さん
「あ、そうだ。突然なんだけど安室くん、『のんべえ』って居酒屋さん知ってる?」
それはちょうどお昼になる少し前。安室が探偵事務所に昼飯も兼ねたサンドイッチの差し入れを持って行った時のこと。今日は特に事件の依頼もなさそうだったため、軽く世間話をしたあとポアロに戻ろうとドアノブに手をかけたところでハルにそう呼び止められた。
「懐かしいですね。学生のころよく行ってましたよ」
確かお通しが美味しかったんだよな…と警察学校時代の記憶が蘇ると同時に寄る辺ない気持ちが押し寄せ、蓋をする。
ハルは安室の言葉に途端表情を明るくさせた。
「ほんと?実は今夜行くことになったんだけど、地図がわかりにくくて…」
兄さんに聞いてもいまいちだし…と言いながら彼女はスマホで地図アプリを開く。会話を聞いていた小五郎がテレビに顔を向けながらお前が方向音痴なだけだと悪態をついた。
「この神社の道のりまではなんとなくわかるんだけど…」
そう言ってスマホ画面を安室に見せる。縮まる距離に少しだけ心臓が音を立てた。
「…その…神社の先にある長い階段を登るとすぐだったと思うんですが…」
トンッと画面に触れ「あった。ここだ」と指二本を使ってさらに表示を大きくするとようやく理解出来たのか嬉しそうに三日月型に目を細める彼女に胸の内で心臓を押さえる。
「ありがとう!」
「い、いえ。それより今日は飲み会か何かなんですか?」
「うん!じつは…」
「合コンだとよ」
「え?」
小五郎の言葉にピシッと安室の笑顔に亀裂が入る。
「ほら、前に高校の同窓会があったって言ったでしょ?」
「…あの、女性だけが集まったという」
「そうそう!その中の一人にね、急遽来れなくなった人がいるとかで、数合わせで来て欲しいって頼まれて」
「んな誰が来るか分かんねぇ飲み会なんか断っちまえよ」
「僕もそう思います」
小五郎に続いた安室の言葉に今まで静観していたコナンが読んでいた漫画から顔を上げる。なんだい?コナン君。
「でも、なんか困ってるみたいだったし…」
そんな優しいところも彼女の魅力的な一面ではあるが、今回ばかりは阻止しなくてはならない。
「面倒見がいいのはハルさんの良いところですが、時には切り捨てることも必よ…」
「とかなんとか言って、安室さんこそ学生時代に合コンでそのお店に行ってたりし…て」
笑っていたコナンの顔が固まる。くわッ!とこれでもかと開いた安室の目は少々トラウマになるくらい悍ましいものだったという。というか、安室さん今、何気に酷いこと言おうとしてなかった?
「ハルちゃん、連絡先交換しない?」
隣に座る男性が懐からスマホを取り出した。席替えをして早々、急なコンタクトに困惑する。合コン自体あまり行ったことがないためにノリがよくわからず、自意識過剰かもしれないが兄の仕事の影響もあってか、ほぼ初対面の男性とのいきなりの連絡先交換は少々警戒してしまう。楽しめていないことに今更ながら気づき、二人の忠告通り断っておくべきだったのかもしれないと反省する。
「ほら皆でまた飲みに行く時、連絡取りたいしさ」
それなら、まぁ…としぶしぶ鞄の中に手を入れてスマホを探す。
「…あれ?」
再度鞄の中を漁る。やはり見当たらない。斜め前に座っている友人が自分の様子に気づき、スマホがないことを伝えればハルのスマホに電話を掛けてくれた。
「………」
振動も音もないそれにサッと青ざめる。探偵事務所を出る際、鞄の中に入っているのを確認したのが最後だ。
え、まさかどこかに落とした?
