よん
「ッ!!?」
「んぇ⁉︎安室くん⁉︎」
どうしたの!?と右手には二枚の皿、左手にはお冷が乗ったトレーを持って驚いた顔をするハルにそれはこちらのセリフだという言葉を飲み込む。今日はもともとシフトが入っていた日。しかし急な仕事が入ったため、表向きは体調不良で休んでいたのだが、マスターから『ぎっくり腰になったため明日店を休みにします』というメールが来た。マスターがぎっくり腰で動けないということは現在店を回しているのは梓ひとり。確か今日は団体客の予約が入っていたはず…と思ったより仕事が早く片付いたためポアロへ向かったのだが、そこに梓の姿はなく、変わりに店のロゴが入ったエプロンをし、普段下ろしてる髪を一つに結った彼女が働いていた。
「安室くん、体調悪いんじゃ…」
「もう元気になったので来てみたんですが…それより梓さんは、」
「すいませーん」
「あっ、はーい!ただいま順番にお伺いします!…ごめん!後で説明するね!実は洗い物が間に合ってなくて、お願いできるかな?」
「は…」
い。と返事をする前に彼女はもう目の前から立ち去っていた。
まずは状況確認だ、と腕まくりをする。彼女に言われた通り洗い物からスタートしつつ店内を見渡した。溜まっているオーダー用紙。残り少ない食器やキッチンツール。店は満席で注文待ちが三組、料理待ち五組、食事中が四組。そして外に三組ほど並んでいた。ここまで混んでるのも珍しい。
「大変お待たせ致しました」
彼女は右手に持っていた皿を客の前に置いた後、別テーブルの客にお冷を提供、その後先程呼ばれたテーブルへと注文を取りに行っていた。
少なくなっている食器類は今自分が洗っている為すぐ補充できるとして問題は溜まっているオーダー用紙である。これが捌ければ少し楽になるだろう。溜まった食器類から調理場も悲惨な状況かと予想していたのだが、使った形跡はあるのに思いの外そこは綺麗だった。
「お会計お願いしまーす」
「はーい。少々お待ちを」
オーダー中の彼女に変わり、濡れた手を布巾で拭きレジへと向かう。オーダーを取り終えたのか彼女がキッチンへと入っていくのを横目に入れながら客にお釣りを返した。
フライパン二つを取り出し、同時進行で二種類の料理を慣れた手つきで作り始めている彼女に思わず感心してしまう。調味料も場所を知っているのか安室に聞かずにテキパキと棚から出し、使用した後はすぐ元の場所にしまっていた。だから調理場は綺麗だったのか。
「注文お願いしまーす!」
「はーい!ただいま!」
まさか彼女と一緒に働く日がくるなんて…と未だ信じ難い状況のまま安室はホールへ出たのだったーー。
「忙しい時に来てごめんね。久しぶりにハルちゃんがポアロで働いてるって人伝に聞いたもんだから…」
「いーえ!私もお会いできて嬉しかったです!それよりお料理お待たせしてしまってすみません…」
「いやいや!十分速かったし、昔通り美味しかったよ」
ありがとう、と行って最後の客を笑顔で見送った後、彼女はバッ!と安室の方に向き直った。閉店作業を進めようと持ってきたバケツとモップを片手に安室はパチリと目を瞬かせる。
「どうし…」
「ごめん、病み上がりに遅くまで…!」
働いてる間中、ずっと気に病んでいたのだろう。仮病です、とも言えず胸の内で苦笑いする。
「いえ、本当に体調はもう…」
「本当に?」
疑っているのか訝しげに目を細め、モップをやんわり取られたかと思いきやカウンターテーブルのイスへと座らされる。ジッと見つめてくる彼女の瞳に耐えきれず、すぐさま話題を変えた。
「そういえば梓さんは?」
「あっ、そうだった!」
そう言って彼女はポケットにしまっていたスマホを取り出す。
「たいちゃん、大丈夫だったんだ。よかった…」
メールを確認したのか、ホッとした表情を見せながら彼女は今朝の出来事を話してくれた。梓の飼い猫である大尉を梓の兄が預かっていたそうなのだが、ご飯をあまり食べず具合が悪そうだと連絡が入り、急遽梓も一緒に動物病院へ行くことに。その時ちょうどマスターが重いダンボールを一人で持ち上げようとし、ぎっくり腰になるというハプニングが重なり、てんやわんやしているところにたまたま探偵事務所に行くハルがポアロの前を通ったため、マスターが頼んだのだそう。
「わたし、学生の頃ここでバイトしてたから」
レシピも見ずに作ってる姿や、ホールでの慣れた動きから予想はしていたが彼女を調べたときそんな情報はどこにも…
「三ヶ月ぐらいかな?社会勉強の一環で。まぁ、兄さんのツケが溜まってたからほぼタダ働きに近かったけど」
