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「あの…、静満さん、すみません、」
少し歩いた所で、独歩は静満に声を掛ける。ふと抱いた疑問を解消したかったのと、どうしてもこの謎の状況下における沈黙が嫌だったからである。
『はい、どうなさいました?観音坂さん』
静満は嫌な顔ひとつせずに顔を向けて来るので、緊張感だけが支配していた独歩の脳内も僅かに緩んだ。
「どうして…その、一二三…いや、先生のいるホスト、クラブを…知っているんですか?」
『ああ…、伊弉冉さん、かなり有名人じゃないですか。カフェのお客様にもいらっしゃるんですよ、伊弉冉さんの元に通っている方』
「そ、そうなん、ですか…」
はい、と肯定するような答えを静満は事も無げに独歩に返す。独歩にしてみれば、一二三はただの幼馴染であり、確かに顔は良いしスーツを着た時の人格と来たら理解できない程ナンバーワンホスト染みているが、“有名人”と言うカテゴリで脳内にあるわけでは無かった。言うなれば“一二三”と言うカテゴリで登録してあった為に、静満の話は何処か遠い所の事ような感覚があった。
『あ…観音坂さんも、これからは気を付けないとですね』
「どうして…」
『ラップバトルの代表チームの一員ともなれば、一躍有名人ですから。特に寂雷さんのチームでは多方面からの注目がありますし…』
「な…、」
静満は綺麗な顔をきょとん、とさせて投げ掛けられた疑問に的確な切り返しをする。
独歩はその回答に身を震わせ、頭を抱えるばかりなのであった。
「そん、そうなんですか?……俺は何て事を…、俺が有名人、になったら、これまでの失態や汚名ばかりが並べられて…先生や一二三に迷惑をかけるんだ…どうせそうだ…」
静満は『踏んじゃった…』と胸中で呟く。そう言えばこの観音坂独歩と言う人は過度のマイナス思考に因り、突如負の思考のループに入り、全て“俺のせい”等と言い始める事があるのだった。…それも頻繁に。
「――それでチームが負けて、俺はチームを追い出されて、…そうだ全部俺のせいで……」
静満がどうしたものか、と過らせながら顔を上げると、少し先の視界に一二三の勤めるホストクラブが入って来た。
『あ、…観音坂さん、もうすぐ着きますから、戻って来られますか?』
「え、あ、す、すみません静満さん」
結局、静満はどう対処すべきか全く分からず、淡々と事実を伝えることしか出来なかったのである。思いの外、独歩の思考が直ぐに戻ってきた事に静満はホッと胸を撫で下ろすようだった。
『いえ。僕ももう少し話題を選ぶべきでしたね。……着きましたよ』
「はい。あ…どうぞ、」
先に店の前に立ったのは静満だったのだが、扉を開けて促したのは独歩である。社畜根性と言っても過言では無いのかもしれない。静満はそんな風に脳裏に過らせながら、小さく頭を下げて足を踏み入れたのである。
『わあ…こんな風になってるんですね。ホストクラブって。初めて入りました』
「ったりめえだ!」
「ヒィィィッ…!!?」
静満の感嘆する言葉に答えたのは、低く、唸るような声。独歩の悲鳴が響く。寂雷だった。普段の寂雷とは全く似ても似つかない雰囲気で、発声の方法すら違うようである。静満はゆっくりと相手を見上げる。
「遅ぇじゃねぇか静満!俺が何分待ったと思ってる」
『寂雷さん。お待たせしました。ここまでお迎えに来てくださったんですか?ありがとうございます』
薄く微笑んだ静満に寂雷は一つ頷いてから、隣の独歩へと視線を投げた。
「おい独歩!静満に何も悪さしなかっただろうな!?」
「ヒェエッ…あ、ありませんん!!」
『寂雷さん、そんなことあるはずありませんよ。お席はどちらですか?』
静満は酔って人格が変わってしまった寂雷に対しても物怖じせず言葉を掛けていく。むしろ、素面の寂雷相手の時よりも表情豊かに、口数も多く感じるほどだ。独歩は寂雷に怯えながらも、そんな静満を観察していた。
寂雷が半ば抱えるようにして静満を席に運んでいく。独歩は視線を泳がせながらその後を着いていった。
「おらぁ!酒持って来い!」
「「ハイィィッ…!!」」
『寂雷さん、程々になさってくださいね』
