疑惑
毛利小五郎からテニスのコーチを一日引き受けてくれないかという連絡が入ったのは数日前のこと。ジュニア大会で優勝経験があることをマスターらへんにでも聞いたのだろう。
誘いのあった伊豆高原から東京へと戻る車中、安室はベルモットから受け取った赤井が死ぬ前後の詳細ファイルの内容を思い出していた。
来葉峠で頭を拳銃で撃ち抜かれた奴は乗ってきていた車ごと焼かれたと記載されていた。その遺体の指紋と、ある少年が所持していた携帯にたまたま残っていた彼のW右手Wの指紋が一致。それはFBIの調べではなく、FBIが日本警察に確認させたものであり、指紋の偽装はありえないとされた。
赤井がそう簡単に死ぬ筈がないとあの男に変装し、奴の関係者の周りをしばらく彷徨いてみたが、彼らの反応を見た限りどうやら奴の死は嘘ではないようだと半信半疑にもそう判断した。
しかし、
「右手…」
レフティである彼ならつく指紋は左手ではないだろうか。利き手が何かで塞がっていたのか?それとも右手に何か意味が?
それに焼死体であったにも関わらず指紋が残っていたというのも不可解だ。
Wあの探偵ボウヤよW
赤井の指紋が付着している携帯を所持していた少年が誰なのかをベルモットに確認したところ彼女は眉を顰めながら、少し面倒くさそうにそう言い放った。その事実に赤井の死の疑惑はさらに深まる。
そしてあのベルツリー急行で手榴弾を投げてきた男…。
火事に見せかける為に放ったスモックのせいで正体までは分からなかったが世良真純が被っていた帽子と同じ帽子をその人物も被っていたように見えた。そう、それはまるで赤井秀一のように…。微かに見えた背格好から明らかに彼女ではなかった。
むしろ…。
考えていたところでベルモットから着信が入る。彼らと接触する旨は事前に伝えており、何事もなかったと先程メールをしたばかりなのだがどうやら直接話を聞かないと気が済まないらしい。仕方なく安室は掛かってきた電話にワイヤレスイヤホンを耳に装着した。
《随分連絡が遅かったじゃない?》
どうにも彼女は彼らのこととなると一際神経質になるようだ。片眉と口の端を斜めに上げながら困ったように笑った。
「実は行った先で少々事件に巻き込まれまして」
《その様子からして無事解決できたのかしら?》
「えぇ…事件は解決しましたよ…。毛利名探偵のお陰でね」
《あら、そう…。ところでいつまであの探偵とつるむ気なの?》
何故彼らにそこまで執着するのかはわからないがベルモットはバーボンが彼らの近くにいることをあまり良しとしなかった。
《キールの一件でシェリーと関わっている疑いのあるあの探偵に張り付きたいって言うから色々サポートしてあげたけど…もう用はないんじゃない?》
ベルモットの言う通り毛利小五郎が本当にシェリーと関わりのある人物なら、ベルツリー急行の件で安室が組織側の人間であることは既に知られている筈。しかし彼は何事もなかったかのように安室に連絡し、今日顔を合わせても探りをいれてくるわけでもなかった。まぁ、それも計算のうちだと言われてしまえばそれまでなのだが、それよりももっと興味深い反応を示した人物が他にいたのだ。警戒心剥き出しで、今日一日安室とは常に距離があった。
そう、彼らと接していくうちに違う人物が影から姿を現し始めたのだ。
そして事件の真相が解けてきた頃合いで、彼は腕時計の蓋を外し、明らかに小五郎を狙っていた。大人の目線からは見落とされやすい子供の背丈を利用し彼は今までその行動をバレることなく事件を解いてきたのだろう。その日注意深く彼の行動に目を光らせていると案の定毛利小五郎は眠りの小五郎となり推理することはなかった。
なるほど、と胸の内でほくそ笑む。
《幸運にも偶然シェリーの情報が舞い込んできて…そのシェリーも葬る事ができたんだから…》
