お守り

昨夜キッドの件が解決したのは深夜二時過ぎ。いつもより遅い朝を迎え、まだ眠気の取り切れていない目を擦りながら、蘭はすぐそばで寝ているハルを起こさないよう、そっとベッドから足を下ろす。しかしそこにハルの姿はなく、布団は綺麗に畳まれているのを目にして、慌てて自室を出る。

「あれ?蘭もう起きたの?」

エプロン姿のハルがキッチンから顔を出す。呆気に取られ固まっていると察したのか彼女はどこかバツが悪そうな、困った顔をして笑った。

「私が…その…深夜に来たせいであまり寝れてないでしょう?家事はやっておくし、もう少し寝てても…」

「…う、ううん!手伝う」

「そう?」

「すぐ着替えてくるから!」

バタバタと慌ただしくまた自室へ戻ると「まだ兄さんもコナン君も寝てるし、ゆっくりでいいよー」と彼女の声が扉越しから聞こえた。いきなり姿を消してしまうことが多い恋人がいるせいか、つい焦ってしまったと柄にも無く脱ぎ散らかした寝巻きを苦笑いで畳む。

「あっ…」

ふと机の上に目が止まる。昨夜はドタバタしていて渡せなかったが、ハルに買ったお守りがちょこんと寂しそうに置かれていた。

Wやっぱり覚えてないのねW

同時に思い出された母の言葉。自室を出るとともにそのお守りをポケットの中へとしまったーー。



「主食、魚にしようと思ってるんだけど使って平気?」

「うん、大丈夫だよ」

確か鮭がちょうど人数分あったはず…と冷蔵庫を開ける。

「お味噌汁の具、何にするのー?」

「焼きネギと豆腐にしようかなって」

「じゃあ豆腐…と」

「ネギは今切ってるとこー」

「はーい」

「そういえば…」

「うん?」

「…電話、出られなくてごめんね」

トントントン、と視線はまな板へ向けたままハルが口を開く。蘭はそのまま冷蔵庫の扉を静かに閉めた。

「蘭があの時間にかけてくるなんて、何か緊急だった?」

その質問に上手く答えることができず、視線は気まずそうに下を向く。トン…と包丁の手が止まり、視界の端でハルがこちらを向いたのがわかった。

「…蘭?」

コト、と包丁を置く音。鍋の火を止め、ハルがゆっくりと近づいてくる。

「どうした?」

ぎゅっと拳を握る。その優しい声に緩みそうになる涙腺を無理矢理締めた。

昨夜の帰り間際、誰かに電話していたコナンの会話をたまたま耳にしてしまう。全てを聞いた訳ではないがハルの名が聞こえたため、帰りしなにしつこく聞いたのだ。すると今日阿笠邸で子どもたちがハルのためにサプライズで送別会を行っていたことがわかった。そしてたった今彼女が阿笠宅を出たという。

ハルの転勤が決まってからというものどこか胸の奥がそわそわと、トロピカルランドで新一と別れた時のような嫌な予感がずっとしていた。今この気を逃すともう会えない。そんな気がしたため、深夜にも関わらず電話をかけてしまった。

決して緊急などではなかった。でも、ハルにどうしても会いたかった。

どうしても会って、彼女に直接謝りたかった。

「蘭?」

握った拳に気づいたのかハルの手が優しく包み込む。水仕事をしていたその手はひんやりと冷たく、でも心は温かい何かに包まれた。

「具合悪い?」

ぶんぶんと首を振る。ちゃんと言わなければ…。

「これ…ずっと渡したくて…」

おず…とポケットからお守りを取り出すと彼女は首を傾げた。

「お守り?」

「縁結びのお守り。私が、ハルお姉ちゃんの縁…ずっと邪魔してたから…」

「どういうこと?」

Wまぁ、あの時のあなたはまだ小さかったし、覚えてないのも無理はないけど…W

「お母さんから…昔のこと聞いたの。それで私もいろいろ思い出して…その…」

Wあなたが最初に言ったのよ?あの人にーーW

「わたし…が、小さい頃お父さんに頼んだの。ハルお姉ちゃんに言い寄る男の人が現れたら、ちゃんとした人か調べて欲しいって」

W『ハルお姉ちゃんが二度と傷つかないよう、これからはいい彼氏さんかどうか調べて!』ってーーW

「え?」

「ハルお姉ちゃん、昔…交際してた男の人に刃物で襲われたこと…あったでしょ?」

「…ん?」

蘭の言葉にハルはあからさまに困惑した表情を浮かべる。次には記憶を辿っているのか視線を巡らし、天井に行き着いたところで思い出したのかパチパチと数回瞬きをした。

「あー…えっと…?もしかして…私が高校生だったころの?」

「う…うん…多分…?」

不安になって自分も記憶の中に潜り込む。確か自分は幼稚園の帰りで…。仕事の電話が入ってしまった母を園子と一緒に公園で遊んで待っていた時に帝丹高校の制服を来たハルを見かけたから多分そうだろう。でもなんだろう。思った反応と違うような…。

