嵐がきた
「成瀬」
昼時に弁当を持ってどこか行こうとする彼女を教室の入り口で呼び止める。振り返った時、編まれた彼女の髪がふわりと揺れた。
「ハンカチ。昨日渡しそびれた」
「あっ、そういえばそうだったね」
ありがとう、と小さく口角を上げながら彼女はハンカチを受け取る。自分よりも小さく、白いその手を降谷は見つめた。ハンカチをポケットに仕舞い、踵を返そうとする彼女に降谷は口を開く。
「昼はいつもどこで?」
呼び止めるように声をかけた。踏み込んだ質問だというのはわかっている。彼女がどこで誰と食べようが降谷には全く関係のないことなのもわかっている。会話がこれしか思いつかなかった。しかしこの時間いつもどこかへ消える彼女が気になっていたのも本当。
「内緒」
そう悪戯っ子のように笑って彼女は教室から出て行った。
「・・・」
「ゼロ?どしたの、こんな入り口に立って…」
邪魔になってるよ?と呼びにきた景光が茫然と立ちつくしてる降谷にそう声を掛けた。
ギターの練習も兼ねて空き教室で昼飯を食べている景光は同じく昼飯を食べている降谷をチラッと見る。食事の手は止まっており箸を持つ自分の手の甲を見つめていた。昨日もそうだったが、また自分の手に見惚れている、とそんな降谷に景光は尽かさず突っ込む。
「ゼロって、手フェチなの?」
「なっ…!」
違うと怒る降谷に景光はケタケタ笑う。すると少し言いづらそうに口を窄めた。
「お前が、女子にはあまりそういうことをいうなって言うから…」
あー、なるほど。と景光は食べている焼そばパンを一旦口から離す。それがどう手と繋がるのか分からないが彼なりに今何か悩んでいるようだ。
「珍しいな、ゼロがそんなこと気にするなんて」
中学では全く気にしなかったのに、と当時の記憶を呼び起こす。降谷の顔は女子ウケはするものの何でもかんでもストレートにものを言う彼の性格に女子はだんだんと離れていく。言われた側は泣くか怒るか走り去るかのどれかだった。
Wおい、化粧は校則違反だろ。それにそんなことしても変わらないW
Wは?勉強?授業聞いてればわかるだろW
Wダイエットしたいならその肥えた性格をなんとかしたらどうだW
「・・・・」
思わず遠い目になる。いや、彼に悪気はないのだ。歯に衣を着せないだけで、親切心で言ってる。おまけにこの物怖じしない性格は上級生から何かと絡まれることも多く、その度に喧嘩が勃発した。多勢の時はもちろん景光も加勢したがそんなことを繰り返しているうちにめきめきと力がつき、中学では誰も二人に敵うものはいなかった。
話は逸れたが何やらここ最近彼には気になっていることがあるらしい。昨日のハンカチといい、もしかしたら恋煩いなのかもしれない。
「ヒロ、手を見せてくれ」
「へっ?」
焼そばパンを持つ手をぐいっと引っ張られ、焼そばがポロポロと落ちる。景光の手をまじまじと見る降谷に景光の口隅はヒクついた。
まさか俺の手が好みとか言わないよな…?
「おいっ、ゼロ…」
「なぁ、人差し指と中指側にできるタコって…」
「え?」
「いや、なんでもない」
気持ちの整理が追いつかないままとりあえず解放された手を守るようにして即座にもう片方の手で覆う。何やら考え込んでいる降谷に首を傾げながらも持っている焼そばパンを乱暴に齧り付いた…。
翌日に行われた席替えのせいで彼女とは隣同士ではなくなった。くじ引きで決まった席に机を移動させていると彼女も斜め前に机を移動させていた。意外と近かった。
窓際の席になった彼女の後ろ姿を降谷は頬杖を突いて見つめた。彼女の背筋は真っ直ぐで綺麗だった。時折入ってくる風が彼女の三つ編みを揺らした。
四時間目になると彼女は決まって黒板を見るのではなく窓の外のグランドを眺めていることが多かった。授業はきちんと聴いているようでそっぽを向いてる彼女に先生がワザと当ててもきちんと答えていた。勉強は出来るようだった。30位以内のものは廊下に張り出されるのだが、中間、期末ともに彼女の名前がそこにはあった。
隣同士でさえあまり話さなかったのだ。この距離で話すわけがない。特に話しかける内容も思いつかず、そのまま彼女とはなんの接点もなく気づいたら夏休みに入ろうとしていた。
終業式の日。
いつもより遅く登校してきた彼女の顔を見て、降谷は驚く。クラスメイトも驚いた顔をしていた。彼女の口元に殴られたような痣があったのだ。しかし当の本人は全く気にする素振りを見せず、自分の席へと腰掛ける。ギッと引いた椅子がやけに教室に響いた。
彼女は頬杖をついて窓の外を眺めた。小さく欠伸をした後、何かに気づいて目を微かに開ける。瞬間フッと口角を上げた。下がる眉尻に優しく細めた目。その横顔に開けられた窓から入ってくる風が降谷の心を乱した。
その姿に一時でも見惚れてしまったのは何故だろう。どうして目を離すことが出来なかったのだろう。どうして、あの時と同じに綺麗、だなんて思ったのだろう。
え、Wあの時W?
