片割れの君
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綺麗に整えられた尖った爪先がアマレットの喉元に触れる。
「バーボンに弱みを握られてしまったの」
紅く、綺麗に彩られたその唇はアマレットに呪いを掛ける。私はこの人の呪縛から一生逃れる事が出来ない。
上へ、上へとねっとりと這わせてくるその長い爪はまるで猫の顎下を撫でるかのようだ。指先の腹にアマレットの顎を乗せると無理やり顔を合わせるように上げられる。ヒールを履いている自分よりもまだ背の高いその女は妖艶だが、悪魔のような笑みを浮かべてアマレットを見下ろす。彼女は真っ赤な唇を薄く開き、耳元へと寄せた。
「バーボンを殺してしまうと私の秘密が組織内にリークされてしまうの」
魔女のようだ、と思った。
「奴と常に連絡を取り合っている人物が誰なのか探し出してくれない?」
この人に飼われている私は肯く事意外出来やしないのだーー…
「彼女は… 本当に一度死んだんですか?」
そのガラス玉のような目は細められ、無言のままバーボンを映し出す。気にせずバーボンは言葉を続ける。
「二十をとうに過ぎてる彼女は今十八歳なんだそうです」
アマレットはスコッチにそう言った。暗殺家業を営んでおり、父と母…そして妹が一人いる、と。
誰もが思うだろう。十八の時の彼女は男勝りな性格だったのだな、と。しかし、彼女はあのラボで目覚めた時にこう言った。
Wこれじゃあ…女みたいじゃないかっ…!Wと。
そしてセーフハウスではこうも言った。
Wこの女の記憶は何もないWと。
何故、自身のことなのに別人のような言い方をする?それに妹がいるというのも初耳だった。
バーボンは一つの仮説を立てていた。
「アマレットはロシア語が堪能でした」
窓辺で歌う彼女。あの時歌ったその言語はロシア語であった。今回のターゲットが元雇い主でロシア人…。そして恐らくロシア人のことを指しているであろうWルシアンW。偶然にしては重なり過ぎている。バラバラだと思っていたものは一つの単語に集中してくる。
「ルシアンと名付けていた犬というのは…アマレットの兄、ではないですか?」
ベルモットの口角がさらに上がる。怒りを露わにし睨まれた方がまだマシだと思った。何故なら微笑んでいるその目は決して笑ってなどおらず不気味だった。
「流石ね、バーボン」
その言葉に賞賛もなにも含まれていない。低く、抑揚のない声がバーボンの耳を通り抜けていく。
「その兄というのは今どこに?」
ベルモットは鼻で笑った。
「さぁ?」
彼女の指先がバーボンの輪郭を撫でる。ゆっくりと纏わり付くような触り方。バーボンの顎を持ち、鋭い爪が皮膚に食い込む。
「…っ…」
「私のお気に入りを奪ったのは貴方よ、バーボン」
ガリッ、と最後に爪を立て、痛みに顔を歪ませたバーボンに満足したのか彼女はそれだけ言ってその場を去ってしまったーー…
ベランダに出てタバコを吹かしていると、ゴロゴロと不穏な音とともに遠くの方で分厚い雲間から微かな稲光が走っているのが見える。
湿気を含んだ風が紫煙を巻き上げる。
今夜は荒れるな、なんて思っている矢先に後ろで物音がする。バーボンが帰ってきたようだ。スコッチはタバコの火を消し彼を迎え入れた。
「顎の傷、どうした?」
スコッチは顔を顰める。爪で引っ掻いたような痕だ。顔色もすごく悪い。
「なんでもありません」
何かを探すように部屋を見渡しているバーボン。何となくだがその目は彼女を探しているのだとわかった。
「アマレットは今、部屋で着替えてる。ライは別件で今日は戻ってこない」
話したいことがあるんだな?と長年の幼馴染みのカンが言っていた。
「スコッチ」
「ん?」
「少し…話してきます…」
返事の代わりにゆっくりと肯けば彼は情けない顔で弱々しく笑った。バーボンらしくないその表情は降谷零の顔だった。
ノックをし、彼女が返事をする。扉を開け、部屋へと入っていく彼の背を諸伏景光は見守るようにジッと見つめたーー…。
パタンー…と後ろ手で扉を閉める。彼女はまだ黒いドレスに身を包んでいた。ちょうど髪に付いている装飾を外しているところだったようだ。
「あんたが自分から俺の所に来るなんて珍しいな」
ピンを外し、アップにしていた髪がふわりと落ちる。ドレッサー台にある小物入れにピンを入れれば陶器で出来ているそれはカラン、と弾くような音がした。
降り出した雨が窓ガラスを叩き始めた。
「任務のこと…じゃ、ないよな?」
癖のついた髪を手で解しながら出窓の端に腰掛ける。窓ガラスを雨滴が流星のように伝い、彼女の体半分をその影が模様のように流れていく。
「どうしてアマレットがヴァイオリンを弾けると?」
「なに?」
彼女は半笑いしながら片眉を上げる。そんなことを訊くためにわざわざ来たのかとその表情は語っていた。
「W弾けないWではなくW弾かなかったのかWと君は言った。どうして彼女が弾けると?」
アマレットはハァ…と面倒臭そうに息を吐き出した。
「長年ヴァイオリンをやってる人間は右顎に比べ左顎のラインが歪んで凹んでる」
ヴァイオリンを左顎で挟むからだ。顎当てがあっても幼少期からやっていればそうなる人間は多い。
「この女もそうだったからヴァイオリンをしてるんだと思ったんだよ。話はこれで終いか?着替えたいんだ。出てってくれ」
「十八の君が弾けるんだ。今の彼女が弾けると思うのは当然だと思う、が正解です」
「…あ?」
「記憶がないにしても、今の貴女は全くの別人だ」
「・・・・」
黙る彼女。ボロを出しやすいよう煽った言い方が効いたようだ。彼女の目がだんだんと険しくなっていく。
「アマレットはね…銃に不慣れでした。殺しもしたことがない。それに比べ君は随分手慣れているようだ」
アマレットが死んで、別の誰かの男の精神が入り込んでいる、なんてファンタジーなことも考えたが現実的ではない。それ以外で考えられることといったら一つ…
「君はアマレットではない」
お前たちの知るWアマレットWはもうどこにもいない、と以前彼女は言っていた。つまりはそういうことなのだろう。
「アマレットは死んだりなどしていない」
一度死んだ人間が生き返る筈がない。
「今回盗まれた組織の薬。W死んだように眠るWと酒場で例のバイヤーが言っていましたね」
ゴロゴロと空が唸る。
「つまりあの薬は一時、体を仮死状態にさせる薬なんでしょう」
彼女の顔から表情が徐々に無くなっていく。
「君もその薬を飲み、本当に死んだと勘違いしたアマレットは精神世界の深い眠りに入り、君が出てきた」
空が落ちるような雷鳴。
「君の中にはもともと二人の人格が存在したんじゃないですか?」
解離性同一性障害。またの名を多重人格障害。自分の中にいくつもの人格が現れるもののことをいう。
「そうですよね?」
辛い体験を切り離そうとするために引き起こる一種の防衛反応からくるものとされている。
「ルシアン…くん?」
走る稲光は瞠目した彼女の顔を照らし、ビリビリと窓ガラスを揺らす。
「君はアマレットのお兄さん、だね?」
顔半分に映る雨滴の影が彼女の頬を伝う。それはまるで、片割れの君が泣いているようだったーー…
2020.11.28
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