ロックが掛かっているとはいえ、色々な個人情報が入っているそれを落としたとなると焦りも一気に増す。
「ごめん!スマホ心配だからこのまま抜けるね。お金これで足りるかな?」
周りの静止の声も聞かずにお金をテーブルの上に置いて部屋を出ようとすると友人に呼び止められた。
「ハル!今喫茶店の店員って人が出て、あんたのスマホ、ポアロって店にあるらしいよ!」
「ほんとう!?」
そこでハッと思い出す。ここにくる前、食べ終わったサンドイッチの大皿を返しに一度ポアロに立ち寄っている。その時に落としたのだろうか。
なにわともあれスマホがあったことに訪れる安堵感。ホッと胸を撫で下ろしながら、そのまま電話を変わってもらった。
《あっ、ハルさんですか?》
聞きなれた声に肩の力が抜けていく。どうやら慣れない合コンでずっと気を張っていたらしい。
「うん!安室くん、ごめんね。スマホありがとう」
《いえいえ。見覚えのあるスマホケースだったのですぐハルさんのだってことはわかったんですが…》
ちょうど店が混んできたため、居酒屋まで届けることが出来なかったという。それにハルは首を横に振った。
「拾ってくれただけで十分だよ。今から取りに行っても平気?」
《大丈夫ですが、いいんですか?》
「うん、ちょっと安室くんにも会いたいし」
《…っ…わ、かりました》
友人のスマホで長話もあれなのでそのまま電話を切ると、友人に何故か謝られた。もしかしたら彼女には初めから無理して参加していたことなんてお見通しだったのかもしれない。こちらも「楽しい雰囲気を壊してごめんね」とそのまま居酒屋を出た。
カランカラン、と音を立てながら開いたドアに安室は閉め作業していた手を止める。
「ハルさん?って、走ってきたんですか?」
「ハァハァ…あまり、待たせるのもっ、悪いとおもって…。あしたも、仕事でしょ?」
すー、はー、と大きく深呼吸し、乱れた息を整えながら弱々しく笑った。次には鞄の中に手を入れ、何かを探している彼女に察した安室は自身のポケットに手を入れる。
「え?」
輪郭を伝った彼女の汗をトントン、と優しくハンカチで拭う。困惑した表情をするハル。しかし数秒経ってようやく正気に戻ったのか慌てて口を開いた。
「…あっ!やっ!ごめん…!ありが…」
「ハルさん」
「うぇあはい!」
「お腹、空いてませんか?」
「え?」
途端グゥとわかりやすいぐらい大きな音を立てて鳴るお腹にクスリと笑う。
「そういえば緊張して、あんまり食べれてなかったかも…」
そう恥ずかしそうにお腹を抑えて彼女は言った。
「その居酒屋のお通しがすごく美味しかったのを思い出して、懐かしくてちょうど作ってたところなんですが一緒にどうです?」
その誘いに彼女は満面の笑みで応えてくれたーー。
「わっ!お店のより美味しい…」
「あはは。それは何よりです」
カウンター席に隣同士で座りながら一緒に食事をとるのはなんだか新鮮で。いつもより彼女をより身近に感じながら、安室の口角は満足気に上がっていた。
「安室くん、本当に料理上手だね」
実は親友に教えてもらったものなんです。なんて言えるわけもなく「ありがとうございます」と無難な返答をする。昼間もつい学生のころに行っていたなどと軽率な発言をしてしまったばかりだ。
それにーー…
「それはそうと…はい、ハルさん。預かっていたスマホです」
「あっ!そうだった!」
料理が美味しくてつい…と本来の目的を忘れていた彼女は照れくさそうに笑いながら頭を下げた。
「本当にありがとうね」
「途中で抜け出して大丈夫でした?」
「うん。なんか色々と警戒しちゃって楽しめなかったし」
アハハと困ったように笑う彼女につられて安室も眉を下げて笑う。居酒屋まで行くのにスマホが必要にならなかったのかと聞くと、行く途中でたまたま友人と合流出来たため、迷うことなく店に辿りつけたのだという。だから予想よりアクションが遅かったのか。
「あっ」
何かを思い出したのか彼女は手にしていたフォークをゆっくりと置き、ちらっと安室の顔を窺うように覗き込んでくる。ジッと見つめてくる彼女に安室はわからないようコクッと喉を動かした。
「あの、どうしました?ハルさ…」
「昼間、お店の話をしてからちょっと元気ないかなぁー…なんて思ったんだけど…」
「え…?」
思わず笑顔のまま固まってしまう。確かにあの店の名前が出た時、今はもういない四人のことを思い、物愁しい気持ちになった。でもそれは一瞬のことで…。それともその一瞬を彼女が気づいたとでもーー?
「勘違いだったらごめんね。なんとなく電話の時も声がいつもと違う気がしたから…」
それは彼女のスマホを鞄から抜き取った負目があるから。仕事ではなく私情を挟んでやったことがさらに追い討ちをかけた。
どんどん曖昧になる境界線に、
だんだんと強くなる独占欲。
今頃どんな男とどんな会話をしているのか。
安室透である限り踏み込むことが出来ない領域を他の男が立ち入ろうとしていると思うだけでどうにかなりそうだった。
「でも今はちょっと元気戻った、かな?」
それは君が電話口で会いたいと言ってくれたから。
走って僕のところまで来てくれたから。
たとえそれが元気のない安室を心配してのことだったしても、熱くなった胸の奥が冷めることはなかった。むしろ…
ーーあぁ、困ったな。
これ以上好きになりたくないのに。と安室は意外と鋭い観察眼を持っている彼女にどう返答すればいいか必死になって言葉を探したのだったーー。
《風見より》
おしまい
2024.12.15.いいね♡