つむじ風にご注意を。
「あらコナン君!おかえりなさい」
梓は掃き掃除をしていた手を止め、今日は早いんだね、と声をかける。
「うん!学校の都合で今日は早く帰れたんだ」
「そうだったのね。そういえばこの間はありがとう。大尉もすごく気に入ったみたい」
少し前からポアロに訪れるようになった野良猫の大尉。必ず夕方ごろに餌をねだりにやってくるのだが、おやつに何を上げたらいいか、たまたまその場に居合わせたコナンに相談したところ、時々妃先生の猫を預かっているのもあり、ストックで置いてある猫用ミルクをくれたのだ。
「牛乳をそのままあげるのはダメなの?」
「大丈夫な猫もいるらしいけど、牛乳に含まれるラクトースっていうのを分解して吸収する酵素をもたない猫も中にはいて…」
「酵素?」
「うん!ラクターゼっていうんだけどね。それを体内に持ってないとお腹を壊しちゃうんだって」
「え!そうなの?」
「仔猫のときにはあるらしいけど、成猫になると減っちゃうらしいよ」
「大尉も気に入ってるみたいだし出来れば同じものを買いたいんだけど、この間ペットショップに行ってみたら売ってなくて…」
「実は僕たちもハルお姉さんからもらったものなんだよね。なんか間違えて大量に注文しちゃったらしくて…。まだ余ってると思うから連絡してみる?」
「いいの?」
「うん!ちょうど今日泊まりに来るって蘭姉ちゃんが言ってたし」
「助かるー!ありがとうコナン君!」
「どういたしまして!それじゃあ僕、博士の家に行かなきゃだからまたね!」
その後サッカーボールを持ってポアロの前を通り過ぎた彼に大人びていても、そこはやはり子供なのだと梓は小さく微笑んだ。
家のことをしていたらすっかり出るのが遅くなってしまった。もう気づけば夕方近い。出る直前に、スマホ画面に表示されている通知に気づく。二時間も前のものでハルは慌ててメールを開いた。
「新一…じゃなかった、コナン君だ。えーっと…なになに?今日来る時にゴロちゃんのいつものミルクも持ってきてほしい…?」
この間持っていったばかりなのにもうなくなってしまったのだろうか。まぁ、捌ける分には大助かりだ。未開封のものを棚から取り出す際に見えた、同じパッケージがズラリと並んでいるのを見て、肩を落とす。義姉の猫を預かることもあるため、ネット注文したのはいいが、一箱頼んだつもりが段ボールで来てしまい、このあり様だ。取り敢えず何箱か袋に入れて家を出ることにした。
「うぅ、寒い」
今日は風も少し吹いてる所為かより寒く感じる。スカートを履いてきたのが失敗だった。ハルはマフラーに顔を埋め、出来るだけ寒さを凌ぐ。
今日の夕飯は何にしようか。この間、吸血鬼の館に行ったとかで和葉ちゃんと大量の餃子を食べたから暫く餃子はいらないなんて蘭が言って…
「わっ!」
びゅっ、と吹いたつむじ風はハルのスカートを巻き上げる。
「待っ…!」
慌てて抑えたものの、スカートは虚しくも大分上まで捲れ上がってしまった後だった。風は落ち着いたが、人通りの多いこの道で誰かに見られてやしないかと辺りを見渡す。
「………」
「…えっと、」
「………」
「…こ、こんにちは、ハルさん」
こんな寒い中上着も着ず、街灯下で蹲み込んでいる男にハルの顔は一気に熱くなる。
「………うっ」
わぁぁぁあむろとおるー!!!なんで⁉なんでそんなところにいるの⁉ なんでよりにもよってこんな場面なのー!
「あの、決して見ようと思って見たわけでは…」
見ようと思って見たら大問題だよ!いっそのこと惚けてほしかったよ!気まずいよ!いつも遭遇するタイミングが悪すぎるよー!
互いに気まずい空気の中、胸中一人で大騒ぎしているとまた強く風が吹き荒れる。同じ過ちは繰り返さないとスカートを強く抑える。すると安室が手にしていた紙切れのようなものがその手からするりと抜け、あろうことかそれはハルの顔に張り付いた。
「わっ、ぷ」
「す、すみません!ハルさん!」
「………」
もう踏んだり蹴ったりで言葉も出ない。今すぐこのエリアから立ち去りたいと思いながらも顔に張り付いたそれを引き剥がす。怨めしい顔でその紙を睨むとそれはタクシーのレシートだった。
「ッ!」
Corpseと不自然に残されている文字に思わず固まる。なるほど、つまり変なタイミングで現れたのは自分の方だったというわけで、彼を足止めしているのも自分ということになる。今、子供達は死体があるクール便の中に閉じ込められているはず。急がないと不味い。一刻を争う状況に、これは例えパンツを見られたからといって恥ずかしがっている場合ではないと頭を切り替える。そう、例えパンツを見られたとしても。
申し訳なさそうに駆け寄ってくる安室の手を取る。驚いた顔をする彼に構うことなくそのレシートを安室の手の平の上に置いた。
彼を早く子供達の所に行かせなくては。
「上着も着ないで、風邪引いちゃいますよ。まだ寒いですから、これを使ってください」
ハルは自分が掛けていたマフラーを安室の首に巻いてやる。白いハイネックの服を着ているがやはり寒そうだった。何故、と問いかけるようにその瞳が揺れているのを見てハルは困ったように笑った。
「そんな格好で外を彷徨いているところを見ると今は探偵のお仕事中なんですよね。冷え込む前に早く行ってください」
そのかわり、とハルはマフラーの両端を掴んだ。
「パンツを見たことは忘れてください、」
ね!と最後にイタズラで軽く首を締めるフリをする。目を丸くして驚いている安室にハルはおかしく笑う。
「じゃあ、また探偵事務所で」
これなら今度会っても互いに気まずい空気にはならないだろう。彼に怪しまれないよう近すぎず遠すぎず、毛利小五郎の妹として不自然なく接することが出来ていればそれでいい。
ハルは一度も振り返ることなく探偵事務所を目指したーー…。
彼女から借りたマフラーに手を伸ばし、その目は少し細められる。ジッと見つめるその視線に彼女が気づくことはなかった。
既に安室の掌の上に片足を乗せている状態だということを彼女は知らない。
惚けるフリをしなかったのも、レシートを飛ばしたのも彼女の反応を見る為だ。
そんな安室の思惑にハルが気づくことはなく、寒い思いをしたコナンの為に今夜は体の温まるものにしてあげようなどと呑気に思っていたのだったーー…。
2021.05.20.いいね♡