一日目
目が覚めて、見知らぬ天井に疑問を抱く。視線を動かし、状況を確認する。六畳程の部屋。自分はベッドに寝かされ、収納棚と姿鏡があるだけで、他は何もない。締め切られたカーテンからは光が漏れ出ている。
最後の記憶は確か、家に帰った途端に目眩がして……ダメだ。それ以降の記憶が全くない。服は最後に着ていたスーツのままだ。
生活感のあるこの部屋は明らかに病院ではない。
人の気配がないことを確認し、体を起き上がらせる。体に痛みはなく、手、足ともに痺れもない。薬を盛られた形跡もなければ縛られてもいない。
拉致、監禁が目的ではないのか?
ガチャリ、とこの部屋ではない少し離れたところで鍵の回る音が聞こえてくる。誰か帰ってきた。
緊張が走る。
この部屋の情報だけでは敵か、味方か判断がつかない。己の腰に手を回し、銃の存在を確かめる。
そこで初めて違和感に気づく。
なん、だ…袖がーー
人が近づいてくる気配。急いでベッド下の隙間に隠れた。服が絡まり、降りるのも隠れるのも一苦労だった。ズボンの裾がベッド下からギリギリ見えていることに気づきガチャリ、と扉が開く音と同時に慌てて足を引く。
気づかれたか?と息を潜め、動きを見る。
「あー疲れた疲れた…。早く風呂入ってビール飲もー…」
女性の声。ズボンの裾に気づいていた様子はなさそうだった。ふぅ、と胸の内で安堵の息を漏らす。
「さすがに連続夜勤は体にくるわー…」
夜勤。仕事後の帰宅、ということは今は朝方なのだろう。誰かいるのか?と気配を探る。しかし彼女以外に人の気配はないためどうやら独り言のようだった。
自分がベッドにいないことに何の疑問も抱いていない。彼女が自分をここに連れてきたわけではなさそうだ。
では、いったい誰が…
パサッ、と目の前に服が落ちる。
えっ?と目を丸くする。
足しか見えないが最後に下着が床に落ちたところで慌てて顔を背ける。
どうやらここで脱ぎ始めてしまったようだ。不可抗力とはいえ多少の罪悪感を感じる。
脱ぎ散らかした服を持って女性は部屋を出て行く。シャワーの水音が聞こえてきたところでベッド下から姿鏡まで走る。
服が絡んで歩きづらい。
しかし現実を受け止めるには鏡を見なければならない。
でも、そんな非科学的なこと…
「っ!?」
鏡を見て愕然とする。開いた口が塞がらなかった。
体が小さい。
七、八歳くらいか?
先ほど銃の存在を確かめる為、腰に手を回した時にスーツの袖が長くなっていることに気づいた。ベルトに引っかかっていただけの銃は触れただけでポスッ、とベッドの上に落てしまう始末。ベッド下に潜る際に慌てて回収した。
やけに服が絡まるような感覚がして動きづらいと思っていたが…まさか体が縮まっているとは…
こんな、ことって…
とりあえず風見に連絡だ、とスマホを取り出す。しかし圏外の文字に舌打ちする。そしてさらに驚いたことは画面に表示されている日付が昨日の日付より一週間も先にズレていたこと。
二、三日以上、音信がない時点で風見から連絡一つ来ないのはおかしいし、例えここが圏外領域だとして一週間もここに寝ていたのなら彼女も先程のような反応ではないはず。演技をする意味もわからない。
謎が多すぎる。
いずれにしろ情報が欲し…
「やっばー、パンツわすれ…た」
ガチャリとドアが開く。タオル一枚巻いた女性と目が合う。
お互い動きを止める。
「・・・・」
「・・・・」
ゆっくり、ドアが一度閉められる。
少しの間を置いて今度はガチャッ!!と勢いよく開いて彼女は叫んだ。
「えぇっ!?座敷童!?」
座敷童て…
まぁ、風呂から出てきたことは知っていた。服を脱ぎ始めた時点で敵ではないと判断し、この容姿であればどうにかなると思ったのだ。でもまさかあの状態で部屋に入ってくるとは思わなかった。子供の姿でなければ部屋にいた時点で通報されていただろう。
服を着て、頭にタオルを巻き、腕を組んで座る女性と正座で向き合う。
「つまり気づいたら私のベッドで寝ていたと?」
「はい」
「安室透くん、だったかな?」
「はい」
「この際、家にいた事はものすごく驚いたけれど気にしないことにします。ただ服はどうしたのかな?」
その質問に安室は苦笑いを浮かべる。何と説明してよいのやら。体が縮んだなんて言って信じるわけがない。
「わからないです」
その返答に女性、多田野ナノカは困ったように眉を落とす。彼女にされた質問をほとんどそれで返したのだから無理もない。でもここがどこで、いったい何故こんなことになっているのかを知るためには彼女に警戒を解いてもらい協力してもらう他なさそうだった。
「住んでるお家の住所、言える?」
「米花駅の近くということしか…」
多少曖昧な返答をしても子供の姿なら大目に見てもらえる。彼女が安室の話を聞く姿勢、態度、雰囲気を見るに彼女が安室を子供だと思っていることは明らかだ。同時にそれはこの姿にしたのは彼女ではないと証明していた。
