揺れる波

「すぐ着替えてくるから!」

小五郎のイビキに混ざって聞こえてきた蘭の声に目が覚める。欠伸をしながらそっと扉を開けると、服に着替えた蘭が台所に入って行く姿が見えた。ハルの声も聞こえ、加え食欲のそそるニオイに二人とももう起きて朝食の準備に取り掛かっていることがわかる。

コナンは忍び足で会話が聞こえてくるところまで近づいた。

「これ…ずっと渡したくて…」

「お守り?」

「縁結びのお守り。私が、ハルお姉ちゃんの縁…ずっと邪魔してたから…」

会話の内容からどうやら蘭が昔のことを思い出したようだった。だからここ最近様子が変だったわけか…と大方予想はついていたもののようやく謎が紐解けたところで、自分も当時を少し振り返る。ポケットの不自然な膨らみとハルの表情から相手が刃物らしきものを隠し持っていると気づき、すぐに警察に通報。しかし子供のいたずらだと取り合ってもらえず、仕方なく父親に連絡したほろ苦い思い出まで蘇り、スッと静かに記憶を閉じた。

「ちょっと怖い場面だったから…。驚いて泣いてた蘭にはあんまり思い出してもらいたくなかったのかもね」

ハルの言う通り大泣きしながら駆けつけた英理に抱きついている姿を見て、翌日幼稚園で会っても事件のことには触れずにいた。でもまさかその男をずっとハルの彼氏だと思っていたとは…。

「ちょっと待ってて」

ハルが出てくる気配を感じ、慌てて棚の影に隠れる。こちらに気づかずボックスティッシュを持ってまた台所へ入っていく姿にほっと胸を撫で下ろしながら、先程より幾分良くなった二人の雰囲気に、もう大丈夫だろうと寝室へ戻ろうと立ち上がる。

「それにね蘭…兄さんは私がちゃんと好きになった人には何もしないでくれてる」

その言葉に肘が棚に当たってしまう。カタッという物音に「やっべ」と顔中に汗が吹き出る。音に気づいてこちらを振り返ろうとしている蘭に、どうすっかな…と必死に言い訳を探していると「まぁ見事に玉砕したんだけどね」と言ったハルに蘭もコナンもピタリと動きを止める。

「玉砕って…!告白したの⁉︎」

相手が誰か問わない辺り蘭もそれが誰だかわかっているのだろう。

「みんなには内緒ね。まぁ蘭は言わないだろうけど」

「う、うん…」

「そんな悲しい顔しないで。脈はないってわかってたから」

背中しか見えないがあからさまに肩を落としている姿から蘭が今どんな表情をしているのか容易に想像がついた。

「引っ越す前にどうしても気持ちの整理をつけたくて告白したの。だから私自身はすごくすっきりしてる。逆に一方的すぎて相手を困らせてしまったぐらい…」

「ハルお姉ちゃん…」

一瞬ハルの表情に影が落ちたが、次には嬉しそうにもらったお守りを見せる。

「だからね…このお守りありがとう。運が強い蘭から貰ったんだもん!すごくいい縁に恵まれそう!」

ギュッと大切そうに握りしめたお守りにこちらの心臓まで締め付けられる痛さが走る。

彼が…ハルをどれほど好きなのかはわからないが、少なくとも二人の間に流れる空気は互いを想い合っているように思えた。
ハルが自分たちを理由に避けているのだとしたら、二人が離れ離れになってしまう前に少しでも話せる機会を設けてあげたかったのだ。
しかしそれは開けてはならないパンドラの箱だったようで、ハルの腫れた目元に余計なことだったのかもしれないと反省する。

玉砕…ということはつまりハルはフラれたわけで。

名前も職業も全て偽りな彼が真実を隠した上で彼女を受け入れるのはリスクが伴うと判断したか。しかし、今は付き合えなくともハルを繋ぎ止めておく言葉くらいかけても良さそうだが。

