彼女の前では
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「え?…幽霊…ですか?」
「はい…」
そんなある日のこと彼女から相談を受ける。先日引っ越したらしいのだが、どうやらその日から毎夜金縛りに合うらしい。夜な夜なうめき声のような変な音も聞こえるのだとか。
「それで…その…」
金縛りの原理としては規則正しく訪れるはずのレム睡眠が崩れて出ることで起こると考えられている。
「その話を園子ちゃんに話したら安室さん、除霊も出来るって聞いて…」
不規則な生活や睡眠、精神的ストレスや過労、細切れにとる睡眠などで心身が疲弊し眠りがしっ…え?
「今なんと?」
彼女の言葉で思考は停止してしまう。
「その…園子ちゃんが…安室さんは除霊も出来ると…」
待て待て待てと記憶を遡る。確かに以前園子に「名前さんのことどう思う?」と訊かれて「笑顔が素敵な女性だと思います」とは応えた。その時彼女が「安室さん!うちらに任せて!」とだけ言われたのだが、その意味をようやく理解した。流石に嘘は良くないと後で園子に言っておかなくては。
「あの…名前さん、…」
「あの、それで…」
些か緊張している様子の彼女は安室の声は届かなかったようだ。彼女は食べていたケーキの端をフォークで少しつついたあと、静かに皿の上に置く。恥ずかしそうにこちらを見上げてくるその表情に思わず告白かと思ってしまうほど。気が気ではない安室は訂正するタイミングを逃した挙句、彼女の次の言葉を待ってしまう。
「今夜、一緒に居てくれませんか?」
告白よりもダイレクトな誘いに安室は、ぐっ、と彼女の見えないところでズボンの上から太腿を抓る。落ち着け。冷静になれ。彼女はただ除霊出来ると信じている自分を頼っているだけに過ぎない。彼女にその気がないことはわかっている。それにこんな下心がある状態で彼女と二人きりは…
「こんなこと頼めるの安室さんしかいなくて…」
「…っ…」
色々な葛藤が渦巻く。出来るならそのまま朝まで一緒にいてあげたい。しかし不用意に近づけば組織に目をつけられ彼女を傷つけることにもなる。途端頭は冷静になっていく。そうだ。何を躊躇している。まずは霊自体見えたこともないと伝えなければ。だいたいの心霊現象は科学で証明…
「すみません。困りますよね、こんなこと言われても…」
黙っている安室を断れなくて困っていると勘違いした彼女は忘れてくださいと小さく笑った。その言葉にホッと胸を撫で下ろす。本当に貴女は困った人だと彼女の見えないところで満更でもないため息をつく。
「そんな僕の方こそ…」
「服部君が近々事件でこっちにくると言っていたので…」
「……」
「彼に頼んでみま…」
「行きます」
「え?」
「今夜ですよね?」
「えぇ⁉だ、大丈夫なんですか?」
「えぇ、もちろんです」
なにを言っているんだ、今すぐ撤回しろと思った時には既に彼女を車に乗せていた。本当に何をしているんだ。いや、でも彼女は些か抜けているところがある。他の男と彼女が一夜を共に過ごすくらいなら自分の方が遥かに安全だ。これは彼女の身を守る為なのだと安室は自分に言い聞かせた。
「そういえば毛利先生ではなくて良かったんですか?」
家に上がり、一息ついたところで安室はそう名前に尋ねた。彼女からこの話を切り出された時、真っ先に思ったことだ。除霊できると信じている自分に話を振ったのかもしれないが、眠りの小五郎に近づくチャンスでもあった筈。しかしここにきて今さらこの質問をする時点でハナから誰にもこの役を担わせるつもりなどなかったことに気づく。我ながら狡い手を使う。
「毛利さんが真相解明の時に寝てしまうと、いざ幽霊が現れた時…その、太刀打ち出来ないかと…」
起きていても太刀打ち出来ないのではないだろうかという突っ込みは置いておこう。
「ひっ…」
いきなり彼女は安室の腕を掴んで背中に隠れる。怯えている彼女に喜んでいる場合ではないとコホン、と咳払いを一つする。安心して下さいと宥めるように背中をさすった。
