安室さんと飲みに行く4
「今回はどちらに行ってきたんですか?」
「NYだよ。はい、これお土産」
「わ〜!いつもありがとうございます!」
「これがコナン君で、こっちが小五郎さんの分」
いつものように三人分の土産を渡し、出してくれたお茶に礼を言い、冷ましながらゆっくり啜る。ふと事務所内を見渡して、二人が居ないことに気づく。
「小五郎さんとコナン君は?」
「お父さんは今日仕事で、コナン君はメールしたんですけど…」
すみません、と眉を下げる蘭にかやは手を振る。
「こっちが急に来たんだし気にしないで」
「お土産開けてみてもいいですか?」
「もちろん」
丁寧に封を開け、中を見ると蘭はすごく喜んでくれた。
「わー!嬉しい!ここのチョコ美味しいって有名ですよね!」
「食べて食べて」
「ではお言葉に甘えて」
一つ、チョコを手に取り口に放り込む。
瞬間とろける顔になる蘭にかやは満足そうに笑った。
「おいしー!!かやさんもどうぞ」
「私は向こうでたくさん食べたから。それは蘭ちゃんの分。遠慮せず食べて」
「ありがとうございます」
年相応の笑顔にこちらも笑顔になる。
「あの、一つ聞きたいことがあるんですけど」
「なーに?」
「安室さんを避けてるって本当ですか?」
思わず動きが止まる。ポアロでの一件がここまで伝わっているなんて。しかしかやは昨日安室とした会話を瞬時に思い出す。小五郎に相談して笑われた、と言っていたのだから知っていて当然かと苦笑いする。
「仕事の関係で最初はね。でも昨日会ってちゃんと挨拶したよ」
「なーんだ、お父さんってば本当いい加減なんだから」
「小五郎さん?」
「裏で安室さんの写真を売ってるから顔を合わせづらいんじゃないかって」
ゴフッと飲んでいたお茶が変なところに入る。咳き込むかやに蘭は慌ててハンカチを差し出してくれた。片手で制し、自分のハンカチを取り出す。
「だ、大丈夫ですか?」
「あずちゃんと同じこと言うから思わず」
「ま、まさか本当に…?」
青ざめてる蘭にかやは思い切り首を横に振る。
「そんなわけないじゃん!」
「ですよね〜」
あはは、と乾いた笑いをする蘭にこちらも同じように乾いた笑いをする。
「安室さんで思い出した。コナン君ポアロにいるかも!」
小学校は今日、昼前に下校だったらしく、昼食はポアロで済ましてくるとメモ書きがあったのを思い出したらしい。
「ちょっと見てきますね」
「え、わざわざ大丈夫だよ!もう帰るし…って行ってしまった」
止める間もなく行ってしまった。
あまり長居せずに帰るつもりだったのだが、逆に気を使わせてしまった。家主が一人もいなくなってしまった部屋にズズッと茶を啜る音だけが響いた。
□□□
「結局かやお姉さんには会えたの?」
カウンターに座り、オレンジジュースを飲みながらコナンは安室にそう声を掛ける。
「実はちょうど昨日会えたんだよ」
すると会話を聞いていた梓が奥からひょこっと顔を出す。
「そうだ安室さん。かやさんの職業ってわかりました?」
安室は皿を洗っていた手を止めて目線を上に向ける。少し考える素振りをしたあと軽く笑ってふるふると顔を横に振った。
「結局わかりせんでした。僕もまだまだですね」
お力になれずすみません。と安室は申し訳なさそうに眉を下げた。
「いえそんな!謝らないで下さい!私も変なこと頼んですみません」
次こそは!とまたかやに色々聞くのであろう。意気込んで奥に戻ってしまった。ふと小さな視線に気づき、安室は心の中で苦笑いする。やはり彼には誤魔化しは効かない。
「なんだい?コナン君」
「本当に?」
「え?」
いきなり確信を付いてきたコナンに安室はわざと惚けた振りをする。
「本当にかやお姉さんから何も聞いてないの?」
本当にこの子は…。推測でしかないが彼はすでに彼女の仕事がどんなものか見当がついているのだろう。やれやれ、と心の内で肩を上げる。彼の納得の行く言い訳を考えていると店のドアが開いた。
「あー!コナン君!やっぱりここにいた!」
「あれ?どうしたの蘭姉ちゃん?」
「かやさん来てるよってメールしたのに」
ちょうど噂の人物が上にいるとのこと。やはり探偵事務所に行かなかったのは安室との鉢合わせを避けたものだったらしい。昨日の今日で訪れるとは…。
「ご、ごめんなさい、メール気づかなかったや」
二人のやりとりを視界の端で捉えていると、梓にもう上がっていいですよ、と声をかけられる。
それを聞いていた蘭は上がっていた眉を下げ、安室に声をかける。
「安室さん、そろそろ上がりですか?」
「はい、今日はもう上がりです」
