夏休み
雨が降ってる。
スコールのような雨。
当たると痛いぐらいのその篠突く雨は、まるでノイズのようで、激しい雨音だけを残して全ての音を消す。
誰か、立ってる。
口元が、笑っていた…。
「ゼロ?」
ふっ、と意識が浮上する。そこで初めて寝ていたことに気づく。ぼんやりとした視界に映るのはローテーブルの上に広がる問題集とノート。だんだんと覚醒し始める脳に今は降谷の家で景光と大学受験の問題集を解いていたことを思い出す。自宅というのがつい気を緩めてしまった。
「…あぁ、悪い。寝てた」
「ちゃんとベッドで寝たら?」
「いや、もう起きた」
体を伸ばし、肩を鳴らす。変な体勢で寝てしまったようで首が少し痛かった。
「そういえばあのボール見つかったんだな」
一個失くしたって言ってただろ?と棚の上に飾ってあるトロフィー、ではなくその横に置いてあるテニスボールを指差して景光が言う。それに降谷はぎこちなく頷いた。
「昨日見つけた」
「へぇ、結局どこにあったんだ?」
「学校」
え?と景光はなんの冗談だと聞き返す。随分前に失くしたものだ。学校にあるわけがない。てっきり家のどこかだと思い込んでいた景光は降谷の返答に眉を寄せていた。
降谷は昨日のことを思い出し不機嫌そうに片眉を上げてすでに解き終わってる問題集を意味もなく睨む。そんな降谷の顔を見て景光は声に出してもう一度言った。
「冗談だろ?」
「本当にな」
否定とも、肯定とも取れない降谷の返答に景光の眉間のシワは深くなる。しかしふと視界に入った壁掛け時計を見て、景光はあっ、と声を上げた。
「俺この後楽器屋寄りたいんだった」
時刻は18時少し過ぎたあたり。19時には閉まってしまうそのお店はもう出たほうがよさそうだった。
「僕もちょうど弦のストック切れたから一緒に行くよ」
店につき、弦を選びながら今年の短期バイトはどうしようかと二人で話す。
「去年のドカタの仕事はキツかったなー。地獄の暑さだった」
「お陰で体力はついたけど」
「来週から何か探す?」
「いや、来週は夏期講習に出る」
それに景光はへ?と声を上げた。
「行くの?」
景光は不思議そうな顔をする。去年はギター欲しさに二人でバイト漬けの日々だった。期末テストで赤点だった者が受ける補修と違い夏期講習は自由参加だ。てっきり今年もバイト漬けの日々を送るのかと思っていた景光は降谷の顔をジッと見る。
「目的は勉強じゃないな?」
景光の言葉に降谷は眉を寄せる。図星の顔だ。ここ最近の降谷の行動は些か引っかかることばかりで、今回の講習の件もきっとそれに関わっているに違いないと踏んだ。これは何か面白そうなことが起ころうとしている。と直感的に感じた景光は自分も講習を受けると言った。
「ヒロは別に講習受ける必要ないだろ」
「学年一位が何を言ってんだか」
自分も受けるくせに、と言えば降谷は少しだけ面白くなさそうに下唇を出した。もしかしたら景光には知られたくないことなのかもしれない。ますます興味が出てきた。
そして迎えた夏期講習初日。成績上位は特別クラスに振り分けられる。30位以内に入っていた彼女もそのクラスにいた。夏休みでも二年になると三年の受験がチラつくのかそれなりに席は埋まっていた。
黒板を見るとW自由席Wと書いており、既に来ていた彼女は窓際の一番後ろの席に座っていた。彼女の前、横ともに席は埋まっており、仕方なしに適当な席に鞄を置くと同時に彼女の元へ歩みを進めた。
「成瀬」
頬杖を突いていた彼女は声を掛けられたことが意外だったようで、微かに目を開いてから顔を上げる。左手首に着けているヘアゴムが小さく揺れ、見えた口元の痣はだいぶ薄くなっていた。
レンズ越しから髪と同じ色の虹彩が真っ直ぐに降谷を捉える。
「なに?」
「今日、一緒に帰らないか?」
彼女はさらに大きく目を見開いた。
「で?結局帰らなかったの?」
「断られた」
ポテトを乱暴に口の中に放り込み、そう答えると景光はケタケタと笑った。
「あははっ、それは恥ずかしいな」
「煩い」
帰りに寄ったハンバーガー店で不機嫌そうにハンバーガーを頬張る降谷の姿に構わず景光は可笑しそうに笑う。成績上位の景光も当然あの教室におり、一部始終見ていた彼は会話までは聞こえなかったようで掻い摘んで話した結果がこうだ。だいたい景光と帰っている時点でその答えはわかっているのに敢えてその質問をした彼に面白がってるな、と降谷は景光を睨む。
「なんで断られたの?」
「急いで帰らないと行けない用事があるからだと」
「へぇー…」
ニタニタと明らかに勘違いしている親友に降谷は眉を寄せる。
「別にそういう意味で誘ったんじゃない。ちょっと気になることがあっただけで…ってだからその顔やめろよヒロ」
「まぁ、そういうことにしといてあげるよ」
未だニヤケ面の景光に降谷は面白くなさそうに口元を歪めた。
店を出て、歩き出した降谷の鞄を景光が咄嗟に掴む。
「わっ、なんだよヒロっ」
「ゼロ、あれ」
顎で示した方角に顔を向ければちょうど噂をしていた彼女が道路を挟んだ反対側の道にいた。フードを被った大柄の男から何やら封筒らしきものを受け取っている最中だった。そこから取り出したものに降谷と景光は目を開く。
札束だった。
二回、指で弾いて数え終えた彼女は男に向かって手を差し出した。男は申し訳なさそうに頭を下げ、財布から札を取り出し彼女に手渡した。
その光景を見た二人は互いを見合う。どうやらW金を受け取っているWというのは本当らしい。しかし彼女があの男に金を貸していたのかもしれない。真実を確かめるため二人は彼女を尾行することに決めた。
尾行中、彼女が金を受け取ったのは一人ではなかった。道行く途中にこれまたガタイの良い男から金を受け取り中身をすぐさま確認しては鞄の中へと仕舞っていた。
彼女を疑いたくはないが、考えられる要因を一つずつ潰していかなくてはならない。
薬の売買にしてはモノの受け渡しの様子もなく、体目的だとしてもホテルに入る素振りも見られない。それにそういった類の金のやりとりはもっと人気のない所で行う筈。彼女の行動は駅前だったり、商店街だったりと人通りの多い場所だった。単純に金の貸し借り説が有力だろう。
尾行を続ける中で怪しい動きをする他校の生徒、男子数名を見かけ降谷は眉を顰める。嫌な予感は当たるもので彼らは彼女を囲い路地裏へと連れて行ってしまった。
まずい、と二人は慌ててその後を追いかける。しかし次に見た光景に唖然とする。すでに彼女の姿はどこにもなく、変わりに腹を押さえ悶えている男子数名が倒れていた。彼らは降谷達が駆けつけたことに気づくと狼狽し、その場を立ち去った。その様子は明らかに彼らにとって見られては不味い、何か不都合な場面に遭遇したのだと悟った。
ますます意味がわからない。景光も同じ疑問を抱いたのかその目には困惑の色が浮かんでいた。
ふと、蘇る。数日前の記憶。
白いハンカチを受け取った際に見えた、人差し指と中指の甲にあるタコ。色白の綺麗な手に似つかわしくないそれは見間違いではなかった、と降谷は拳を握りしめた。
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2020.4.21
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