降谷零

二年前ーー

上司からの呼び出しに指定された場所へ向かうとそこにはすでに白い車が停車していた。愛車のボンネットに腰掛け、何やらスマホの画面をジッと見ている。

珍しいこともあるものだ。常に周りを警戒し、一瞬でも気を抜かない男が風見の存在に気づいていないのだから。普段何かと破天荒な彼に振り回されることが多い風見はここで嫌味の一つでも言ってやりたい衝動に駆られるが、青白く光る画面に照らされるその儚げな表情に自然と口は閉じてしまう。

ここ最近の彼は風見でも分かるくらいに少し様子が変で。ただ、その変化に気づいているのも自分ぐらいで。

誰かに相談出来るわけもなく、かと言って本人に聞いてもはぐらかされるのが落ち。

潜入先で支障が出なければいいが…。

近づくにつれ、彼のスマホが小刻みに震えているのがわかる。鳴り止まぬその振動音から電話のようだった。しかし彼は出るのに迷っているのか、それとも出る気がないのか、どちらかは分からないが画面を見つめたまま動かない。

彼が一度、目を伏せる。

その刹那の間に気持ちを固めたのか、瞼の隙間から灰色の混ざった青い瞳を覗かせると同時に彼はスマホを耳に当てた。先程まで険しい顔つきであったのに、少し会話をすると途端に表情が変わる。驚いたように目を丸くしたかと思えば、次には穏やかな表情へと変化していった。電話が終わる頃には翳りは消え、以前のような顔つきに戻っていることに風見は目を見張った。

電話一本。しかも数分の会話。たったそれだけで彼を以前の降谷零に戻すなんて相手は一体何者なのだろう。

「いたのか、風見」

ようやく彼が風見に気づく。いつもの調子に戻った降谷に削がれていた気持ちが再び芽生え始めた。

「ええ。随分前に」

クイッとメガネを上げて遠回しに嫌味を伝えれば彼が目を丸くしたのがわかった。次には困ったように眉を落とし「心配かけたな」なんて笑うからバツが悪そうに顔を少し背ける。

この人のことだ。先程の電話が誰からなんて聞いても教えてはくれないだろう。いつかほとぼりが冷めたころに酒の席で聞いてみたいものだ…なんてことを元凶である人物もまた同じ人間であることを知らない風見は電話の主に感謝しながらそんなことを思ったのだったーー。






現在、渋谷ーー

普段は存在感を消して人混みに紛れて歩く降谷だが、とある女性を目にした途端にその足はぴたりと止まる。久方ぶりに見る彼女。しかし二年前にしたW約束Wを思い出し、声は掛けずに遠ざかっていくその背を優しく見守る。

「また今度」と満足気味に踵を返そうとした靴先。しかし見覚えのある男性がハルを呼び止めたことにより、中途半端な方向で止まることとなる。

上がる片眉とともに下がる口角。

ここからだと距離があり、会話は聞こえない。しかし唇の動きを読むまでもなく、彼の表情から彼女を口説いていることは明白だった。

ジッと彼女にだけ視線を送る。ハッと気づいた彼女が辺りを見渡したので、見計らってまた人混みに紛れて歩き出した。

「…っ…」

駆けつけられない無念さを拳に変えて、降谷はその場を後にした。その視界の隅で横溝重悟がハルを助けに入っていくのを見ながらーー。


事態を知ったのは偶然だった。たまたま風見から東都デパートに爆破予告を思わす暗号が送られてきたと報告を受け、テロか組織の残党か、公安案件である事件かを調べていくうちに、デパート内に設置されている防犯カメラ映像に手が止まる。

エレベーターに取り残された子供に向かって走って行く女性。爆発の影響で以降の映像を見ることは叶わなかったが、チラッと見えた服装は先程渋谷で見た彼女のそれと酷似していた。

まさか…と嫌な予感がして車を飛ばす。東都デパートに向かいながら風見に調べさせると、女性が一人エレベーター内に取り残されていることがわかった。さらに現場に居合わせた神奈川県警の萩原警部補からの報告でその女性は毛利ハルであることも判明した。

W萩原W

神奈川県警で萩原といったら…。

ピリリ…と鳴る着信音。最近使う頻度の少ない安室透のスマホからだった。その着信相手に迷わず出ると一体どこから情報を仕入れてきたのか、今回の爆弾予告の暗号についてだった。降谷の推理も織り交ぜながら、ある程度絞られた容疑者の中から犯人を突き止める。昨年そのデパートをクビになった元社員であるとわかったや否や別のスマホですぐさま風見に連絡。工藤新一も目暮警部に連絡しているようだった。

