二話
「もう一度透くんの料理が食べられるなんて思わなかったなぁ。とっても美味しかった。作ってくれてありがとう」
ご馳走様でした、と手を合わせて頭を下げるナノカ。嬉しそうに頬を上げ洗い物は任せて!と食べた食器を片す彼女の後ろをついていく。いつも見上げていた彼女を今は見下ろしている。見えることのなかった後頭部をまじまじと見つめていると、安室の気配に感づいた彼女がバッ!と勢いよく振り向きファイティングポーズを取った。
「・・・・」
喜ぶのも束の間この姿になったら彼女の警戒心が強まってしまった。
「そういえばナースシューズはどこに?」
一息ついて、彼女の持ち物を確認する作業へと移る。机の上に並べられているのは向こうの世界から持ち込んだ物品だ。安室の問いに脱いだナース服のポケットから色々出していた彼女は動きを止めた。
「実はここに来る前は着替え室にいたの。うちの病院、ロッカールームは土足厳禁だから」
「着替え中じゃなかったのが残念だな」
「透くん、あんまり酷いとプロレス技掛けるからね」
「はいはい、わかった、わかった。程々にするよ」
信用できない、と未だ訝しげな表情を向けている彼女に安室は降参したように両手を小さく上げる。
「…ごめん。実は君に会えたのがすごく嬉しくて」
つい、舞い上がってしまった。と恥ずかしそうに頭を掻く。申し訳なさそうに眉を下げ、テーブルに並べられた彼女の持ち物に視線を落とす。
「なるべく、その…気持ちを抑えるから…」
だって、君はいつか帰ってしまうから…
「私だって!」
張るように発した彼女の声が部屋に轟く。少し怒ったように目尻は吊り上がっていたがその眉は切なそうに寄せられていた。
「わ、わたしだって…透くんに会えたのすごく…嬉しかった…よ…」
だんだんと言葉尻を窄める彼女。恥ずかしそうに肩を窄め、声を落とす。
「また…会えた時は絶対に零君って呼んで思いっきり抱きしめてやろうって…思ってたのに…」
ぼそっと言った言葉を聞き逃すわけもなく、えっ?と安室は期待を込めた目で彼女を見る。
「で、でも!サイズがこう…もう少し、もう少し!コンパクトになってもらわないと…それに透くんがそんな感じだと…素直に喜びを表現出来ないというか…」
だからやっぱりちょっと抑えて、という彼女に安室は困ったように眉を下げた。
彼が、ナノカの世界に来た時と違い気持ちを素直に表現してくれることは嬉しかった。子供の姿であれば例え中身が大人だとわかっても両手を開げて受け止めていたかもしれない。しかし大人の姿になってしまうと途端に身構えてしまう。いかんせん、自分はあまりそういう経験が豊富ではないのだ。どう対応するのが正解なのか本当にわからない。
それに…
テーブルに落としていた視線をパッと上げる。前方から視線を感じたからだ。顔を上げれば安室がナノカの顔をジッと見ていた。うっ…ま、また何か企んでいるの?とつい身構えてしまう。
「もしかして直前まで手術室にいた?」
へ?と思っていた話の切り口ではなかった為に、反応は遅れてしまう。そして当たっていることにナノカはパチパチ、と目を瞬かせる。
「えっ、なんでわかったの?」
「着替え室に居たと言っていたし、額にゴムのような線が入ってる」
言われてバッと額を手で隠す。うちの病院は縁がゴム素材で出来てる使い捨ての手術帽子を被る。午前中いっぱい付けていた為に痕が消えてないのかもしれない。
「やだな、顔が浮腫んでるのかも」
線が入っているであろうおでこを指の腹で擦る。恥ずかしい上にかっこ悪いし、自意識過剰な勘違いに顔は少し熱くなる。
「あんまり擦ると赤くなるから」
安室がナノカの手首を掴む。当たり前だが、自分よりも大きなその手は簡単に自分の手首が覆われてしまう。
男の、人の手だ
ナノカが黙って安室を見上げるものだから彼もナノカを見つめる。
「も、持ち物はこれで全部?」
パッと安室が視線をテーブルへと移し、話題を変える。先ほど抑えて、とお願いしたからかもしれない。ナノカもそれに救われ、首を縦に何度も振る。
