つぐみ様


「君、またそんなものを食べてるのか?」

頭上から降ってきた上司の声にギクリと肩を揺らす。ゼリー飲料を口にしながら報告書をまとめ上げていた名前は亀の如く首を竦めながらゆっくり見上げるとそこには案の定、眉を八の字に寄せている上司がいた。

「お疲れ様です、降谷さん」

「お疲れ様。差し入れにポアロのハムサンドとコーヒー持ってきたから君も食べるといい」

「いつもありがとうございます」

自分よりも忙しい上司からの差し入れに恐縮しながらも、デスクに置かれたサンドイッチとコーヒーが入っているであろう紙袋に胸が躍る。ここのハムサンドが最近名前のお気に入りなのである。兄に差し入れで貰ったのがきっかけだったのだが、あまりの美味しさに今まで食べたどのサンドイッチよりも絶品だったと興奮気味に伝えるとその後は兄からではなく、その店に潜入している降谷から直接貰うようになった。

「このハムサンドを発案した従業員の方は天才ですね」

早速袋から取り出し頬張っていると彼はぷっ、と吹き出した。クツクツと抑えるように笑うものだから名前は首を傾げる。

「何かおかしいことを?」

「いや、大袈裟だと思ってな」

「それぐらい好きだってことですよ」

「………」

今度は黙ってしまった彼にどうしたんですか?と尋ねるとふいっ、と顔を逸らされてしまった。何か変なことを言ってしまっただろうか。思案している名前を他所に彼はゴホン、とワザとらしく咳払いしたあと、そのまま立ち去らずにと隣の席のキャスターチェアに手を掛ける。同僚が席を外しているのをいいことに彼はそこに腰を下ろした。

「ここのところずっと泊まり込んでいるらしいな」

「兄ですか」

告げ口した兄を恨めしく思いながら、名前はそこで漸く上司が自分の元へ訪れた訳を理解する。

「休むのも仕事のうちだ」

「それ降谷さんがいいます?」

「僕は適度にガス抜きしてる。風見が君の仕事の仕様を見て心配していたよ」

あぁ、君も風見だったな。と彼が発したその言葉には他の人と違い揶揄は含まれていなかった。風見裕也の妹ではなく、一人の部下として接してくれていることが名前にとって心地がよかった。

配属された当初は兄が指導係というのもあり、その後ろをついて回る自分のことを風見鶏の鶏と掛け、ヒヨコちゃんと呼ぶものが多数いた。たしかに兄に従順な姿は刷り込みされているようにも見えなくはないだろう。経験そこそこに公安のゼロである彼の下に就いたからやっかみもあったのかもしれない。こちらも言われっぱなしは癪なので、仕事で見返してやろうとひたすらに打ち込んだ。しかし一番に認めてもらいたい兄にはあまりいい顔をされなかった。