あの腕時計には眠らせる何かが仕込んであるのだろう。発信機付き探偵バッチとそれを追跡出来るメガネを作ったという高度な技術を持った発明家が傍にいるのならあり得ない話ではない。変声機なる類を作るなんて造作もない筈だ。
間違いない。
「いや、俄然興味が湧いてきましたよ…」
江戸川コナン。
「眠りの小五郎という探偵にね」
彼だ。彼が恐らく全ての中心にいる。毛利小五郎の傍にいて正解だった。
今回バーボンはシェリーの身柄を彼らに渡すことで手柄を上げ組織の中心近くに食い込む算段を付けていた。
だが赤井秀一が生きているなら話は別だ。奴の生存を明確にし、身柄を組織に引き渡す方が遥かに価値がある。
もしベルツリー急行にいたのが赤井秀一本人ならば毛利小五郎のパソコンをハッキングしていたのも奴に違いない。そこでシェリーの情報も、我々がその情報を入手することもわかっていたのならあの場にいたのも肯ける。わざわざ自分たちの邪魔をしてきたのだ。シェリーも生きている可能性が出てきた。
必ず協力者が居るはずだ。一人はあの少年の可能性が高い。彼の周りでそれらしい人物は…
ふと脳内に浮かんだのは食堂車の光景だった。青ざめた顔。緊張した肩。微かに震えている指先。とても酒で酔っている風には見えなかった。隠してはいたがあの時の彼女は明らかに自分を怖がっていた。
彼女が赤井秀一の協力者?
いや、とてもそうには見えない。江戸川コナンと協力し合ってるようにも見えなかった。しかし一定の距離があるのは確かだ。会って数回。安室は毛利ハルという人物がどんな人間なのかを未だ掴むことができなかった。
赤井秀一の居場所を知っている人物候補の一人として彼女にも一応注意を払う必要がありそうだと安室は目を細めたーー…。
「へぇ、じゃあ安室さんがテニスのコーチ引き受けてくれたんだ?」
「うん!でも結局事件に巻き込まれて出来なかったけどね」
「コナン君の頭の怪我はもうすっかりいいの?」
「大丈夫!翌日には包帯も取れたし」
今日は蘭と二人でショッピングをしに来ている。服選びを楽しみながら数日前に起こった事件を教えてもらう。今頃コナンは大慌てしてるだろうなぁ、なんて服を見ながら苦笑いを浮かべる。
「あっ!この服可愛い!」
「どれどれ?」
可愛らしいワンピースを手に取り、体に当てる姪っ子。
「うん!かわ…」
ギンッと目を光らせたのはワンピースの丈の部分。
「短いよー。お腹冷やしちゃう」
「これぐらいの丈は皆着てるもん」
お母さんみたい、と笑う蘭。そんな彼女を見て大きくなったな、とハルは柔らかく目を細める。
一緒に過ごす時間が長ければ長いほど登場人物としての認識は消え、兄は勿論のこと蘭や新一、英理や有希子らはハルにとって大事な人たちとなった。そして自分が歳を重ねるごとにその大切な人たちというのは増えていった。
元の世界が恋しくないと言ったら嘘になる。両親には会いたいと今でも思っている。だが、この世界にも守りたいと思うほどの家族ができた。
「………」
ハルはこの物語の終わりを知らない。当時原作はまだ続いており、ハルは単行本の最新刊を読んだ翌日にこの世界にきた。まだその話になるまで時間はあるが、その時が来たら自分はどうするのだろうとずっと考えている。
「ハルお姉ちゃん…?」
蘭が心配そうな顔でこちらを見ていた。ついつい物思いに耽ってしまった。心配させては元も子もない。ハルは彼女に思いっきり笑顔を向けた。
「可愛い姪っ子の為にさっきの服をボーナスが出たハルお姉様が特別に買ってあげよう」
パァッと嬉しそうに顔を明るくさせる蘭にハルも表情を緩める。
探偵のように頭がいいわけではない。
兄のように強いわけではない。
それでも出来るだけ皆の傍にいたいと強く願ったのだったーー。
2021.05.09.いいね♡
2021.05.11加筆修正