焦がれたあなたに

ひとつ消化してはまた新たに追加され、終わらない課題の数々。そして古代魔術の試練やランロクの企みを探る為、“フィグ先生のお遣い”という名目で探索する日々。
同じ5年生の皆との知識と経験に大きな差がある私は、この1年間で彼らが時間を掛けて学んだ事全てをできるようにならなければいけない。
それにも関わらずあまりにも校外へ出かけることが多いので、ウィーズリー先生の目が最近より一層厳しい。
いい加減別の方法を考えなければならないかもしれない。
今日は密猟者の根城を襲撃しつつ実践課題をこなして、密猟者達が狙っていたのであろう、その近くに巣を構えていたディリコールを保護したり(彼らは飛べないけれど危機を察知すると魔法族が姿くらましをしようとするよりも早くパッと消えるので、1匹保護した後その次の1匹がどこに行ったか探すのに時間が掛かってしまうのだ。)、帰路で古代魔術の痕跡を見つけたりなんやらしていたらすっかり日も落ち切ってしまっていた。
大慌てでホグワーツに戻ると夕食の時間も終わっていて、とっくに消灯時間を過ぎ、監督生達がまだ寮に戻らず悪さをしている生徒は居ないかと目を光らせている。

(これくらいならもう楽勝だな。)

階段の陰でめくらまし術を使い、彼らに見つからないようそっとスリザリン寮のある地下へと向かう。
隠密行動に最適なこの魔法は大変重宝し、すっかりマスターしてしまった。以前ラッカム先生の肖像画が仰っていたが、古代魔術の痕跡を見ることができる者はあらゆる魔法と特別な繋がりを持つことができるようで、そのおかげで目くらまし術の効果もより高いものとなっているらしい。
わざわざ透明薬を調合して飲む必要性も今のところ感じておらず、とても楽ちんだ。
大した危機もなく自身の寮に辿り着くと目眩し術を解き、ほっと息を吐いた。
気が抜けたのか溜まっていた疲れがどっと押し寄せてくる。
身体はヘトヘトで既に眠たいが、今日の実践課題の結果だけでもレポートにまとめておかなければ。明日に持ち越せば呪文学や闇の魔術に対する防衛術の授業があるため、レポートを纏められるのはまた夜になってしまうだろう。こういうのは出来るだけ記憶が新鮮な内に済ませてしまった方が良いと決まっている。
しかし自分の部屋に戻ったらきっとイメルダ達を起こしてしまうかもしれない。それにちょっと油断してベッドに腰掛ければ忽ち睡魔に負けてしまいそうだ。そう思って私は暖炉の暖かな火の元で羊皮紙と向かい合っていた筈なのだけれど。
───どさり、重たい物の落ちる音がすぐそばでした。きっと情報を整理する為に見ていた魔法薬の本だな。
拾わなければと思うのに身体は思うように動かず、瞼も重くて開かない。
これはもしかしたら夢だろうか。

(結局睡魔には勝てなかったんだな。)

そう思った矢先に「そんなところで寝てたら風邪引くぞ」と、私が転入してきたばかりの頃から何かと親切にしてくれている友人の声が頭の上から降ってきた。私に目眩し術やその他沢山の”授業では教えてくれないけど役立つ呪文“を教えてくれる張本人。
常日頃感じている事だけれど、男の子特有の低さを持ち、落ち着いた耳心地の良いその声は、このまま聞いていると良い子守唄になってくれそうだ。
それから私は、夢と現実の境も分からないふわふわとした状態から、また深い眠りへと落ちていくのだった。



───あれから数分、数時間、それともたった数秒でしかないのか。どれくらいの時間が経ったのかは分からない。
ぱちぱちと炎の中で薪の弾ける音。ハッと小さく息を飲むような声にもなっていないような音が聞こえ、顔の近くで柔らかい風を感じた。