「来週の君のスケジュールは?」

「えっと…」

スマホを取り出し、スケジュール帳アプリを開いたと同時に彼にスマホを取り上げられてしまう。

「あの…!」

「この日…」

「え?」

記載されたスケジュールを確認した彼はスマホ画面をこちらに向ける。

「この日、君に仕事を頼みたい」

日付を指さし彼はどうだ?と尋ねてくる。W仕事Wの言葉に名前はすぐさま頭を切り替える。

「承知しました」

「よし。その日はスーツではなく、普段着で頼む」

「張り込みですか」

「まぁ、そんなところだ。だが一人じゃない。僕と一緒だ。君に恋人同士を装って欲しい」

W恋人同士W

その言葉に何故か心臓は小さく脈を打つ。不思議に思いながらも名前は気のせいだと胸の内で首を振る。分かりました、と伝えると彼はまた連絡すると言ってその場を去った。



迎えた当日。待ち合わせ場所のベンチに彼はいた。

「メールした通り昼は食べてないな?」

「はい、抜いてきました」

彼の隣に腰を下ろすと手に持っているランチボックスに目がいった。

「お弁当…ですか?」

「あぁ、君たち兄妹は食を疎かにしがちだからな」

言い返す言葉もない。昔から兄も自分も料理は苦手だ。大きめのランチボックスを開くと中身は何種類かのサンドイッチが綺麗に並べられていた。

「あの、」

「なんだ」

名前は困惑する。結局対象の情報を何一つ教えてもらえぬまま今日を迎えてしまったからだ。これでは本当にデートになってしまう。

「今日って張り込み…ですよね?」

サンドイッチを手渡そうとしていた彼の動きが止まる。そして呆れたように短く息を吐き出した。

「はぁ、全く。僕たちは今、恋人同士ということを忘れてないか?」

「し、失礼しました」

察しの悪い自分に落ち込む。たしかに恋人同士ならこんな会話はしないだろう

「まぁいい。せっかく作ったんだ。食べて感想を聞かせて欲しい」

「降…安室さんがお作りになったんですか?」

「他に誰がいる」

自分の知る安室透はそのような話し方ではなかったような、と思いながら名前は手渡されたサンドイッチを頬張った。温かい日差しと、爽やかな風が吹く中で食べるそれは格別だった。こんなに穏やかな時間を過ごしたのはいつぶりだろう。

ふいに、兄が恋しくなった。

「兄と四六時中一緒にいる降谷さんが羨ましいです」

「四六時中は一緒にいない」

「そうですか?」

「そうだ」

自分が警察官を目指した理由は兄がその道に進んだからだ。警察学校に入学したその年に兄から警察官を辞めたと聞いた時はとてもショックだった。毎週していた定期連絡は途絶え、新しく就いた職が忙しいのか会える頻度も徐々に減っていき、終いには音信不通となってしまった。兄を慕っていた分、とても心配したし、すごく寂しかった。だから自分が公安に配属され、兄と再会出来た時は嬉しかった。

「って、兄と会ってるのは仕事だからですよね、すみません。公私混同しました。次からは発言に気をつけ…」

「いい」

「え?」

「今日は君の気持ちを包み隠さず聞かせてほしい」

優しく、穏やかなその声色に胸の奥らへんが熱くなるのを感じた。また…だ。変な感じ…。

「そういえばハムサンドも作ってきたんだ。君が気に入っている店の味には劣ると思うが食べてみてほしい」

「はい…ぜひいただきます」

その店に安室透として潜入しているのだから当たり前なのかもしれないが手渡されたハムサンドは店のものと見た目そっくりだった。頬張った瞬間にパチリ、と目を瞬かせる。いつも差し入れで貰っているハムサンドと同じ味がしたからだ。

「あの、もしかしてハムサンドを発案した従業員って…」

「僕だ」

その言葉に名前の顔は徐々に赤くなっていく。わなわなと口を開ける自分を見て彼は可笑しそうに笑った。

「ど、どうして教えてくださらなかったんですか⁉」

「いや、君の反応が面白くてつい。こちらとしても毎回作り甲斐があったよ」

振り返り今までの発言を省みて恥ずかしくなる。

「まぁ、ハムサンドはいつも食べているだろうから、今回はおかずも作ってきた」

セロリの炒め物だ、と言って取り出したタッパーに名前の表情は固まってしまう。気づいた降谷は目を細めた。箸に挟んでいるセロリがわなわなと震えている。

「まさか…君…」

「はい。実は、そのセロリは…苦手、でして」

「全くきみら兄妹はそういうところまでそっくりだな」

「兄にも食べさせたんですか?」

「あぁ、そうだ。君のWお兄ちゃんWはちゃんと食べたぞ」

吐き出したが、と余計なことは口にはせず、降谷の思惑など知らない名前は箸先のセロリを見つめた。

「うぅ」

「ほら、栄養あるから」

口の前まで苦手なセロリがやってくる。

「せ、せめて自分で食べさせてください!」

「今日の僕たちは?」

「…こ、恋人同士です」

「わかってるならいい」

パワハラだ、なんて思いつつ兄が食べたのなら…と名前は諦めて口を開いた。放り込まれたセロリをゆっくりと咀嚼する。独特の苦味がこないことに名前は目を丸くした。

「うそ、美味しい」

「ハハッ!だろう?」

満足そうに顔を綻ばせる彼に、キュッと胸が苦しくなる。上司の降谷と仕事をするようになって、時折感じる胸の違和感に名前はずっと疑問を抱いていた。もっと、彼の傍にいたいと思うのはどうしてだろうーー…?





