01

 あれ、と監督生は首をかしげた。視界に入っているのは床に落ちている白い封筒だ。中身が入っていそうなそれを拾い上げる。
 その封筒は購買部で見たことのある白い封筒だ。手に取ってみると厚みがあり、思った通り中身が入っていることがわかった。ただ、宛名も差出人もどこにも書かれていない。

「それ何だゾ?」

 かがんだまま手紙を眺めていることが不審だったのか、グリムが肩に飛び乗ってきた。

「手紙だと思うけど」
「手紙ぃ?」
「でも切手も貼られてないし、名前も書いてないし……」
「ホントに手紙なのか?怪しいんだゾ」

 グリムと一緒に首をかしげる。その時、授業の予鈴が鳴り響いた。

「あっ!」
「やべぇ!クルーウェルに叱られるんだゾ!」

 監督生は勢いよく立ち上がり、グリムに急かされるまま教室へと急いだ。


・・・


 あれ、と監督生は首をかしげた。それからすぐに授業前、ここを通ったときも同じようなことがあったっけと思い出した。
 けれど今度は落ちている手紙ではなく、床を見ながら廊下をうろうろしているジェイドが視界に入っている。

「監督生?」
「どうした?」

 一緒に歩いていたエースとデュースが視線の先を確認するように監督生を挟むように横に並んだ。監督生の腕の中にいるグリムは授業で疲れたのか寝息を立てている。
 監督生は授業前にここで手紙を拾ったことを話した。そして今、目の前に何かを探しているジェイドがいることも。話を聞いたエースとデュースは顔を見合わせる。

「あ〜じゃあ俺、先行ってるわ」
「僕は部活があるから……」

 監督生がジェイドに話しかけようとしていることを察した二人は視線を彷徨わせながらそう言うと、本当に監督生を置いて行ってしまった。それほどジェイドと関わりたくないのかと少し呆れつつも、気持ちはわかるため引き止めはしなかった。
 本音では監督生もあまり積極的にジェイドに関わろうとは思わない。でも拾ってしまったものは仕方がない。手紙の持ち主がジェイドでなければそれで終わることだ。

「あの、先輩」
「監督生さんですか。どうしました?」

 グリムを抱えたまま監督生がジェイドに話しかけると、ジェイドは監督生に抱えられているグリムを見て目を細めた。グリムは眠ったままで起きる様子もない。

「何か探してますか?自分、ここで手紙を拾ったんですが」
「その手紙見せていただけますか!」
「えっ、はい」

 監督生はグリムを片腕で抱え直し、どうにか教科書に挟んでいた手紙を取り出してジェイドに手渡した。ジェイドは手紙を受け取ってすぐ、閉じられたままだった封を切り中身を確認する。

「これです。よかった、ずっと探していたんです」

 安堵した様子のジェイドに監督生は素直によかったと思った。ただ手紙を胸に抱きうっとりしている姿は恋しているだろうことが丸わかりだ。監督生はこれ以上は深入りするまいとこの場を離れようとした。

「待ってください」

 しかしジェイドのその一言で足を止めることになる。

「え〜っと、なんでしょうか」
「この際ですから僕の相談に乗っていただきたくて」

 嫌だなぁと口にはしなかった。でも表情は誤魔化しきれずジェイドに苦笑される。

「相談と言われても……自分は役に立てないと思いますが」
「僕の話を聞いてくださるだけでいいんです。もちろん対価を用意します」

 そう言われても監督生は渋った。それでも食事代を一週間分出されると言われてしまえば心も揺れる。監督生は腕の中にいるグリムの寝顔を眺め、どうするべきか悩んだ。そこへ、

「グリムくんの分も出しますよ」

 止めのようにそう言われてしまえば監督生も頷いてしまう。ぱぁっとわかりやすく表情を明るくするジェイドにやっぱりやめますと言い出せはしない。そもそもオクタヴィネル寮副寮長との取引を反故にする勇気などない。もう頷いてしまった以上、どんな相談だろうと話を聞くしかなかった。

「じゃあオンボロ寮でどうでしょうか」
「はい!お願いします!」

 何も知らずに寝ているグリムが目を覚ましたら大騒ぎになるな、と頭の隅で考えながら監督生はまだ手紙を大事そうに手に持っているジェイドとオンボロ寮へ向かった。


・・・


「ふなぁああっ!?」

 目を覚ましたのだろうグリムの声が聞こえた。それからドアが乱暴に開けられ、ドタバタと廊下を走ってくる音も。

「監督生〜!!」

 どうやらジェイドを待たせているゲストルームからグリムが飛び出してきたようだった。廊下を走ってきたグリムはいくつかの部屋を確認しながらようやく監督生がいるキッチンまで来た。
 ジェイドにお茶を用意していた監督生は足元でぴょんぴょん跳ねながら文句を言うグリムに乾いた笑いを漏らす。そりゃあ昼寝から起きたら目の前にジェイドがいたら誰かに文句でも言いたくなるだろう。