Wんで、ここからが本題。ハル姉のことなんだけど…W

まったく彼の探知能力にはほとほと驚かされる。彼は今、別事件で地方にいるというのに、どういう経緯で彼女が東都デパートに取り残されていることを知ったのか。
流石に場所の特定までは至らなかったみたいで、エレベーターの中にいることを伝えると彼から「安心しました」という返答が返ってきた。片目を細めながらどういうことかと聞き返せば「もう向かってるんでしょう?」などと見透かされた言葉を放たれる。「さぁ、どうだろうね」なんて大人気もなくはぐらかすと、小さく笑った声が耳に届いた。

W向かうよ。あんたならW

ハル姉のことよろしくお願いします。と言って電話を切った彼に苦笑する。もちろんだとアクセルを強く踏み込んだーー。






「おい千速!待てって!」

バイクを押しながら解体工事中であるビルの階段を登る千速の後ろから重悟は散々口にしている警告をもう一度口にする。

「バイクで行くなんて無茶だ!さっきも言ったが一階から三階は火の海で…」

「構わない!重悟もわかるだろう!?」

口調は荒くなっているが、千速が冷静に状況を判断していることはわかっていた。

エレベーターは基本的に内部からの脱出は出来ない。転落防止などの二次被害を防ぐものなど理由は様々だが、中から開けられない以上ハルがエレベーターの中に閉じ込められているのは確実だった。

あの時、迷子の子を抱えていたというのもあるが、いつまた爆発が起こるか分からない状況で、エレベーターがどうなったのか確かめる余裕はなかった。
落下音がしなかったのは幸いか。しかしブレーキが無事作動したとしても、火事が起こっている階に停止した場合…

「…っ…」

ギリッと重悟は奥歯を噛み締める。何度自分が行くと言っても、千速は頑固として首を縦に振らない。弟とその弟の親友を爆発で亡くしている千速の気持ちを考えれば最悪の事態を想定してしまう気持ちもわかるが…

「せめて俺も一緒に行かせてくれ」

「ダメだ。重悟も一緒だとデパートまで届くかわからん」

「なら、僕が行きます」

誰かが登ってくる靴音。その場に相応しくない冷静な声に千速も重悟も動きを止めた。

「誰だ」

爆弾を仕掛けた犯人かもしれないと重悟が千速の前に立つが、現れた男にすぐさま警戒を解いた。

「あんた確か毛利小五郎んとこの…」

「知り合いか?」

「あ、ああ」

以前、事件関連で毛利の家のものと一緒にいる彼に会ったことがある。目立つ外見というのもあるが、居酒屋でハルの件があった直後だったので、とくに記憶に残っていた。

「千速、こいつがハルの…」

「女性がエレベーターに取り残されているというのは本当なんですね?」

安室透であると千速に紹介しようとした口は、その男によって阻止されてしまう。

「あ、ああ。間違いない」

まさか助けに来たのか?

安室が千速のバイクに目を向けたので、重悟の目も自然とそちらを向く。

「そのバイクで行くおつもりで?」

野次った言い方にも聞こえるそれについ荒い性格の部分が顔を出す。

「…あんたには関係ないだろ」

顔を顰めながら尖った返しをする。先程から黙っている千速を横目に入れると彼女は目を細め、何やら考え込んでいた。

「僕が行きます」

「あ?」

「僕の車では幅が邪魔で飛び移るには無理そうなので。そのバイク、僕に貸していただけませんか?」

「…おいおい、マジかよ」

冗談で言っているわけではなさそうだった。外から来たのなら今デパートがどういう状況かわかっているはず。もう一度千速に視線を向ける。彼女はジッと安室の顔を見つめた後、口を開いた。

「いいだろう」

あんなに自分が行くと聞かなかった千速の返答に目を開く。

「いいって…千速お前… 」

「ハルを絶対助けられるんだな?」

「命に替えても」

即答した彼に千速はフッと口角を上げ、彼にバイクのキーを投げて渡したのだったーー。




「よかったのか?」

彼を見送った後で重悟がそんなことを言ってきた。お前が行きたかったんだろ?あのバイクを貸してよかったのか?とその目が問うている。

「あぁ、いいんだ。それに…」

男の顔に見覚えがあった。
記憶の底に映る四人の喪服の男たち。陣平もその中にいて。そう、あれは忘れもしない研二の葬式。黒と白だけの色の中に佇む金髪はよく目立った。けれど名は確かーー…。