「彼氏じゃないよ」

「……えっ?」

ハルの言葉に今度は蘭が目をぱちくりと瞬きをした。

「あはは…そうか。ずっと彼氏だと思われてたのか。別にお付き合いをしていたわけじゃないよ」

「………」

距離感がとても近かったから恋人なのだろうと勝手に思っていたが、言われてみると立ち位置が少しおかしかった気がする。

「ハルお姉ちゃんの少し後ろにくっついて歩いてる感じだった…?」

朧げな記憶を口に出すとハルは少し複雑そうな表情で苦笑いを浮かべた。

「実はあの時…隠し持ってたナイフで脅されてて…」

「えぇっ⁉︎そうだったの⁉︎ …じ、じゃあ直前でお父さんが助けに来たってことは、その状態でこっそり連絡したってこと?」

それにハルはふるふると首を横に振る。

「ううん。実は新一が連絡してくれたんだよ」

「えっ?新一?」

出るとは思っていなかったその名に蘭は驚いた顔をする。聞けば蘭たちよりも先にその場面に出会していた新一が刃物の存在にいち早く気づき、優作経由で目暮警部に連絡したのだそうだ。

「だってそんなこと一言も…」

知らなかった。あの場で新一の姿は見かけなかったし、翌日会ってもいつも通りだったから。事件のことなんて何も…

「ちょっと怖い場面だったから…。驚いて泣いてた蘭にはあんまり思い出してもらいたくなかったのかもね」

父も母も、そしてハルも、今までその件に触れてこなかったのはそういうことだったのか…と蘭はそこで初めて納得した。

「そういえば…犯行動機って…」

ハルは脅されたと言った。金品目的ならそんな回りくどい事はせず、目の前で刃物を出してきそうなものだが…。するとハルはまたも苦々しい笑顔を作った。

「実はその人、以前あなたのお父さんに逮捕されたことがある人で、出所したら復讐しようとずっと目論んでたらしいの」

「えっ⁉︎お父さんと関係がある人だったの?」

「うん。どうやって私のこと調べたかはわからないけど…兄さんへの復讐に私を利用したかったみたい」

「そんなっ」

父の元へ連れていくよう言われていたらしいのだが、ハルが頑なに拒んだことで逆情して襲ってきたらしい。

よく知りもせず父にあんな酷な約束をさせてしまった。父からしたら責められているように感じただろうか。

「…っ…」

ズキリと胸が痛み、視線はまた床を向く。

「………」

「………」

「で?」

「え?」

「私が今だ独りなのは蘭のせいだって?」

「だ、だって…私が余計なことお父さんに言わなければ、今頃ハルお姉ちゃんだって…」

中にはきっと良い人もいたはずだ。両親が学生結婚をしたように、もしかしたらハルもいい縁に恵まれ、今頃は結婚していたかもしれない。そのチャンスを潰してきたと思うととてつもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「蘭…顔を上げて」

恐る恐る顔を上げるとパチンッとデコを指先で弾かれた。

「いたっ」

「もー!そんなわけないじゃない!」

「で、でもっ!」

「いーい?確かにちょっとやりすぎ?みたいなところもあったけど、それであなたのお父さんを恨んだことは一度もないよ。それに本当に、ほんっとーに!あんまり良くない方々ばかりだったのも事実」

何かと逆恨みされることが多い元警察官で探偵の小五郎と弁護士である英理。現に英理はついこの間その逆恨みから三人の男に誘拐されたばかりだ。

「怒りの矛先が必ずしも当事者に向くとは限らず、事を起こすのも本人ではなくその親族や友人が牙を向けてくることだってある」

だからあなたのお父さんはあれ以降ずっと警戒してくれていたのだとハルは言った。

「それに兄さんは蘭との約束がなくてもきっと調べてたよ」

「……っ……」

そう優しく笑うハルにとうとう我慢していた涙腺が緩んでしまう。

「全く、それを気にしてたのねぇ…。ほら泣かないで。大丈夫だから」

ポロポロと出てくる涙を近くにあった紙で拭うハル。

「うぅ…それっ、キッチン、ペーパーっ、」

「吸収率抜群だよ」

たかいのに…と弱々しく笑う自分にハルは小さく笑った。そこで初めてハルの泣き腫らしたような目元に気づいた。

「ちょっと待っててね」

そう言って一度キッチンから出て行ってしまう。でもすぐに戻ってきたその手にはボックスティッシュが抱えられていた。

「一枚じゃ足りないと思って」

優しく笑うハルに昨夜のことを訊いてもいいか迷う。詮索されたくないことかもしれないし、これ以上彼女のプライベートに踏み込んでいいものかどうか…

「それにね蘭…兄さんは私がちゃんと好きになった人には何もしないでくれてる」

「………」

鼻をかもうとしていた形で固まる。数秒遅れて「え?」と顔を上げた。それって…

カタッ…と後ろで物音がする。誰か起きたのだろうか。振り返ろうとしたときハルの「まぁ、見事に玉砕したんだけどね」の爆弾発言にそれどころではなくなったのはまた別の話ーー…。


2023.03.05.いいね♡

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Largo