「良かったらどうぞ。かやさんのお土産すごく美味しいですよ」
「では、後ほどお邪魔させて頂きます」
蘭は安室に軽く会釈して、また上に戻っていった。コナンが驚いてこちらを見る。口では言ってないが「え?来るの?」と目が言っている。
「なんだい、コナン君。僕が行ってはダメかい?」
「えっ、そ、そんなこと僕言ってないよ?」
「そうかい?」
「うん!安室の兄ちゃんと一緒にいれて嬉しいな」
子供っぽい笑顔を向けて思ってもないことを言うこの少年に安室も負けじと笑顔で応える。ニコニコと無言で見つめ合っている2人に奥から出てきた梓は思わず声をかける。
「えっと…二人ともどうされました?」
□□□
「すみません、留守番を頼んでしまって」
ほんの数分で蘭は帰ってきた。予想通りコナンはポアロにいたらしく、もうすぐ来るとのこと。せっかくなのでお言葉に甘えて待たせてもらうことにした。
「こっちこそ、気を使わせてごめんね」
「美味しいチョコですもん。みんなで食べたほうが美味しいです」
この温かい雰囲気がとても好きだ、とかやは小さく笑ってお茶を啜る。梓もそうだがここの人たちはいつでも笑顔で迎え入れてくれる。だからどうしても旅行から帰ってきた後はお土産を口実にみんなに会いに行く。
まもなくして階段を登る音がしてくる。二人分の足音にかやは首を傾げた。小五郎も帰ってきたのだろうか。
「あ、そうだ、かやさん。ちょうど上がりだというので誘っちゃいました!」
誰を?と聞く間もなく扉が開く。
「安室さんです!」
「わー」
心の声が思わず漏れてしまった。昨日の今日でまた顔を合わすとは。W英雄Wというペンネームも知られ、彼はどうか知らないがかやからしたらまだ若干気まずいままだ。
「昨日ぶりですね、かやさん。随分驚かれたようですが、僕が居ては何か不都合でも?」
「また刺々しい言い方を…。驚いただけですってば」
「ならいいんですが」
かやと安室の妙な雰囲気にたじろぐ蘭であったが、気を取り直し声をかける。
「今お茶いれますね。かやさんもおかわりいりますか?」
「あ、ごめん!じゃあお願いします」
「僕、手伝いますよ」
「ありがとうございます」
安室が蘭の後ろをついて行くのを見てホッと息を吐いていると、ジッと見つめてくるコナンにかやは瞼を瞬かせる。
「どうしたの?コナン君。あ、先週みんなでキャンプだったんでしょ?楽しかった?」
「キャンプは楽しかったよ。あのね、かやお姉さん」
キャンプの話は膨らまず、途端に真剣な顔でこちらを見るコナンに身構えてしまう。小さい頃の新一に似ているその顔はとても重要な何かを聞きたい時の顔だ。
「安室の兄ちゃんと仲良くなったの?」
「え?」
予想とは違った質問にポカンと口を開けてしまう。深刻そうな顔をしているコナンにこれはもしや、と思い立つ。安室が小五郎に弟子入りしたことにより、自分の居場所が安室に取られると勘違いしているのでは…と。
君とのほうがずっと仲良しだという事を伝えなければと思っている最中、コナンはこの人絶対間違った解釈してそうだな、と呆れ顔で彼女を見る。
「いや、全っ然。まったく。それに昨日の今日だよ?知り合い、いや顔見知り程度の仲だよ」
「へー、そうなんですね」
「・・・・・」
コナンではない声が返事をした。しかも背後で。コナンも気まずそうに上を見ている。あ、そうだよね。やっぱりね。いますよね。と心の内で呟く。冷や汗が頬を伝う。これは配慮ができなかった自分が悪い。
「もしや、また…あなたを傷つけました、かね…?」
「・・・」
後ろに佇む彼にそう声をかけるも無言だ。怖くて振り返れない。またやってしまった、と下唇を噛む。
「ち、違うんです!今のは言葉の綾と言いますか、別に嫌いと言っているわけではっ…だ、だってまだそんなお話してないでしょう?友達ではないじゃないですか」
側から見たら変な光景だろう。後ろ向きで喋る女に、おそらく仁王立ちであろう男が背後にいる図なんて。いつの間にかコナンはいなくなっており、かやは頭を垂れる。蟹歩きで逃げていく様を目撃したなんて受け止められない。不安から口はどんどん動いてしまう。
「で、では今度飲みにでもいきません?この間お話したときすごく楽しかったですし。仲も深まれば良い仲に…」
「…いいですよ」
返答があったことにバッ!!と振り向く。勢いよく体を捻ったため首が少し痛かったが、そんなことはお構いなしだ。やっと確認できた彼の表情は笑っていて、それにホッと息をつく。腕は組んでいるが怒ってはなさそうだ。
「ほ、本当ですか?」
「明日の夜とかどうです?」
