退院
「無事退院おめでとう」
「ありがとう」
今日は以前安室透として初めてかやと食事をしにきた店に来ている。偶然にもあの時と同じ席に座り、彼女は春仕様に施されている中庭を一望すると嬉しそうに目を細めた。そんな彼女に降谷も満足する。
快気祝いも兼ねて連れてきたワケだが、久しぶりのお酒に目を輝かせている彼女に釘を刺す。
「調子に乗って飲み過ぎるなよ」
「はーい」
空返事。きらきらした目でメニューを見ている彼女にまったく、と呆れたように笑う。
食事をしながら、嬉しそうにお酒を口にしているかやの姿に連れてきて良かったと降谷は心の底から思った。
「懐かしいなぁ、ここ」
「君がコナン君を好きだと露呈した場所だな」
「あぁ…コナン君…」
「おい、あからさまに落ち込むな。否定しろ」
「哀ちゃんも、元気かなぁ…」
かやには自分が公安である秘密しか打ち明けていない。いずれ彼らの口から直接彼女に語られる日がくるまで待つつもりだ。
「君があの少年に熱を入れるのは新一君に似てるせい?」
「あれ、知ってたの?新一君に似てるって」
「ポアロであんな熱烈な態度を見せつけられたらな」
「あはは、ほんっとーに通報されなくてよかったー」
顔に冷や汗を掻きながらどこか遠い目をするかやを降谷はジト目で睨む。
「で、本音は?」
「うん、そうかも。幼少期の新一君に似てたからどうしても肩入れしちゃって」
「逆に工藤新一に好意があった?」
「弟みたいな感じだよ。向こうもそう思ってるんじゃない?」
「いや、あれはでかい妹だと思われてるんじゃないのか?」
「・・・・」
「睨むな」
「新一君も蘭ちゃんもほんっとーに可愛かったんだよ。今も可愛いけど」
「はいはい」
「あっ、そうだ。キャメルさんの結婚式ね、無事に終わったって。写真見る?」
「興味はないが、見る」
なにそれ、とかやは笑いながら椅子を少し降谷に近づける。
「ガーデンウェディングだったみたいでね、これが…」
スマホをスライドさせながら色々話してくれる彼女には悪いが、適当に相槌を打ちながらその嬉しそうな横顔を眺めた。長い睫毛が慌ただしく上下に動く。そんなところでさえ愛おしく思うのは結構重症なのだろうか。
「って聞いてる?」
チラッと少し不服そうに口を尖らせている彼女と目が合う。しまった、全く聞いていなかった。「聞いてる聞いてる」とにっこり笑って頷けば彼女はふーん、と疑わしげに目を細める。次にはまぁいいやと話を続けた。
「入場曲とか、赤井さんのアコーディオンで…あっ、赤井さんっていうのはね…」
「あぁ、大丈夫だ。彼のことは知ってる」
「えっ!零君知ってるの?じゃあ昴さんと赤井さんがお友達だったのも知ってる?」
「あぁ、よく知ってる。密接した関係だということもね」
「なに、その含みのある言い方…」
赤井の話が出て、途端面白くない顔をする。色々思うこともあり、視線を落とす降谷の表情を見てかやは何を察したのか「まさか…」と目を大きく開いた。彼女は妙なところで察しが良い。もしかしたら今ので気づいたのかもしれない。降谷は次の言動に構えた。
「二人は恋人同士だったってこと?」
「・・・・」
一瞬固まる降谷だったが、欲に負け、あろうことか黙って頷いてしまう。
「あぁ、だから君もその件にはあまり触れるな」
真顔でしれっと言ってみる。
すごい勘違いをしたな…とそう思わせるように仕向けた癖に関係ないと言わんばかりである。
「あまり公に言うなよ」
「そうだね。この件は触れずにいます」
「そのほうが向こうもいいだろう」
沖矢との確執みたいなのは取れたのだろうか。以前より言い方が柔らかい感じがする。なんて考えているかやだが、今まさに沖矢もとい赤井がひどい嫌がらせを受けていることに気づく術はなかった。
以前とは逆で今回はかやに仕事の電話がかかってきてしまい、躊躇している彼女に遠慮せず出るよう促せば申し訳なさそうに席を立つ。
すぐ傍にいるというのに途端に寂しく感じてしまう。彼女はもっと長く自分を待っていたというのに…。綺麗にガーデニングされた庭先を見ても気分は晴れず、グラスに口をつけながらスマホを取り出す。横向きにし、ある動画を見る。しかしかやの気配を感じとると降谷はすぐ様スマホを仕舞った。
