七日目


夜が明け、空が白んできた頃、ナノカを起こさないようベッドから静かに足を下ろし、そのまま出て行こうとする。

「っ!?」

しかし突然クンッと服を引っ張られまた体はベッドに腰掛ける形となった。

「・・・・」

後ろを振り向けばぱっちりと目を開けたナノカがこちらを向いていたーー…




「もしかして黙って行こうとしたの?」

少し怒った口調の彼女に安室は困ったように笑う。

「…どういう顔でお別れしたらいいのか、わからなかったもので…」

口を開き何か言おうとしている彼女に喋らせないよう「最後の朝ごはん、一緒に食べましょう」と安室は口を挟んだ。開けられていた口は閉じられ彼女は頷いた。少し寂しそうに笑って…





「ふふっ、来た時と同じ服を着ていくんだね?」

いつも通りの朝を終え、ぶかぶかなスーツを着る安室にナノカは可笑しそうに笑う。

「えぇ、二十九歳なので」

「未だにそれだけは信じられないなぁ」

安室はほとんど消えかかってしまっている己の体を見る。

「ナノカさん、そろそろです」

その言葉にナノカは切なそうに眉を寄せ、一度目を閉じる。しかし次には笑顔で安室の手を取った。

「透くん、君といたこの七日間、すごく楽しかった。たくさん笑ったし、美味しいご飯も毎日食べられて…すごく、幸せだった。それから…」

それから…

言葉が詰まってしまう。
もっと、いっぱい、あったんだけどな。
なにをお別れの言葉にすればいいかわからない。


日が昇る。


カーテンの隙間から太陽がきらりと光る。透けた体を照らし、射す光が安室の体をすり抜けていく。

あぁ…彼の体が、消えていく

安室の手を握り、額をこつりと当てる。

「透くん、元気でね」

「はい。ナノカさんも」

「向こうでも体大事にね」

「ナノカさんこそ、お酒は程々に」

「あまり無茶しないで」

「貴女も見知らぬ子供の世話を焼くのはこれっきりに」

その言葉にナノカはふふっ、と笑いが零れる。

「…ねぇ、透くん」

ありがとう、とナノカは安室を抱きしめる。背中に回る小さな手。

「貴女には感謝しても仕切れません。どれだけ助かったことか。貴女は優しく、常に明るく僕のそばにいてくれた。そんな貴女に…」

不意に彼の体が大きくなったように感じた。まるで大人の男性に抱きしめられているようなその感覚にナノカは目を見開く。

「…いえ、なんでもありません」

さようなら、ナノカさん。と体を一度離し、安室透の面影があるその男性はナノカを見て困ったように眉を落として笑う。

「お元気で」

「待っ…!」

あっ…消えちゃう、と手を伸ばした先にはもう誰もいなかった。彼が先ほどまでいたその場所を、空を、弱々しく握りその拳を胸に抱えた。

未だ先ほどの光景が忘れられず放心してしまう。

「二十九歳って…本当、だったんだ…」

ハハッ、と次には乾いた笑いが出る。

「子供っぽく、ないはずだよ」

ナノカはようやく涙を流す。無理に笑っていた顔をくしゃくしゃに歪ませ、顔を手で覆った。

「思ったっ、以上に…さび、しいや」

ヒクつく喉奥。ぽろぽろと出てくる涙。

元気で、
元気でね、透くん。

「透くんが心配する。しっかりしなきゃ」

しかし次には手の甲で涙をゴシゴシと拭う。

「明日から仕事だ!頑張るぞー」

無理矢理作った笑顔には微かな憂いが残っていたけれど、それでもナノカの心は温かいもので満たされ、続く明日の為に前を向いたーー…






ワンッ!ワンッ!ワンッ!

遠くでハロの声が聴こえる。
だんだんと鮮明に耳に入ってくるようになり降谷はパチリ、と目を見開いた。ぼやける視界に見えたのはハロが自分の体に前足を乗せ、心配そうにこちらを見ていた。少し震えの残る手で撫でてやると千切れんばかりに振っている尻尾が手に当たる。元気そうなハロの様子に安堵する。

帰って、きたのか。

体を起こし部屋を見渡す。ゆっくりと立ち上がり、念のため変化がないか部屋を隅々まで確認する。誰かが侵入した形跡もなく、そこは一週間前となんら変わりはなかった。安全性の確認が取れたところで、スマホを充電器に差し込む。明るくなる画面。日付は元に戻っていた。

突然ブー!とスマホが震える。
風見からだった。

「風見か?」

《はい。先程別れたばかりなのにすみません》

その言葉でより確証を得る。こちらの世界では全く刻が進んでいなかったということを。

「構うな。どうした」

《実は別件で追っていた組織が動きを見せまして…》

「わかった。後ほど合流する」

《あの、降谷さん》

「なんだ」

《いえ…その…》

「なんだ、はっきり言え」

《なにか、ありましたか?》

「え?」

《その、お声が少し…》

「声?」

《すみません。出過ぎたことと思ったのですが、声色がいつもと違う気がしまして…》

部下に気付かれるなど。この一週間で随分腑抜けになってしまったようだ。やれやれ、情けない。と降谷は首を横に振り自嘲気味に笑う。

「すまない。一週間ばかり夏休みを貰ってたんだ。その反動だな」

《えっ?夏休みって…先程まで同行してましたよね…?》

因みに昨日もお会いしていますよね?という部下に降谷は笑う。

「本当だな。可笑しなことを言っている」

降谷はここ七日間の出来事を振り返り優しく目尻を下げる。

Wそんな貴女に心惹かれてましたW

直前で飲み込んだ言葉を思い出す。危うく互いに未練が残る別れ方にしてしまうところだった。

《あの、降谷さん体調が優れないようでしたら…》

「馬鹿を言うな。大丈夫だ。十分後にはつく。それまで待機だ」

何やらまだ何か言っていた部下だが最後まで聞かずに通話を切る。降谷はネクタイを締め直し、玄関に向かった。

「ハロ、行ってくる」

小さく笑ったあと顔を引き締め、後ろ髪引かれる思いとは裏腹に湧いてくる充足感を微かに感じながら明日の為に、この国の為に、降谷は扉を開けたーー…




end
2020.9.28
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