偽りの笑顔

朝、目覚めると熱はもう下がっていて、洗面所の鏡に映る顔は少し浮腫んでいた。

瞼が重い。
まるで泣いた後のようだ。

昨夜を思い返してみても、徐々に上がり始めた熱のせいで記憶は曖昧で…。とても悲しい夢を見ていた気がするのだが、心はどこかすっきりしていて…。

なんの…夢を見ていたんだろうか…。





「もう!メールも電話も音沙汰ないから心配した!」

学校に行く前に立ち寄ったという蘭とコナン。ケロリとした顔で出迎えたハルに二人は安堵した表情から一変、呆れ顔に変わる。

「ごめん、ごめん。さっきスマホ見て」

「寝込むほどひどかったんなら連絡ぐらいしてくれたっていーのに」

「心配かけさせちゃったね。次からはちゃんとするから」

「そう言って今まで連絡くれた試しがないんだけど…?」

笑って誤魔化したらジト目で睨まれてしまった。その目、英理ちゃんにそっくり。なんて胸の内でつぶやいてみたり。

「二人とも学校は大丈夫なの?」

時間に気づいて、急ぎ足で玄関に向かう二人を見送る。

「コナン君も来てくれてありがとうね」

ランドセルを背負った小さな新一はこちらの顔をジッと見つめた後、「ねぇねぇ」とハルの服の裾を引っ張った。

「昨日の夜って誰か来た?」

しゃがみ込んだ途端そう耳打ちする彼。ハルの頭の上に疑問符が浮かぶ。

「え?だれも来てないはずだけど…」

「連絡も?」

小さな探偵は何かが気になっているらしい。ハルは今一度スマホを確認してみる。しかし昨夜から連絡があったのは蘭のみで、それ以外は誰からも着信、メールは来ていなかった。

「ないみたい」

「ふーん」

え。何かな、その意味ありげな表情は。
もしかして誰かいた形跡でもあった?
それはそれで怖いんだけど…。

「なになに?すごい気になるんだけど」

「いや、大したことじゃないんだけど…さっき扉開ける時さ、チェーン外す音しなかったから。いつもハルお姉さんかけてるのに変だなーって」

言われてみれば…。

「誰か来て鍵だけ掛けて帰ったのかなって思ったんだけど…」

「…チェーンかけた記憶…ない、かも…?」

「え…」

帰宅中すでに視界はグラグラで。家に着いた途端倒れるように玄関に雪崩込み、そこからなんとかリビングまで行ったもののそれ以降の記憶がない。そもそもどうやってベッドまで行ったのか…。

疑問系で返ってきた返答にコナンの目は呆れたように細められる。

「気をつけなね」

「…はい」

鍵を閉めた記憶もないような…。確かな記憶と言われると自信はないのだが、でも二人が来た時、鍵を開けたのだからつまりそれは閉めたってことで…

W誰か来て鍵だけ掛けて帰ったのかなって思ったんだけど…W

そんな、まさか…ね?

「コナンくーん!置いてっちゃうよー!」

「あ、はーい!…じゃあね、ハルお姉さんお大事に」

「うん、ありがと」

鍵まで閉めた記憶がないなんて言えばどんな表情を向けられることになるのか。結果掛かっていたワケだし、無意識に閉めたのだろうとハルはそれ以上深く考えるのをやめた。







数日後、心配を掛けた二人にお詫びも兼ね、ケーキを買って探偵事務所へと向かっていると「毛利!」と突然呼び止められた。

「あれ、こんなところで会うなんて奇遇だね」

そこにいたのは以前具合が悪い時に仕事を代わってくれた同僚の彼だった。

「この雑誌に載ってる喫茶店に行こうと思ってな」

見せられた本に載っているのはよく知った喫茶店だった。大尉を抱っこしている梓の姿が左端に小さく写っている。

「このあたりのはずなんだが…」

「案内しようか?」

「知ってるのか?」

「うん。兄家族がね、その喫茶店の上の階に住んでて、ちょうどこのケーキ届けようと思ってたところだったから」

「じゃあ頼むよ。ところでケーキを届けた後の予定は?」

「予定?特にないけど」

「なら、そこで飯でもどうだ?」

数日前に彼とした約束を思い出し、ハルは二つ返事で了承した。





「決まった?」

「いや、雑誌に載ってたハムサンドとナポリタンで迷ってる」

「どっちもすごく美味しいよ」

「毛利は?」

「実は私もオムライスかハムサンドで迷ってて」

オーダー表片手に二人のやり取りを眺める安室。歳の近い男性とここ数年接する機会がなかったはずでは?と問いただしたくなる気持ちを抑える。気持ちを吐き出せない代わりに、ジッとハルを見つめる。その視線に気づいた彼女が、申し訳なさそうに眉を落とした。

