番外編 降谷くんと花火


「ちょっと、朔ちゃん?」

練習生に呼び止められ、朔はジムを出ようとしていた足を止める。

「ん?なに?」

「今日降谷くんとデートって言ってなかった?」

「デ、デートっていうか…花火を見に行くだけだけど…」

「それで行くの?」

「え?」

「その格好でまさかデートに行くのかい?朔ちゃん」

「・・・・」

朔はシャドーボクシングやフォーム確認で使用する壁一面が鏡張りになってる所まで行って自身を映す。当然だがそこにはTシャツにジーパン、そしてお気に入りのキャップを被っている自分の姿が映っていた。クルッとその場で回ってみる。とくにダメ出しをされるような点は見当たらないのだが…。

「……え、ダメ?」

振り向き、指摘してきた練習生にそう告げると朔には目もくれずにいつの間にか集まっている他の練習生たちと何やら輪になって議論していた。

「やっぱここはスカートだろ」

「いや、待て。降谷くんの好みもあるだろ」

「あれは?前に買ってた白いブラウス」

「バカ、祭りだろ?たこ焼き食う時ソースがつく」

「なんでたこ焼き食う前提なんだよ」

「浴衣…」

一人の練習生がポツリと言葉を落とす。
ハッと皆何かに気づいたように口に手を当てた。

「お前…天才じゃね?」

「確か妹が持ってたから訊いてみるわ」

「ついでに髪もやってもらわないとな。メガネ禁止。おさげ禁止だ。前職美容師のやついたよな?」

「ち、ちょっと…」

あれ、本人そっちのけで勝手に話が進んでいるような。

方や電話する者、方や他の練習生に声を掛けている者とそれぞれなにやら別行動をし始めてしまった。この混乱に乗じて今のうちに逃げてしまおう。様子を見ながら静かに朔は出入り口に向かう。

ガシリッ、と肩を掴まれる。
ヒクッ、と口隅がヒクついた。

「降谷くんには一時間ほど遅れるって連絡したから」

「えぇ⁉なに勝手に連絡して…ってうわっ!!」

ヒョイッと朔をそのまま肩に担ぎ、スタッフルームに連れて行かれる。

「離して!私を米俵みたいに担がないで!みんな練習は⁉離してってばー!」








突然バイト先から電話があった。出たらジム生からだった。内容はバイトのことではなく一時間ほど彼女が遅れるとの連絡だった。なぜ本人からではなく練習生から?

何か、あったのだろうか。
まさか具合が悪くなったとか?

幸いまだ外には出ていなかったが少し早めに家を出て、降谷は待ち合わせ場所ではなくジムへと向かった。




微かな不安を抱えながらジムに辿り着いた降谷はガラス張りの窓からチラッと施設内の様子を窺うように覗き見る。

あれ?と降谷は首を傾げる。

練習している者が誰一人としておらず、皆一か所に集まって何やら話し込んでいるようだった。

「本当にこの格好で行くの…?」

彼女の声がする。姿は見えなかったがどうやらあの集団の中にいるようだった。

「うん!さっきの服より全然いいよ!」

「可愛い可愛い!」

「俺たちいい仕事したよな」

「あぁ。だがとくにデートの予定のない俺たちはこの後しょっぱい気持ちで練習することになるがな」

何の話をしているのだろう。換気のために全ての窓が空いているとは言え少々聞き取り辛い。

「あれ、降谷くん?」

背後からの突然の声に肩が跳ねる。振り向き様に「今日バイトの日じゃないよね?」とロードワークから戻ってきたのだろう練習生にそう指摘される。


「え?降谷くん来てるの?」


中からの声にバレてしまった、とソッと顔を前に戻す。案の定、皆視線をこちらに向けていた。仕方なく降谷はジムへと入る。

「本当だ!降谷くんじゃん!」

「朔ちゃん!彼氏が迎えにきたよ!」

彼女を囲っていた練習生が降谷のことを見せようと皆体を退かす。

出てきた彼女の姿を見て、降谷は放心してしまう。

「…っ…」

浴衣姿だった。眼鏡を外し、髪を結い上げているその姿はいつもと雰囲気が違う。

「・・・・」

「・・・・」

お互い黙ってしまう。朔を見つめている降谷に対し、彼女は俯いてしまう。気恥ずかしいそうに肩を窄め、朔は降谷と目を合わそうとしない。

「成瀬、その格好…」

「や、やっぱり着替えてくる」

クルッと踵を返そうとする彼女の手を慌てて掴む。

「に、似合ってる!」

彼女は振り向かない。けど晒されている耳や首は真っ赤だった。

「だから、その…花火、いこう…」

反応を求めるように繋いだ手をぎゅっと握りしめる。彼女は少しの間を置いてこくり、と小さく頷いた。

「ほらほら!急がないと花火、始まっちゃうよ!」

一人の練習生が彼女の肩を持ち、ぐいっと体を前に向けさせる。髪につけている簪が小さく揺れる。向かい合わせになり、間近で見たその顔に見惚れてしまう。ほんのりと薄く化粧が施されていた。