それとも正体を明かせるまで待たせることになろうハルを思ってのことなのだろうか。

ずっと我慢している気持ちを無理やり抑え込んで、それでも好きな奴を目の前にして背を向けることがどれほど辛苦なことか。

自分は出来なかった。

幾度と泣いている蘭を置いて、これ以上待たせることなど…掴んだ手をもう一度振り解く言葉をかけるなど、嘘でも口に出来なかった。

彼がもし、あの時の自分と同じ気持ちで、それでも断腸の思いで彼女を振ったのだとしたら彼にはよりツライ選択をさせてしまったのかもしれないと、コナンは悲しげに瞳を閉じた後、静かに眼鏡を外したのだったーー。





「降谷さん」

「なんだ」

「…その…」

降谷はタブレット端末に送られてきた資料に目を通しながら風見を一瞥する。彼は降谷と目が合うと一瞬怯んだ表情を見せ、迷ったように口を開いた。

「最近…寝ておられますか…?」

彼が言い淀むのも無理はない。普段から自己管理を徹底している降谷が今や目の下に赤井のようなクマを作り、どこかピリついた…人を寄せ付けない空気まで醸し出しているのだから。

酷い状態じゃないですか。いったいどうしたんですか。と口には出さないが部下の瞳はそう訴えかけていた。

「少しここ最近眠りが浅いだけだ。睡眠は取れている。それよりも頼んでいたことはどうなった」

「まだ対象に動きはありません」

「ならばこのまま手筈通りに」

「……了解」

降谷の性格をよくわかっているのか、風見がこれ以上詮索してくることはなかった。

そのまま風見とは別れ、家路を走っていた車は気づいたら別の道へ。まるで帰る場所を失ってしまった迷子のように宛てもなく流れいく景色に降谷はもう何度目かわからないハルと過ごした夜を重ねる。



「バ…」

そう言いかけた言葉を彼女は飲み込むようにして口を閉じる。伏し目がちにまつ毛は下がり、哀しげな表情を浮かべた彼女が次に見せたのはまさかの笑顔だった。

「またね!安室くん!」

Wバイバイだね…零くん…W

浮上する記憶。重なる言葉。

どこか哀愁を含んでいる目元がゆっくりと閉じられ、笑ったその目の端から零れ落ちそうになる涙に目は釘付けになる。

そのまま早足で去っていってしまった彼女の背中を気づけば追いかけていた。

「君は勝手だ」

全てを告白したということは、彼女はもう二度と自分の前に姿を現さないつもりなのだろう。降谷の返事など初めからわかっていたかのようなその態度に何故だか無性に腹が立った。

「過去や運命がわかってたって、君にっ…僕の何がわかるって言うんだ…!」

その荒ぶった声はまるで自分ではないよう。抱きしめている彼女の肩が震えたのがわかった。

ごめん

ごめん

「ごめんっ…」

君の思っている通りだよ。潜入している今、降谷零の過去や現在を知る君と一緒にいることは出来ない。

彼女の話をすぐに鵜呑みに出来るほど若くもなければ、純粋でもない。
自分が降谷零であること。公安の人間であることを知る人物は限られている。
やはり彼女は赤井秀一と?いや、江戸川コナンと繋がっていたと思うほうが自然か。しかしそれならわざわざあんな未来や運命がわかるなどという非科学的なことを言うメリットがない。彼らを庇ってあんな嘘を?
いや、それでも伊達の墓参りのことは誰にも言ってないんだ。説明のしようがない。

本来そばに置いて監視すべきなのだろうが、組織に目をつけられては厄介だ。彼らの目がどこまで行き届いているかわからないが、それでも用心するに越したことはない。

「………」

いつのまにか行き着いた港湾。何もない、ただただ真っ黒な海を眺め、心を同じ色に染め上げていく。

ハンドルにうつ伏せ、揺れる波の音に耳をそばだてながら目を閉じた。

ただ好きだと、それだけ言ってくれたら未来を約束する言葉を…君を繋ぎ止めておく言葉などいくらでも言えたのに。

「きみの…はなしはめちゃくちゃだ」

幸い彼女はもう米花町を離れた。
これでいい。
もう彼女とは金輪際、会わない。


Wまたね!安室くん!W


「……っ……」


本当に勝手だ。


君らなら、どうしていたんだろう…と記憶の中にしかもういない友人にそう呼びかけたーー。



2023.03.23.いいね♡

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Largo