まさか、本当に飲みに行ってくれるとは思わず、ポカンと口を開けてしまう。
「何か?」
あなたが誘ったんでしょう、としたり顔でこちらを見た。呆気にとられたかやだったが、次には満面の笑みを浮かべる。
「喜んで!待ち合わせはどこにしますか?」
「18時に米花駅前で」
「わかりました」
給湯室から覗いている蘭とコナンはいつのタイミングでお茶を持って行くべきか悩んでいた。
「ねーねーコナン君」
「なに?蘭姉ちゃん」
「あの二人って仲良いのかな、悪いのかな」
「どっちでもないんじゃない?」
どちらかというと安室のほうが立場が上のような気もするが。すると蘭が何かに気づいたのかハッと口元に手を置いた。
「ひょっとして、ラブの予感?」
「違うと思う」
間髪入れずにコナンはそこだけハッキリと言った。
5
待ち合わせは18時に米花駅前。少し早めに着いてしまった、と腕時計を見る。
どこに行こうか。いつも行っている酒場をいくつか頭に思い浮かべる。安室に初めて会った時は確かここからそう遠くないバーだった。がやがやしている酒場より、静かな所がお好みだろうか。考えあぐねていると、目の前に白いスポーツカーが停まる。車から降りてくる男性に二度見する。
「え、安室さん?」
「はい、お迎えに上がりました」
助手席のドアを開け、座るよう促す彼に思わず口元がひくつく。
「どうされました?」
「い、いえ、お言葉に甘えて失礼致します」
彼が運転席に座り、スポーツカー独特のエンジン音と振動がシート越しに直に伝わったところで車は発進する。低い車体から見える景色。駅前で人通りも多い為か周りの人がこちらを見る視線がもろにわかる。
「僕の知っているお店でもいいですか?」
「え?あ、はい」
流れる景色になってようやく人目が気にならなくなった。そわそわと落ち着かず、気休めに車内を小さく見渡す。マニュアル車だ。これで運転が下手だったらギャップで少しは可愛げがあるというもの。車体の揺れはあまり感じないし、信号で停まる時もスマートだ。エンストするとか無縁なんだろうな、と自分の教習所での光景が記憶に蘇り、遠い目になる。
「もしかして、車苦手でした?」
喋らないかやに安室が運転の狭間にこちらを見る。ハッと、意識を安室に戻す。全く違うことを考えていた。悟られないように笑顔で応える。
「いえ!ついマニュアルなんて懐かしくて見入っちゃいました。もう随分と運転してません」
「免許、マニュアルなんですか?つい見た目でオートマかと」
「あはは、よく言われます。車種はなんですか?」
「RX-7です」
「ほー!」
他愛もない会話をするが、油断しすぎた、と心の中で冷や汗を掻いている。あまり知りもしない男性の車に乗る自分もどうかしている。それでも乗ってしまったのは毛利小五郎の弟子という肩書きに安心してしまっていたから。
しかし、飲みの誘いに車で来るとは思わなかった。代行を頼むつもりなのだろうか。それとも彼だけ飲まないつもりなのか。それなら自分も飲むわけにはいかない。
「もしかして、緊張されてます?」
安室の言葉に小さく肩が跳ねる。また考え事をしていた。
「先ほどから口数が少ないですし、目線も俯き加減です」
「そ、そんなことないです。お腹が空いてしまって何食べようか悩んでたんです」
慌てて顔を安室に向けてどんなお店なんですか?と聞くと、彼はそれには応えず無言でカーナビを見た。広い車道に出ると反対の車線にUターンした。元来た道を戻っているようだった。
「え、あ、安室さん?」
駅近くまでくると彼は有料駐車場に停めた。シートベルトを外し、運転席を降りる。いまだ戸惑っているかやを他所に安室は助手席のドアを開ける。
「少し歩きますが、大丈夫です?」
驚いて彼を見上げると、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「配慮が足りなかったですね。すみません」
「え?別にそんな!」
見破られていた。気づいて配慮してくれたのだ。安室は純粋に車で来ただけだったのに、少しでも疑ってしまった自分を恥じる。
「…こちらこそ、変に勘ぐってしまってすみません」
気まずくなり、安室の顔を直視出来ずに俯いた。
「かやさん、自分の身を守ることは大事なことですよ」
雰囲気を察したのか安室はかやにそう告げた。彼を見上げればいつも通りの笑顔だった。
「お腹空きましたね。行きましょう」
そう言ってくれる安室にぎこちなく笑って応える。車から降りようと身を乗り出すとガコッとシートベルトが引っかかり、また椅子に逆戻りした。…え?