「ううん・・・あれ、セバスチャン?」

あれほど重たいと感じていた瞼はすっと持ち上がり、己に影を落とす存在を目に留める。
さっき私の夢に現れたと思った、セバスチャン・サロウがいた。何故と考えるけれどここはスリザリン寮だから彼がいても可笑しいことはひとつも無い。それに彼は目くらまし術を私に教えてくれた張本人だし、彼自身目くらまし術を使ってよく禁書の棚に忍び込んだりしているらしい。今日もきっとその帰りで居眠りしている友だちを見つけ、優しい彼の事だから心配して様子を見に来てくれたのだろう。
ただ、それにしたってどうしてセバスチャンの顔が真上に。どうして彼は私に覆い被さるような姿勢を取っているのだろう。
寝起きで未だぼんやりする私の頭は、そういった疑問に対する答えを一つも導きだしてはくれないらしい。

「っ、おはよう」
「どう、して」

一瞬たじろぎ身を引こうとしたように見えた彼はグッと堪えると、何を思ったか私の顔の横に置いていた腕を曲げ、更に顔を近づけてきた。

「セバスチャン?」
「っごめん、まさか本当に起きるとは思わなくて」

何のこと?と思ったのも束の間、彼の緩い癖のある髪がおでこに掛かる。
大人びた彼に年相応の少年らしさを感じさせてくれるそばかすが、いつもよりはっきり見える。
少し丸みのあるしっかりとした鼻が、私の控えめな鼻に触れる。
そして、「目を閉じて」と言いつつそんな暇を与えてくれなかった彼の唇が、私の唇に触れる。
目の前の光景に耐えきれずやや遅れてぎゅっと目を瞑るが、触れている箇所の温度がより明確になるだけだった。

(・・・・・・想像していたよりもずっと柔らかい。)

正直に言うと、セバスチャンが本を片手に考え事をして唇にもう片方の手を持っていったりするような仕草を見て、彼とキスしたらどういう感じなのだろうと考えてしまう、というような事が度々あった。

(けど、それがまさか現実になるなんて・・・それともこれもまだ夢の続き?)

彼の唇が離れていく。
遅れてぎゅっと瞑っていた目を開けて、目の前の男の子を見上げる。
暖炉の灯りに照らされたセバスチャンの瞳はとても情熱的な色をしていて、ほう、と思わず溜め息が溢れてしまう。この人の唇が、間違いなくここに触れたんだ。
その熱が、私にこれは決して夢なんて優しいものではないぞと教えてくれていた。

「オリヴィア、・・・?」

今度はセバスチャンが私の名前を呼んで何かを言おうとしているが、自分の心臓の音があまりにも煩くてちゃんと聞き取れない。
そうして何も発さずただ自分の事をぼーっと見上げる私に何を思ったのか、セバスチャンは眉尻を下げ傷付いたような表情を浮かべた。折り曲げられていた腕が伸び、彼が離れていこうとしている。

「待って、いかないで」

咄嗟に両手で彼のローブを掴み引っ張った。このまま離れる事を許してしまったら、もう二度とさっきの熱は感じられないかもしれないという焦りが、固まっていた私の身体を突き動かした。
不意を突かれたであろう彼は「おっと、」と声を溢し慌ててソファの背もたれを掴んで、再び私に覆い被さるような態勢を取った。
覗き込んだ彼の瞳には、まだ先ほどと同じように熱い炎が燃えている。
彼の顔がまた近付いて来ている気がするけれど、まず確認しないと。

「・・・どうして、その・・・・・・私にキス、したの?」

私の声はこの煩く鳴っている心臓とは正反対に今にも消え入りそうで弱々しい。相手を責めていると言うよりは、縋るような情けない声だ。
セバスチャンとのキスを想像したように、彼と恋人同士の関係になれたらと想像した事が今までに一度もなかったわけでは無い。
けれど私は彼を気の合う友達だと思っていたし、オミニス程とまではいかなくても彼も私の事をそう思ってくれていると思っていた。寧ろそれ以外に見てくれているなんて微塵も考えた事がなかった。
彼のことはそれなりに分かっているつもりだからそうでは無いと信じたいけれど、これが彼のただの気まぐれではないという自信が持てない。