「ベイ…カ、駅っと」
取り出したスマホをタップし、スクロールしている仕草にどうやら調べてくれているようだった。つまり電波が通っている、ということだ。安室は彼女の目を盗み、チラ、と己のスマホを覗く。けれど表示は圏外のままだった。
「うーん…出て来ないなぁ」
「は?出て、来ない?」
その言葉に安室はなんの冗談だと訊き返す。彼女は難しい顔で「うん…」と未だスクロールを続けている。
「ここは東京ではないんですか?」
「東京だよ。新宿区」
「なら出て来るはずです。貴女も聞き覚えありますよね?」
んー?っと首を傾げ煮えきらない反応をする彼女に苛立ちが募る。
「あの、米に花という文字でベイカと読みます。もう一度検索してもらえませんか」
「米に花…」
彼女は検索して眉を寄せる。その表情を見て安室も同じ表情をする。
「そのスマホ貸してください!」
彼女からスマホを奪い取り、画面を見る。「あー!ちょっと…!」と怒った声が聞こえたが気にしない。嫌な予感の方が上回りそちらに気を配る余裕さえなかった。
汗が頬を伝う。
画面をいくらスクロールしても、出て来なかった。
「あ…の…」
彼女はいつのまにか安室の横で一緒になって画面を見ていた。安室の声に反応し、視線をこちらに向ける。
「電話…をかけても、いい…ですか?」
「うん、いいよ」
もちろん、と彼女は言った。
風見の電話番号をタップし、耳に当てる。《お掛けになった電話番号は…》のアナウンスが流れ、最後まで聞かずに通話終了をタップする。
「もしかしてお家、わからない?」
「はい」
「透くん」
はい、と状況を整理している脳は低い声となって出る。反して彼女は明るい声で安室に言った。
「ご飯!食べない?」
その言葉に、安室は「はい?」と顔を上げた。
スーツでは動きづらいだろうと貸してくれた服を着る。ぶかぶかであったがスーツよりはマシだった。部屋を出ると髪を乾かしたのか、ターバンのように巻いていたタオルはなくなっていた。
キッチンに立つ彼女を見て安室は冷蔵庫に手を掛ける。
「僕も手伝いま…す」
大きい服のせいかズル、と丸襟から肩が出る。ビールの缶しかそこには入っておらず、固まっていると気づいた彼女が冷蔵庫を覗き込む。
「あー…しまった!明日買い出しに行こうと思ってたからなんもない!」
ごめん!ビールしかないね!と開き直る彼女に安室の目は据わる。
「警察に届けないんですか?」
出かける用意をしている彼女に安室はそう声を掛ける。
「僕が犯罪者側の人間かもしれないのに」
「私を誘拐犯に仕立てようとしてる人物がいるかも、ってこと?」
「そうです」
「合わない服を着ていたのは私の母性をくすぐる為だと?」
「母性…くすぐられたんですか?」
「すごいくすぐられた」
ふふっ、と小さく笑う彼女に安室は呆気に取られる。
「まずは合う服をきて、美味しいご飯を食べて!それから君のこと、もっとよく知りたいな!」
笑う彼女はこちらのことなど一切警戒などしていない無邪気な笑顔だった。
「だって透くん今履けるパンツすら無いしね」
「辛うじて履いてます」
「まぁ、でも捕まるとしたらそっちの方だわ」
その言葉に確かに、と己の格好を見る。ぶかぶかのTシャツにサイズの合わない短パン。常に手で持っていないと下着ごと置ちてしまいそうだった。
「確かに、特殊な趣味をお持ちの方に見られなくもないですね」
「だよね」
「まぁ、とりあえずそのままじゃ歩けないだろうし車まで抱っこしてもいいかな?」
ぶかぶかの格好を見てそう提案する。歩いたらズボンが落ちてしまいそうだ。しかし抵抗があるのかナノカの言葉に彼は固まってしまう。
「靴もないしね」
そう、本当にどうやってここに入ってきたのか。彼は靴を履いていなかった。サイズの合っていない靴下も汚れていなかったし。
「それとも家で待ってる?」
すると彼は首を横に振り、外に出たいという。
「なら、抱っこコースで」
それにしぶしぶ納得したのか「わかりました」と小さく頷いてくれた。
抱き上げようとしたら「貴女の背中に僕が乗ります」と強めの口調で言われた。
ここはオートロックのマンションで家の鍵も特殊なもので出来ている為、例え満に一つにこの子にピッキングという子供らしからぬ行為が出来たとしても、部屋に入ることは不可能。
泥棒対策で屋上もしくは上の階からも降りれない仕組みとなっているし、十階建の五階に位置しているこの高さで子供が外壁を伝ってベランダから侵入する可能性も低かった。いや、出来る子もいるのだろうがあのぶかぶかな服では無理だ。
何を質問してもわかりません、と彼は言った。
見たところ怪我はしていなさそうだし、記憶障害、というわけでもなさそうだった。名前も言えて、最寄り駅までわかっていた。
W貴女も知ってますよね?W
米花駅とは東京の者なら誰でも知っているかのような言い方だった。いくら検索しても出てこないことを伝えると彼は驚いた顔をする。
