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蝮は夜明けの夢を視るか

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フィッツジェラルドとの話で地上に下ろして貰う約束は取り付けたものの、あの時点ではどうやら外つ国の上空に居たようで。更に二日間、空に拘束された後漸く黒岩は地上の空気を吸うことが出来ていた。
しかしながら、未だここは地上……ではない。

「船旅はお気に召したかな?」
『そうですね、…こんなに外界と己を切り離した感覚は久し振りです』

黒岩は今、組合が所持している船の甲板に居た。青い空、白い雲、潮風と、揺れる船……と言うなんとも素晴らしいロケーションと言えるだろうが。相対するのはフランシス・フィッツジェラルドと言う点に於いては、まあ余り頂けない所ではある。

「ほう?」
『此処は、人間の縄張りでは無いのだと感じます』

そう、船の上は不思議と静かだった。風や波の音、水中のざわめき、船内の機械音や人の声、活動音。異能力を発揮しているにも関わらず黒岩に聞こえるのはその程度の音だった。横浜の街に居るときには感じられなかった、静寂とも言える場所。随分と陸が遠いせいもあるかも知れないが、黒岩は何処と無く脱力感に包まれていた。

「人間の縄張り、か…」

フィッツジェラルドは、少しだけ面喰らったように目を瞬かせてから、海の向こう側に僅かに見える地上らしき凹凸を見詰めた。

「君は詩的な表現をするな」
『ふふ…誉め言葉として受け取っておきます』

黒岩がそう答えると、フィッツジェラルドは口の端をあげて満足げに笑う。

「ではもう少し船旅を楽しんでくれたまえ」

そして、黒岩の肩をポン、と一つ叩くと船内へと入っていった。

フランシス・フィッツジェラルド。異能力集団、組合を束ねる団長。異能力は【華麗なるフィッツジェラルド】、消費する金額に因って自身の身体を強化する。この都市伝説とまで囁かれるような組織――組合に於いては作戦参謀のオルコットと言う女性が、此の男の、団長としての強さを支えている。まあ、なんと言うか。全て金でしか物の価値を見ない所は大いにあるが、ある意味単細胞と言うか。欲しいものは欲しい、やる気のある奴は必要。分かりやすい性格だ。歪みは在れど、家族想い。大きく見積もれば、心根は良い男らしい。

『後少し、か』

黒岩は風に消される程の声で呟く。そう、黒岩が耳に入れた情報に因れば、拾捌時間後にフィッツジェラルドと他二名の組合員はこの船内にあるヘリコプターに乗って、武装探偵社へと乗り込むのだとか。

『(安吾は気付いたか微妙な処だが…、太宰が上手くやるはず…)』

黒岩は胸中で呟く。涙香がフィッツジェラルドと接触する前に、特務課の坂口へ、己の試算とは僅かにずれたもの、言い換えればタイミングを少し遅くした数字を記載した資料を渡していた。その意図は、黒岩自身が組合に入り込む時間を稼ぐ為であり、フィッツジェラルドの内面を探る機会が必要だったからである。太宰については、黒岩の不在を何処かで嗅ぎ付けて、安吾と接触を試みるだろうと踏んでいた。ただ、

『(太宰が安吾宛の資料に目を通していれば、今回の来訪にも充分対応できるのだけど―――)』

黒岩にしては本当に珍しいことに、此の一連の流れの中で、一つ過失と言える点が合った。それは、探偵社宛に同様の資料を送付して置かなかったことである。これは単に、黒岩が太宰の頭脳を頼り過ぎたせいだった。

『(――もしかすると、対策が厳しいかもしれない。そうなれば、大きな危険が伴う事になる。……明らかに、僕の過失だ)』

黒岩と太宰の見解が少しでもズレて仕舞えば、難しい流れになる。己の致命的な過失に落胆し、黒岩は目を伏せる。潮風に乱される髪をゆるり、耳に掛けながらゆっくりと目を開けると、小さく息を吐いた。…客人だった。

「随分と気重な様子ね」

背後から、少女と言っても過言ではない声。振り返れば、そこには赤毛の女の子。探偵社の中島と同じくらいの年だろうか。ルーシー・モンゴメリが立っていた。

『ふふ、いつ声を掛けてくれるのかと思っていたんだけれど』
「え゙っ…」

そうなのだ。この少女は、先にフィッツジェラルドが姿を消した後から暫くの間黒岩の様子を甲板の影から覗き、伺っていたのだ。それに気付きながら、黒岩は素知らぬ振りをして好きにさせていたのだった。

『僕は、耳が良いから』
「……そう、」

所在無さげにしている少女に隣へ来るよう薦めれば。警戒しているような、嬉しいような、鬱陶しいような。全部が混ざったような表情を浮かべながら、近付いてきた。

「貴方、組合に入らなかったの?」
『そうだね。入らなかった』

赤毛の少女こと、モンゴメリは、噂で持ちきりよ、と続けてから黒岩に向き直る。率直な眼差しで、尋ねた。

「何故?」
『何故、か……僕は独りが好きだからね』

黒岩は苦笑しつつ、船に因って乱される波に視線を遣る。

「―――変わってるのね、貴方」
『お嬢さんは一人は嫌い?』
「…、好きじゃないわ。独りは、淋しい」
『そう』

モンゴメリは黒岩からの問いかけに視線を下げて、呟くように言った。黒岩は慈しむような視線を向ける。

『…うん。その感情はとっても大切だ』
「…どういうこと?」
『淋しさを知って尚、誰かと共に在らんとする事は強さだよ。お嬢さんは、大丈夫だね』
「……難しい言い方」

優しい音で紡がれる黒岩の言葉は難解で、それでいて、何処か確信めいている。モンゴメリは不安に揺れる瞳の奥に少しだけ光に曝す。完全に拭えるものではないそれを、持っていく覚悟を決めたらしい少女は、僅かにむくれた表情を作って言った。

「それに、お嬢さんなんかじゃないわ、ルーシーよ」
『ふふ、そうだね。ルーシー』
「……貴方は?」
『ああ…僕は、涙香。黒岩涙香』

ふぅん。と、興味の無さそうな声色で返すとモンゴメリ…もとい、ルーシーは黒岩の横に並んだまま、大きく深呼吸したのだった。

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