「・・・・」
「・・・・」
まだシートベルトを外していなかった。無言になる二人。とてつもなく恥ずかしく、違う理由でまた俯いた。
「……ふっ」
勢いで彼を見る。しまった、という顔で口元を拳で隠していた。
「い、今、笑いました?」
「笑ってません」
「笑いましたよね?」
「笑ってません」
「本当に?」
「本当に」
ほらもう行きますよ、と彼は身を乗り出しかやを上半身で跨いでシートベルトを外した。当の本人はなんでもなかったような顔でまた車の外に身を出す。
「あ、ありがとうございます」
今度こそ車から出て、どもりながら安室に礼を言う。そんな彼女を不思議に思いながらも彼はどういたしましてと爽やかな笑顔で応えた。
□□□
「おぉー!雰囲気ありますねぇ」
繁華街から少し離れた住宅街にポツンと現れたそのお店は外観は蔦で覆われているが、ガーデニングがきちんと施されており、窓がステンドガラスだった。その為か中から漏れ出る光がロウソクのようにほんのり灯ってみえる。
「さ、中に入りましょう」
「はい!」
店内に入り、ほうっとため息をつく。アンティーク調に装飾が施され、夜に合わせて照明がほんのり薄暗い。雰囲気のあるお店に思わず見惚れる。
「こちらへどうぞ」
店員に案内された席は中庭だった。ガーデンテーブルが置かれ、配置されている椅子は真向かいではなく庭が見えるように少し斜めに置かれていた。そして何より…
「お酒が豊富…!」
「やはりお酒すきなんですね、ここにして正解でした」
「この街のいろいろな酒場を歩き回ってきましたが、初めて来ました」
「正直言うと、すごく探しました」
「わざわざ探してくださったんですか?」
「最初くらいはあなたが行ったことのない店にしようと思っていたので」
驚いた顔が見れて満足です、と安室は笑った。
「さすが名探偵、大成功です」
「探偵は関係ないですよ。それに名探偵になるにはまだまだ程遠い」
ほんのり照明が付いている庭とお洒落なガーデンテーブル。店内から微かに聞こえるBGM。
「童話に出てくるお茶会のようですね」
「あながち間違ってはないですよ」
「え?」
「ここ昼間はカフェがメインだそうで、紅茶の種類が豊富なんだとか」
「ほー!それで紅茶を使ったカクテルも多いんですね。珍しい」
「もちろんごはんも美味しいと評判ですよ」
「楽しみだ」
注文を終えて、御通しの塩漬けオリーブとお酒が運ばれてきた。
「安室さんが頼んでたお酒ってウイスキーでしたよね」
「えぇ、スコッチのソーダ割りです」
「いきなりですか。お酒に強そうですもんね」
「人並みですよ。かやさんこそ、お強いんじゃないですか?」
「お酒は好きですけど、強くはないです。人と話しながら、ゆっくり飲むのが好きです」
ちょうどいい頃合いで注文した料理が次々と運ばれてくる。安室が言った通りどれも美味しかった。それはもう喉が唸るほどに。とくにこの赤ワインでじっくり煮込まれたビーフシチューが別格だ。
「明日はお仕事ですか?」
「はい、実はミステリートレインというのに参加してくるんです」
「ミステリートレイン?」
「知らないです?SL式のベルツリー急行に乗って行くんですが」
「あー、なんか毎年TVのニュースで取り上げられてたような…。どんな感じのやつでしたっけ」
「車内で謎解きを出されて、それを推理していくんです。毛利先生が参加されるとのことでしたので、僕もと思いまして」
「そんな簡単にチケットって取れるものなんですか?」
「いえ、僕の場合はあとから毛利先生が参加されることを知ったので、慌てて競り落としました」
「えぇ⁈競り落としたんですか」
「毛利先生の推理を間近で見れるチャンスですから」
「はぁ、頭が上がりません。勉強熱心なんですね。もしやコナン君も?」
「もちろん彼もきますよ。謎解きは興味ないです?」
「犯人だけ知りたい人です」
「ロマンがない」
「よく言われます。安室さんって本業は探偵なんですか?」
「えぇ、そうです」
「ポアロでバイトされているのは小五郎さんの為?」
「まぁ、だいたいそんなところです。少しでも近くにいたいじゃないですか」
「そのセリフが小五郎さんに向けてだと思うと複雑な気持ちになります」
「すごい人ですよ、先生は」
「別居はされてますが小五郎さんには奥さんいますからね。それに健気で可愛い娘さんもいますからね」
「なんの心配をされてるんでしょうか」
「尊敬を通り越して、別の愛の形が見えた気がして」
「コナン君を見ている時のあなたの目こそ犯罪の臭いを感じますが」
ゴフッとお酒が喉に入る。ゴホゴホっと咽せてしまった。
