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静満は寂雷が好きだった。とても、とても大好きだった。幼い頃から今現在もそれは変わらない。そしてその"好き"の意味合いは恐らく、絶対に、親愛の類いでは無いのだと、静満は確信しているのであった。

だからあの日、半年前のあの日、目の前で両親を失って、自分自身の男としての尊厳のような物も喪って、全てを踏み抜かれた日に、寂雷から告げられた言葉に、これ以上はもう何も望んではいけないのだと理解させられてしまったのだった。

「私が、…私が君を守るからね。傷が癒えたら、私の家で一緒に暮らそう」

幼子の頃であれば、手放しに喜んだであろうその言葉が、あの日から今まで、ずっと重くのし掛かっている。静満は、寂雷にとってただただ庇護する存在なのだ、と。ぬるま湯の中で慈しむべき子供のような存在なのだ、と。何度でも、何度でも、記憶の中で反芻しては追い詰めてくる。嘲笑って来る。子供と恋愛なんて出来るわけが無いだろう、と。そうなのだ。静満は、周囲から神様と形容されるこの神宮寺寂雷に、親愛ではない形で愛されたかったのであった。

その感情は一生叶わないというのに、どうして同じ屋根の下で暮らせるだろう。静満は、傷だらけの顔を出来るだけ微笑みに近付けて『もう世間では大人の年齢ですよ』等と宣って、寂雷の提案をやんわりと断ろうとしたのだ。それでも、どうしても、独りで暮らすことを許して貰えなかった静満は、今、こうして寂雷の元で守られながら生きているのだった。

「静満君が家に来てくれてから、私は帰宅するのがとても楽しみになったんだよ」

ありがとう。と、優しい声がすぐ近くで聞こえる。髪を撫でる大きな手が暖かい。
寂雷は、静満が珍しく"一緒に寝たい"等と言うものだから、両親を思い出してナーバスになったのではと推測しているに違いない。キングサイズの寂雷のベッドに並んで横になり、頭を撫でられている静満は、咄嗟の自分自身の発言を恨んだ。

『そう言って頂けると僕も罪悪感が減ります』
「罪悪感?」
『僕が居ては、彼女等を連れて来づらいでしょうから』

目線のやり場が分からず、目蓋を綴じて言葉を投げる。少しだけ、寂雷が間を置く。怯んだのか。怒ったのか、困ったのか、表情を見ようとしない静満には分からない。

「そんなものは居ないし、君より大切な事は無いだろう」

どうやら少しだけ怒らせてしまったらしい。こらこら、とでも言うように髪を優しくすいていた手が、軽く頭をポンポンと叩いた。

『…いえ、寂雷さんはラップバトルも控えていますから』
「ああ……、そう、だね」

寂雷は、静満にはラップバトルの話を持ち出さないようにしているようだった。ラップは今の神宮寺寂雷を作る上で必要不可欠な物なのに、静満に気を使って口にするのを止めてしまうのだ。

「軽蔑するかい?」
『軽蔑……?しません。寂雷さんのヒプノシスマイクは、両親を殺した物や僕を嬲った物とは違いますから』
「っ、静満君」
『…ああ、失礼しました』

静満にとって一番身近で濃厚なヒプノシスマイクに関する記憶は、半年前のあの日の物だった。静満が件の事件に向ける感情は常に無。全てを鮮明に覚えて居るのに、泣くことも、怒ることもしない。瞳や言葉に感情は一切映らない。本人の代わりに、周囲の人間が過敏になって、其れを遠ざけようとする。静満が可哀想だ、と言う理由もあるだろう。だがきっと、"あんなにおぞましいことがあったのに"泣き喚いたりせず、淡々として何も映さない伽藍堂な存在になってしまう静満が恐いのだろう。と、静満は自らそう分析していた。

『池袋は一郎くんが出るそうですね』
「うん」
『渋谷は乱数さんで、横浜は左馬刻さんが出る、とお客様方の話題は持ち切りです』
「そうなんだね」

嘗て寂雷がTDD、ことThe Dirty Dawgに所属していた頃、メンバーには何度か会ったことがある。全員どうしようもなく我が強くて、纏まりは一切なく、勝手気儘に輝いていた。でも、それでも同じ目標の元で力強く進んでいた。言わばそう、TDDは宝箱だった。一つ一つが膨大なエネルギーを持った宝石達を保管しておくための。そんなTDDはとても眩しかったし、静満は優しい寂雷も好きだが、TDD時代に観たラップバトルの際の、強い寂雷も大好きだった。

『寂雷さんに新しいチームメイトが出来たら、一目で良いので見てみたいです』
「そう…だね、」

規則的に頭を撫でる寂雷の手が、静満の柔らかい髪をくしゃりと乱す。仰向けに寝ていた静満を、寂雷は優しい力で自身の方に向かせる。ゆっくりと引き寄せるときゅう、と仕舞い込むように静満を抱き締める。

「……、」
『…寂雷さん』
「っ、」

静満が寂雷の鎖骨辺りから呼べば、抱き締める力は更に強まる。
寂雷は静満の両親の死について、何故か責任を感じているらしいのだ。無論、寂雷には何の責任も無いのだが。抱き締める腕の強さと僅かに震える肩を感じて、静満はふと"あの日"の記憶を再生する。


――――寂雷と静満達家族はあの日、静満の成人祝いの為に集まる約束をしていた。成人祝いとは言え、静満自身の誕生日と言うだけであり、世間は平日。寂雷も医師としての仕事があり、静満の両親も社会人の責務をこなしてから落ち合うという形で、寂雷お薦めのお店で夕食を楽しむことになっていた。静満は、大学の五限を終えて父親の迎えを待っていた。

『あ、』

静満は着信を報せる手中のスマホを見つめる。表記された名前は、"神宮寺寂雷"だった。

『はい』
「静満君?」
『はい、寂雷さん。』
「兄さんに電話をしたのだけれど、出ないし、きっと運転中かと思ってね。静満君、診察が長引いていて、少し遅れてしまうと思うんだ」

ごめんね、と穏やかな声色に僅かに申し訳無さを滲ませて、寂雷は言う。静満も、充分想定していたことだったため、特に落胆などはしなかった。

『分かりました。お忙しい中ご連絡ありがとうございます』

では、と仕事中らしい寂雷を気遣って、静満は電話を切り上げようとする。しかしながら引き留めたのは寂雷の方で。

「うん。あ………、そうだ。少し、フライングしてしまうのだけれど、お誕生日おめでとう、静満君」
『―――ありがとうございます。嬉しい、です』
「ふふふ、私も嬉しいよ。では、また後でね」
『はい、』

じんわりと頬に熱が集まり、静満は通話が切れたスマホを華奢な両手で、きゅ、と胸元に寄せる。父親の車が到着しなければ、いつまででも余韻に浸れそうだった。
この数時間後には、全てが変わってしまうなんて、思いもしなかった。―――――

『――――寂雷さん、僕は平気です』
「……私が、平気じゃないんだよ」
『、』

"平気"という言葉が、自身を守る為の盾になったのはいつからだろうか。静満はこの言葉をお守りのように、或いは呪いのように、言葉のポケットにしまっている。

「静満君が一人で抱え込むのを見るのは、私自身が悲しいんだ」

狡い大人の言い方だった。でも、静満は、何をもって抱え込むなのか分からなくて。だから寂雷のこの悲しみを取り除くことは出来なかった。

『……、』
「静満君?」
『明日は竜胆を持っていきたいです』

ポツリ、静満の唇から零れたのはそんな思い。寂雷は、はぐらかされてしまったか、と苦笑した後、そうだね。と笑った。

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