安室さんと夜桜みたり、カレー食べたり、朝焼け見たり7
「この間かやさんと行ったカラオケ店あるでしょ?あそこのね…」
ふと、そんな会話が耳に入り、デザートを持っていくついでに話に入り込んだ。
「かやさんとカラオケに行ったんですか?」
「えぇ、そうなんです。道端でバッタリ会って。かやさんがどうかしましたか?」
「いえ、最近見かけないのでどうしてるかな、と」
「そういえば最近事務所にも来てないかも」
「お元気そうでしたか?」
「拍子抜けするほど元気だったわよ」
園子は、頬杖を突きながらその時のことを思い出しているようだった。ついにはプッといきなり吹き出した。
「ちょっ、園子!」
「ごめ、だって…くくっ」
「どうかしたんですか?」
すると蘭は言っていいのか迷いつつしどろもどろに応える。
「私たちもついノリでカラオケに誘っちゃったんですけど、小さい頃から知ってるからかやさんにそんなイメージなくて、そのギャップにびっくりしちゃって」
なかなかはっきり言わない蘭に対し、園子がズバッと切る。
「つまり、ものすっごい音痴だったのよ。あの小僧に引けを取らないくらいにね」
「え?彼女音痴なんですか?」
「私たちもまさかあそこまでだとは思わなくて…。でも自信満々に歌うから途中おかしくなっちゃって」
「あれは人前で歌わない方がいいレベルね」
安室は呆気に取られる。確かに歌は上手くはないと彼女本人から聞いてはいたが、鼻歌を聞いた感じではそこまで音痴ではなかった。そこまで徹底して職業を隠し通したいのだろうか。ならばカラオケ自体、苦手などと理由をつけて断ればいいはずだ。
「あそこまでくるとちょっとわざとぽかったよね」
バレてしまっているぞ、と心の中で彼女に突っ込んだ。敢えて音痴で歌わなければならない理由があったのだろうか。
「何かその時変わった様子はなかったですか?」
安室の質問に蘭と園子は顔を見合わせて、首を傾げる。すると蘭が、ふと思い出したことを口にする。
「そういえば、かやさん行きは暑いからって外したストールをトイレから戻ったらまた首に巻いてたな」
「寒かったんじゃない?エアコンの効き悪かったしさ」
「でも上着は脱いだままだったし」
「確かにずっとは邪魔よね。本人も途中気になってた感じで何度も手で触ってたし」
「首を気にするように触ってましたか?」
「言われてみれば、そうだった気も…」
安室はトレーを脇にかかえ、ふむ、と顎に手を添えて考え込む。
「安室さん?」
「あ、いえ。そういえばかやさんに借りていたものがあったな、と思い出しまして。返したいのですが、連絡先を教えてくれませんか」
「よかったら私が直接かやさんに渡しておきましょうか。そのうち事務所に来ると思いますし」
「いえ、出来れば直接渡したかったのですが」
「では私からかやさんにメールして安室さんに連絡するよう伝えますよ。どんなものですか?」
やはり本人了承なしに勝手に連絡先を教えないか、と安室は心の内で苦笑いし次の手に出る。
「実はデートのお誘いをしたかったので、その口実が欲しくて…」
それに、蘭と園子は顔を見合わせ、しばしの沈黙の後、きゃーっと歓喜を含んだ声をあげた。そのあと三人でシーッと人差し指を口に当てて、静かになる。
「すみません、私、気が利かず」
「いえ、やはり本人がいないのに勝手に連絡先を教えるわけには行きませんもんね。僕も次会った時に伺おうと思っていたのですが中々会えなかったもので」
「そういうことだったら教えちゃいなよ!蘭!」
「え、でも…」
「安室さん!これがかやさんの連絡先!」
「ちょっ、園子!」
「すみません。園子さん」
「いいんです、いいんです」
「もーっ!」
怒っている蘭とは正反対に頬を赤らめて安室にかやの連絡先を渡す園子。
「でもかやさんには一応連絡しておきます」
そう言って携帯を取り出した蘭に、どう阻止しようか考えあぐねていると、ふと待ち受け画面が目に入る。
「おや、蘭さんその画像…」
「え、画像?」
「その待ち受けの画像はもしかして手書きですか?」
「あ、実はカラオケ行った時にかやさんのスケッチブックを見せてもらって、この絵がすごく可愛かったので待ち受けにしちゃいました」
「その絵、可愛いよねー!二匹の色違いのウサギがお茶会しててさ!」
園子も待ち受けにしているらしく、スマホ画面を見せてくれた。
