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静満は思考の渦の中に居た。唇に細い指を添えて、纏まらない脳内だけを必死に動かす。そうすることで、心臓がきゅう、と痛むような感覚に耐えていた。

静満にとっての寂雷は当然ながら唯一の存在であり、それ故に絶対不可侵の領域そのものでもあった。
だからこそ今回の接触は、泥酔時の事故とは言え静満の思考を強く乱した。

「静満くん、平気かい!?」

一二三と独歩は一度互いに目を合わせてから頷くと、静満を押し潰している寂雷の身体を僅かに持ち上げる。細身とはいえ長身の寂雷は、大男とも称せる体躯だ。下に敷かれた静満は、別段身長が低いわけでもないが、とにかく細い。端から見ていた幼馴染二人組は、そんな静満を見事寂雷の下から救出したのである。

「だ、大丈夫ですか、静満さん」
『……はい、』

心ここに在らずな様子で返ってきた答えに、独歩は眉を寄せた。チラ、と一二三に視線を向けると、その蜂蜜色の瞳は何かを考えるように静満を映していて。

「一二三…」
「ああ…、静満くん、怪我は無いかな?」
『ええ…』

外を遮断するように伏せられる睫毛から覗く大きな瞳に僅かな水膜を見た一二三は、夜の街で初めて静満に声を掛けた時の事を思い出す。そして、静満の心の翳りの要因であろう事を見付けてしまった、と思った。

チラリ、一二三はソファに横たわる寂雷を見る。独歩が何処からか持ち出したブランケットを長身に掛けていた。まあ、暫くそのままにしておいても大丈夫だろうと判断する。続いて、静満に視線を移す。涙こそ出ていないが、小さく身体を震わせて何かを耐えているのが伺えた。

「静満くん、独歩くん、隣のブースで少し休もうか」
「そうだな…」

独歩の返答の後、静満が静かに頷いたのを見て、一二三はその背を押し出すように支えながら移動する。席に着くと、独歩は静満にブランケットを差し出しながら「どうぞお使いください」と声を掛けていた。静満がおずおずとそれを受け取ったのを見て、一二三が口を開く。

「静満くん、君は…寂雷先生が好きなんだね」
「はあ、?」
『…っ、』

一二三の一言はその場に突き刺さり独歩を焦らせた後、静満が持つ何らかの感情のスイッチを押したのだった。今の今まで肩を震わせて俯いていた静満が顔を上げる。

「、君はそんな顔も出来るんだね…」
『………』

ハッと瞠目した一二三。静満は攻撃的な鋭い視線を真っ直ぐ一二三に向けて居たのである。

「静満さん、」
『それを僕に突き付けて、どうするんですか』

吐き捨てるような声だった。普段の静満からは想像もつかない、冷たい音。

「どうも何も無いさ、ただ、そうなんだなと思ってね」

一二三はただただ事実だけを述べた。しかしながらそれは、静満を逆撫でしたようだった。

『…嘘を吐かないでください。寂雷さんに言うお積もりなんですか?』
「それをしたところで僕にメリットはあるかな?」
『さあ?でもこんな時にその事実確認をしてくる事に不躾さと不可解さを覚えます。それに…貴方にメリットが無くても寂雷さんにはあるでしょうから。こんな気持ちを隠し持ったただの遠縁でしかないお荷物を抱えさせる負担を取り除ける、そうすればきっと、寂雷さんは寂雷さんの時間を一層過ごせますから』

嘲るような言い方で、静満が自身を追い詰める。独歩は悲愴な顔をして、ゆるゆると首を振る。

「そんな…静満さん、先生はそんなこと…」
「そう思いながら過ごしていたのか…。でも君は寂雷先生を見縊ってるよ。だって先生は、僕みたいな人間にも、独歩くんにも、優しく手を差し伸べてくれた心の大きな人だよ?君の気持ちを知ったところでそんな…」
『だから…っ…知ったような口を利かないでください。僕は、っ……、もう、』

食い縛るように歪む静満の端正な顔。一度口ごもり数秒間沈黙すると、静満は表情を無くし人形の如く事務的な声で言った。

『……お二人も早く、寝てください。寂雷さんは起きれば元通りですから。もう大丈夫です。お酒をひと口飲んだ瞬間から何も覚えていませんのでこの状況を不思議がると思います。上手く説明をしてあげてくださいね。僕は帰りますので……観音坂さん、これ、ありがとうございました』

静満はそこまでを一息で言って独歩にブランケットを返す。そして立ち上がると、一二三にも軽く頭を下げて、出口に向かった。
一二三がその背を追い腕を掴めば、静満は負の感情を隠すことなく眉を寄せた。

「静満くん、駄目だよ。もう、淋しくても苦しくても、あんなことしちゃいけない。いいね?この後必ず、真っ直ぐ帰るって僕に約束してくれないか」
『離してください。そんなもの貴方に約束する義理はありませんし、僕も早く一人で休みたいのでご心配は無用です』
「、そう、…なら、気を付けて帰るんだよ」
『別に、もうこれ以上身を落とす場所なんて無いですから』

腕を強く振り払い、静満は小さく言葉を零して店を後にする。

「間違えたな…嫌われてしまった」

一二三は閉じた店の扉を力なく見詰めながら、米神に手を添える。後ろから独歩が近付いて来ていた。

「一二三お前、あの静満さんをあんだけ怒らせるとか…意味が分からん。それに……」
「それに?」
「あんなの、言わなくても良かっただろ。それとも、何かあるのかよ」
「そうだね……、でも、あの子…静満くんは何だか、危なっかしくて心配なんだ」

そう言うと眉尻を下げて笑う一二三を見て、独歩は今まで何度か顔を合わせた分の静満の記憶を手繰り寄せようとしたものの。酒の入った頭では中々に困難を極める事だった。




深夜と早朝の狭間。静満はネオンもおざなりになったシンジュクの街を早足で歩く。とにかくぐちゃぐちゃとした思考が次々押し寄せて、息をする度身体が震えた。鼻がツンとして、目の奥が燃えるようだった。

店の出口で一二三にはああ言ったが、静満は寂雷の家に帰る勇気は持ち合わせていなかった。かと言って、一夜限りのどうでもいい誰かに時間を割くのも嫌だった。
ふと、スマートフォンを見る。メッセージアプリの1番上に来ていた、その人のトークを開いて、ただ一言、

『乱数さん』

と、それだけを送信する。
別に反応がなくても良かった。非常識な時間に送っている事は自覚していたからだ。それでも、もしかしたら心の片隅で、

―――ブー、ブー、ブー

と、掌で震えるスマートフォンを望んで居たのかもしれない。それが現実であることに気付くまで、数秒間を要した。

『……、もし、もし、』
「どしたのー?静満」
『遅くに…すみません、乱数さん』
「んー?いいよ!起きてたし?それにさあ、静満がこんな時間に連絡してくるなんて、ぜぇーったいなんかあったでしょ!」
『僕、どうしたら、…っ』

いつも通りの乱数の声。静満は急激にホッとして言葉を零すと共に、瞳からも涙が出そうになった。

「…そっかあ。とりあえずボクん家までおいで。聞いたげる!それまでは泣かないんだかんね〜?早くタクシー捕まえて!」
『っ…はい…』

気付けば駅前まで来ていた静満。その為、目の前にいたタクシーに乗り込んで行き先を告げたのである。シブヤへと。


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