらない物だ、依頼を受けるのも好きにしろと言っていただろうと心の中で愚痴ったが、それよりもトレイは早く誰かを殺したくて気持ちが急いていた。
 ここでジェイドと問答していても仕方がない。目をつけていたターゲットを逃してしまえば、また別のターゲットを定めるまで時間がかかってしまう。
 トレイは渋々とだがジェイドについてくることを許可した。

「邪魔だけはするなよ」
「わかっています。ふふ、そう言われるのはもう何度目でしょうね」

 ぱっと表情を明るくしたジェイドにトレイはもしかしたらはめられたのかもしれないと思いつつも、腰にナイフがあることを確認し、歩き出した。気づけばジェイドはすでに気配を消して夜の闇に溶け込んでいる。
 気を取り直してトレイは町中を歩いて行く。しばらくすると正面から目をつけていた女が歩いて来た。女とすれ違う瞬間、トレイは正面から女の首を掴み路地裏に引きずり込む。
 苦しさにもがき、体を跳ねさせる女を地面に押しつけ、力任せに両手で首を潰す。骨のような物が砕ける軽い音がすると、トレイの腕を引っ掻いていた女の腕が力なく垂れた。
 苦しげな表情のまま固まっている女の腹の上にトレイは跨がった。高鳴る胸に呼吸が荒くなる。ナイフを手に取るとより興奮して、握る手に力がこもった。

「刺す瞬間のトレイさんはいつも楽しげで、幸せそうですね」

 ジェイドが裏路地に現れたことはわかったが、返事をする気にはなれなかった。ナイフの先端が女の胸に刺さり、そこから一筋の血が流れていく。牛や豚や鶏の肉を切るのとは違う、人の肉を引き裂いていく感覚にトレイはもう何年も前から酔しれ、虜になっていた。

「……埋めるか」
「お手伝いしますよ」

 ナイフを柄まで刺し、今夜も殺人を堪能したトレイが立ち上がると、すかさずジェイドが麻袋を取り出した。トレイが事前に隠していたはずの物だが、問いただすのも面倒でトレイは頷きながらナイフを抜き取った女の死体を抱き上げる。
 ジェイドが広げる麻袋の中へ死体を入れ、トレイはそれを受け取ろうとする。だがジェイドは顔に笑みを浮かべながらそれを肩に担いだ。

「ジェイド?」
「せっかく見せていただいので。お手伝いすると言ったでしょう?」

 もう好きにしてくれと半ば投げやりな気持ちでトレイはジェイドに任せた。殺して満足したことや、あとは死体を埋められればいいと思ったこともあり、死体を担いで歩き出したジェイドを追うようにトレイも足を踏み出す。

「この方は何をしたのですか?」
「恋人を殺した」
「なぜ?」
「さあ、そこまでは知らないな。痴情のもつれじゃないか?」

 ジェイドは機嫌よく笑っている。そんなに人殺しに付き合うのが楽しいのか不思議に思ったがトレイは何も言わなかった。
 しかしまた穴を勝手に掘ったのではないかと思い至り、トレイは隣でニコニコと笑っているジェイドを睨み付ける。

「どうしました?」
「また勝手に穴を掘ったのか?」
「今回は掘ってませんよ」

 微笑みかけられたトレイは意外な答えに目を丸くした。ジェイドは未だに鼻歌を歌い出しそうなほど機嫌がいい。そんなジェイドの様子に首を傾げながら隣にならんで歩いて行くと、普段通り誰にも出会わずに墓地にたどり着いた。
 両手が塞がっているジェイドのために柵の扉を開けてやり、ランタンに火を灯しながら今回はどこへ埋めようかとぐるりと墓地を見回す。トレイが来るまでほとんど使われていなかった墓地のため空きはたくさんあるが、あまり目立つところに埋めるわけにもいかない。ランタンを持って軽く墓地を歩き、少しだけ思案して端の空いている所に決めた。
 トレイが指示を出すと、ジェイドはそこまで死体を運んでいく。その間にトレイはシャベルを取りに行ったが、戻ってみるとジェイドの手には園芸用の小さなスコップが握られていた。どこから取って来たのか、その小さなスコップには見覚えがある。

「……それは俺のだな?」
「使っていないようでしたのでお借りしました。これがあれば一緒に穴堀りが出来ます」

 墓地の周辺に薔薇でも植えようかと思い、用意した園芸用のスコップだ。だが墓地が目立つだろうと薔薇を植えなかったため、ジェイドの言う通り一度も使っていない。どこに置いたかも忘れていたような物だ。

「……どうしてそんなに俺を手伝いたいんだ?」
「そうですね……今の僕はどうしても手伝いたいわけではないんです」
「は?」

 シャベルを土へ突き立てながら問えば、しゃがんだジェイドも同じように土を掘りおこしながらそう答えた。今までのしつこさを思い出してトレイは思わず手を止め、ジェイドを凝視する。