散りばめられた星空の下で、見覚えのあるガーデンテーブルを挟んで白ウサギと茶ウサギがティーカップ を持って座っている。その周りを囲うように草花や木々が描かれており、あの店の中庭をモチーフにしたのだとわかる。
「この間行ったお店がすごく良かったから思わず描いちゃったって言ってましたよ」
「へぇ、一人で行ったんでしょうか」
「そこまでは…」
「安室さん、かやさんに男っ気は全くないから安心してよ」
安室は自分のことを話していないかの探りをいれたかったのだが、園子はそれが恋からくる焦りと捉え、にやけた顔で口を挟む。
「色んなレジャーランドを一人で巡ってるぐらいだしね」
「え?一人でですか」
「私もお土産もらった時は知らなかったんですけど、コナン君がそう言ってて」
「ありゃ完全に独りでも生きていけるわ」
「誘ってくれたら私たちも行ったのにね」
「レジャーランドって行ったら今うちで手掛けてる東都水族館の観覧車が…」
目的をすっかり忘れてしまっている蘭は、園子とまたきゃいきゃい女子ならではの会話に戻っていく。とりあえずかやに連絡することは避けられたと、安室はさりげなく席を外れ、仕事へと戻った。
□□□
今夜は飲み過ぎてしまった。少しふらつくが、あそこの大通りの桜並木を今夜見ておきたい。明日は雨だし今日を逃せば散ってしまう。そういえば、とふと思い出す。神社に咲いている桜が満開で綺麗だったとコナンが言っていた。神社の夜桜もいいな。しかしここからだと距離があるしな、やっぱり大通りの方へ行こう。そんなことをぶつぶつ言いながら歩いていると、噂の彼が目の前に汗をかいて立ち止まっていた。
「って、あれ?噂をすればコナン君じゃないか」
「えっ!かやさん⁉」
「息を切らしてどうしたの?走ってたの?」
「う、うん!ジョギング?」
「こんな時間に一人で?」
「あ、あのね、ブルーパロットってお店、かやお姉さん知ってる?」
「知ってる知ってる、少し前に行ったよ。あそこがどうかした?」
「あそこで殺人事件があって」
その言葉にかやは目を見開く。
「バーテンの柚嬉ちゃんに何かあった⁉」
「バーテンのお姉さんは無事だよ!殺されたのはお客さんで来てた人で…あ、でも居合わせた小五郎のおじさんが解決したよ」
「お客さん、殺されちゃったの…?」
コナンと話しやすいように目線を合わせ、かやは頭に過ぎった先日のバーでの会話が瞬時に蘇り、ハッと口に手を当てた。
「ね、もしかしてシャンパンを開けたような音と柚子の香りって関係あった?」
「どうして、そのこと知ってるの?っていうかちょっとふらついてるけど、酔ってるの?」
酔ってないよ、と言う彼女に呆れ顔で、嘘をつけと心の内でコナンは突っ込む。
「実は少し前に相談を受けて、それで小五郎さんを紹介したんだよ」
「そうだったんだね」
「まさかそれが殺人に繋がるなんて…。もっとちゃんと話を聞いてあげればよかった」
少し悲しそうな顔をしているかやにコナンは珍しいと思いつつも、きちんとかやの目を見て言った。
「悪いのは他の誰でもない犯人だよ」
酔っているせいだろうか。いつもより感情がわかりやすい。両膝を抱えて落ち込んでいるかやの頭に手を置いて、小さい子供にするように頭を撫でた。
「それにバーテンダーのお姉さんはちゃんと小五郎のおじさんに相談して、それで今日おじさんはお店に行ったんだ。事件が未解決に終わらなかったのはかやお姉さんがおじさんを紹介してくれたおかげだよ」
どちらが子供かわからない。コナンは心の中で、本当この人は昔から変わらねーな、と困ったように笑った。
「ありがとう」
彼女も眉は下がっているが、笑ってコナンを見た。
「コナン君は大人だね」
「かやお姉さんは相変わらずだね」
「ふふっ、蘭ちゃん心配してるだろうし、探偵事務所まで送って行くよ」
「ありがとう、かやお姉さん」
□□□
事件があったブルーパロットから走って出てきたコナンを安室は尾行する。神社で起こった殺人事件で、以前強盗事件にも居合わせた夫婦のことを刑事から聞いて偽物だとわかったのだろう。そのまま赤井秀一のところまで行くのかと思いきや、彼は思いとどまって誰かに電話をかけた。さすがだ。こちらが散りばめ、仕掛けた餌を彼は食べずに冷静に判断したようだ。