ニヤニヤと見られている周りの視線に気づきハッと我に返る。

「そ、それでは…行ってきます」

居た堪れなくなり、彼女を引っ張るようにしてジムを出た。





神輿や山車が練り歩く。
どこからか聴こえてくるお囃子の音。
建ち並ぶ露店。
灯り出した提灯。

まだ時間に余裕があると思っていたが既に花火会場の席はいっぱいだった。

あちこち見て廻ったが二人座れるスペースすらなさそうだった。

どうするか。立ちっぱなしでもいいが慣れない下駄を履いている彼女は辛いだろう。どこか別の場所を探した方が良さそうだな、と思考を巡らせていると彼女がふと歩みを止めてしまう。ゆるりと離された手を反射的に目で追う。ヘアブレスレットが小さく揺れた。

「どうした?」

足が痛むのだろうか。降谷の問いに彼女はふるふると顔を横に振り、口を開く。

「私が遅れたから…ごめんなさい」

申し訳なさそうに睫毛が下を向いている。しかしその毛先はほんのり上を向いていた。いつもより少し長い睫毛は瞳を動かす度に揺れ動く。

桃色の頬。
少し赤い唇。

普段より大人っぽい彼女の顔をレスポンスそっちのけでついまじまじと見つめてしまう。気づいた彼女がおずおずと肩を窄めた。

「怒ってる?」

なんでそうなるんだ。いや今のは応えなかった自分にも非があるが。

「そんなわけ…」

「あれゼロ?」

聞き覚えのある声にお互い顔を上げ、見つめ合う。パチパチと瞬きし合ったあと、二人で声のした方へと顔を向ける。

「ヒロ!…っと…」

彼の後ろにいる友達は恐らく景光のクラスメイトであろう。降谷は口を噤んでしまう。彼らは物珍しそうにこちらを見ていた。

「あれ、降谷の彼女?」

「噂で同じクラスの子と付き合ってるって聞いたけど…」

「えっ、あんな子うちの学校にいた?」

「もっと地味な子だったような…」

「マジで?すげぇ可愛いじゃん」

彼らが小声で話している内容に降谷の顔はだんだんと険しさを増していく。

「ゼロ!!あのさ!さっき射的で当てた景品お前らにやるよ!成瀬と食べて!」

降谷の顔を見て、やばいと思った景光が慌てて持っていた袋を降谷に押し付けるようにして渡す。

「俺、腹減った!あっちで焼きそば食いに行こうぜ!」

彼らの背中を無理やり押すようにしてその場を離れる景光。

なんだよ!景光。もう少し話させろよ!と騒ぐ彼らを無視して、景光は顔だけ振り返り、目配らせした。

渡された袋と景光を交互に見て、察した降谷は眉を下げた顔で笑う。

景光にはなんでもお見通しだな、と貰った袋を掲げ肩を上げる。喧嘩まではしなかったと思うが危うくデートを台無しにするところであった。

くるり、と向き直り、彼女の方を向く。小さな声であまり聞き取れていなかったのだろう。首を傾げ、未だ状況を理解出来ていない彼女に降谷は口を開いた。

「学校…行かないか?」






旧校舎の屋上。放置されている椅子を一脚だけ持っていき、朔に座るよう促すと彼女は困惑の表情を浮かべる。

「でも降谷くんが…」

「僕は地べたでいい」

置いた椅子の横にドカリと座り込み、胡座を掻く。

「その浴衣、借り物なんだろ?汚すよりいいと思うけど?」

見上げてそう言えば彼女はしぶしぶ椅子に座る。「ありがとう」と眉を下げて笑う彼女に満足気に口角を上げる。



ガサリ、と降谷は景光にもらった袋の中身を確認する。射的で取ったというそれは全て駄菓子だった。何がいい?と訊けば彼女は目に入った飴の缶を指した。

「すごい。全部諸伏くんが?」

袋いっぱいに入っているそれを見て彼女は驚嘆する。

「だろうな」

「得意なのね」

「射的だけじゃないさ。他にもいっぱい、輪投げに金魚掬いに型抜き…」

「今年は私とで良かったの?」

思い出しながら数えていた指の動きを止める。そしてジト目で彼女を見た。