「ち、ちがいますよ!た、確かに抱きしめてみたいなという感情はありますが、断じて恋愛対象ではありません」
ジッと見つめてくる安室の目に耐えられず目線を逸らしまう。しどろもどろに吐露した。
「か、可愛いと思っていることは認めます。あの小さな体で難事件に挑む姿もたまりません。ですが、嫌われては元も子もありません」
熱弁するかやにやれやれとわざとらしくため息を吐く。
「では、コナン君からそれらしき相談を受けた際は即通報させて頂きます。大人の義務として」
「ちょっ、探偵事務所行きづらくなるじゃないですか」
くだらない会話が続く。楽しいとかやは思った。話しをしながら、美味しい料理を食べ、ゆっくりお酒が進んでいくことに満足していた。
すると突然安室のスマホが鳴った。
「すみません、クライアントからです」
「気にせず電話に出てください」
失礼します、とスマホを持って席を立つ。庭の隅に行ってしまったので会話までは聞き取れないが何やら話し込んでいるようだった。心地いい満腹感が眠気を誘う。しばらく帰ってこない事を雰囲気的に察し、眠気覚ましに鞄からスケッチブックを取り出した。なにも描かれていないページを出して、トントンと、ペン先をノートに当てる。昼はカフェになるのか、と安室との会話を思い出し、ゆっくり目を閉じて想像する。昼間はさぞかし陽がよく当たるだろう。ステンドガラスがあったあの窓際は居心地が良さそうだ。そこでぜひ紅茶を飲みたい。
Wいつも一人でなに描いてるんだ?W
思い出された光景に、目を開ける。どうして今思い出すのだろう。今とは全然似つかわしくない季節なのに。
暑い、季節だった。
ふー、と背もたれに身を預ける。飲みすぎたかもしれない。今日は空気が澄んでいるせいか星がたくさん見えた。店の明るさのせいか、降るようなあの時の星には負けるが。
当時を振り返るようにまた、ゆっくりと瞼を閉じる。
切れ長の目
艶のある黒い髪
Wいつもここで描いてるよねW
まだ少年のあどけなさが残る顔で彼はそう言った…。
このままでは寝てしまうと、閉じていた目を開ける。
「……ちっか」
目の前に安室の顔があり思わずそう言った。
「寝ているのかと」
「びっっくりした」
「本当に驚いてます?」
「表情筋が動いてないだけで十分驚いてますよ」
「もしかして少し酔ってます?」
不思議そうにこちらを見つつ自分の椅子に座る安室にかやは口を尖らさる。
「多少は。安室さんは全然大丈夫なの?」
「僕はまだ平気ですよ」
「なんか悔しいなー」
「そのスケッチブック見せてもらっても?」
「え?あぁ、どうぞ」
そういえば持ったままで何も描かずに終わってしまった。安室に手渡すとゆっくり彼はページを捲った。一枚一枚丁寧に見て、時々絵を指でなぞる。まるで大事なものを扱うように。その手元を見つめ、きっと大切な女性にもそういう触れ方をするのだろうな、と酔った頭でぼんやり思った。
「綺麗に描けてますね」
「結構適当です。その場で描いたものが多いですが、後で思い出しながら描いたのもあります」
「絵の余白に何か書いた後がありますね?」
「風景を見た時の感想を残して曲に起用したあとは見られてもいいように消してます」
「なるほど、手帳もそうですか?」
「手帳は思いついたことを殴り書きするのに使ってるんで、汚くてとても見せられません」
後で書こうとすると忘れるんですよねぇと彼女は残っているお酒に口をつけた。
「いつからこの仕事を?」
グラスから口を離し、少し目を伏せたあと彼女は口を開く。
「音楽に携わることはずっとしていたんですが、きちんと仕事をもらえるようになったのは本当ここ2.3年の話しです」
「僕をモデルに書いた曲はいつか聴かせてもらえるんですか」
うぐっ、とグラスにまた口をつけようとしていた手が止まる。チラッと安室を見た。その視線に彼も気付き、スケッチブックから目線を上げる。交わる視線。お互い一向に逸らす気配がない中、先に口を開いたのはかやだった。
「あずちゃんに色々聞いたことは知ってると思いますが、容姿はあえて聞きませんでした。その方が曲が書けそうだったから」
夜風が火照った顔にちょうどいい。風でふわふわ揺れている安室の髪を見つめた。あぁ、今日はすごく心地がいい。
「まだ会ったこともないあなたを想像しながら、書きました」
カラン、と持っているグラスに入ってる氷が音を立てる。庭にある仄かな照明が彼をより引き立てている。
「どんな人なのか、どんな話し方をするのか、性格は?彼女はいるのだろうか」
当時のことを思い出す様に、かやはその時の想いを口にする。