「成瀬、ちょっと来なさい」
終業式が始まる前に先生が彼女を呼ぶ。そのまま連れられどこかへ行ってしまった。
校長の長話の間、飽きてきたのか後ろからヒソヒソと話す女子の声が聴こえてくる。
「成瀬さんって意外と不良なのかな」
「なんか、ヤバい連中と付き合ってるって噂、耳にしたことあるんだよね…。成瀬さん大人しい人だし、信じてなかったんだけど…」
「それ私も聞いたことある。男の人からお金受け取ってるのを見たって人もいてさ」
「実は裏では結構ヤバいのかな…」
耳にした根も歯もない噂に降谷は口をキツく閉じた。そしてギロッと目を向ければ気づいた女子が肩をビクつかせ、慌てて口を閉じた。静かになったのに、気持ちが穏やかになることはなかった。
教室から戻ってくると彼女は既に座っていた。保健室で治療をしたのか口元にテープが貼られているのが見える。わらわらと入ってくる生徒は腫れ物に触るかのような空気を出して席に着く。
担任が補修やら夏期講習やらの説明が終わったと同時にチャイムが鳴り、羽目を外すなよと言う担任の声が聞こえているのかいないのか、皆明日から始まる夏休みに浮き足立っていた。既に帰り支度が出来ていた彼女は誰とも何も話すことなく颯爽と教室を出て行こうとする。そんな彼女を見て慌てて帰り支度を終わらせ、追いかけた。
意外と歩くのが早いようでまだ誰もいない廊下に唯一響く足音は彼女がもう階段を降り切っていることを表していた。降谷も階段を一つ飛ばしで降り、角を曲がった所で誰かにぶつかる。
「すみません」
同時にちっ、と舌打ちが聞こえてくる。
それに降谷は眉を寄せる。
ぶつかった相手が悪かった。また例の上級生だ。しかも今回は連れもいた。三人の輩が降谷を囲む。
はぁ、とわざとらしく溜息を吐く。ぶつかった時にすぐ謝ったというのに他にどうしろというのだろう。心の声が漏れそうになるのを我慢する。
しかし溜息を吐いた降谷に対し「先輩に向かってその態度はなんだよ」と胸ぐらを掴まれる。拳を作った彼らを見て、急いでるんだ。悪く思うなよ、と降谷は口隅を上げて構えた。
ガシャーーンッ!!
その音に上級生も降谷も動きを止める。
廊下の窓がいきなり破れたのだ。近くにいた先生が破れた窓へと走り寄ってくる。騒ぎを聞きつけた他の生徒も集まって来たため上級生は舌打ちして、その場を立ち去った。
「だ、だれだ!窓ガラスを破ったのは!」
近くにいた先生が降谷を捉える。これまた運が悪い。その先生は入学当初から何かと降谷に突っかかってきては嫌味を言う人物だった。今日は自分を良く思っていない人とよく遭遇する。案の定、彼は降谷を見て目尻を吊り上げた。
「降谷っ、まさかお前…!」
「先生」
湿気を含んだ空気が破れた窓から風に乗って入ってくる。嵐が近づいていると今朝ニュースで言っていたのを頭の傍らでぼんやりと思い出した。
「私が窓ガラスを破りました」
入ってくる荒々しい風が三つ編みが解けた彼女の髪を舞い上げた。
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2020.4.11
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