短期間の上、無賃金だったのならどこにもその記載がなかったのも頷ける。
「でもまさかあんなに混むとは…」
当時訪れていた客がたまたまポアロで働いてるハルを見かけ、人が人を呼び気づいたらあんな状態になっていたという。先程帰った客も会話からしてその一人だろう。
「それに初めて作る料理はちょっと自信なかったから団体のお客様が来る前に安室くんが来てくれて正直ホッとした」
ありがとう、とはにかむ彼女に照れくさくて小さく笑いながら頬をかく。
新しいメニューのレシピはマスターからだいだい聞いてはいたらしいが、運良く昔からの常連の人で賑わっていた為、予約のあった団体客以外は皆、所謂『いつもの』で大半が済んだのだそう。
「働いてたのって結構前ですよね?」
「そうだね。もう四〜五年くらい前かも」
「それでも覚えて…?」
「うん。あっ、でも一応確認はしたけどね」
ハルは少し疲弊した顔で笑った。短い期間だったにも関わらず彼女がたった一日ポアロに復帰しただけであれだけ混んだ理由が垣間見えた気がした。
「でも失敗したなぁ。テンパって食器洗うタイミング逃してたら洗い場がどんどん悲惨なことに…」
助かったよー!とお礼と謝罪をする彼女に「とんでもない」と安室は首を横に振る。マスターから安室に連絡がなかったのは安室の体調面を気遣ってのことだろうが、念のため様子を見に来てよかった。ブランクのある彼女一人であの大人数の接客は大変だっただろうし、客は老若男女訪れていたが、ハルに好意を寄せている男性客もチラホラいたわけで…。
「………」
気づけば口を閉ざし、俯いていた。立場が違っていたら自分も彼女に会いに足繁く通う客の一人だっただろうか。
降谷零として。
「…っ…」
スッと額に彼女の手が触れ、思わず「えっ?」なんて声が出る。触れられるまで気づかないなんて、彼女の前で気を抜きすぎではないだろうか。
「やっぱり具合悪いんじゃない?いつもよりぼーっとしてるよ?」
WいつもよりW
嗤ってしまう。君の前だといつも安心して気が緩んでる証拠だ。
「…少し、だるいかもしれません」
「やっぱり!熱はないと思うけど…手だと分かりにくいな」
持っていたモップを壁に立てかけたと思いきや、次には「嫌だったら言ってね?」と彼女の手が安室の前髪を軽く払いのける。優しく両頬に触れると自分の額にハルの額が重なった。キスをされるのでは…と一瞬でも勘違いした自分を殴りたい。
「…っ…」
それでも鼓動は早くなったままで。額越しに彼女の体温を感じながらゆっくりと瞳を閉じる。そういえば毛利蘭も江戸川コナンの熱を測る時こうしてたな。毛利家では皆そうなのだろうか。
「うん、熱はないようだけど…」
スッと離れていくことに寂しさを感じつつ、心配そうに眉を寄せている彼女に対し、安室は困ったように笑う。好きな人にかまってもらいたくて仮病を使うなんて、どうやら恋愛面は子供の頃からちっとも成長していないようだ。
「無理させちゃったね。閉店作業は私がやっておくし安室くんはもう帰っ…」
彼女の手を握る。
「安室くん?」
「………」
黙っている自分にしゃがみ込み、心配そうな顔で覗き込んでくる彼女。
「大丈夫?気持ち悪い?」
普段隠れてるはずの頸。そこには今日、エプロンの紐が掛かっていて…。手を伸ばし、頸に掛かるその紐を指先に絡めれば彼女は目に見えて困惑した表情に変わる。
このまま引き寄せて本当にキスをしてしまおうか。そしたら君はどんな顔をするだろう。
「…っ…」
いや、ダメだ。とパッと手を離し「髪が絡まってましたよ」とウソをつく。危ない危ない、本当にキスをするところだった…。
「えっ…ああ!かみ!髪ね!髪!」
「ハルさんが、」
「うん⁉︎」
「ポアロにいたら、毎日こんな感じで一緒に働いてたんでしょうね」
動揺しているハルに気づかないフリをして笑顔で誤魔化してみた。キョトン、としたあと想像したのか、ふふっと笑い出す彼女に胸の内でホッと息をつく。彼女のこの緩さのお陰でなんとか今日もこの気持ちを知られずに済んでいる。
「安室くんに教えること少なそうだな〜。一回説明しただけですぐ出来ちゃうからあんまり先輩ヅラ出来なかったって梓ちゃん言ってたし」
「えっ、ハルさんが先輩なんですか?」
「それはもちろん!」
堂々と胸を張る彼女に安室は小さく笑う。彼女がいたら色々構ってもらおうと画策するだろうな、なんて情けない自分が視えたのは言うまでもない。
始まらない閉店作業
おしまい
2025.4.18.いいね♡