ちょうど現れた如月かやと何やら話し、コナンを探偵事務所まで送っていくようだった。何か彼女が知っているとも思えないが、もしかしたら何か情報が得られるかもしれない。それにあの鼻歌の旋律をもう一度確かめたかった。
コナンを送り届けたあと、かやは大通りの桜並木まで来た。夜も遅く、こんな時間に女性が歩いているのも些か問題であるが、送っていく口実になる。
彼女がベンチに腰掛けたところで安室は彼女に声をかける為ゆっくり近づく。
「こんばんは、かやさ…ん」
「・・・・」
呆れた。寝ている。夜も深まり、人通りも少なくなっているこの時間に寝るなんて、どうかしている。はぁ〜っとため息を吐く。
彼女は初め安室の車に乗りたがろうとせず、乗っていても居心地が悪そうだった。つまり警戒したのだ。毛利小五郎と面識はあるとはいえあまり知らぬ男の車で、何かあっては力では敵わないし、走行してしまってはすぐには逃げられないだろうと思ったのだろう。
自分がバーボンだとあの少年にバレてからは彼が何かしら彼女に助言したのか、連れ出された日から全くポアロに顔を出さなくなった。そんな警戒された状態で彼女が何かを話してくれるとは考えにくいが、コナンとは違い、彼女の方はもう少し叩けばホコリが出そうだと思ったのだが…。
「・・・」
もう一度寝ている彼女を見る。あの警戒さはどこにいってしまったのか。まったく、とため息を吐き、肩に手を添えて軽く揺すった。
「かやさん、起きてください」
揺すった振動で、カシャン、と彼女の手から握っていたスマホが滑り落ちる。やれやれ、と片膝をつきスマホを手に取る。
「かやさん、落ちましたよ」
彼女に渡そうと片膝ついたまま顔を上げる。何かにぎゅっと頭を抱き抱えられた。
「っ⁉」
反応が遅れ、回避出来なかった自分に油断しているのはどっちだと呆れて小さく舌打ちをする。抜け出そうと頭を捩ると次にはわしゃわしゃと撫で回される始末。さすがの安室も声を上げた。
「わっ!ちょっとかやさん⁉」
思わず彼女のスマホ片手に、両手を上にして固まってしまう。すると小さな声で何か言っていた。
「ごめんね、れい」
目を見開き、抵抗するのを止めた。聞き間違いだろうか。でなければどうして彼女が自分の名前を知っているというのだろう。
「傍に居てやれなくて、ごめんね」
バイバイだね、零くん。いつぞやの想い人のそれと重なる。彼女はさらに安室の頭を優しく抱きしめ、耳元で囁いた。
「だいすきだよ」
バッ!!と頭を無理やり剥がす。虚な目の彼女と目が合った。
「あ、れ?」
だんだん大きくなっていく瞳にこちらは居た堪れず顔を横に背ける。
「あむぴ…?」
ずるっと片膝ついたままコケそうになる。なんだ、その変な呼び名は。咳払いをし、彼女にスマホを差し出す。
「落としましたよ、携帯」
「どうしてここに?」
「そもそもこんな時間に一人でいるのも考えものです」
「安室さんも桜を見に来たんですか?」
「しかも酔った上、ここで寝るなんて」
「いやー、今夜は雲もなくて、夜桜が一段と綺麗に見えますね」
「って、人の話、聞いてます?」
「はい?」
「もういいです」
かやを置いてスタスタ歩いて行ってしまった安室を、慌てて追いかける
「あ、安室さん!」
呼び止めようと手を伸ばすが寸でのところで花びらで滑ったのかコケそうになっていた。まだ酒でふらつくのだろう。仕方なく立ち止まりジト目で彼女を見た。
「お、怒ってるんですか」
「怒ってるように見えます?」
「だいぶ怒ってるように見えます。どうして安室さんが怒るんですか?」
「この時間はさすがに一人でいるのは危ないでしょ」
「ご、ごめんなさい…?」
「本当にわかってます?」
「わ、わかってます!わかってます!」
コクコクと頷く彼女にまあ、いいでしょうと安室は怒った態度をやめた。それにホッと胸を撫で下ろすかや。
「桜を見に来たんですか?」
「はい、ここの夜桜を一度見てみたくて」
「こんな夜遅くなくても」
コナンを送り届けてこの時間になってしまったことは知っている。コナンも彼女がここにくるとわかっていれば送らせなかっただろう。だが、彼女は何も言い訳せずに申し訳なさそうに笑った。
「ですね、安室さんに心配かけてしまいました。失敗です」
「どれだけ飲んだんです?もういい大人なんですから気をつけてください」