「あっ、ごめんね、なかなか決まらなくて」

そうではない。とは言えず「いいえ、ごゆっくり」と作った笑顔を向ける。

「ランチセットでしたらメインのナポリタンやオムライスの他に一口サイズ程のサンドイッチがつきますのでそれをハムサンドでお出ししましょうか…」

「えっ!いいの?安室くん」

「えぇ」

「ではお願いします」

「俺もそれでお願いします」

「かしこまりました」

目の動きや仕草からして男性は明らかに彼女に気があるようだった。彼女はそのことに全く気づいていないみたいだが。

「あら?ハルさん今日はデートですか?」

奥で作業していた梓が二人に気づき、そう声を掛けると男性は少し動揺したそぶりを見せた。

「いやっ…自分はただの同僚で、」

「そうそう!たまたまそこでばったり会って…」

ね?と彼女が男に同意を求めると男は苦笑いを浮かべた。

彼女にその気がないことがわかるといつの間にか入っていた肩の力が自然と抜けていく。

一体何に安心しているというのかーー…。


「本当に奢らなくていいの?」

「そもそもそういうつもりで約束したわけじゃない」

「じゃあせめて自分の分だけでも…」

「今日は俺が誘ったんだ、出させてくれ。お返しはまた今度でいいから」

「そう?じゃあお言葉に甘えてご馳走になります」

「おう」

彼が会計をしている間、店の外で待っていようと扉に手をかけたとき、「ハルさん」と安室に呼び止められた。

「安室くん、ランチセットとってもおいしかった。ご馳走さま」

「いえいえ。今日毛利先生は?」

「兄さん?今頃ヨーコちゃんのドラマの再放送観てるんじゃないかな?」

「なら…」

後ほど差し入れにサンドイッチを持っていきます、と伝えて。

そう、コソッと耳打ちされた。内緒にするような会話でもないのに、なぜそんな小声で?と少し熱いと感じた耳を押さえ、彼を見る。

「じゃあ、またあとで」

ニコッと笑ったその笑顔に違和感を感じたーー…。




「あの店員とは結構親しいのか?」

店を出た早々に同僚はそう訊ねた。
あの店員とはどちらのことだろう。梓か、それとも…

「金髪で色黒の…」

「あぁ、安室くん?兄の仕事の関係でちょっとね」

自分よりも兄やコナンのほうが接点は多いと思うが。

「そうか」

何故そんなことを聞くのか。訊ねる前に先に口を開いたのは彼だった。

「随分女性慣れしているように見えた」

「…どういう意味?」

「遊ばれてるんじゃないか?」

その言葉にハルはムッとした表情を向ける。

「誤解だよ。そりゃあ多少女性には慣れているかもしれないけど、彼は真面目な人で、誰よりも自分に厳しくて、仕事だっていっさい手を抜いたりしないし、さっきだって…!」

驚いている同僚の表情に気づき、慌てて口を噤む。

「ご、ごめんっ…」

「いや、俺の方こそ悪かった。余計なお世話だったな」

これで納得がいったよ、と言って彼はその場を後にした。彼の言葉の意味を理解する余裕がないほどに自分が放った言動で頭がいっぱいだった。「そんな人じゃないよ」の一言で済ますつもりだったのに…。

カランカラン、と店のドアが開く。
反射で肩が上がる。
視界に入る金色の髪。

聞かれていたかもしれない。そう思ったら顔を上げられなかった。

「ありがとう」

彼を見る。ほんの少し困ったように笑う彼がそこにいた。手には差し入れのサンドイッチ。

「ごめん、知ったような口でベラベラと…」

首を横に振り、笑うその表情はとても優しくて…

ふと、蘇る記憶。

手のひらが熱い。
誰かの大きな手が自分の手を包み込んでいる。
これは…なんの、記憶?

リビングで意識を失う直前
電話が鳴っている。
画面に表示されている名はーー…

「でんわ…した…?」

「え?」

W誰か来て鍵だけ掛けて帰ったのかなって思ったんだけど…W

「安室くん…もしかして、あの日…家にきた…?」

「………」

彼から表情が消える。しかし瞬きをした刹那、またニコッと笑ったのだ。ふたたび感じる違和感。

「気のせいでは?僕はここ数日、君に電話していないし、家にも行っていない」

「そ…そっか。ごめんね、変なこと聞いて。それ兄さんにだよね!渡しとくから!」

彼から皿を受け取り、その場から逃げるように階段を駆け上がる。


何故、彼の返答にがっかりしているの?


このジリジリと焦げるような胸の痛みは、一体なんなのだろうーー…。



2022.03.09.いいね♡

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Largo