「う、うん。アルコール消毒ジェルにメモ帳、ボールペン、ペンライト、ハサミ…」
「他にナースウォッチやタイマー付き電卓、駆血帯…あとは手に持っていたというサージカルテープか…」
「聴診器だけ置いてきちゃった…」
高かったのに…とナノカは残念そうに肩を落とす。
「PHSは?前に首から下げてた」
「あっ、それも着替える時に一旦首から外したからロッカーに掛かったままかも」
「手にとって触っても?」
「どうぞ、どうぞ!」
安室はボールペンを手に取る。それは後ろに印鑑が付いているタイプのものだ。時々仕事で使う。特に変わっている所がないとわかるとそれをテーブルに置き、次は懐中式のナースウォッチとペンライトを手に取った。それは他の無地な物と違い控えめな装飾が入っている。
「その二つは夢の国のデザインで新人の時自分の誕生日に奮発して買ったの」
「何か意味があるのか?」
「小児科担当なら子供が興味示す子もいるから買う人も多いんだけど、私は自分の仕事へのテンションを上げる為に…」
「デザインが入ってるだけで変わるもの?」
「変わるよー!これでもシンプルな方を選んだんだから」
ふーん、と安室はその二つをマジマジと見つめたあと、タイマー付き電卓を手に持つ。ボタンを押したり、裏に返したりしてやけに入念に調べている。特に変な物を持ち込んだつもりはないのだが…。首を傾げているナノカに気づいた彼が理由を教えたくれた。
「僕が君の世界に飛ばされた時、スマホ画面に一週間先の日付が表示されたんだ」
「え、そうなの?」
「うん。だから君の持ち物にもそれらしき記載があるかと思ったんだけど…」
タイマー式の電卓も特に何も見つけられなかったのかテーブルの上に静かに置き、安室は深刻な表情でナノカを見つめる。そんな彼にナノカもゴクリ、と喉を鳴らした。
「行きたい?」
え?とナノカは首を傾げる。身構えていた話の切り口ではなかった。
「え?ど、どこに?」
「夢の国」
「え?こっちの世界にもあるの?ってそうじゃなくて!」
何が悲しくて一人でノリツッコミをしなければならないのか。
「なんで、急にそんな話…それに透くん、お仕事あるんじゃないの?」
「途中電話に出ることはあるかもしれないけど、数日は調整してもらったから。それに君には凄く世話になったからその恩返しがしたい」
「たった一週間だけだよ。それに子供の姿なら尚更大変だったと思うし…」
「それでも赤の他人の僕の面倒を見てくれた。住まわせてくれたことに凄く感謝してるんだ」
それに…とナノカを見つめる安室の眉は悲しそうに下がる。
「いつ帰ってしまうのかわからない君と少しでも一緒にいたい」
「また、そういうことを…」
いや、違う、とナノカは膝の上でぎゅっと拳を握る。本当はすごく不安だ。気を抜くと怖いことばかりが頭に浮かぶ。元の世界に帰れるのかな、とか。帰れるかどうかの心配をしているくせに、いつここを離れなくちゃいけないんだろう、とか。矛盾した感情がぐるぐると回っている。
君も、そうだった?
未だ捨てられた子犬のような目をしている彼を見て、ナノカは困ったように笑う。
だから今、余計なことを考えないようにさせてくれてるの?
ナノカの心はぎゅっと締め付けられたーー…
「…釣りが、いい」
「え?」
「あっ!でも無理しないでね!お仕事優先で」
「釣りでいいの?」
「うん。獲った魚をまた一緒に食べたい。ビールも、飲みたいかも」
ナノカの言葉に彼は呆れたように笑った。そんな彼にナノカも笑顔を向ける。
「わかった。行けるよう準備しておく」
「ありがとう」
「ひょっとして僕が居なくなったあともやってた?」
「ちょっとだけ…」
まだちゃんと釣れるわけじゃないけど、と急に面映く感じ、こそばゆい気持ちを隠すよう亀のように首をしまう。顔が、熱かった。
「抱きしめてもいい?」
「なんでそうなるの!」
まだまだ先は遠そうである。
2020.11.12
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