「あはは、耳が痛い。本当は夜桜を見ながら日本酒を飲んで見たかったんですけど」
夜風が吹き、桜の花びらが舞う。気持ち良さ気に目を細めて、その情景を眺めていた。安室はそんな彼女を見てしまう。
「独りで飲むなら、酒屋で人と話す方がいいなと思ってつい、飲みすぎちゃいました」
気をつけなきゃダメですね、と照れ臭そうに、困ったように笑った。まだ少しふらついている彼女に手を差し出す。だが、彼女はやんわりとそれを断った。
「ご迷惑をお掛けするわけには」
「すでにかけてますがね」
「いやはや、耳が痛い」
あまり反省していないのか、彼女の顔は笑っていた。それに安室もつられてフッと口角が上がる。
夜風が心地よく、月夜が照らす桜道を二人で歩いた。
その日は何も聞くことが出来なかった。
「そういえば、安室さん、髪ボサボサですけど、何かありました?」
そう言った彼女の頭をりんごでも割るぐらいの力で鷲掴みしそうになったのはまた別の話、、。
□□□
「でも、まさか安室さんの女性のタイプがかやさんだったとはびっくりだわ」
「ここで会ったときの二人の雰囲気に、もしかしたらって思ってたんだー!」
「炎上しちゃうかもね」
「でもかやさん、そういうの全然気にしなさそう」
バサッと持っているサッカー雑誌を、片や競馬新聞を落とす二人。事務所で談笑していた蘭と園子は固まっている二人を不思議に見る。
「なっ!えっ?安室さんとかやお姉さん何かあったの⁈」
「おい!蘭!今の話本当か⁈」
「え?何二人ともそんな驚いて」
「だって!安室さんってあんまりそういうの興味なさそうじゃない!」
「あいつよりによってかやちゃんだと⁈」
「ちょっと二人ともなんか怖いんだけど」
「それにかやお姉さんってズボラだし、ちゃんと働いてるか謎だし、人の話は聞かないし、安室さんと合わなそうだよ!」
「コナン君?それはかやさんにすごく失礼じゃない?」
「なになに?ガキンチョ、かやさんに彼氏が出来るのが嫌なわけ?」
「そ、そうじゃないけど」
「おい、あいつ呼び出すぞ!まずは話を聞いてからだ!ちゃんと結婚を前提なのか確かめる!」
「ちょ、お父さん⁈」
「かやさんは別におじ様の娘でもなんでもないんだけど…?」
しかも重い、と三人で呆れたように肩を落とす。本気で電話をかけようとしている小五郎に蘭と園子は止める。その傍らでコナンは昨夜のことを思い出す。
ブルーパロットの事件解決後に高木刑事から聞いた話では神社で起こった殺人事件の容疑者だった男とその妻である妊婦の女性はどうやら結婚しておらず、その後家を訪ねて事情を聞いても神社でのことを知らなかったという。その事実を知った時、背筋が凍りついた。
バーボンとベルモットが変装した姿であったとしたら、ジョディとの会話を盗聴されていたかもしれない。赤井が生きていることを悟られたらと思うと体が勝手に走り出していた。
急いで工藤邸に向かうが、途中奴らにしては杜撰な犯行だと考え改める。偽物だとバレるのも時間の問題だったはず。バレるのも想定しての犯行だったとしたら、これも計画のうちということになる。ここで下手に動けばそれこそ墓穴を掘りかねない。
とりあえず灰原に連絡し、最近彼らの気配を感じたかどうか確かめたが、特には感じなかったとの答えが返ってきた。とりあえず安堵し、スマホをポケットにしまったところで声を掛けられる。
「って、あれ?噂をすればコナン君じゃないか」
「えっ!かやさん⁉」
前を歩いて来る如月かやについ身構えてしまう。本物だろうか。だがすぐ、警戒を解く。この独特の雰囲気はベルモットには出せない。だいたいW噂をすればWというが、かや以外見当たらないのに誰と噂をしていたんだと、呆れて肩を落とす。
安室透が黒づくめの組織の一員、バーボンだと知られてからも彼は未だにポアロで働いている。かやは約束通りポアロには行っていないようだった。あの店が好きな彼女には申し訳ないが極力近づかないようにして欲しかったのは事実。
自分と目線を合わせるようにしゃがんだ彼女はふらふらだった。ここまで酔っ払っているかやは珍しく、普段はたとえ飲み屋の帰りだったとしてもこんな姿は見掛けない。
送ってくれるという行為に甘えるフリをして少しでも酔い覚ましになればと遅い足取りで歩いた。無事、事務所に着き足取りは先ほどより良いことに安堵しその背を見送る。彼女の家はここからそう遠くないし、大丈夫であろうと高を括っていたのだ。