「店員に恋をしている女の子たちの気持ちになって、そんなことを思ってました。少しわくわくしながら」
高揚する気持ちが曲を浮かび上がらせた。詞と重なり合っていく。この気持ちをもう少し味わっていたい。でも会ってみたいのも本当。ただすぐ会いにいくのはロマンがない、偶然がいい。
かやはふふっと笑って、覗き込むように彼を見た。
「ポアロで会った時、店内に差し込む陽の光が髪に反射していてとても綺麗だった」
「…っ」
「そこから覗き見える瞳の色は優しくて、儚げで、美しいと思ったよ」
無邪気な笑顔で、
お酒のせいかほんのり頬が赤らんでいる顔で、
三日月型に目を細めて、
「やっと会えた、って思った」
彼女はそう言った。
□□□
目を見開いて彼女を見つめ返す。
口説かれているのだろうか。
いや、この様子は純粋にそのときの気持ちを言っているんだ、と冷静に判断する。聞いているこちらが恥ずかしくなりそうなセリフだ。
「…バーで一度、会ってるじゃないですか」
自分のペースに戻そうと、あえて水を差す言い方をした。それに彼女は一度惚けた顔をするとぷっと吐き出した。
「そーなんですよー!あれにはびっくりしました!」
名前間違えましたけど、と先程の雰囲気とは一変、ケタケタ笑う彼女に安室は笑い事ではないと思うんですけど、と言葉を挟んだ。
「ね?恥ずかしくなるでしょ?」
悪戯っぽく笑いかける彼女に、わかっていてあのようなセリフを言ったのか。どうにも調子が狂う。こちらも困ったように笑ってみせた。
「ですね」
「恥ずかしくて書いた詞なんてみせられませんよ」
顔を赤くし、口を少し尖らしながら椅子の背もたれにポスンッと寄りかかる。視線がようやく外れ、どこかホッとしている自分がいた。
「帰りましょうか」
そう言ったのはかやだった。椅子から立ち上がり、腕を上げ体を伸ばす。
「明日、お仕事ですもんね」
そう、笑って振り返った。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
すでに終わらせてあった会計を彼女が知ると店の外に出てから彼女は財布を取り出した。
「いくらだったか言ってくれませんか」
「女性に払わせるわけにはいきません」
「今日、楽しくなかったですか?」
「どうしてそうなります?」
「気軽に飲みに誘いづらくなるからです」
無言で彼女を見つめた。
「今日は親睦を深めたくて私から誘いました。すごく楽しかったです。なのでまた飲みに行きたかったのですが…」
今日はデートではないし、安室がかやに好意があるなら別だ。しかしそうではない。安室が上司であるならば部下にお金を払わせるのは気が引けるのもわかる。だが、部下ではないし歳も然程変わらない。
「友達には普通、奢らないでしょ?」
この歳になって友達と改めて言うのはこそばゆい。コナンには昨日仲良くないと言ったばかりなのに。安室は折れたのか、諦めたように短くため息を吐いた。
「わかりました」
「では…」
「ただ、今日だけは、あなたの仕事を無理強いに聞いてしまった代償として払わせて下さい」
僕の顔を立てると思ってと言えば彼女も折れたのかわかりました、と財布を鞄にしまった。
「今日はすごく、美味しかったです。ご馳走様でした」
「いえいえ、お口に合って良かったです」
「安室さん明日お仕事なのに車どうするんですか?」
「はじめ代行を頼むつもりでしたが、友人が仕事で近くにいると連絡があったので、ついでに運転を頼もうかな、と」
「よかった。私のせいで徒歩になってしまいすみません」
「もともとこの店に駐車場はないので車はパーキングに停めるつもりでしたし、気にしないでください。歩く距離が変わっただけですよ」
駅までの道のりを二人で歩く。するとまたスマホが鳴り出した。画面に表示されている名前に出るか迷っていると、彼女と目が合う。コーヒー買ってきます、とすぐそこの自販機を指差した。
「すみません。すぐ済みますから」
「いえ、ごゆっくりどうぞ」
そう笑って、彼女は数歩先の角にある自販機に走っていく。ギリギリ会話が聞こえるか聞こえないかの距離か、と通話の文字をタップする。
「どうした風見」
《すみません、降谷さん。人身事故のようで到着少し遅れます》
「あぁ、構わない。すまないな」
《いえ、これも仕事ですので》
「頼んだ」
スマホを仕舞い、自販機まで歩く。彼女の体は自販機に隠れ、壁に寄りかかっているのだろう、足先だけが少し見えていた。
「〜 ♪ 」
微かに聞こえる彼女の鼻歌。
思わず歩みを止める。
どこか、懐かしい、どこかで聞いたことのあるその旋律。
どこで、聞いた…?