「ほらグリム、お茶持って行くから。危ないよ」
「ふなっ!話聞いてんのか!?」
「聞いてる聞いてる。これからジェイド先輩の話も聞かなきゃだから」
「だからなんであいつがいるのかって聞いてるんだゾ!」

 ぎゃいぎゃい騒ぎながらジェイドの待つゲストルームへ戻った。ジェイドはソファに座ってニコニコと笑っている。ただ笑っているだけなのにどこか不気味な姿だ。

「そんなに怯えないでください」
「すみません」

 また顔に出ていたらしく、監督生はすぐさま謝罪する。けれどグリムは明らかに警戒した様子でジェイドから離れた位置にある椅子に座った。ジェイドは気にした様子もなく監督生から差し出された紅茶のカップと購買部で売っているクッキーをにこやかに受け取る。

「それじゃあさっそく。ジェイド先輩の相談って何なんでしょうか」
「この手紙のことなのですが」
「はい」
「僕はトレイさんと文通していまして」
「はい。ん?え?」

 一度は頷いた。でもその次の瞬間には監督生の頭の中には疑問符が大量に浮かんでいた。

「トレイ先輩?あのハーツラビュルの?トレイ・クローバーであってますか?」
「はい」

 どこか照れたような顔のジェイドに監督生は驚きを隠せなかった。グリムすらクッキーを口に入れようとしている体勢で固まっている。

「学園内でトレイ先輩と手紙を書きあってるんですね」
「はい」

 思わず監督生はグリムと顔を見合わせた。これはつまり、そういうことなのだろうか?いやでもジェイドのきとだからただの好奇心で文通を?でもそれだけじゃあ相手がトレイの理由はない。

「……オマエ、トレイのことが好きなんだゾ?」

 グリムのまさかの質問に監督性はぎょっとしてジェイドの反応をうかがった。さすがのグリムも遠慮がちに聞いたとはいえ、こういう個人的なことを聞き出すのは気まずい。相手がジェイドともなれば余計に。

「はい」

 しかし緊張している監督性とグリムにジェイドは素直に頷いた。また監督性とグリムは顔を見合わせる。

「ジェイド先輩は恋バナしに来たってことですか?」
「はい。フロイドは全然聞いてくれなくて」

 聞きたいような聞きたくないような、複雑な感情に監督性は顔をしかめる。グリムは椅子の上で脱力していた。

「オレ様興味ねーんだゾ」
「そう言わずに」
「そうだよグリム。自分たちのご飯のためだよ」

 そう、すでに食事代を出すから話を聞くという条件を飲んでしまったのだ。もう聞きたくないとは言えない。

「オマエが勝手に約束したんじゃねーか!」
「グリムのご飯代も出してくれるって言ってるんだからグリムも一緒だよ!」

 勝手に決めたと言われればその通りだが、こんなことに一人で巻き込まれたくなかった。絶対にグリムも巻き込んでやると強い気持ちで、駄々をこねるグリムをどうにかなだめツナ缶をちらつかせ、ようやく頷かせる。ケンカではないがケンカのような声量にゴーストたちが様子を見に来ていたが監督性はそれどころじゃなかった。

「僕の話をしても?」
「はい……お願いします……」

 監督性とグリムが落ち着くことを待っていたジェイドが微笑む。正直かなり疲れていたが監督性はジェイドに話を促した。

「トレイさんとはこうして文通もしていて、学園内でもよく顔を合わせます」
「はい」
「ですがおそらくトレイさんにとっては後輩のひとりでしょう」
「はぁ」
「僕はただの後輩でいたくありません」

 文通している時点でトレイの中でもジェイドは特別な立ち位置なのでは?と思いつつ、真剣な顔をしているジェイドの話を遮ってまでそれを言うことはできなかった。グリムはすでに話すら聞いていない様子でジェイドに用意したクッキーを無心で食べている。

「それって告白して恋人になりたいってことでしょうか」
「はい」
「……文通ってどのくらい続けているんですか?」
「それなりに長いと思います。三ヶ月ほどでしょうか」

 もう手紙で告白すればいいんじゃないか。監督生はそのことを言っていいものかと一瞬考え、黙った。

「手紙にかけばいいんだゾ」

 話を聞いていないと思っていたグリムからの言葉に監督生は驚く。グリムはキョトンとした顔でジェイドを見つめていた。
 いやまあそうだよね、簡単なことだよね、と監督生もジェイドからの反応を待った。