「人を殺すトレイさんを見ていたい」

 ジェイドが顔を上げた。それほど明るくはないはずの月明かりに照らされて、色違いの両目がキラリと光る。

「人を殺す瞬間から後始末までを見るのに、手伝いながらならばより近くで見ていられると思いまして」
「……見てて楽しいものには思えないけどな」
「ですがそれを一番楽しんでいるのはトレイさんでしょう?」

 笑いながら土を掘る作業に戻ったジェイドを見て、トレイもいつの間にか止まっていた手を再び動かし始めた。
 ジェイドに見つめられた瞬間、心臓が音を立てた気がしたが気のせいだったのか今は何も感じない。ただ、死んでいるはずなのに輝く瞳は綺麗なもののように思えた。

「トレイさん、ご家族は?」
「唐突だな」
「ふふ、恍惚と人を殺すトレイさんのことを知りたくて。僕、好奇心は旺盛なんです」

 また質問の時間なのかと頭の隅で考えつつ、ザクザクと音を立てながら穴を掘り進める。ジェイドのスコップが小さいものとはいえ二人がかりだからかいつもより作業の進みは早かった。

「両親と弟と妹がそれぞれひとりいる」
「へえ、お兄さんなんですね」
「お前は?」
「おや、僕のことに興味があるんですか?」
「こうやって質問されたら質問し返すのは普通だろ」

 ジェイドは少しの間小さく笑っていた。しかし、ふと手を止めるとうつ向くようにしてじっと手元を見つめ始める。それに気がついたトレイも手を止め、ジェイドの視線に合わせるように地面に膝をついた。

「悪かった。答えにくいなら……」
「いいえ、違うんです。ただ……兄弟を思い出していて。別れたのは随分と昔ですから」
「そうか……何人兄弟だったんだ?」
「ひとりです。僕の唯一の片割れでした」

 うつ向くジェイドの表情は帽子に隠されトレイからは見えなかったが、声には切なさが滲んでいた。その姿が幼い頃の泣いている弟や妹と重なり、トレイは特に意識せずにジェイドの頭に手を伸ばす。被っている帽子を取ると、ジェイドは驚いたように顔をあげたが構わずに反対の手でジェイドの頭を撫でた。
 髪の質感は人間と変わらない。だが頭皮は冷たくジェイドが死んでいるのだと思い知らされた。それでもしばらく頭を撫でたあと、帽子をまた被せ直す。ジェイドはまだ驚いているらしくトレイを見つめながら何度も瞬きを繰り返していた。

「落ち着いたか?」
「……驚きました」
「ははは、悪かった」

 ジェイドは不貞腐れたように小さなスコップの先で地面をつついている。トレイは立ち上がるともう一度シャベルを握った。

「怪物は泣かないんだな」
「泣いていると思いました?」
「ああ」
「心配していただけたようで嬉しいです」

 そうして堀り終えた穴に女の死体を入れ、今度はその上に土をかけていく。トレイとジェイドは時折会話をしながら黙々と作業をした。
 やはり二人だからかいつもより早く作業は終わる。トレイが地面に置いていたランタンを持ち上げると、ずっとしゃがんで作業していたジェイドも立ち上がった。二人は特に声を掛け合うことなく、ほとんど同時にその場を離れ、トレイの家に向かう。

「……トレイさん」

 家の前に着いた時、そうジェイドに呼び止められトレイはシャベルを壁に立てかけてからジェイドを振り返った。ジェイドの顔にはいつものような笑みはなく、その真剣な目にトレイは面食らう。

「僕を刺してみませんか」

 一瞬、何を言われたのかわからずトレイの口からは短く声にならない息が漏れ出た。ジェイドはトレイからの返事を待つようにただじっとしている。
 トレイは現実逃避をするようにジェイドの立ち姿が綺麗だと、どうでもいいようなことを考えていた。

「トレイさん?」
「あ……悪い……急なことに驚いたよ。どうしてそんなこと思ったんだ?」
「言うなら……好奇心ですかね。殺人で快楽を得るあなたに刺されたらどんな心地がするのか興味があります」

 トレイは小さく乾いた笑いを溢しながら頭の後ろをかいた。ジェイドはあまりに真剣で冗談を言っているようには思えない。その気迫に満ちたような、威圧感にも似た雰囲気にトレイは「あー……」と困惑の声を上げた。

「やはり生身の人間でないと惹かれませんか?」
「そう、だな。俺は人間を殺すのが趣味なんだ」
「……わかりました。すみません、変なことを言って」

 ジェイドは笑みを浮かべたが、その視線は残念そうにトレイの腰にあるナイフへ向けられていた。
 トレイは誤魔化すように再び乾いた笑いを溢しながらドアノブへ手をかける。

