06

アズールはパラパラと本をめくった。流し読みしていけば分厚い本はあっという間に読み終わる。ふぅと息を吐き出し、顔を上げれば読み終えた本の山が視界に入った。どれほど読もうとも人間に恋をした人魚の救い方はわからない。恋煩い、弱り果て、死んでいく。片手で数えられるほどしかない事例の全てが同じ結末だった。ジェイドの痩せた姿を思い出せばそれらが脚色されたものではなく真実なのだと思い知らされる。
 人間の番に会わせてやるしかない。頭ではそう考えつつも、会わせたくない気持ちもある。人魚を番と認めたくせに手放した人間など録な奴ではないとアズールは怒りを込めて手を握りしめた。しかしジェイドは未だにその人間を愛している。番とするほどなのだから簡単に気持ちが薄れることはないと分かってはいても、ジェイドが心変わりすることを望まずにはいられない。アズールは今日何度目かの大きなため息を吐き出した。

「アズール」
「どうしました、フロイド。ジェイドは?」
「寝た」

 ノックもなしに部屋に入ってきたフロイドは冷ややかな目で机に積み上げられた本を見た。片割れが死んでしまいそうな事実に腹が立っているのだろうフロイドへアズールはかける言葉もない。

「僕たちも一度眠りましょう」
「眠くねぇ」
「ジェイドの隣に寝転ぶだけでもいいですから。ほら、行きますよ」

 フロイドの腕を引きながらジェイドの元へ向かうと、意外にもフロイドは大人しく着いてきた。ベッドの上ではジェイドは静かに眠っている。その顔の目の下には隈があり見るからに不健康そうだ。

「ほら、フロイド」

 眠るようにアズールがフロイドを促すと、フロイドは黙ったままジェイドの隣に寝転んだ。それからフロイドはジェイドの胸に頭をのせ、目を閉じる。それを見たアズールもフロイドとは反対側のジェイドの隣へ横になった。

「アズール」
「なんですか」
「ジェイド生きてる」
「ええ、生きてます」

 まだ、生きてる。けれどもしこのまま目を覚まさなかったら。アズールはそんな考えを誤魔化すようにジェイドの手を握った。


   ・・・


「ねえもう半年なんだけど」

 フロイドが何を言いたいのか、アズールはわかっていた。ジェイドが番をぶん殴ると意気込んだ時、やはり番に会わせるのが最も効果的であり、唯一命を救えるのだと思った。だからこそ番に会いに行くというジェイドを心配こそすれ止めはしなかった。けれど半年もの間、ジェイドは歌を歌い続けている。

「ここらへんでも人魚が陸で歌ってるって噂されてるしさ〜」
「ええ、知っていますよ」
「雑魚が煩くてうぜぇ」
「じゃあ呼び戻しますか」

 どこかを睨み付けるように目を細めたフロイドにアズールはそう言った。特に深く考えて出た言葉ではなかった。言った自分が驚いてしまう程、すんなりと口から出た。

「ジェイド連れ戻すわけ?」
「このまま陸で独りで死なれるよりましでしょう」
「じゃあ俺が行く〜」
「いいえ。僕が行きます」

 ジェイドの憔悴した姿が脳裏によぎる。また痩せてしまっていないだろうか。人間に虐げられていないだろうか。まあ、あいつは簡単には死なないだろうけれど。それよりフロイドが気まぐれで帰ってこなくなるのではないかと思うと不安だった。

「ジェイドが心配だって素直に言えばいいのに」
「ふん……あいつを心配するなんてこっちが損するだけですよ」
「別にいいけどさ〜」

 アズールはフロイドに大人しく待っているように伝え、泳ぎ出した。フロイドやジェイドに比べればそれほど速くはない。それでもアズールは出せる限りの力でジェイドの元へ急いだ。

 数日をかけてジェイドのいる浜辺へたどり着くと、ジェイドは相変わらず歌を歌っていた。アズールが水の中からジェイドを呼べば、ちゃんと気がついたジェイドが飛び込むようにして水に入ってくる。アズールはジェイドに帰ってくるようにと話した。しかしジェイドは諦めきれないと言う。
 ジェイドの目が黒く陰ったように見えた。けれどアズールにはその両目に強い意志が宿っているようにも見える。あの人に会うまでは死ねないと言われているような気がしてアズールはため息をついた。

「まだ、好きなんですか」
「はい」

 いつかの夜と同じ問いかけをすれば、間を置かずにすぐさま返事が返ってきた。アズールを見つめるジェイドの目にはもう陰りはない。これはもう連れて帰るのは無理だなとアズールは怒るフロイドを頭に思い浮かべながらも一人で帰ることにした。
 当たり前よようにフロイドは怒り狂った。アズールが怒鳴り、やっと物に当たり散らすのを止めたかと思えば今度は陸へ行くと言い出す。これにはアズールも驚き、まともにフロイドを止めることはできなかった。フロイドはアズールに見向きもせず、飛び出してしまう。追いつけないことは分かっていてもアズールはフロイドを追いかけた。我慢できずに「あの野郎!」と悪態をつきながら。


   ・・・


「フロイドがいない?」

 再びジェイドの元へ訪れるとそこにフロイドはいなかった。アズールはジェイドへことのあらましを説明したがジェイドは「困りましたね」と笑う。頭の中で笑ってる場合かと文句を言いつつアズールは心当たりがないか尋ねた。

「ここと潮の流れがよくにた場所があるんです。そちらと勘違いしたのかもしれません」
「きっとそうでしょう。まったくお前たち兄弟は手のかかる……ほら行きますよ」

 アズールが軽くジェイドの腕を引くと、ジェイドは不思議そうに首をかしげた。その様子にアズールは眉をひそめる。

「フロイドを探すことくらい手伝ってもいいのでは?」
「ああ、なるほど。フロイドを口実に連れ戻されるのかと」
「そんなことをしたらお前、手がつけられないほど暴れるでしょう」
「はい、もちろん」

 物騒なことを笑顔で肯定するジェイドの手をアズールはもう一度軽く引いた。今度は素直に泳ぎ出したジェイドへアズールは着いていく。ジェイドの言う場所へフロイドがいなかったらどうするか。ジェイドがようやく戻ってきたかと思えばフロイドが居なくなるのか。それは勘弁願いたい。アズールは不安な気持ちを押し込めてジェイドに置いて行かれないように蛸足を世話しなく動かした。

 しばらく泳いで行くと確かにジェイドがいた場所と潮の流れが似ている所へたどり着いた。微かにフロイドの気配がし、アズールは胸を撫で下ろす。気配を辿って浅瀬へと近づくと、フロイドがこちらに泳いでくるのが遠目にわかった。しかしフロイドは唐突に海面へ顔を出す。こちらに気づかないはずがないのに何故だろうかとアズールはジェイドと顔を見合わせる。何か気になるものがあるのかとアズールはジェイドと共に海面へ顔を出した。