「本気で言ってるのか?」

怒っている雰囲気を察したのか彼女は自分の失言に口を閉じたあと苦笑いを浮かべた。

「わいわい…したかったのかなって」

「今も十分わいわいしてるつもりだけど?」

「あなたがWわいわいWって言うのちょっと笑っちゃう」

クスクス笑う彼女に降谷も小さく笑う。やっとちゃんと笑ってくれた。

「それに去年、射的で全部の景品を取ってから僕は出禁になってる」

「えっ、うそでしょ?」

「うそだ」

「…なんで嘘つくのよ」

信じたじゃない、と彼女は頬を膨らませたあと、また可笑しそうに笑った。




ヒュ〜…ドンッ!と夜空に轟かせながら上がる花火。パラパラパラ…と音を立てて消えてはまた次の花火が上がる。

コロ、と彼女が口の中で飴玉を転がす音が微かに聴こえる。彼女の口には大きかったのだろうその飴は度々頬の形を変えてはまた元に戻る。飴玉を象った頬が可愛かった。

Wもっと地味な子だったような…W

普段眼鏡を掛けている彼女は髪を三つ編みおさげにしているせいか周りの印象はそんなものだった。二人とも傷だらけの顔で学校に行った日は裏番なんて呼ばれていたりもしたが暫くするとその噂もなくなっていた。

Wマジで?すげぇ可愛いじゃんW

自分だけしか知らない彼女の一面を周りが徐々に気づいていく。少々、いや大分嫌だった。卒業まで三つ編み眼鏡でいてもらおう。

しかし独占欲と嫉妬心が渦巻くその反面にはあんなストレートにもの言える彼を羨ましいと感じている自分もいた。


夜空に咲く花が彼女を照らす。その横顔を降谷はジッと見つめた。


綺麗だった。


でも、それを言葉にして伝えられるほど、降谷は素直に出来ていない。どうしても抽象的な言い回しになってしまう。さっきは咄嗟に似合ってると言えたが伝えたい言葉は別だった。

「成瀬」

勇気を出して声を掛ける。

「なに?」

「…っ…」

「どうしたの?」

「浴衣…」

「浴衣?」

「……自分で、着付けしたのか?」

言葉に詰まり、勢いで誤魔化してしまった。付き合う前の方が自然に言えていたのではないだろうか。

「浴衣を貸してくれた人が着付けしてくれて。化粧も…その人が。髪は元美容師の人が練習生にいて…帰ったら皆にお礼を言わないと…」

簪に付いている装飾が風で揺れている。
コロ…と飴がまた小さく音を当てた。

視線に気づいた彼女が色づいた唇で降谷の名を呼ぶ。改まる彼女になに?と返事をする。

「えっと…」

今度は彼女が言葉に詰まり、視線を膝へと落とす。緊張したように指先をすり合わせていた。

「その…結構、待たせちゃったし、何かお詫びしたいなって…」

そのお陰で君の浴衣姿が見れたのだ。詫びなんてしなくていい。と開きかけた口は一度閉じてしまう。

ジッと彼女を見つめる。

何も読み取れない降谷の表情を不安に思ったのかこくん、と生唾を飲み込んだその喉元に目がいった。


「なら…君から、キス…してほしい」


その言葉にポカン、と口を開ける彼女。
次にはボンッと顔を爆発させた。

「な、なんっ…!」

「君からは一度もない」

「い、一回ぐらいはしたと思うけど…!」

「あれはほっぺだろ?」

降谷は立ち上がり、座る彼女の前に立つ。顎を持ち、口紅が取れないよう下唇の縁を親指で触れる。

「ここがいい」

すり…と指の腹で縁をなぞる。切なそうに眉を寄せる彼女。困ったように瞳が左右に揺れ、その顔は茹で蛸のように赤い。降谷は彼女のこの表情が大好きだった。困らせたくて困らせたくて仕方がないのだ。

「君が遅れるって連絡が来た時、具合が悪くなったのかと心配した」

心配したのは本当だが、遅れることに関しては事前に連絡を貰っていたし、全く気にしていなかった。しかしその件でずっと気に病んでいた彼女は降谷のわざと心情を衝いた言葉に気づかず申し訳なさそうに眉を落とす。