事務所での安室とかやを見た限りでは特に特別と言った雰囲気はなく、あの時はバーボンだと知らなかったから興味本位で仲がいいか聞いたまでのこと。
彼は少しミステリアスなところがあったからもしかやと恋に発展しそうならちゃんと彼の素性を調べるつもりだった。
バーボンだと身元がバレても、安室透がかやにコンタクトを取る理由はなんなのだろう。彼がそうまでして如月かやに近づく必要性が分からなかった。なんの利得があるというのだろう。
「コナン君?大丈夫?」
一人、考え込んでいたら蘭が心配そうにこちらを覗き見た。
「あ、うん!ちょっとぼーっとしてただけ」
「そんなに心配なら今度お父さんに内緒でかやさんに確かめてみよう」
そう小声で言う蘭に、小五郎をチラ見する。蘭たちに止められたせいなのか、イラついた様子で貧乏揺すりをしながらタバコに火をつけていた。おいおい、と呆れたように肩を落とす。確かにこの様子だと内緒で会いに行って確かめた方が良さそうだなと長いため息を吐いた。
8
日中の気温が上がり、窓を開ける回数は増えたが、出かける際にはいつも閉めていた。この部屋の作りは玄関を開けると廊下があり、そのままリビング、そしてベランダが見える構造になっている。だからすぐわかった。玄関を開けた瞬間部屋から風が入ってきたのだ。急いでドアを閉める。
窓は今日閉めてきたはず。ちゃんと覚えてる。なら、何故開いているのだろう。泥棒だろうか。警察を、呼んだ方がいいだろうか。だが、万一のことがある。自分が勘違いしているかもしれない。もし、空き巣であったら、もう犯人はいない可能性があるし、居たとしても今のドアの開ける音で逃げているだろう。ただ、この暗さだと判断がつかないし、何しろ怖い。震える手で無意識に首を触る。
しかし、部屋の中には命よりも大事なギターがある。かやは思い切って部屋に入り、電気を片っ端から点けていく。変わらずあるギターにホッと胸を撫で下ろす。案の定、窓が開いておりカラカラと音を立てて閉める。パッと見た感じでは何も取られていないようだが、気味が悪かった。
すると突然スマホが震え、肩が跳ねる。電話のようだ。知らない電話番号。震える指先でとりあえず画面をタップする。
「も、もしもし…」
《あ、かやさんですか?僕です。安室透です。園子さんから連絡先を聞いて電話しました》
「あ、安室さん…?」
ホッと息を吐き、知っている声に安堵し、上がりっぱなしの肩を下げた。
《…どうかされました?》
その言葉に泣きそうになる。電話越しなのに、彼にはこちらの雰囲気が伝わったようだった。
《かやさん?声が少し…》
「今、どこにいますか?」
《今ですか?ちょうどポアロが終わって…》
「そこにいて下さい!」
《え、かやさん?ちょっ…》
ブチっと電話を切り、家を出てポアロまで走った。この不安を拭うように。背後に感じる悪寒を振り払うように。全速力で走った。
息を切らしてポアロ近くまで来ると、彼は店前で待っていてくれた。腕時計から顔を上げた時にこちらに気づいた。
「どうしました?って走ってきたんですか?」
「ハァ、ハァ、おま…たせ、しました」
肩を上下に揺らし、膝に手を置き、荒れている息を整える。その姿を見て、安室はかやを心配そうに覗き見る。
「何か、ありましたか?」
「えっと、その」
どうしよう。言うべきか、でももしかしたら本当に窓を閉め忘れただけかもしれない。勘違いで彼に迷惑をかけるのも申し訳ない。
「ご、ご飯…食べに行きませんか」
誤魔化すように出たそのセリフに、安室は惚けたようにぽかん、と口を開けた。明らかに不自然なかやの態度にこちらをジッと見ている。
「あ、あの予定があるようでしたら、今日は大丈夫で…」
「いえ、ぼんやりしてしまってすみません。大丈夫ですよ。ご飯行きましょうか。車でも大丈夫です?」
「よかった…!もちろんです」
「いえいえ。今車回して来ますのでここで待っていて下さい」
「ありがとうございます」
ふー、と息を吐き、気持ちを落ち着かせる。店内の明かりが消えたポアロを見た。今日の締めは彼だったのか。最近梓にも会っていないな。コナンのあの焦っている表情と何も聞かないで欲しいという雰囲気に特に問うたりはしなかったが、ポアロに近づかないでほしいのは安室のことを指していたのかもしれない。この間の桜の時といい、今日といい直接会っては意味がないのかもしれないな、と苦笑いを浮かべる。