「今の、動画?」
「あぁ…まぁな。気になる?」
「ちょっと嬉しそうな顔してたから少し気になる」
「ふーん」
「え?教えてくれないの?」
「教えない」
そう言った降谷に彼女は眉を寄せる。怪しい…と目を細め、顔を近づける彼女に手を伸ばしキスしそうになる。店で人目があることを思い出し、降谷は手を下ろした。
「言っとくけど尋問の仕方は友達のお陰で手慣れてるからね」
「なんの話だ」
しかもそれを僕の前で言うのかと降谷は呆れた顔で彼女を見る。しかし次には口角を上げた。
「ならお手並み拝見といこうじゃないか」
後悔しても知らないからね、と彼女は自信たっぷりに前置きした。
「あなたが手にしているそのスマホ。横向きに見ていたのは動画で間違いない?」
「横向きにしたからって動画とは限らない。だいたい自分のスマホだ。どんな風に見たって構わないだろう」
「・・・・」
「おい、まさかもう終わりじゃないよな?」
「いや、まって!今考えてる」
「相手に考える間を与えるな。ボロが出るように質問し続けろ」
「な、なにを見てたんだ」
「ただの写真」
「どんな写真だ」
「なぁ、その話し方僕の真似してるとか言わないよな?」
「もー、全然ダメじゃない」
「君は本当に探偵にも警察にも向いてないな」
「尋問されるのが慣れてるだけで、するのは慣れてなかったみたい」
「いったい普段どんな会話をしてるんだよ」
「えっとね…」
「いや、いい。やっぱり聞きたくない」
久々の下らない会話。満たされていく感覚に降谷は満足していた。まだ帰りたくはなかったが退院したての彼女を思うとあまり長居は出来ないだろう。そろそろ帰ろうかと降谷が口にすればかやもわかっているのか残念そうに笑って頷いた。案の定財布を取り出す彼女に降谷は透かさず口にする。
「もう君も降谷になるんだ。僕が出してもいいだろ?」
彼女が真っ赤な顔で放心している隙に降谷は会計を済ました。
帰り際、降谷の服の袖を掴みかやは寄りたいところがあると小首を傾げて言われたら頷く以外の選択肢はなかった。
満開の桜並木。あの頃と同じように夜道を二人で歩く。かやは降谷の手を掬うように自分の手を絡めた。突然のことで驚いた顔をする降谷にかやは悪戯っ子のように笑って返す。
W恥ずかしくて繋ぐことが出来なかった君の手を、今度は私から繋ぎにいくよW
昔、ポアロで蘭たちが話していた彼女の歌詞。本当に自分から繋ぎに来るとは思わなかった、と降谷は緩んでしまう顔を抑えた。
キスしたい。
いきなりしたら怒るだろうか。彼女の頬に手を添えようとした瞬間、繋いでいる手が離れ、彼女が視界から消える。まだ5分も繋いでいない上にキスが不発。腰を屈めてブーツを気にしているかやを不服そうに見つめる。
「零くん、ちょっと待って、ブーツが…」
明らかに不機嫌なオーラを出す降谷にかやは慌てたように口を開く。酔っているせいで手元がもたつく。店を出た時から違和感はあったのだ。歩く内にどんどん下がるファスナー。もたもたしてるかやに彼は呆れたように溜息を吐いたのがわかった。
「何やってるんだ、全く…肩貸してやるから」
「ありがとう」
少し屈んでくれた降谷の肩に手を置いて、かやはブーツのチャックを直そうとする。
「あ、もうダメかも…完全に壊れた」
「ったく、ほら少し歩いたところにベンチがあるからそこまで歩け」
「うん」
ちゃんと閉まらないブーツは歩きにくく、片足を引き摺りながら歩いていると見兼ねた降谷が立ち止まる。
「ほら」
そう言って背中を向けて蹲み込む。かやはその姿勢を見て顔を赤くした。
「い、いいよ。この年になっておんぶは恥ずかしい」
「ならそのままで歩けるのか?」
「うっ…」
早くしろと言われしぶしぶかやは降谷の背中に体を乗せる。
「よっ、と」