次には観念したように「わかった」と小さく頷いた。バレないように満足気に頬を上げる。

我ながら酷いやり口だと思った。




「あの、せめて…その、目を…閉じて」

花火を背負いながら彼は残念そうな顔を向ける。そんな顔をしないで、と朔は胸の内で彼に告げる。その顔をされると弱いのだ。なんでもいいよと言ってしまいそうになる。しかし彼の綺麗な瞳に見つめられながらキスが出来るほど自分の心臓は強くない。

「お願い」

恥ずかしさで顔から火が吹き出しそうだ。中々目を閉じてくれない彼に懇願するような口調で訴えれば何故か満足そうに口隅を上げた。してやられた感が半端ない。

花火そっちのけで一体何をやっているのか。朔は椅子から立ち上がる。カラ、と下駄が音を立てた。彼の肩に手を置き。触れるだけのキスをする。

途端パチリと彼の目が開く。驚いてふらついてしまった体は後ろに下がる。足が椅子に当たりバランスが崩れた体を彼の手が支える。腰に回った手がゆっくりと自分を椅子に座らせる。

「ありが…」

瞬間椅子に片膝を乗せ始めた彼に思考は停止する。背もたれに片手を置き、腰に回されていた手は離れ、顎を持ち上げた。

近い距離にある彼の顔。ドンッ!と鳴る花火の音が痛いくらいにバクバクと心臓に響く。

「朔」

初めて、名前を呼ばれた。ここで呼ぶなんて…。本当にズルい。

「口、開けて」

え?と聞き返すように声を発する。言われて開けたわけではないけれど、結果薄く口を開ける形となってしまった。

顎に添えられている彼の親指がぐいっと軽く下に引っ張る。さらに開く口。コロリ、と飴が舌の上を伝って降りてくる。

え?、え?と困惑している朔を他所に彼の唇が重なる。ビクッと朔の体は小さく跳ねる。舌の上に乗っていた苺味の飴が絡めとられては口の中を転がっていく。コロ…と歯に軽く飴が当たると同時に唇とはまた別の柔らかいものが朔の舌を這う。初めての感触に体は硬直してしまっていた。こういう時自分はどうすればいいかわからない。

いつの間にか朔の手は彼の服をぎゅっと握りしめていた。

「んっ…ふっ…」

く、苦しい…と軽く押す。気づいた彼は最後に飴を回収し、名残惜しそうにゆっくり唇を離した。

「っ!!?」

ホッとする間もなく、首筋に顔を埋めてきた彼に朔の頭はいよいよショートし掛かっていた。いつの間にか肩に置かれている彼の手はぎゅっと力が入っている。逃げないよう固定されているみたいだった。

ど、ど、どうしよう。どうしたらいいの。と心の中でさえ言葉がどもってしまう。


「綺麗だ」


パニックになっていた頭はその言葉で正気に戻る。驚いて目を、見開いた。

先程から何か言いたそうな顔をしていたのには気づいていた。思い当たる節といえば待ち合わせに遅れたことだ。

呆れているのか。はたまた怒っているのかも…とずっと気を揉んでいたのだが、どうやら違っていたようだ。

もしかして、ずっとその言葉を言おうとしてくれていたの?

途端に暖かい何かに満たされる心は朔の目尻を下げる。

ねぇ、今どんな顔をしているの?
そこに顔を埋めたままじゃ見えないよ。

「ふ、ふるやく…んっ⁉」

漸く出せた声。しかし朔はまたパニックになる。首筋に這わせていた唇がそこをちぅ、と軽く吸ったのだ。


くらくらと、


ゆらゆらと、


暑さで頭がぼんやりする。


息をするのすらも忘れてしまうほどにとても、息苦しかった。


「ま、まって…」


下がっていく唇にドキドキする鼓動に合わせて何やら頭までもがガンガンと痛み出した。



だんだんと…



意識が遠退きそうだ。



呼吸の仕方さえ、忘れてしまうほどに


息…


あれ、そういえば息ずっと、してな…


「お、おいっ、成瀬…⁉」







そのあと酸欠で倒れて、後半の花火は殆ど見れなかったんだよな…と安室はポアロの窓から空を見上げる。

今日は花火大会だ。道行く人が多く、店に客は一人もいない。従業員も今は自分だけ。

パラパラパラ…と音を立て、消えてはまた新たな花火が上がり、雨のように枝垂れていく。

空に咲く花びらを…
儚く散っていくそれを…

安室はガラス越しから手で触れた。
とても優しく。とても繊細に。
大切な人と見たあの景色に触れるように。


安室はそっと手を、這わせたのだ…



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2020.8.20
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