見覚えのある白い車が目の前で停まる。
乗るのを躊躇していた時期が今では少し懐かしい。
「ありがとうございます。お仕事お疲れ様でした」
「いえいえ。どこに行きましょうか」
「安室さん今どんなものが食べたいとかあります?オススメの店紹介しますよ」
「またお酒飲むおつもりですか?」
「さすがに運転手の前で居酒屋を紹介しませんよ。鬼ですか私は」
「なら安心しました。では、そうですねぇ少しスパイスが効いたご飯が食べたいな、と思っていたところでして」
「カレーのお店なら一軒知ってますが」
「いいですね。そこに行きましょう」
「道が少しわかりにくいので、私がナビしますね」
「お願いします」
先程のことを忘れるように流れる景色に目を向ける。ふと、思い出したことを口にする。
「安室さん前にサンドイッチのオーダーを当てたことがあったじゃないですか」
「ありましたねぇ、そんなこと」
「ずーーっと考えてたんですが」
「それはまた随分と考えましたね」
「えぇ、季節を跨ぐほどに。あ、次の信号右です」
「わかりました。で、答えは出ました?」
「サンドイッチを食べる仕草をしたんじゃありません?」
「ほー、それで?」
「こう、三角形の形を両手で作って食べる仕草をして、その後人差し指で自分と相手を指せばなんとなく2人とも同じ品物を注文したということがわかります」
「んー、もう一声、ですかね」
「え!まだあります?あ、次左に曲がってそこの路地に入ってください」
「了解しました」
「あっ!」
「わかりました?」
「神通力を使った」
「ここ、真っ直ぐ?」
「笑顔でシカトしないで」
「カレー楽しみだな」
「安室さん、すいませんでした。真面目に答えます」
「今度ポアロに来た時、正解をお伝えしますよ」
「ずっと私モヤモヤしたままじゃないですか。あ、次の角、右に曲がったらすぐの所にあります」
駐車場に停めて車を降りると、看板にはカレー専門店と書かれている店に入り、店員に案内された席につく。
「ランチどきはサラリーマンやOLさんですごく混んでいるんです」
「それは、すごく期待出来そうですね」
メニューを見て、お腹が鳴るのがわかる。何を頼むのか聞かれ、チキンカレーと答えると安室も同じものにすると言った。店員に辛さを聞かれ、かやは甘口、安室は中辛と答えた。
「かやさん、辛いの苦手なんですか?」
「いえ、ここのお店少し辛めで、以前に中辛頼んで後悔したので、それから甘口にしてるんです」
「なるほど。ここは赤い福神漬けと白いラッキョウがあるんですね」
「そうなんです。じゃがいもは蒸して別できますよ」
「へー、楽しみだな。おや、デザートもあるんですね」
「ここのアイスは絶品ですよ」
かやは無理矢理にご飯を誘ってしまったが、電話の内容をまだ聞いていなかったことを思い出す。
「そういえば私に何か用事でした?」
「用事、という程でもなかったんですが、園子さんに連絡先を聞いたので、そのことをお伝えしようと電話したんです」
「そうだったんですね。何も聞かずに切ってしまってすみません。でもどうして園子ちゃんに連絡先を?」
「また飲みに行こうと約束したのに、なかなか会えなかったからですよ」
「ぐっ、‥す、すみません。仕事が忙しくて、ずっと缶詰めだったもので」
「ちゃんと食べてます?自炊とかきちんとしてるんですか」
「つまみを作るのは好きなんですが栄養があるものかと問われると」
「体調管理できてこその社会人ですよ」
「耳が痛い」
「本当は桜並木でお会いしたときにその事をお伝えしようと思っていたんですが、相当酔ってらしたので」
「ますます耳が痛いです」
「お元気そうで安心しました」
だんだん肩が小さくなっていくかやだったが最後の一言に顔をあげる。優しく笑う安室の顔をかやは見つめてしまう。
「はい、おまちどー」
この空気を切るかのように店員さんが元気よくカレーを目の前に置いた。スパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。空腹には勝てず、何か思っていたことなどすぐに忘れ、いただきます、と手を合わせた。グレービーボートに入ってるルーをご飯に少しかけ、スプーンで掬って一口入れる。はふっと口の中がカレーでいっぱいになった。美味しい。次に赤い福神漬けが入っている器に手を伸ばすが、スッと安室に手で制された。