「面白くありません」
「えっ」
「面白みに欠けます」

 二度も言わなくてもと監督性はジェイドを睨んだ。ジェイドは手に持ったままのトレイからの手紙を見つめていて気が付いていない。
 そもそも面白い告白ってなんだ。監督性は頭を悩ませた。グリムに助けを求めようと目を向けると、グリムはグリムで遠い目をして明後日の方向を見ている。

「直接伝えないんですか?」
「それは……」

 黙り込んだジェイドの顔がほんのり赤くなっていく。監督性は本当に恋してんだなぁとどこか感慨深い気持ちになった。それから本気の恋ならば応援しないと!とよくわからない使命感にも駆られる。

「顔見て告白ってかなり勇気がいりますもんね。それならやっぱり手紙に書くのがいいと思いますよ」
「ですが」
「面白くないんですよね?それなら折り紙を手紙にするのはどうですか?ジェイド先輩の言う面白さになるかはわかりませんが」

 まだ小さい頃、友だちとしていた手紙交換の記憶を手繰り寄せ監督生はそう提案した。あの頃はやたら折り紙に凝っていて本を見ながらいろんな形に折っていたっけと少しだけ懐かしくなる。
 しかしジェイドは監督生の提案に小さく首をかしげた。

「おりがみ、ですか?」

 折り紙が何かわかっていなさそうなジェイドに監督性は「待っててください」と言い残し、ゲストルームを飛び出す。走って自分の部屋まで行き、すぐ目についたノートを手に掴んで、また走ってゲストルームへ戻った。運動不足、体力不足が祟りゲストルームの前に戻った時には息切れでその場で息を整えることになった。
 扉に寄りかかるように休憩していると、中から微かにグリムとジェイドの会話が聞こえてくる。グリムがトレイのどこがいいのかと聞くと、ジェイドは少し間を開けて「トレイさんは面白くて素敵な人ですよ」と答えた。どんな表情で言ったのか想像しかできないものの、監督性はどうして人の恋バナってこんなに面白いんだろうと歯を食いしばってにやけるのを我慢する。そして深呼吸をしてゲストルームに入った。

「お待たせしました」

 監督性は何食わぬ顔で先ほど自分が座っていた椅子に戻る。持ってきたノートから白紙のページを一枚ちぎり、そのページが正方形になるようにまたちぎった。いくらか不格好な正方形だったものの監督性はその紙を折り始める。
 ジェイドだけでなくグリムも興味津々で監督性の手元を覗き込んでいた。注目されていることに気恥ずかしさを感じながらもどうにか監督性は鶴を折ってみせた。歪な鶴でもジェイドとグリムは小さく感嘆の声を上げる。

「こんな感じです。ちゃんとした折り紙は最初から正方形だし、色とか柄とかついててキレイですよ」
「なるほど……なんでも折れるんですか?」
「自分は簡単なものしかできませんけど本とかネットでも折り方紹介されてるんで!何か作りたいんですか?」

 監督性の問いかけにジェイドは少しだけ考え込むと、真面目な顔で「キノコ」と言った。

「キノコはちょっと……告白には向かないかなって……」
「オレ様も何か折りたいんだゾ!なあなあ、ツナ缶作れねーのか?」
「ツナ缶は無理かな」

 監督性が折った鶴で遊びながらグリムは悪態をつく。それほどツナ缶に執着しなくてもいいじゃんかと監督性はため息をついたが、ジェイドもキノコに執着していたことに気づいて肩を落とした。ジェイドはキノコがダメなら……と考えこんでしまっている。

「ほら、わかりやすくハートとか」
「トレイさんのスートはクローバーですよ」
「知ってますよ!そうじゃなくて……」

 思わず大声が出てしまい慌てて訂正しようとする。けれどもそこで監督性ははっと閃いた。

「クローバー折ります?三つ葉のやつ!それをトレイ先輩にプレゼントして反応見ましょうよ」

 いきなり折り紙を渡されて「は?」となるかもしれない。それならプレゼントという体で反応をうかがい、トレイのリアクションによってまた告白方法を考えたほうがいい。ジェイドも同じことを思ったのか頷く。

「やってみましょう。トレイさんがどんな顔をしてくれるのか楽しみです」
「じゃあ購買で折り紙買わなきゃですね」
「購買行くならツナ缶も欲しいんだゾ」

 まだ鶴で遊んでいるグリムを落ち着かせながら、監督性とジェイドは明日にまた集まる約束をし、今日のところは解散した。