溢すために注いだ水のようなもの



ナマエが団長室に呼ばれたのは終業時間間際のことだった。夕日が差し込んで茜色に染まる廊下を歩きながらナマエはひとつ首を傾げる。彼女には団長室に呼ばれた理由に心当たりはなかった。勤務態度は真面目だと直属の上司にもお墨付きをもらっているし、壁外調査においての巨人討伐の成績だって決して悪くないはずだ。とすれば昇進でもさせてくれるのだろうかと少しだけ心を躍らせながら重厚な扉をノックする。返事が返ってきたのを聞いてドアを押し開けると足を踏み出した。


「私は君のことが好きらしい」


しんと静まり返る室内にエルヴィンの声が響く。ナマエが団長室に入るとエルヴィンは執務机に向かっていて、ナマエをその目に映すと走らせていたペンをぴたりと止めた。そしてまず呼び出したことを詫びるとまるで何かの報告かのようにさらりと言ったのだ。ナマエの聞き間違いでなければ、確かに、好きだと。

ナマエは大して良くもない頭をフル回転した。エルヴィンの意図はなんなのか、何と答えるのか正解なのか。エルヴィンはナマエが何か言うのを待っているかのように彼女をじっと見つめる。


「あの…ありがとう、…ございます」


少しの沈黙のあとナマエは何とか言葉を絞り出した。彼の好きがどんな意味を持っていてもこの返しは間違っていないはずだ。小さく下げた頭を持ち上げエルヴィンを見ると彼は納得したようにひとつ頷いて僅かに口元をゆるめた。


「では、これからよろしく頼む」

「…え、と…何をでしょうか」

「付き合うんだろう?私と」

「えっ…な、何で…?」

「…ありがとうと言っただろう。私の好意を受け取ったということではないのか?」

「私は、…ただお礼を言っただけです」


エルヴィンはきゅっと眉を寄せると机に手をついて立ち上がった。ナマエはびくりと肩を揺らし下唇を噛む。これは緊張した時の彼女の癖だった。


「私が嫌いか?」

「い、いえ…そのようなことは…」

「では付き合ってくれ。大事にする」

「……す、すみませんっ、…ごめんなさい!」


ナマエは少し下がると頭を勢いよく下げ、そして次にエルヴィンが何か言う前にと素早く駆け出し団長室を出た。途中何度も転びそうになりながら自分の部屋まで走って帰るとベッドに滑り込み布団をかぶる。さっきの出来事はどうか夢でありますようにと、そう願いながら。