「どうしましたか?」
「あ、あの…音です」
うぉぉ…
耳を澄まし微かに聞こえてくるその声は確かに男のうめき声のようにも聴こえる。声がする方へと足を向け、窓を開ける。見えた高層マンション。それぞれの建物からの剥離流が重ね合わさって生じた風の音だったようだ。つまり犯人は風である。
「ど、どうでした?」
恐る恐る顔を出す彼女に安室は安心させるように笑いかけた。
「この声の正体は…」
「し、正体は…⁉」
ゴクリ、と生唾を飲み込み、畏怖と不穏が混ざった表情で見上げてくる彼女に思わず安室は固まってしまう。店員と客だけの関係では決して見ることが出来なかったその表情に安室の思考はまたも停止してしまうのだった。
「幽霊です」
やっぱり⁉という顔をする彼女にしまった、つい、と頭を抱える。真実を伝えれば彼女とはまた客と店員との関係に戻ってしまう。もう少し名前と居たいが為に嘘を重ねてしまった。何を言っているんだ!早く訂正しろ!と頭の中でもう一人の自分がひどく怒鳴っている。ぎゅっと拳を握り、安室は意を決して口を開いた。
「僕たち付き合いませんか?」
「えぇ⁉急⁉」
すぐそばにいるかもしれない幽霊と脈絡なく告白してきた男に名前は困惑しながらも的確なツッコミを入れた。安室は静かに目を閉じる。何故先程から頭で思っていることと出る言葉がこうも食い違うんだ。まるで何かに取り憑かれているようだ。一体どうしたというのだ。
「帰ります」
「えぇ⁉今の話はもう終わりですか⁉」
「すみません。一度冷静に考えたいのでこの件は持ち帰らせてください」
「どちらかというと私の台詞のようにも思えますが…わ…わかりました」
赤い顔をしつつも彼女は承諾してくれた。それ以上の詮索がないのは彼女も困惑しているからだ。腕を掴んでいた彼女の手が離れる。寂しいと思いつつ、これ以上醜態を晒すわけにもいかなかった為に早足で玄関へと向かう。
「あ、あの…金縛りは今夜どうすればいいですか…?」
下唇をグッと噛み、純粋に訊いてくる彼女に申し訳なさが募る。
口から出てしまった言葉はもう取り返しがつかない。しかし嘘はやはり良くないと頭の中で警報が鳴る。警察官である自分がそんな嘘をついていいわけがない。それに自分は潜入捜査中の身。一体何に時間を費やしているのだ。彼女と関係を築くなんてもってのほかな筈だ。
「名前さん」
「はい…?」
やはり本当のことを言おう。今すぐ全てが口から出まかせということを伝えなければ。
「あの…」
薄く開いた唇。パチリ、と不思議そうに瞬きをするまつ毛。その可愛い表情が軽蔑の眼差しに変わってしまうのだろうか。
「これを使ってください」
「……」
「……」
「梅昆布茶…ですか?」
またしてもやらかしていることに気づき、頭の中で己を殴る。
「寝る、前に…飲んでください。あと、布団に入ったらスマホを見ないように…そうすればきっと今夜はよく寝れる筈です」
「ありがとうございます」
顔を綻ばせる彼女に安室は胸を押さえた。
「では…ぼくはこれで…」
「あのお金は…」
「いりません」
「でも…」
「大した霊ではなかったので…またポアロに来てくださればそれで…」
どんどん墓穴を掘っていく自分に頭を悩ませながらも、彼女はしぶしぶ納得してくれたようだった。ドアを開けた安室に彼女は最後に「ありがとうございました。おやすみなさい」と天使の笑顔で見送られ、初めて神に懺悔した。
「梅昆布茶で除霊してくださったお陰であの日からぐっすり眠れるんです」
数日後、店を訪れた彼女はその時のことを嬉しそうに語る。あろうことかコナンの前で。
「まさかあの時の告白が幽霊を撹乱させるためだったなんて…思わず私本気にしちゃいました」
楽しそうにその時のことを話す彼女と非難の目を向ける小さな探偵に挟まれ、安室は意味もなくトレーで顔を隠したのだった。
おわり
2021.3.9
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