記憶を辿る。辿り着いた先にいたのは思いがけない人物だった。
「あ、安室さん無糖でよかったです?」
電話が終わったことを悟ったのだろう。自販機の影からひょこっと顔を出し、投げて渡す缶コーヒーを片手で受け取めた。
「あ、りがとうございます」
「あれ、苦手でした?」
「いえ、いただきます。あの、今の…」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
歩きながら彼女の横を歩く。
温かいコーヒーを飲みながら、口数は少なく、肩を並べて駅へ向かった。
毛利小五郎がどんな人物なのか。近辺調査はまず彼と親しい人間関係から探りをいれた。いくつか出会した事件で彼が眠りの小五郎と呼ばれるには疑問が残ることばかりだった。注目すべきは彼ではなく居候しているというあの少年。
W私は彼が小五郎さんの名声の元だと思いますW
あながち間違っていない彼女の憶測に苦笑いする。捉え所がなく、踏み込もうとすると避けられる。安室をモチーフにして書かれたという曲は結局聴けそうになかったが、自分が公にされる心配は無さそうだ。スケッチブックの中身も特に問題はなかった。
「駅まで送ってくださってありがとうございました」
「家まで送って行きましょうか。もうすぐ友人もくると思いますし」
「ありがとうございます。でも今日は酔い覚ましに歩いて帰ります」
そう、遠くないですし、と彼女は言った。
「そうですか。ではまたポアロで」
「はい、またお店に伺います。あ、安室さん!」
「はい?」
「お気をつけて!」
明日の仕事の事を言っているのだろう。笑顔の彼女に、安室は片手を挙げて応えた。
6
「またどこか行っちゃったかなぁ」
「え?」
テーブルを片してきた梓が唐突に言った。トレーを受け取り渡された食器を洗う。
「かやさんです」
「あぁ、そういえば最近見ませんねぇ」
「あ、注文取ってきますね」
「お願いします」
カランカランと店のドアが開く。ちょうど噂をしていた彼女が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちはー」
オーダーを取っている梓と目が合い小さく手を振ると空いているカウンターに座った。
「お久しぶりですね、かやさん」
「こんにちは、安室さん」
「何か食べられます?」
「カラスミパスタと食前にアイスコーヒーを」
「かしこまりました」
「あ、あずちゃん忙しそうだったら違うメニューがいいかな?」
ここポアロの名物とも言える特性カラスミパスタは梓が作っておりそれを分かっているからか、オーダー中の彼女を気にかけた。
「大丈夫ですよ、それにあの2名のお客様はサンドイッチだと思いますし」
ちら、と後ろに座る客の顔を確認する。若い男の人だ。梓を交えて談笑している。くるっと向き直り安室に聞く。
「なぜ、わかるんです?」
「なぜだと思いますか?」
ニコニコしながらアイスコーヒーをかやの前に置く。質問を質問で返された。少し考える素振りをして、出た答えを口にする。
「サンドイッチが食べたい顔をしているから」
「それを推理と呼ぶならば、僕は毛利先生から破門させられるでしょうね」
「注文内容を聞いていたから」
「ちょうどその時かやさんがいらっしゃったので聞き取れていません」
「かやさん、いらっしゃい」
注文を取り終えた梓が戻ってきた。小さく手を振る梓にこちらも手を振り返す。
「梓さんカラスミパスタのオーダーが入りました」
「わかりました。安室さん、サンドイッチを2名様分お願いできますか?」
「了解しました」
本当にサンドイッチだった、と頭を悩ませているといきなり服の裾を誰かに引っ張られた。
「ん?あれ?コナン君」
彼は下校途中だったのかランドセルを背負ったままだった。急いで来たのか少し息が切れている。どうしたの?と聞けば彼はかやの腕を引っ張った。
「今から元太たちと博士の家でゲームするんだ!かや姉ちゃんも行こうよ!」
「でも、今注文しちゃって」
「元太たちと会うのは久しぶりでしょ!」
どうしたというのだろう。いつもの彼らしくない。何か焦っているような素振りだ。こちらの目を真剣に見つめる小さな瞳にかやは頷いた。
「ごめん、あずちゃん。もう作り始めてる?」
「い、いえまだです」
「じゃあキャンセルでお願い」
「えぇ?食べていかないんですか?」
「ごめんね!アイスコーヒーご馳走様。お金これで大丈夫?」
「はい、大丈夫ですけど…」
「じゃあ行こっか、コナン君」
「う、うん」
コナンはチラッと安室を見た後、かやの腕を引っ張って店を出て行く。