スマホの画面を見て米花駅が存在しないことに酷くショックを受けているようだった。その時の彼の表情を見て、もう少し話をするにしても落ち着いてからだな、と思い直し気分転換にご飯を提案したが、いかんせん、あまり料理をしないのが早速バレてしまった。ビール缶だらけの冷蔵庫を見られて初対面の少年に呆れた顔をされてしまった。
とりあえずパンツだけでも買おう。色々とまずい。私が。と大手のデパートの駐車場に車を停める。
「一旦適当に何か買ってくるよ。どんなのが良いとかある?」
「お任せします」
「ブリーフでも文句言わない?」
「ボクサーないしはトランクスでお願いします」
それに小さく笑う。大人びた子だが、やはりそこは男の子。拘りある年齢だよね、と笑いながら車のドアを閉める。
夏場に車中一人にするのは抵抗があったがあの格好で連れ出すわけにもいかずエアコンはつけたままにして、急いで買い物を済ませた。
車に戻って来ると彼は大人しく待っていた。気分転換にと渡していたスマホを何やら真剣な表情で見ている。
衣類が入った袋を渡し、車の外で着替え終わるのを待つ。タグは切ってもらったし、サイズが多少合わなかったとしても少しの間だ。自分の服よりはマシであろう。靴だけは本人が履かないとわからなかったからサンダルにしてしまったが。
背を向けていたドアがガチャリと開く。
出てきた彼にナノカは満足そうに微笑む。
「うん、なかなか似合ってる」
その赤いTシャツ、と言えば彼は不機嫌そうな顔をした。
お任せします。って言ったじゃん!
逸れないよう手を繋ごうとしたら大丈夫です、と言われてしまった。子供らしからぬその冷静な声に思わず苦笑いする。
彼を疑うことが出来ないのはナノカを逆に警戒しているから、だ。悪戯で入ったのならこんな反応はしない。本当にどうしてあそこにいたのかわからないのだろう。だとしたら犯人は別にいる、ということだけど…。
チラッと彼の顔を見る。車から降りてから心なしか顔がずっと強張っている。
「先にご飯にしようか」
少しでもナノカを信用して、自分のこと話してくれたらいいな。
「美味しい?」
それに彼は小さく笑って頷く。何が食べたいか聞けばなんでもいいと言われたので子供が好きそうなオムライス屋を選んでしまったのだが…。これは喜んでいるのだろうか、はたまた気を使われているのだろうか。うーん、わからない。
とても落ち着いている。食べ方も綺麗だ。きっと家ではお行儀良くするよう言われているのだろうな、と勝手な想像をする。
「食べ終わったら何処か行きたいところある?」
「あの…」
「ん?」
「僕を、三日ほど…貴女の家に住まわせてくれませんか」
飲んでいた水を吹き出しそうになる。慌てて飲み込んだが、逆に変なところに入ってしまった。咳き込むナノカを見て申し訳なさそうに眉を落とす彼。
いやいやいや、一体どうしたというの。
「三日、だけでいいんです。あとは自分でなんとかします」
「例え三日といえど、ご家族の方は心配されるんじゃないの?」
「家族はいません」
はっきりとした口調で言う彼にナノカはしまった、と口を噤む。踏み込んではいけないワードだったか?
「電話を掛けようとしていたよね。それはどこに掛けようとしたの?」
極力優しい言い方を心がける。しかし彼はそれには応えず、きゅっと下唇を噛み、瞳を左右に揺らしたあと辛そうに目を閉じてしまった。
「戻りたく、ないんです」
ふるふると小さく震える体。ぎゅっと両手を膝の上で固く握り、泣くのを堪えているようだった。
その小さな体で、何から逃げてきたの?
君は何かの事件に巻き込まれていたりするの?
色々なことを懸念してしまう。
今無理に警察に保護を頼んでも何もわからなければまた同じ生活に戻り、彼はまた同じことを繰り返すのだろうか。
合わない服を着て。靴も履かずに。
この警戒心の強い子が会って間もないナノカを頼っている。
自分の家にいたのも何かの縁、か。
君がどこから逃げてきたのか、一体何者なのか。それを知るためにもお互い時間が必要だと思った。
時には逃げ場所も必要、か?…なんて眠気ピークで実際よく回っていない頭はそんな判断を下してしまう。
「わかった」
気付いたら頷いていた。
「いいんですか?」
パッと顔を上げる少年の顔は全然泣きそう表情などしていなかった。
「ん?あ、あぁ…まずは、三日…だね」
元気にオムライスを食べ始める彼にヤバイ、早まっただろうかと後悔する。
まぁ、もう言ってしまったことは取り消せない。三日後状況がわかれば警察に保護を頼めばいい話だ。
それに今は世間一般でいう夏休み。
子供を連れていても変な目で見られることはないかとぼんやりする頭でそんなことを思った。
2020.8.2
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