「あぁ?まだまだ大丈夫だ!」
席に着くや否や、酒の注文をする寂雷に静満はやんわりと声を掛けるが、咎められたと感じたのか寂雷はギラリと光る視線を静満に向ける。静満は眉尻を下げて笑う。
『分かっていますけど、僕が寂雷さんの体の心配をしてはいけませんか?』
「…そうは言ってねえ」
静かにそう答えた寂雷に、静満は口許を緩める。そこへ運ばれてきたお酒を、静満が寂雷のコップへと注ぎ始めた。既に死屍累々と言っても過言では無いような店内。先程から入り口付近が騒がしいのは、他のテーブルのお客を退避させて居るとか、そう言うことだろう。静満は気づかれないよう細心の注意を払いつつ、寂雷の顔色を盗み見ていた。寂雷の酒乱被害を一刻も早く治めるためである。
「お前らも飲め!どんどん飲め!!」
静満の努力など露知らず、寂雷はそう言って上機嫌に周囲を巻き込んで行く。独歩は、静満にコップを差し出しながら、明日の朝の自分を思った。休みである事は幸いだが、その貴重すぎる1日を二日酔いで潰してしまうのかと思うと、もう何と言うか、虚しさの極みである。
はあ、と人知れず溜め息を吐いて静満から戻されたコップを見れば、注がれた酒はほんの少しで。
「…、?」
不思議に思って寂雷のコップを見れば、波々と注がれたそれ。続けて静満へ視線を向けると、小首を傾げて苦笑された。
「おい静満、便所行ってくるからな。淋しがるなよ」
『ふふ、はい。早めに戻っていらしてくださいね』
不意に立ち上がった寂雷がそんな宣言をしてトイレに立つとほぼ入れ替わりで、漸く女性客らの対応を終えたらしい一二三が戻ってきた。
「お出迎えも出来ず申し訳ない事をしました。静満くん、ようこそ」
『こんばんは、伊弉冉さん』
「寂雷先生の甥っ子?なんだってね。独歩くんから聞いてるよ」
ホストモードの一二三は静満に笑いかけた後、グッと表情を引き締め、この状況の説明を乞う。
「それで…先生のこれは…」
『ご迷惑お掛けしています。多分もう少しで寝落ちまで持っていけると思うので、すみませんが辛抱してください。寝るまで飲み続けて、起きたら記憶が無くて。寂雷さんはこの事を知らないので、セーブが難しくて…』
「なるほど…」
一二三は言いながら、店内にぐったりと倒れ込んでいる数多くのホストや黒服達を見渡して再び口を開く。
「大方皆戦闘不能になっているから僕達で何とかしなければいけないね。よし、フェイクのお酒も用意しようか。寂雷さんには飲んで頂いて、周りは別物を飲む、と。とは言え僕も独歩くんもかなりやられてしまってるからね…どれだけ頑張れるか分からないけれど」
仕事中に視界が揺れるなんて何年ぶりだろう…。と一二三は苦笑する。
『何とか気を引きながらやってみますので、ご協力お願いします』
「決まりだね」
「ああ…」
そんなこんなで、静満・一二三・独歩の三者同盟が結ばれた所で寂雷は戻ってきたのであった。
『お帰りなさい、寂雷さん』
「おう」
『お次はこちらをどうぞ。一二三さんに持ってきて頂いたので』
静満が差し出せば、静かにコップを受けとる寂雷。僅かに目蓋に重力を感じるような表情に見えた。同盟を組んだ三者は、ここぞとばかりに寂雷に酒を献上し続けて……小一時間が経過した所だろうか。
「さあ、寂雷先生、僕達のチーム結成に乾杯しましょう!」
「いいじゃねえか一二三」
「有り難きお言葉です…乾杯」
カラン、コップ同士が接触する音の後、寂雷はコップの中身を一気に飲み干す。ふう、と一つ息を吐くと、寂雷は静満に向き直る。
「お前はいつまでも可愛くて綺麗だな…」
寂雷の大きな手が静満の両頬を包み込む。半分くらい酒に蕩けた切れ長の瞳が静満をジッと覗き込んでいる。
『…寂雷さん?』
「静満、2度とあんな目には会わせねえからな。俺が、コイツらとのチームで、全部変えてやる……世界、を」
『ぇ、っ…』
言いながら寂雷は、ゆっくりと静満へと倒れ込む。静満が唇に違和感を覚えた次の瞬間には、寂雷は静満を下敷きにしてソファに身体を投げ出したのであった。健やかな寝息をたてて。
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