「………」

いや、やめよう。
研二の友人にしろ。
ハルの想い人にしろ。
どちらにせよ、彼女を想って助けに行くのだ。貸す以外の選択肢はない。それに…

「ああいうバカは嫌いじゃない」







解体工事中のビルは東都デパートより高さが低く、ビルの屋上からバイクで飛んだとしてもデパートの屋上には到底届かない。ガラスを割って中に侵入する他選択肢はなかった。しかしいくらバイクで勢いをつけたからといって高層デパートの窓ガラスはそう簡単に割れはしないだろう。

浮遊感とともに近づいてくる窓ガラス。ハンドガンを腰から引き抜き、火事で割れる階下のガラスの音に紛れて、数発撃ち込んだと同時にバイクごと突っ込んだ。

割れるガラスの音。バランスを失ったバイクから放り出された体は勢いを止める術もなく壁に激突。打ちつけた衝撃で眩む頭を二、三度振るい、すぐさま立ち上がった。

早く、早く彼女の元へ。

メットを放り投げ、体からパラパラと落ちてくるガラスの破片を軽く払いながら彼女がエレベーターに乗り込んだ階まで階段で駆け降りていく。

「ここか」

中途半端に閉まりかけているエレベーターの外扉を見つけ、腕の力で扉を全開にする。そこに内扉はなく、やはりエレベーターは落下したようだ。

持ってきていたケミカルライト数本の内、一本は入り口付近に置き、もう一本は暗くて見えにくい塔内に放り込む。エレベーターの箱上であろうところに落ち、距離がわかったところで降谷は近くにあった消化器で鉄製の柱を叩いた。

カンカンカンーー

試みては耳をよく澄ませる。何度目かの時に、下から微かな反応。そこから先はあまり覚えていない。余程慌てていたのか、点検用のハッチからエレベーター内に侵入する際に声掛けもせずに入ってしまったために彼女を怖がらせてしまった。

おまけに生きている彼女を目の当たりにしたら感情の抑えが効かず、あんなに頑なに守っていた約束など頭から吹き飛んで、気づけば掻き抱いていた。

二年前のことも折り返しの連絡がなかったことから覚えていないのだろうと予想はしていたものの彼女の左手薬指に嵌められているどこぞの馬の骨ともわからぬ輩から贈られたであろう指輪に気づいた時には嫉妬心を露わにして詰め寄ってしまう。

赤井以外でこんなにも感情のコントロールが効かなくなるのは彼女ぐらいだ。

「あ、の…あむ…零くん」

「ん?」

先程まで散々キスをしていたというのに、手錠を外すと途端現実に戻ったのか恥ずかしそうに距離を取るハルにこちらは一歩近づく。

「その…二年前の、電話のことなんだけど」

胸の内を見なくてもその気まずそうな顔から覚えていない罪悪感と闘っていることがわかる。

「だいぶ酔ってたみたいで…覚えてなくて…。そのあと送ってくれた【わかりました】のメッセージの意味も、差し支えなければ教えていただけないかと…」

降谷は視線を上にし「うーん」と悩んだフリをする。ソワソワと落ち着きなく降谷の様子を窺ってくる彼女を可愛いなんて思いながら「内緒」とつい意地悪で答えてしまう。絶望しているハルの顔に思わず吹き出してしまった。

「嘘だよ」

ハルの手を握る。降谷の手より小さいその手は簡単に覆われてしまう。

「予定より少し早いけど、もう殆ど方は付いたから」

本当はこんな場所ではなく、夜景の見えるレストランを予約して言うつもりだったけれど、何かに繋いでおかないと君はどこかに行ってしまいそうだから。

「あの電話を君が覚えていなくても近々迎えに行くつもりだった」

宵の明星のごとくキラリと光る指輪に触れ、彼女の目をまっすぐに見た。

「毛利ハルさん」

「は、はい」

咄嗟に返事をしてくれたハルに優しく微笑む。ずっとこうしたかった。やっと君の側にいることができる。

「結婚を前提に僕とお付き合いしてくれますか?」

言葉とともに左手薬指に唇を落とせば、彼女の顔が真っ赤に染まった。その後、顔をくしゃくしゃにしながら「はい」と答えてくれた彼女を抱き上げ、もう一度キスをする。


泣いても、笑っても君と迎えることの出来る明日に幸せを感じながら僕らは抱きしめ合ったーー。






2023.09.02.いいね♡

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