「あの、何か言ってくれると嬉しいんだけど・・・」

ごくり、喉仏が上下し、セバスチャンは唾を飲み下すと意を決したように口を開いた。

「・・・ごめん」

まるで鉄鍋で殴られたかのような衝撃に私は言葉を失ってしまった。それは何に対する謝罪なのだろう。
言葉の意味を理解するよりも早く、目頭から視界がじんわりと滲み、鼻の奥がつーんとする。瞬きと共に一筋涙の粒が頬を伝っている事に気付くと、堰き止められていたダムが欠壊たかのように、次から次へと涙が溢れ出て来る。

(そうか、彼も同じ気持ちかもって思ったそれは私の勘違いだった。)

理解するが早く、私はローブを握っていた両手を開いて、そのまま彼の胸を押し返す。
引き留めなければ良かった。或いはどうしてキスをしたかなんて、聞かなければ良かった。
そうすればまたあの熱に触れてもらえたかもしれないし、そうでなくても今よりは少しはまともな気持ちでいられただろう。
押し寄せる後悔は、もう無かったことにはできないのだ。

「えっ、おいなんでって、あー・・・違う、違うんだ。この謝罪は君が思っているような意味じゃない。」

ぽろぽろと涙を流す私を見て、セバスチャンは酷く驚いたようだった。そして、まるで彼自身も傷付いてるかのように悲しそうな表情を浮かべ、私の両手を自分の手で包み込むようにして握り、私の身体をそっと引き起こした。
私のびしゃびしゃに濡れた頬に手を伸ばし、何度も親指で涙を拭おうとする。
私が思っているような意味じゃないとなんで分かるのだろう。そうしたら本当に、もしかして、彼も私と同じ気持ちなのだろうか。さっきまで萎んでいた期待というものが、往生際悪くむくむくと湧き起こって来てしまう。私の勘違いだったならそれで良いから、もう無視して男子寮に行ってしまって欲しいのに。
暫くそのままの態勢で私が落ち着くのを待ってから、セバスチャンは私の俯きがちだった顔を上向かせた。

「僕は・・・本当はこんな起き抜けの君の唇を奪うつもりじゃなかった。できればもっとちゃんと良いムードの時に、その、キスをしたいと思ってたんだ。でも最近君は“フィグ先生のお遣い”で忙しかっただろ?だから、今日ここで君が眠ってしまっているのを見て、せめて瞼にならと・・・」
「私が寝ている最中に、私の瞼に、キスしたの?」

私の言葉が彼の行いを咎めているように聞こえたのだろうか。「ああ」と肯定の意を示した彼はバツが悪そうな顔をしていたが、私は彼の真摯な説明を聞いて、(セバスチャンは私にキスしたいって思ってくれてたんだ・・・。)とさっきまで羞恥や後悔で黒い湖の底に沈んでいく心地だったのが一気に水面まで上昇したような晴れやかさを感じていた。

「それで、瞼にキスした途端に君が目を覚ましたから、気持ちが抑えきれなかった。だから、さっきのごめんは、”我慢出来なくて“ごめんっていう意味だった。」

こちらを様子を伺う様に見上げて来る視線は、まるで子犬の様でありながら、先程キスした時の様な熱をまた帯び始めていた。

「そっ・・・か、」

息が詰まる。それは先程のような絶望を感じているからではなく、彼の熱に再び当てられたからだった。

「オリヴィア」

セバスチャンが情熱を携えた瞳でこちらを見つめながら、私の名前を呼ぶ。

「今、あまりじっと見つめないで欲しい」

思わず背けようとした視線を頬に添えられた彼の右手によって引き戻され、まるで逃がさないとでも言いたげに、さらに彼のもう片方の腕が私の腰を掴む。
その手の力強さに、また心臓の音がバクバクと大きくなっていく。
自分でもびっくりする程泣いてしまって、今の私はきっと酷い顔をしている。こんな泣き顔を他人に晒してしまうのは初めてだった。しかも、その相手がセバスチャンだなんて。
折角良い雰囲気なんだから、少しでも可愛くいたかった。彼の言葉を勘違いしなければもう少しマシだったのに。
そんな、普段ランロクやルックウッドの手下達と戦っている勇ましい魔女とは思えない様な、可愛らしい気持ちを抱えていると、セバスチャンはそれを見透かしたかの様に声に出して笑った。

「君は間違いなく、僕の可愛い人だよ」








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