憧れのきみに

今日も双子の妹であるアンに掛けられた呪いを解く方法を見つける為に禁書の棚を物色し、気になった本を手当たり次第目を通すも特に成果も得られず、自身の寮へと戻ってきた。
夜はすっかり更け、日中比較的賑やかなスリザリンの談話室もすっかり落ち着いており、暖炉の薪が橙色の炎の中でパチパチと弾けている音だけが控えめに鳴っている。
こんな遅くまで起きているスリザリン生は、見回りに出ている監督生を除けば僕くらいだろう。
そのまま男子寮へ向かおうとしたところで、どさり、と何か重たい物が落ちる音が聞こえた。
音が聞こえた方向を見ると、暖炉前のソファの傍に先ほどの音をさせた正体であろう分厚い本を一冊見つける。

(ああ、こんな時間まで起きてる奴が僕の他にもう1人いたな。)

しかし落ちた本は絨毯の上に横たわったままで、一向に拾われる気配はない。
分厚い本の持ち主はきっとソファの上で眠りこけてしまっているのだろう。それは僕が談話室へ入った段階で何のリアクションも無かった事からも明らかだった。
ソファの背から覗き込むと、案の定、僕の想像通りの人物がいた。オリヴィア・ホワイト、5年生からホグワーツへやってきた転入生の女の子。
5年生はOWL試験というそれなりに難しい試験が学年末に控えている。それもあり、彼女はいままでの遅れ分を取り戻すためにも各授業の先生から追加課題をたっぷり出されていると聞いていた。
テーブルにはその課題らしき紙の束がどっさりと積まれている。
夕飯を食べている時も羽根ペンを片手に何かしらのレポートを書いている事が殆どで、イメルダ(転入生は持ち前の運動神経の良さで、イメルダの良い箒乗りの競争相手になっているらしい)によく行儀が悪いと注意されていた。
それに加えて転入してきたばかりだというのに、フィグ先生の遣いだのなんだので郊外へ出掛けることも少なくない彼女は、そうした日は決まって就寝時間を削り課題をこなしているみたいだった。
彼女がホグワーツへやってきてから間もなく、初めてとは思えない杖裁きで僕との決闘を勝利で納めた転入生を秘密の決闘クラブへ誘った。
パートナーとして試合に出場し、ホグズミードを案内したり、アンの病気の事も気に掛けてくれ、僕は他の誰よりも早いスピードでオリヴィアと親しくなっていった。
彼女はスリザリンには珍しいお人好しでよく頼まれごとをするし、寮の垣根なく誰とでも親しくしているように見えるが、それでも彼女に1番近しい存在は僕だと思っている。
しかしそんな僕も、ここ数日は”フィグ先生のお遣い“のせいで転入生とはゆっくりお喋りもできていない。
“お遣い”の内容を全く知らない訳では無いだけに、彼女の身の安全のことも考えるとより一層気持ちが沈んだ。

「そんなところで寝てたら風邪引くぞ」
「んー・・せばす、ちゃん?ふふ・・・」
「おいおい・・・」

テーブルに突っ伏すようにしていた彼女は僕の声に顔を上げたが、重たそうな瞼をそのままに僕の名前を呼ぶと、今度はソファの肘掛けに凭れる様にしてまた直ぐ眠りに入ってしまった。
それからまた2、3回声を掛けるも、今度は身じろぎひとつさえしない。相当寝付きが良いらしい。
見つけてしまった以上、幾ら暖かい談話室とはいえ、彼女をそのままにして自分の部屋に戻るという選択肢は今の僕には無い。

「まったく、仕方がないな」

思わず溢れた声は自分でも分かるくらい柔らかい。
彼女がこのまま起きなければ、見回りから戻ってきた監督生が彼女を見つけるかもしれないし、監督生が気付かず朝を迎えてしまったら他の誰かが彼女のこの無防備な姿を目に止める事になるだろう。
普段凶暴なトロールやアッシュワインダーズを相手にして、ホグワーツ内外を駆け回っている彼女の姿から剛健なイメージを持っているだろう奴らが、この可愛らしい姿を目にしたら下心を抱く奴だっている筈だ。
今更僕に勝てる奴なんていないだろうけど、敵は少しでも少ない方がいい。
そっと隣に腰を降ろし、彼女が頭を預けている肘掛けに手を付いて顔を覗き込む。
連日あまり眠れていないのか、目元にはうっすらと隈が浮かんでいた。
隈をそうっとなぞるように指を滑らせると、伏せられた繊細な睫毛がふるりと震える。そして次第にゆるゆると緩められる口許。
にこにこしちゃって、いったいどんな幸せな夢を見ているんだか。

(・・・僕の夢だったら良いのに。)

忙しさにかまけている彼女が、セバスチャン・サロウという男を忘れないように。
目元をなぞっていた指先を、そのまま頬を伝って唇へと滑らせる。
淡いピンク色をしたそれは、少し温かくて柔らかい。

(この唇にキスしたいと思ったのはいつからだっけな。)

でもそれをするのは転入生の意識がハッキリしている時が良い。彼女がいったいどんな反応を示すのかを余す事なく知りたいから。
ただ今の僕は、その決意が緩みそうなくらい限界だった。

「だからオリヴィア、これだけは許してくれよ」

僕の意味を為さない形だけの小さな謝罪にも、今の彼女は動じない。
よっぽど良い夢を見ているのか、そんな隙もないほど深い眠りの中にあるらしい。
今この瞬間彼女が目を覚ましてくれたら、迷わず唇にするのに。
そう思いながら、僕は甘い蜂蜜色の瞳をすっかり隠してしまった瞼に口付けをした。








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