高くなる視界。かやは降谷の肩に手を添えて、桜との近い距離に目を奪われる。かと思いきやかやは目の前の背中に釘付けになる。服越しでもわかるがっしりとついた筋肉。浮き出る肩甲骨に何故だかときめいた。いったい自分はどこにときめいてるんだ、と慌てて視線を別のところに変える。次に目に入ったのは彼の頭部。あ、こんなところにつむじがあるんだ、と普段見えないアングルにまた胸がドキドキしてしまう。
ひらり、と桜の花びらが彼のつむじに舞い降りる。桃色のそれは彼の髪色に良く映えていた。ジッとそこに視線を注ぎ…
ちゅっ
気付いたら唇を寄せていた。歩いている降谷の足が止まる。軽く押し当てていた唇を慌てて離す。あっ、ついやっちゃった…嫌だったかな?と後悔しているとじろっと照れた横顔がこちらを向く。可愛いと思ってしまった。
嫌味を言われる前にかやはしらばっくれて関係ない事を訊く。
「お、重い?」
「重い」
そう、面白くなさそうにぶっきら棒に答えた彼の背中をパシッと軽く叩いた。
ベンチに座らせ、壊れたチャックを降谷が丁寧に直す。
「ほら、直ったぞ」
「ありがとう」
少し虚な目のかやを怪訝そうな顔で見る。
「おい、そのまま寝るなよ」
「寝ないよ」
ふふっと笑う彼女を降谷は跪いたまま見上げる。あの時と同じように彼女は桜の木を背負っている。
「ここでレイの夢を見たの。その時抱きしめたのはあなただったね」
彼女も思い出しているのだとわかって、口元が自然と上がる。
「そうだな…」
「今も、夢を見ている気がする」
「寝ぼけてるなら、僕はこのまま動くわけにはいかないな」
その言葉にかやは嬉しそうに両手を伸ばし、降谷の頭を包み込んだ。頬をすり寄せ耳元で囁く。
「大好きだよ、零」
降谷は優しく目を細めて、すべてを委ねるように目を閉じた。
おまけ
二人でベンチに座り夜桜を眺めていると彼は言った。
「さっきの動画気になる?」
「教えてくれるの?」
降谷はかやにスマホの画面を見せる。どこか見覚えのある景色に目を凝らす。
『ひぃっ!』
『大丈夫?早く上がって!』
『ゴホッ!大丈、夫だよ…鼻に水が入っただけで』
川から出てきた長い髪の女に歩美が悲鳴を上げるシーンにグサっとくる。
髪をかき上げ、己の顔が出てきて確信する。以前皆でキャンプに行った際、川に落ちた時の動画だ。わなわなと震える体。
撮影している犯人はわかっている。駆けつけたメンバーでここに写っていないヤツは一人しかいない。
哀ちゃんっ…!
動画が終わり、降谷は次の画面にスライドする。
粉まみれの女の写真。これは阿笠の家でケーキ作りに行った時の写真だった。言葉を失うかやを他所に降谷は次の写真をスライドする。少年探偵団たちに指を差されて笑われていた。さらにスライド。くしゃみをして粉が飛び全員に粉が掛かる写真、さらにスラ…
「って!いったい何枚もってるの⁉」
スマホを奪おうと身を乗り出せば降谷はそれをヒョイッと高く挙げた。
「新一君から送られてきたんだ」
「どんだけ流出してるの⁉」
「君と会えない間、だいぶこれで癒されたよ」
「そんなんで癒されてないで本人に会いに来てよ」
身を乗り出し、スマホを掴もうとするが彼はそれをひらりと交わす。
「消してっ」
「ダメだ」
スマホが指先に少し触れると彼はもっと腕を高く挙げた。かやはベンチから立ち上がり彼の前へ移動する。つま先立ちしてなんとか奪おうと試みるが腕を後ろの方に伸ばされてしまうとこの高さでも敵わない。
「もう、いい大人なんだからそんなことしないでっ…って、うわ!」
バランスを崩し体が前のめりに倒れる。
かやの頬に降谷の温かい手が触れる。まるで刻がゆっくり進んでいるような感覚。彼の唇に吸い寄せられるようにかやのものが静かに重なる。
驚いて目を開く。
温かい手
綺麗な睫毛
彼の優しい匂い
微かに舌で感じるスコッチ
互いの小さな息遣い
すべての五感を持っていかれかやはそれに応えるようにゆっくり目を閉じた。
漸く出来たキスを満足に堪能し、隙をついて左手薬指に嵌めた指輪を彼女がいつ気付くかわからないが、早く気づけばいいと降谷は思った。
end
2020.3.16
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