「白いラッキョウが合うと思います」
「でも、赤い福神漬けが食べた…」
「白いラッキョウ」
「ま、まぁ、じゃあ今日は白いラッキョウで」
満足したのか手を引っ込めて、安室はカレーを食べることを再開した。彼はせっかく別皿にあったじゃがいもを砕いてすべてルーと混ぜて食べていた。とても美味しそうに食べるその姿に思わず喉がなる。
た、試すだけ、と真似してルーをすべてご飯の上にかける。そしてじゃがいもを少し砕いて、ルーと混ぜて食べてみた。
「っ!」
蒸したじゃがいもの上にはバターが塗ってあったためバターの香りとルーが合わさって絶妙な風味が口に広がる。美味しい!とさらにもう一口、と頬張る。
続いて白いラッキョウも乗せて食べてみた。あれ、赤い福神漬けよりも白の方が合う。いったいどうして。そしてなんで今日初めて来店する安室の方が常連のように美味しく食べる方法を知っているのだろう。悔しいとかやは思わずカレーを睨む。
ふと視線を感じ、顔を上げるとドヤ顔の彼と目が合った。
「美味しい?」
声を抑えて笑う彼に、なんだか悔しくて黙ってカレーを目一杯頬張った。
店を出て、車に乗り込み、シートベルトをする。
「家まででいいです?この間お送りしたので道はわかりますし」
「いえ、駅までお願いしてもいいですか」
「まさか、これから居酒屋に一人で梯子ですか?」
「ち、ちがいますよ!どんだけ飲兵衛だと思われてます⁉」
「じゃあ、どこにいくつもりなんです?もう結構遅いですよ」
「実は、このまま遠出しようと思っていまして」
「こんな時間からですか?」
「この時間に行けば結構良い感じの景色が見れる場所があって…」
「毛利先生も言ってましたが本当に脈絡なくどこへでも行ってしまうんですね」
「え、小五郎さんはなんて?」
「変わり者だと」
「え、私、そんな変人みたいな言い方されてるんですか?」
そんな風に見られていたなんて、とショックを受けているかやを他所に安室は会話を続ける。
「ちなみに何を見るおつもりで?」
さらりとシカトされていることに不貞腐れながらも、少し躊躇いながら答える。
「…あ、朝焼けを見にいきたくて」
「朝焼け?」
「そうです」
「どうしても今夜に行きたいと?」
「こ、この時期で、しかもこの気温、そして明日の天候を考えると結構良い感じの星空からの朝焼けを見ることが出来るから…」
ちらっと腕時計の時間を確認する。安室は呆れ顔で短くため息をついた。
「まだ結構時間ありますよ」
「そこの場所には何度も行ってるし、最寄りの駅には満喫もある、タクシーもある!なんならレンタル自転車だってある!!」
「レンタル自転車って…。というか誘ってはくれないんですか?」
「え?」
「車で送りますよ」
「だ、大丈夫なんですか?運転だと結構距離ありますよ?」
「まあ、しょうがないでしょう」
安室はかやが行くから仕方なく、ということなのだろう。この様子だと一人では行かせてもらえないだろうし、だからといって安室の優しさに甘えるわけにもいかない。今まで誰かにどこへ行くかなんて告げたことがなかったため、こんなに心配されるとは思っていなかった。
「い、行くの止めます」
「え?」
「だって、迷惑かかりますし、それで安室さんに何かあったら私は悲しくなる」
「そんなに一人で行きたいです?」
「えぇ⁉なんでそうなるんですか!」
「そこまで行きたい場所なら逆に興味出てきますよ」
「だ、だって明日お仕事でしょう?」
「ポアロは午後からですし、帰って少し寝れば大丈夫です」
「体辛くないの?」
「鍛え方が違いますからね」
「…迷惑、かけてない?」
心配そうに安室を覗き込む。それに彼は戯けたように、目線を少し上にして言った。
「いまさら?」
車のエンジンがかかる。くすり、と笑う安室にかやも開き直ることにした。
「ですね!」
「そこ自信持っていうところじゃないですよ」
「疲れたら運転いつでも変わりますからね」
「ペーパードライバーの人に愛車を任せるなど、鉄道路線に車を走らせる気分です」
「・・・・」
え、どういうこと?