「コナン君よっぽとかやさんとゲームがしたかったんでしょうか」
真顔だった安室だが、次にはいつもの笑顔で、そうかもしれませんねぇなどと何も思っていない風に答えた。
□□□
黙ったまま阿笠の家に向かうコナンにかやは心配そうに覗き込んだ。
「コナン君?」
「え?あ、ごっごめんね。かやお姉さんお昼ご飯まだだったんだよね」
「まぁ、だいぶ昼時というには過ぎた時間だったけどね」
何もなかったように会話を続けているかやをコナンは見上げる。
「聞かないの?」
「え?」
「急に連れ出したこと」
無言でコナンを見つめる。彼の表情を見てクスッとかやは笑った。
「ゲームでしょ」
「え?」
「みんなで、ゲームしに博士の家にいくんだよね」
「う、うん」
どこか附に落ちない顔をしている彼に困ったように笑った。これでは納得しないか、と。
ポアロでの彼の慌て様は一刻も早くこの場から自分を連れ出そうとしていた。何を恐れていたのかわからないが、きっとポアロにはいて欲しくなかったのだろう。
彼を安心させる言葉を探したが見つからず、ストレートに伝えることにした。
「しばらくポアロには行かないよ」
「え?」
驚いた顔をするコナンがこちらを向く。そんなこと言われるとは思っていなかったのだろう。新一とそっくりなその顔に心の中で笑ってしまう。
「その方が安心って顔してる」
「かやお姉さん…」
「あ、でもお土産どうしようかな。コナン君たちの分は実はポアロに寄る前に蘭ちゃんに渡して来たんだけど」
「梓さんたちの分?」
「うん。でも賞味期限ちゃんと見てなくて今日までだったんだよね。博士の家でみんなで食べちゃおっか」
「え、いいの?」
「いいのいいの。今回大したお土産じゃなかったし」
「あ、かやお姉さんだ!」
いつのまにか阿笠の家に着いていたようで、玄関先にはちょうど少年探偵団がいた。歩美が元気よくこちらに手を振っている。
「歩美ちゃん久しぶりー!」
「どうしてかやお姉さんがいるんです?」
「えへへ、お呼ばれしちゃった」
「大丈夫かよ、今回のゲーム難しいらしいぞ」
「足を引っ張らないよう頑張る」
玄関先で騒いでいると、ドアが開けられる。茶髪の大人びた少女が出てきた。
「あら、あなたも来たのね」
「こんにちは、哀ちゃん。はい、これお土産、みんなで食べて」
それに三人の子供たちはわーい!と喜んでお土産が入った袋を持っていく。哀ちゃんが、皆お礼言うのよ!と叱っている。
「もう、みんなのお母さんだね」
「この歳で母親になるつもりはないわ」
「あはは、確かに!」
「ねーねー!かやお姉さん!今度はどこ行って来たの?」
袋から出し、包装をすでにビリビリに破いている元太を横に歩美が聞いてきた。光彦はそんな元太を叱っている。
「えっと、夢の国と、トロピカルランド、あと静岡にある…」
「え、まさか全部一人で行ったとか言わないわよね」
引いた目で灰原とコナンがこちらを見ている。
「全部一人で行ったよ?」
「おめぇって友達いねーのか?」
「ストレートな物言いは時に人を傷つけるんだよ、元太君」
「かやお姉さん、あのね、今度歩美たちも一緒に行ってあげるからね。無理に一人で行かなくてもいいよ?」
「無理に行ってるわけじゃないんだけどな」
「一緒に行ってくれる彼氏もいなかったんですね」
「君が一番心を抉ってくるね光彦君」
「あなた、そろそろ良い年頃よね。もう結婚を考える行動をしないといき遅れるわよ」
「哀ちゃんまで!久しぶりに行く親戚の家ですか、ここは。お土産返してもらおっかなー」
「たまには一人で行きたくなるよね!」
「レジャーランドに彼氏と行くと別れるっていいますしね!」
「俺もそう思うぞ!」
「…食べてよし」
手のひらを返したような三人の物言いに、やはりまだ子供なのだな、と笑ってしまう。
「おや、かや君。君も来たんじゃな」
「久しぶり博士。何か美味しい匂いがする」
「今ちょうどドーナツを揚げとるとこなんじゃわい」
「手伝うよ」
そう言って二人で台所に向かう背をコナンは険しい表情で見つめる。
「怖い顔してどうしたのよ?」
「いや…」
「珍しいわね、あなたがわざわざ彼女を誘うなんて。いつもは勝手に来るじゃない」
「いや、まぁ…そうなんだけどな」
「まさか…」
バーボン…?と小声で言う灰原の声に重みが増す。コナンも深刻な表情で頷いた。
「念のためさ。梓さんにも危険は及んでないようだし、奴にとってメリットもないしな」
「なんでまだポアロで働いてるのかしら」
「あぁそこなんだよな…」
「みんなー!ドーナツの揚げたてできたよー!」
かやの笑った顔を見つめ、コナンはぎゅっと拳を握った…。
next
いいね♡