「お待ちください。これをお返しします」

 そう言ったジェイドは手に持っていた園芸用のスコップをトレイに差し出した。
 トレイは一度それを受け取ろうと手を動かしたが、特に使う予定のないものだと考え直し、ジェイドの手を押し返しす。

「よかったらそのままもらってくれ。俺は使わないだろうから」

 不思議そうに首をかしげていたジェイドはトレイの言葉に嬉しそうに目を細めた。それがおもちゃを与えられた子供のようで、トレイはつい笑ってしまう。
 ジェイドは気にした様子もなく、トレイへ礼を言うとスコップを胸の前で抱えるようにしながら墓地に広がる闇の中へ姿を消した。


   ▼


「僕を刺してみませんか」

 一晩経ってもなぜだかその言葉が頭から離れなかった。ジェイドは死にたかったのだろうか。すでに死んでいる体だが、死んでいない怪物は誰かに殺して欲しいのだろうか。
 だが、昨晩と同じくトレイにジェイドを刺すつもりは全くなかった。ジェイドの胸を刺す想像をしたところで、脆い皮膚と肉を裂くことや血の出ない体へ楽しみが見出だせない。
 もしかしたらトレイの考えすぎかもしれなかった。本当にただの好奇心から言い出しただけで深い意味はない。だがそれにしては随分と真剣な表情だったと思う。

「考えても仕方がないな」

 つい独り言を呟きながらトレイは朝食のサンドイッチを作り始めた。四角いパンにレタスやハム、チーズ、トマトを挟みカットする。簡単に作れ、すぐに食べられるサンドイッチを朝食にすることは多かった。けれど今朝は先日の依頼の報酬を持ったケイトが訪ねてくるだろうと見越して紅茶用のお湯も沸かしておく。
 案の定、トレイがサンドイッチを作り終わる頃に外から聞きなれた足音がし、すぐにドアをノックする音が部屋に響いた。トレイは作り終えたサンドイッチをテーブルに起き、そのままドアを開けに行く。

「おはよー、トレイくん」

 ケイトからにぱっと明るい笑顔を向けられ、トレイも笑みを返しながら家に迎え入れる。ケイトは中に入ってすぐに懐から分厚い封筒を取り出した。いつもながらどうやって入れているのかわからない。

「はい。今回の報酬」
「助かるよ。そこに置いておいてくれ」
「オッケー。今回も鮮やかだったみたいだねトレイくん」
「いつもと同じことをしただけだよ」

 さっそくトレイが紅茶の用意を始めると、椅子の引かれる音が聞こえ、てっきり大人しく座って待っているのかと思いきやケイトは勝手にシンクで手を洗い始めていた。悪いことではないが唐突な行動にトレイが一瞬呆けると、ケイトは視線に気がついたのか悪戯っぽい笑顔を見せる。

「テーブルにあるサンドイッチ美味しそうだね〜」
「ケイト、あれは俺の朝食だぞ」
「けーくんも朝ごはんまだなんだ〜」

 近くに置いてあるタオルで手を拭いたケイトはテーブルに戻り、サンドイッチに手を伸ばした。トレイはカップに紅茶を注ぎながら「待て」と声をかける。

「マスタード塗ってないぞ」
「知ってる。トレイくんマスタード嫌いだもんね」
「新しく作ってやるから……ちゃんとマスタードも塗ってやる」
「やった〜!ありがとー、トレイくん!」

 紅茶のカップをテーブルに置いたトレイはシンクで手を洗い、ケイトのためのサンドイッチ作りに取りかかった。
 マスタードはこういうときのために買ってある。むしろケイトが食事に来る時にしか使わないため、余っているくらいだ。少しくらい多めに塗っても辛いものが好きなケイトなら食べられるだろうと、マスタードをたっぷりと塗ったパンに野菜を挟んでいく。手際よく作られたサンドイッチを出してやると、ケイトから感嘆の声が上がった。
 そうしてマスタードの量に文句を言われつつも、二人でゆったりと朝食を終え、紅茶で一息つく。すると、何かを思い出したのか「あっ」とケイトが声を上げた。何事かとトレイは持ち上げかけた紅茶のカップを降ろす。

「そういえば、あの翡翠どこで手に入れたの?」
「あれはジェイドからもらったんだ。何かあるのか?」
「鑑定頼んでた人がもしかしたらすごーく貴重な物かもしれないからもっと詳しく調べたいんだって」
「俺は別に構わないが……そんなにすごい物なのか?」

 ケイトも詳しく知らないのか悩むようにうーんと小さく唸る。もし、鑑定士の言う通りに貴重な石ならばなぜジェイドが持っていたのか。もし本当に高価なものであれば本人が言っていた通り、死んでいる体では必要の無いものだろう。だが、そんな石を持っていた生前のジェイドが何者だったのか、トレイは興味深く感じた。
 トレイが興味を持ったことを察したのかケイトはにこっと明るく笑う。

「もしかしたら、あの翡翠は人魚の涙かもしれないよ」