□□□
途中休憩を入れながら数時間走らせて、たどり着いた場所は街灯がほとんど存在しない無人の駐車場。車を降りてかやは少し歩きます。と言った。
微かな潮の香りと波の音。目が慣れて見えてきたのは岩山。観光用の細い階段がついてはいるが、足場はゴツゴツしており、不安定だった。少しヒールがあるのに軽々しく登っていく彼女に慣れたものだと感心したいところだが、そこはきちんと注意する。
「ちゃんとスニーカーじゃないと、何かあっては遅いですよ」
「肝に銘じておきます」
わかってるのかいないのか、目的地が近づくにつれて彼女の足取りは速まるばかりだ。
「ここに一人で来るつもりだったんですよね?」
「え?」
早く上に行きたいのだろう。話半分に聞いていた彼女はこちらが話かけてようやく速度を弛めた。
「こんな暗い中、いつもあなた一人で?」
「あー、やはり、ダメですかね?」
「街灯もありませんし、一人この高い岩山から落ちたら死にますよ」
「あ!安室さん!ここです!着きましたよ!」
聞いているんだろうか。結構大事な話だったんだが、と安室は呆れる。上で待っていた彼女は安室に見せるように自分の体をどけた。視界に入る幾千の星に目を奪われる。立ち尽くす安室にかやは満足げに微笑んだ。
「綺麗でしょ?」
星明かりが彼女を薄く照らす。
「えぇ、とても」
「独り占め、したくなりません?」
そう、優しく微笑んだ。その瞳に吸い込まれるように見つめ返す。まるで、何かに囚われてしまったかのように。
「でも、やはり危ないですよ」
誤魔化すように、空気の読めないことをわざと言う。それに彼女は怒るわけでもなく、拗ねるわけでもなく、困ったように笑った。
「あはは、言うと思いました」
絆されなかったかーと彼女は苦笑いしたあとペタン、とその場に座り込んだ。安室は座ることもなく、立ったまま少し後ろでその背を見つめた。時計を見ればあと数分で日が昇る。しばらくそのまま無言で夜空を眺めた。その小さな背中はこの夜の闇に溶け込んでしまいそうで、安室の目にはやけに寂しく、弱々しいものに映った。無意識に彼女に伸ばしていた手を彼女が息を吸ったことで正気に戻る。
「安室さんきますよ!」
だんだんと白んでくる空。日光の反射でゆっくり、ゆっくりと東の空が赤みを増していく。だが、夕刻よりも薄く、淡いその色は雲をも彩っていく。水鏡と化している海は力強い日の光を写し出し全ての景色を支配した。この国はやはり美しい、と微かに震えている鼓動に手を添えたーー・・・。
「朝焼け、どうでしたか?」
景色に負けないぐらいの眩しい笑顔が安室を見る。また、彼女に吸い込まれそうになる。どこか心の深い深い、奥深く、消えてしまいそうなぐらいのほんの小さな気持ちなのだが、泣きそうになっている自分が微かに存在しているなんて認めたくなかった。
その気持ちに蓋をするように、今日一と言っていいほど、これ以上のない空気の読めない言葉を口にし、彼女は驚く声を上げた。
「僕、赤嫌いなんですよね」
「えぇぇ⁈」
無事朝焼けを見届け終わり車に戻ってくる。安室は少し電話をしてくる、と車には乗らずに、少し離れた自販機の所まで歩いて行った。その間にデッサンだけでもしておこうとスケッチブックを取り出す。
トン、トンと考えるように鉛筆を転がす。だんだんとリズムと化してきたそれに、自然と歌が頭に流れてくる。歌詞を載せて、小さな声で口ずさむ。小さく、小さく、誰にも聞こえないように歌いながら、描く絵も進んでいく。
ギシッと車が傾いた。だが扉が開く気配はない。不思議に思い顔を上げると、ボンネットに腰掛けている安室の姿が。
彼は顔を少しだけこちらに向けて横顔と目が合うと、ちょいちょいと手招きされた。スケッチブックを持って外に出ると缶コーヒーを渡される。
「どうぞ」
少し横にズレてかやが座るスペースを作ってくれた。ボンネットの上に座っていいものなのだろうかと考えてしまうがせっかく空けてくれたのだ、好意に甘え慎重に座った。缶コーヒーを受け取り礼を言う。
「ありがとうございます」
「絵、描いてていいですよ」
「え、でも」
「飲み終わるまで、です」
「ありがとうございます」
鉛筆が紙を滑っていく。シャッシャと聴こえてくるその音を居心地がいいと感じながら、安室は缶にゆっくり口をつけた。
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