彼女の兄である風見裕也と酒を飲みに行った際、酔った彼が口にしたことは妹のことだった。妹は昔から頑張りすぎなところがあるので心配なのです、と。それ以降自分もなるべく彼女を気にかけるようにしていた。

「あの、降谷さん…」

デートをした日の別れ際、今日は仕事なんかではなく息抜きに誘ったのだと途中気づいた名前は、少々申し訳なさそうにしていた。

「なんだ」

兄と顔は全く似ていないくせに、真面目でそそっかしいところに血を感じてしまう彼女をどうも放っておくことが出来ず、余計な世話を焼いてしまう。

「えっと…」

頬を少し赤らめ、恥ずかしそうにする名前。こちらも変に緊張してしまう。降谷自身、何故ここまで彼女に構うのか理解出来ていなかった。兄弟がいないから分からないが、これが妹を心配する兄の気持ちというものなのだろうかと、この不可解な感情に無理矢理名前をつけようとする。

「わ、わたしに!料理を教えてくださいませんか!」

思っていた申し出と異なっていたことに心は若干残念がっていた。いやいや、一体何を期待していたというのだ。

「そ、その、自分はまだそういった面でも未熟で、ご指導頂けたらな…と」

彼女は風見の妹で、大切な部下だ。それ以上でもそれ以下でもない。

「いいだろう」

「ありがとうございます!!」

嬉しそうに顔を綻ばせる彼女にトクン、と疼く胸の奥。妹に抱く感情としては少し違和感があった。

「あ…」

突然何かに気づいた彼女が声を漏らす。

「どうした」

「いえ、ずっと降谷さんに対して違和感?のようなものを感じていたんですが、それがなんなのか今わかりました」

彼女もまた同じ気持ちを抱いていたことに驚く。優しく目を細め、微笑んでくる部下に体が熱くなるのを感じた。

「降谷さんって…」

ごくり、と降谷は喉を鳴らした。

「お兄ちゃん、みたいですよね!」

「………は?」

は?ともう一度胸の内で呟く。

「厳しくてもなんだかんだ最後まで面倒を見てくださるところとか、本当は優しいのに、誤解されやすいところとか…」

「………」

「降谷さんのその安心感が、兄に似ているといいますか…!」

確かに彼女を妹のようだと思っていた。しかしいざ本人の口から改めて兄のようだと聞かされるととても複雑な心境になった。

「………」

「降谷さん?」

数秒間固まったまま動かなくなった上司を名前は不思議そうな顔で見つめたのだったーー…





「その弁当…うまいか?」

「ん、ごほっ!ふ、降谷さん⁉」

背後から忍び寄り、弁当を広げている眼鏡をかけた男性に降谷はそっと声をかける。驚いた男は蒸せてしまった。

「どうなんだ」

「え、えぇ…そりゃあまぁ、美味しいです…が…」

「君が弁当を作ってくるなんて珍しいじゃないか」

「その…実は妹が作ってくれまして」

「ほぅ…」

知っている。兄に弁当を作ってあげたいのだとその練習に付き合ったのは他でもない自分だ。

「兄思いな良い妹じゃないか」

「それが、なかなか兄離れが出来ず困った部分もありまして…。未だ結婚するなら兄さんのような人がいいなんて言って…」

「…まて」

「はい?」

「今…なんて?」

「兄離れが…」

「その後だ」

「えーっと…結婚するなら兄のような…」

ゆるゆると持ち上がった手は目を覆う。頭が垂れてしまった降谷に風見が心配そうに覗き込む。

「降谷さん、どこか具合でも…」

「僕は絶対に認めないぞ」

「はい?何がですか?」

「君をお義兄さんと呼ぶなんて絶対にごめんだ」

「降谷さんの兄ではないので、できれば呼ばないで頂けると助かります」

それはこちらもごめんだと風見は訳のわからないことをいう上司に遠い眼差しを向けたのだったーー…


おわり
2021.5.25
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