危険なお兄さん


喫茶ポアロで働く安室透という男性は優しくて皆にとても慕われており、頼り甲斐のある親切なお兄さん、という印象だったーー…



仕事の帰り道、終電まで時間がなかったため街頭の少ない、いつもは通らない道を近道で選んでしまう。ふと路地裏に入っていく安室さんの姿を見かける。黒いフードを被っていて、チラッとしか見えなかったがあの端正な顔立ちを見間違える筈がないとつい彼を追いかけてしまう。

「安室さん」

特に何も考えず、声を掛けてしまう。こんな所で会うなんて奇遇ですね、なんて。いつも優しく接してくれる彼の印象からきっと「あぁ、名前さん今晩は」なんてあの優しい笑顔で返してくれることを想像して。

しかし振り返った彼の顔はひどく驚いており、その顔には血が付着していた。思わず声を上げてしまう。

「血がっ!大丈夫ですか、あむっ…!」

突然口の中に何かを突っ込まれ「うぐっ」とくぐもった声が喉奥から出る。あまりにも唐突なことで体は硬直してしまう。カラ…と歯に当たり口の中で音がなる。舌をチロッと小さく動かし、舌先に当たったそれは丸い形をしていた。意識を集中させると不思議と甘い、いちご味が口の中に広がる。彼の指先から伸びる白い棒を見て初めて口に入れられているのが棒付きキャンディーだということがわかった。訳がわからず彼の名を呼ぼうとする。

「は、はむろしゃ…」

「しーっ」

静かにというように唇の前で人差し指を立て「今夜見たこと…黙っていられますね?」と紳士な彼からは想像もつかないその妖艶な目つきに心臓はどきりと音を立てる。こんな彼は知らない。こんな、いけないお兄さんみたいな彼を見たことがない。普段の彼とのギャップに未だ頭は追いつかず、体は硬直したまま。

「こんな形で、貴女に会うとは…ね」

少し荒い呼吸と辛そうに寄せられている眉は具合が悪そうだった。やはりどこか怪我をしているのだ。

「はむろさ…んっ」

喋るなというように口に突っ込まれたままの飴が途端に動き始めた。硬直している体をまるで解していくかのように飴が口内を犯していく。こちらの反応を見ながら奥歯から一本ずつ歯列を這うように動くそれは歯に当たる度、カラ…カラ…と音を立てた。舌や上顎を撫でるように、ゆっくりと、艶かしく動いていく。ジッと見つめてくるその瞳に縛られ、体は服従を示すように徐々に顎が上を向いていく。溜まった唾液を飲み込むことすら躊躇してしまうほどだった。閉じるのを忘れただらしのない口の端からゆっくりと下に伝っていくのがわかる。徐々に引けていく腰を逃がすまいともう片方の手で引き寄せられる。何かとてつもなくいけない事をしているみたいだった。

「返事は?」

散々口の中を荒らされた後に彼は自分の表情を見てどこか満足した顔でそう呟いた。こくこくと頷けば飴が引き抜かれていく。解放されたそれにようやく口を閉じることが出来た。手の甲で拭うよりも先に彼の親指が口端を拭った。

「いい子」

最後に優しく微笑まれた瞬間、首に重い衝撃。視界は暗くなり意識は遠退いていく。

「あぁ、風見か?一人家に送り届けてほしい女性がいる」

意識が切れる直前、彼が誰かと話してる声が聞こえた気がしたーー…




目を覚ました時には自宅のベッドの上だった。あれは夢だったのだろうか。出なければあの後自分はどうやって家に帰ってきたというのだ。彼は自分の家を知らないし、玄関のドアの鍵もきちんと内側から掛けられていた。不可解なことは服が昨日のままだということだけ。

その日はとりあえず仕事に行き、何事なかったかのように数日過ごした。だがどうしても気になってしまい、次の休みにポアロへと訪れてしまう。ビクビクしながら扉を開けば「いらっしゃいませ」と明るい声が店内から聞こえてきた。

「あ…あむろさん…」

「名前さん、お久しぶりですね」

「えぇ、その…仕事が、忙しくて」

「もう来てくださらないのかと思いました。どうぞこちらへ」

Wもう来てくださらないのかと思いましたW

それはどういうつもりで言ったのだろう。つい深読みをしてしまう。しかし彼は何事もなかったかのようにいつもの笑顔で自分をカウンター席へと案内した。

メニューを見るフリをして上目遣いで彼の様子を窺う。あれから数日は経っているが彼の顔色は良さそうだった。あれが現実であれば彼はどこか怪我をしている筈だ。もう、大丈夫なのだろうか。するとこちらに気づいた彼が不思議そうに首を傾げる。へらっ、とぎこちなく笑えば、彼は優しく微笑んだ。

あれ、意外と普通…かも…

ようやく胸を撫で下ろす。そうだよね。安室さんがあんなことするわけないもんね。やはり夢だったのだ。なんと不思議な夢を見たものだ。安心したらなんだかお腹がすい…

「っ!」

しーっ…と口には出さずにあの時と同じように唇の前に人差し指を立てる彼を見て名前の体はまた硬直してしまうのだった…。


終わり
2021.3.15
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